こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

また少し社会が動いた

2021年09月30日 | 日々思うこと、考えること
 台風16号がやってくるらしく、やっと夏休みがとれると喜んでいる身には残念だが仕方ない。まあ、書き物でもしてじっとしていよう。

 自民党の総裁選挙すなわち、自民党が選ぶ次期首相選挙がおわり、予定通り岸田さんが勝った。女性の地位向上を考えると高市さんがいいと思っていたが、女性を総理にしたくない人は多いし、知名度も岸田さんにはかなわなかったし、いろいろあったのだろう。新首相にはコロナ対策、経済対策、外交などにしっかり取り組んでいただき、高市さんにはぜひ”次”を狙っていただきたい。

 自国のトップが選ばれるのを指をくわえてただ見ているだけというのは少々残念な話だ。かつて、一瞬ではあったが、のように二大政党制が機能していたら、総選挙でそれに類することもできたのだが、いまや野党はいずれも弱小、さらには大同団結もできない体たらくではそれも望めない。一体、何のために存在しているのかと存在意義はなにかと疑問に思う。

 それでも、今度の総選挙には必ず行って一票を投じたい。1人でも多くの人が投票に行ったら、それだけでも政治への監視機能にはなるし、ほんの少しでも社会を動かすことができるかもしれない。
夏休みはこまめに

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これがホントの徳俵?

2021年09月29日 | 日々思うこと、考えること
 いよいよボケがはじまったのか何だかわからないが、先週から今週がもう10月だと何度も勘違いしている。どうやら仕事が増える週の半ばの水木が第5週だからだろうと考えている。

 今日もてっきりワクチン接種の問診当番だと思い込んでいたが、来週の水曜日だった。仕事のことで臨床医と話していても、どうもズレがあってずいぶん迷惑をかけているような気がする。

 いずれにしても今日は9月29日。今月いっぱいをめどにしていた仕事も、少し締め切りが延びてホッとしている。押し込まれてもうダメかと思ったら、徳俵があったというようなものだ。かといって、1週間前倒しで何かしたというわけではないのだが。

 人生色々なところに徳俵があるに違いない。それは大小さまざまで、受験、就職、結婚であったり、細々とした仕事であったりもするが、その時々迫られる決断に軽重はない。その都度、徳俵に残った幸運をありがたく思い、真摯に対応しなくてはならない。
勘違いは忙しすぎるから(ということにしておこう)

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もう一皮剥けたい

2021年09月28日 | 生き方について考える
 気温が落ち着いてきたせいか、ゼラニウムが元気だ。育てやすいといわれるだけのことはあって、挿し穂から育てたものもずいぶん大きくなって、今ではどれがどれだかわからない。11月ごろまでは元気に花を咲かせてほしい。

 今朝の血圧はいつも通りに戻ってホッとしている。昨日の不安感はなんだったのだろうと考えてみたら、私はまだ”誰かに頼っている”ということに気がついた。

 私が今あるのは何人もの素晴らしい先輩病理医に育ててもらってきたからだ。それらの出会いのほとんどは、偶然、おそらくは先方の勘違いだった。結果としては先輩方によって引き立ててもらったり、仕事を振ってもらったりしたが、私の実力が反映された仕事というのがどれだかは思いつかない。

 ブログにしても似たようなもので、すぐれた文章を書く年長のブロガーさんを見習って勝手に先輩とし、さらにはコメントをいれてつながりを持って、時には応援までしてもらっている。

 私は、いつもどこかで先輩というか年長者を頼って生きている。その先輩、年長者がだんだんと減っていることが不安につながっているのかもしれない。でももうそんなことを言っていられる歳ではない。57歳といえばもう、”上がり”であるべきなのに、いまだに迷うことばかり。こんなことでいいわけがなく、自分のあるべき姿をしっかり考え、今一度成長したい。
さあ、今日1日

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だからいわんこっちゃない

2021年09月27日 | 日々思うこと、考えること
 朝起きたら久しぶりに頭が痛い。血圧を測ったらいつもよりずっと高くてびっくりした。夜もあまり眠れず何度も目が覚めた。原因は今週いっぱいが締め切りのスライドがなかなかできないのと、今週末の講演の原稿ができておらずあせっているからだ。なのに、昨日などは、1日のんびり過ごしているのだからいい気なものだ。やっぱり、半日でも仕事を進めるべきだった。といっても、時計の針は戻せない。休みが自分には必要だったと思い直すしかない。

 仕事がテンパっている上に、今週はワクチン当番もある。半日だが完全に会場に張り付くので結構大変で、トイレに行く暇すらない。時間をひねり出すには、あとはこのブログを書いている時間しかない。そんなわけで、今日はこの辺で、失礼します。


写真で穴埋め

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1日のんびり過ごしました

2021年09月26日 | 日々思うこと、考えること
 朝起きたら少しお日様がのぞきそうだったが昼過ぎには雨となった。昨日の学会の疲れが思いの外あって、仕事をする気にはならず、家のことだけをして過ごした。

 この夏、大雨のせいでナスがあまり取れなかったが、秋ナスは好調。思い切って切り戻してよかった。八百屋さんで売っているようなものにはほど遠いが、自前だとそれだけで味が良くなる。
 鉢植えを整理したり、栽培の終わったプランターを片付けたりしていたら雨が降り出したので、本降りになる前に片付けた。まだまだ蚊が多くあちこち刺された。
 まあ、のんびり過ごすのも大切。明日からまた頑張っていこう。ここのところ、元気のない話ばかり書いていたので、すこし明るくなった。
こんなものかな

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自分の年と立場とやるべきこと

2021年09月25日 | 日々思うこと、考えること
 臨床系のある学会で司会をした。オーラルプレゼンテーション(演説)のセッションで、6題あるうちの3題ほどを担当した。どうして私なんだろうと思いながら引き受けてしまったが、どれも立派な内容でこちらの方が勉強になった。ただ、最近勉強になった、なんてことを言っている場合ではないということを感じることがあった。

 先日、とある勉強会で講演を買って出たのだが、終わってみたらなんとなく物足りなかった。そんなことを妻に言ったら、

 あなたね、いったい自分はいくつだと思っているの?
 もう、人に教えてもらう歳じゃないでしょ。いい加減、人にもらってばかりじゃなくて、人に与えることを考えたら?

 と、呆れられハッとした。たしかに人に教わっていていい年ではない。これまで私がお世話になってきた”立派な先輩たち”に教えを乞うたのは私よりずっと若かった頃だ。大学教授になる人などは、40代が普通で、この間も私より一回り若い後輩が某大学の教授になった。彼など、教授になった時点で指導者としての役割がスタートしたわけだ。

 私としても、多少なりともこれまで教わったことを後進に伝えることを始めなくてはいけないということ。これというのは、仕事に限ったことではなく、社会全般に言えることだ。良きにつけ悪しきにつけ、年長者は自らの姿を若い人にみられる。若い人から学ぶこともあるだろうが、それよりは学んでもらおうという姿勢が必要ではないか、それこそが年長者のやるべきことだ。
生きているうちにやる

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飛び石連休とハッピーマンデー

2021年09月24日 | 日々思うこと、考えること
 シルバーウィークもこの週末で終わり。連休の穴となって電車は比較的空いていて通勤は楽だった。朝晩の気温も低めになってきて暦通りに季節は巡っている。

 飛び石連休が効率が悪いということでハッピーマンデー制度ができて、体育の日(スポーツの日)が10月10日でなくなったあたりからこの国はおかしくなったのではないか。実際にずらされてしまったのは、1月15日の成人の日、9月15日の敬老の日と体育の日だから、大勢に影響はないのだが、効率化をめざした結果であることがなんだか気持ちわるい。

 これもまた、昭和的な考えを引きずっているからかもしれないが、それぞれの日にはそれぞれの意味があったわけで、”その辺り”ということにしてしまうと、その意味を忘れてしまうのではないか。あんまり忙しくしすぎるよりは、飛び石連休などはそれぞれの企業が柔軟に休暇を与えるといったこともあっていいように思う。こんな柔軟さ、ゆるさ、というものは日本というものが西洋的効率化によって失われてしまったのだとしたら残念だ。

 リモートワークの充実は、家庭内への職場の侵食を起こしているが、家内制手工業だと考え方を変えたらいいのではないか。体を移動させての仕事はエッセンシャルワーカーに任せ、ホワイトカラーの人たちは通勤をこれまでの三分の一、四分の一ぐらいに減らしたらいい。コロナ禍を奇貨として、晴耕雨読、フレキシブルな仕事の体制を確実に手に入れなくてはならない。
もっと楽しよう

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昭和の名門企業2社が朝刊一面を飾った

2021年09月23日 | 日々思うこと、考えること
 1日晴天。久しぶりに気温は30度を超え、汗をかいた。
 道路はお墓まいりやら観光客やらで混んでいるだろうからとあまり外に出ないで過ごした。
 新聞を開いたらびっくりした。東電とみずほがそれぞれ深刻な状態に陥っている。両社とも、昭和の名門企業であったのにずいぶん落ちぶれたものだ。いまだにこのようなことが問題になっているということは、その企業体質は”全く”変わっていないだろう。みずほなんて、いまだに”興銀”の看板があるつもりなんじゃないだろうか。
 私は朝日新聞をいまだにとっていて、みずほにお金を預け、東電に生活を依存し、電話はNTTだ。私たち昭和世代はこうして頭のてっぺんから足の先まで、旧来の既得権益に金を貢いでいるが、若い世代はどんどん離れていっている。朝日もみずほも東電もNTTも、このまま安泰とはいかないだろう、昭和の名門企業の落日を目の当たりにしているようで残念だ。
 この先、どのようにして旧い企業と付き合っていくべきか考えなくてはいけないときに来ていると知らされた、そんな新聞一面だった。
いい加減なままでは

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いい人生だったと思えるように生きるには

2021年09月22日 | 生き方について考える
 昨晩の中秋の名月、月の周りをウロウロしていた雲は夜中のうちに雨を降らせたようで、朝、写真を撮ろうとヴェランダに出たら足を濡らしてしまった。

 ここのところ落ち込んでばかりで、自分でも一体どうなっているのかよくわからない。これもコロナ禍と関係しているのだろうか、1年半以上経って、”ウィズコロナ”の生活様式、社会様式が定着してきて、あれやこれやと私の周りの対外的活動も、以前と姿は違うものの再開してきた。

 この間も原稿書き程度はやっていたが、これなどこれまでの評価の裏返しに過ぎず、これといった評価を下されるわけではない。失敗しても次の依頼が来ないというだけのことだ。これが、研究会とか学会となると、面と向かって批判してくる人はいないものの、比較する対象が出現するためにどうしても自分の非力さを感じて、落ち込む。

 この癖、なんとかならないか。

 人は人、気にしなさんな。

 とよくいう。確かにそうで、落ち込んだところで、では、どうだったら満足できるのかということは明確ではない。

 あの先生みたいに上手にプレゼンできたらなあ、とかあの先生みたいに知識が豊富であったならなあ、とか、数えだしたらきりがない。そのすべてを備えた人間にでもなりたいというのだろうか。でも、そんなことはあり得ない。そもそも自分は自分でしかなく、自分を確固たるものとして認識することでそういう不安、落ち込みというものは発生しないはずだ。

 それにいつまで経ってもこんなことでは、人生を楽しむことができないわけで、それは後々よほどの後悔となってしまうに違いない。死ぬとき、

 ああ、いい人生だったな。

 と思えるように生きるには、どういう考え方でいたらいいだろう。
堅苦しく考えない

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才能のある人、ない人

2021年09月21日 | 生き方について考える
 お墓まいりで疲れたのか、渋滞で疲れたのか、帰ってきてからの土いじりで疲れたのか、一昨日の疲れがたまっていたのか、おそらくそれらの全てのせいで、昨夜は10時前に眠ってしまい、夜中に1、2度起きてしまったものの、目が覚めて睡眠時間を確認したら7時間を超えていて、条件が整えば十分眠れると知り、なんだか嬉しかった。

 昨日、私が鉢増しとか、土の入れ替えとか、ニンニクの植え付け(土の中に埋めるだけ)をやっている横で、妻が久しぶりに寄せ植えを作った。最近、寄せ植えは私ばかりがやっていて、妻は遠慮してかほとんど作っていなかったのだが、お花の師範だけのことはありもともとよく作っていた。その妻がお彼岸をモチーフにして作った寄せ植えは素晴らしく、園芸店にもそうそうないような出来で、私など妻の足元にも及ばないと感じた。

 こういうのは、才能の問題で、美的センスというのがもともと違うのだろう。例えば絵であれば、プロ級だった父に追いつこうと思っても遠く及ばず、高校時代文芸の同人会をつくったところで、私より遥かに大きな世界観で小説を書く同級生がいて、バスケットボールであっても医学部のような狭い世界の中ですら遥かに上手な奴がいた。医者になってからは想像のつかない切れ味の頭脳を持つ人というのが世の中にはこれほどいるのかと日々思い知らされながら過ごしている。適材適所で、私にも生きる道があるのかと思って、ブログを日々綴っているが、一向に上手く書けない。洗練された文章を書く人、おもわず見とれてしまう美しい写真を載せている人というのがいて、ここでも才能の違いを感じる。

 どんな優れた才能であっても、それを開花させるまでの努力、それを維持する努力というのがあって、才能と努力が化学反応を起こすかのように開花するのだろう。私も一から出直したら、そこそこのことができたのかもしれないが、その努力を怠ったまま生きてきてしまったように思う。ここで、悲観的になっても仕方がないので、そのことを受け入れ、ここからでも何か一つ努力してみようと考えるのだが、目移りばかりしてなかなかそのことが見つからず、人生の残り時間が短くなることばかり気になってしまって、どうも上手くいかない。
せめて楽しく

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頑張りが続かない

2021年09月20日 | 日々思うこと、考えること
 今日も快晴。

 湿度は昨日ほど快適ではないがまずまず。彼岸の入りということでお墓まいりに。私の家と、妻の実家。それぞれのお墓はそれほど離れておらず、いつも半日でまわる。ところが今日は鎌倉周辺は大変な人出だったようで、大渋滞。裏道を通ったら却って混んでいたりして思っていたより少し時間がかかった。
 昨日の疲れが残っているようで、締め切りが迫っている仕事を少ししようと思っていたのだが、気力が湧いてこない。結局帰ってからは土いじりして過ごしてしまった。頑張ろうという気がなかなか出てこない。
 今日はもう諦めていっぱい飲んで早めに寝て、明日の仕事に備えることにしよう。人間には休息が必要だ。

明日明後日働けば

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終わったら汗だく

2021年09月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
台風一過で朝のうち雲が出ていたが、すぐに快晴となった適度の湿度のとても気持ちのいい風も吹いているのに私は朝から某病理系研究会の教育研修会のチューターということでほぼ1日閉門蟄居。
この研修会、一昨年までは、全国あちこちでやっていたが、コロナ禍で去年は中止。
そして今年は完全ウェブ開催。

朝から講義があって、私の出番は15時半からのバーチャルスライドを使用しての1時間の実習。
終わった時は汗だく。
空を見たらカラスがお山に帰ってた。
終わった時には、自宅にいる。
ウェブ開催は楽といえばとても楽。 
疲れました

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総裁選の討論会で自民党の層の厚さをみた

2021年09月18日 | 日々思うこと、考えること
 台風14号の大雨で山が霞んでみえた。午後になって温帯低気圧になったが、半日大雨だった。そのニュースをテレビで見ていたら、新宿駅前、渋谷駅前の様子が映っていて、結構な人出だった。どんな人がと思って見ると、ほとんどが若い人。

 こんな嵐をついて外出しようなんて、この歳になると思わないが、微かな記憶を辿れば台風で増水した多摩川を見に行ったことがあったのをはじめ、災害時でもあまり気にせず出かけていた。若い時は好奇心がいっぱいだったし、災害なんてまったく怖くなかった。こんなことだから、コロナ禍に自粛しろといってもそれを守ることができなかったのは想像に難くない。

 そんなわけで、大雨で外に出るのが億劫な年寄りは引きこもり。ちょうど自民党総裁選の日本記者クラブでの討論会をNHKが放送していていたので、4人の候補の弁を聞くことができた。それぞれ長らく自民党内で政権の中枢近くで仕事をしてきただけのことはあって、しっかりした見識と意見を持っているということがわかった。近い将来この中の誰かが総理大臣になるということで、興味深かったし、自民党の層の厚さというのがよくわかった。

 昨日の続きのようになってしまうが、こんなこと(自民党総裁選)をこの時期にやられてしまっては、野党は痛いところだろう。最後の質問者(橋本五郎)が、

”今の国会論戦は野党との罵り合いとなっている、それを改めるよう、辞めていく記者からのお願いとして聞いていただきたい。”

というようなことを言っていた。安倍さんのヤジはひどかったが、今回の候補者の方々はそのような感じではない。野党ともこうやっていけば受けて立つことができるにちがいない。野党としては、文句ばかり言っているような印象が強くなっては、ますます旗色が悪くなってしまいそうだ。
面白かった

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総裁選挙で自民党は回復したが野党はどうなる

2021年09月17日 | 日本のこと、世界のこと
 シルバーウィークはすでに始まっているのか、今朝の電車は空いていた。今日と来週の火水をいれたら、一週間となるから少し涼しくなった今の時期休むというのもいいだろう。足踏みいた台風14号は結構な勢いのまま東に進むらしく、今夜から明日は大荒れとなるらしい。たしか、2つの偏西風が吹いていたが、あの間を絞り出されるように進んでくるのだろうか。

 自民党は菅総理が事実上の退陣を決め、総裁選、総選挙へと一気に動き出した。今回の総裁選挙では、安倍麻生菅色が薄まり、新鮮な感じがする。神奈川世襲連合がどこまで頑張るか、保守とリベラルの女性候補が、政策通の本命岸田さんにどこまで食い下がることができるかなど興味満載だが、党員ではない私には関係ない。ただ、今度の自民党総裁選挙は遅くとも11月に開催される総選挙に向けての試金石となることは間違いない。

 今度の総裁選のすごいところは、長老級の人が立っておらず、さらには女性候補が二人立ったということ。この総裁選挙で自民党のイメージは一気に変わってしまうに違いない。派閥という”党内党”を超えて、挙党体制で改革に乗り出したというのは、結局のところ自民党に頼るしかない国民にとってもよかっただろう。どんな形であっても、政権与党であり続けるという強い意志がそこに感じられる。権力の前では融通無碍であるともいえる。宝くじで1等を当てるには、1度もあたりの出たことのないような売り場で買うよりも、まずは当たりがよく出るところに行って買う。そう私に向かって指南してくれた人がいたが、自民党にいるということはそんなものなのだろう。

 一方で、”細かな点で意見が一致しない”ということで、とりあえずくっついて、自民党に対抗しようということができない野党は今回の自民党改革によってその存在がますます薄くなっていくに違いない。低いままの支持率で総選挙に突入したら、さらに議席を減らしてしまうのではないか。どうしたら小選挙区制の理念を生かすことができるのかわかっているだろうに、それぞれがお山の大将になりたいものだから、それを生かすことができないように見えるのはとても残念だ。いつまでも同じ顔ぶれで、文句ばかり言っているようでは、さすがに応援する気も失せてしまう。

 それにしても、菅さんという人、コロナ禍という困難の中総理を引き受け、ワクチン接種率は50%を超え、携帯料金は値下げさせ、デジタル庁、こども庁を創設し、さらには今回、こうして自民党の改革を促したということからみるとすごい人だったのかもしれない。これで、滑舌よく、正直で、後ろ暗そうにみえるところがなかったら人気も出ただろうに、コロナストレスの前にはどうしようもなかった。
どうなる日本

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一生会うことなく終わる付き合い

2021年09月16日 | 電脳化社会
 コロナ禍でマスクをつけているのが当たり前になって、老若男女問わず顔としては目から上しか認識できなくなった。テレビではマスクを外した人の顔を見ることができるが、政治家など外していないで映る人も少なくない。毎日電車に乗って思うのは、みなさん、とくに女性だが目がとても美しい。一重、二重に、切れ長、ぱっちり、眉毛も良く整えられている。男の人は、鼻の頭まで出している人がるが、女性は鼻先が出てしまうようなことは絶対にしないので、他人は目だけで顔の全体像を判断するしかない。

 日本人の鼻の形は西洋人のそれに比べると太くて丸い。いわゆる団子ッ鼻だが、マスクのおかげでそれがわからない。歯茎も出ているが、ついでにそれも隠れる。そういう点ではマスクは、日本人にとってはホッとできるアイテムといえるかもしれない。

 リモートでも顔を出す人出さない人は結構いるし、マスクをつけたままという人も少なくない。自分の顔があまり好きではないという人は、そんなところに顔など出したくないと思うだろうし、かといって顔を出せと他のメンバーが強制するわけにもいかない。リモート会議が使われ始めた頃は、カメラはオンにしておいてください、などと呼びかける人もいたが、いまではそんな声を聞くこともない。

 いまだに、一昨年までのように大きな会場で研究会、学会を開催したいという人はいるが、ウェブ開催によるアクセスの容易さ、気楽さ、そして経費の安さを考えたら無理をして巨大な会場を利用しての催しは不要になっていくに違いない。そうすると、人と直接会う機会はますます減り、この先一生対面することのない初対面の人というのが増えていくに違いない。まあ、昔だって書簡のやり取り、文通だけで終わったお付き合いもあっただろうから、今や顔を見て話すことができるだけでもよしとするべきかもしれない。だが、そのうちアバター同士でのやり取りだけとなって、結局のところ一体誰を相手に話しているのかもわからな句なってしまうかもしれないし、さらには自分が誰かもわからなくなってしまうかもしれない。
嫌なら見せない

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