こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

人と人との間に生きるというのは大変

2024年03月19日 | 人間関係
厚い雲に覆われて今日も1日気温は上がらないようだ。
明日の春分の日は雨の予報。

今夜は私を今の病院に招聘してくれた院長の送別会。
私の前職の大学病院では、私を呼んでくれた教授が引退し、同世代の人が教授になったということもあって、そこを去るにあたって未練はなかった。
ただ、気のいい人ばかりで居心地は良かった。
今の病院に来て良かったことといえば、病理医が不在であったということもあって臨床に歓迎されたことだ。
でも、人間関係では色々悩みが尽きない。
一人で思い通りにできるからいいでしょう、なんていう人もいるがそんなことはない、一人では何もできないが、人間が集まればそれはそれで問題が生じる。

昨日、テレビでロシアの暗殺と粛清の歴史についてのドキュメンタリーが放映されていた。
自分と異なった考えを持つ人の考えを封じるには、その人を消すしかない。
他人を変えることはできないからそうなるのだが、かと言ってそんなことを続けていていいわけはない。

暗殺、粛清、クーデター、すべては自己正当化の果ての暴挙で、そこに自由はない。
日本だって、いつそんな自由が失われてしまうかわからないという危機意識を持って日々を送っていかなくてはならないように思うが、それは容易なことではない。
相手もそうだからね

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昭和のあるべきからの脱却

2024年03月09日 | 人間関係
久しぶりに穏やかで明るい朝。
こんな日はゆったりした気持ちで過ごすことができそうで、いつもこうならいいのに、どうしてうまくいかないことが多いのだろう。

うまくいかないのは仕事がらみのことが最大で、次がそのストレスフルな職場へ向かう往復の通勤。
しょっちゅう怒りが湧いて、その都度対処に苦慮してしまう。
そのためのアンガーマネジメントの勉強をしていたら、自分の"べき"にとらわれないようにというのが出てくる。

”人間こうあるべき”とか、”フツーこうだろう”とかそういったものだが、あんまりそれにこだわっていると、別の”べき”を持っている人との間に軋轢が生じて、怒りが生じる。
”それ違うだろ!”、”失礼だろ!”といちいち怒ったりしないで、怒らず間口を広げて受け止め、考えることで怒りの暴走を防ぐことができる。

難しいのは、社会ルールに従っていない人たちだ。
卑近な例をあげれば、電車のホームでの歩きスマホ。
鉄道会社があれだけ引も切らず言っているのに必ずいじっている人というのがいて、その都度イラつく。
公共の場では一定のルールはまもる”べき”と思っているのだが、それでいちいちめくじらをたてるというのも身の危険を考えると得策ではなく、やはり怒りをコントロールした方がいいようだ。

磯野波平、星一徹、寺内貫太郎、怒りに任せて怒鳴るキャラクターというのは古今たくさんいる。
ちゃぶ台返しなんていう言葉もあって、それを面白がってテレビをみていたが、ああいうのを見て育ったのが良くなかったのかとも思う。
社会も文化も未熟だった。
そうやって人のせいにしてもしょうがないので、やっぱり今からでもコントロールできるように意識を変えてゆきたい。

ドクタースランプのアラレちゃんはそんな昭和の息苦しさを解放してくれた嚆矢だった。
私の枠では見ない

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自分に負の感情を起こさせる人とは距離を取る

2024年02月21日 | 人間関係
真冬並みというにはちょっと高めだが、昨日の気温よりもずっと低いのはわかる。
空は厚い雲に覆われていて、車窓には時折小さな雨粒がつく。

人付き合いのことを調べたり、考えたりしている。
自分に負の感情を起こさせる人とは距離を取る、という言葉がある。

自分に負の感情を起こさせる人、とはどんな人のことだろうと、そんな人を思い浮かべてみると、自分の周りにもそんな人が何人かいた。
その人のことを考えると心がざわついて嫌な気分になる。
その人のことは考えないようにして、別のことを考えるし、なるべく接触を避けることとなる。

新聞やテレビにもそんな人がいる。
不正や横暴をしている政治家、犯罪者などはその最たるものだ。
来る日も来る日もそんな人たちのニュースを見聞きしていたら国民全体の元気がなくなる。
だから大谷翔平と吉高由里子(あくまでもファンというだけ)の話だけでよくなる。
すなわち、誰もが興味の範囲内でしか情報を得ることはなくなり、視野はとても近視眼的になってしまう。
そうなると、自分に負の感情を起こさせる人であっても、付き合わなくてはならず、ある意味清濁合わせ飲むという姿勢が必要だ。

こんなこと考えるの人間だけだろうと思うが、まったく面倒な生き物だ。
犬や猿や鳥もそれぞれの関係に悩んで生きているようだったら多様性があって面白かっただろうし、人間だけがそれほど悩むということもなかったように思う。
広い宇宙には、犬、猿、鳥の姿をした生物がいるだろうが、彼らはそれぞれの関係に悩むことはあるのだろうか?
鬼の社会はどうだろう?

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どうすれば人それぞれの考え方を理解できるだろう

2024年01月10日 | 人間関係
昨日と同じような穏やかな晴天、気温は2度。
同じ空の下に、災害で苦しむ人、戦いに怯える人、飢えに苦しむ人が溢れるほどいる一方で、私は今のところ安穏としている。
このことで罪悪感を感じるほど若くはないが、かといって問題意識を持たないほど呑気ではない。
社会で何が起こっているのか知りたいと思うが、知ったところで何もできないとも思う。

寝癖が取れないままに出てきた。
かつては、私のこのことを冗談混じりでからかってくれる同僚もいたが、それも最近ではもうパワハラ事象となりうるので、職場でそんなことを話題にするようなこともなくなってしまったので、どうでも良い。
人との接点がどんどん小さくなってしまい、誰が何を考えているのかみえなくなってきた。

私が他の人を観察することのできる機会は職場、通勤の電車の中ぐらいだが、それも、服装や歩き方、表情を見るだけで、語り合うことはない。
今いるところを私はどれほど知っているだろう。
そう問い直すと、今の居住地、職場をどれほど理解しているかと考えても、ほとんどわかっていないとわかる。
私は鎌倉の歴史などほとんど知らないし、病理以外の診療科のことはわからないどころか、病理学のこともほとんど知らない。
でも仮にどこかに身を投じても、そこを十分知ることは結局のところ不可能で、ちらっと見てそこを自分なりに解釈するしかない。

ただ、それぞれに関する知識が浅薄だからといって、それらについて語る資格がないというわけではない。
むしろ、何も気がつかないうちにそこにいることで、そこの本質的な部分を担っている可能性もある。
人それぞれが主体的な存在であり、それぞれの考え方を否定することはできない。
個々の思考を理解するための方法とは、何かあるだろうか。
全知全能の神などいるか

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人は笑顔に集まってくる

2023年10月27日 | 人間関係
昨日の講演を乗り切ることができて、ちょっとホッとした。
今朝のBGMはおとといまでのクラシックからエド・シーランに変えた。
気持ち悪いことだが、心なしか口元が緩んでいるのがわかる。
逆にいうと、昨日までどれほど不機嫌そうな顔だったかということ。

よく言われるのだが、私は仕事でテンパってしまうと顔が怖くなるらしい。
自分ではその様なことはないと思っているが、たびたびそう言われるのだからそうなのだろう。
気をつけなくてはいけないと思っているが、自分でそのタイミングを掴むのは難しいことだし、分かったとしてもその時に怖い顔になっているのかどうかが分からない。

再来週に1時間ものの講演が待っている。
講演内容は教育的なものなので、これまでの仕事をまとめるだけで済む。
怖い顔になってしまうことがない様に早めに準備を進めよう。

毎朝、出かける時には妻に、
”今日も笑顔でね!”
と言われる。
そのたびに、口角を上げ、"笑った様な顔”を作って出てくる。
人は本当の笑顔にだけ集まってくるわけで、取ってつけた様な笑顔などだれも見向きもしないだろうが、今日の私の笑顔はどんなだろう?
周りの人に幸せになってもらいたいと、よく思っているが、幸せな気持ちにさせないでいるのは私の方の問題なのかもしれない。
はい、チーズ

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気持ち、考えてあげましたか?

2023年10月19日 | 人間関係
人間関係で困っていた。

あれこれの人に相談もしてもなかなか埒が開かず、途方に暮れていた。
先日、これまでにも何度か悩みを相談したことのある友人に話したら相原因を教えてくれた。

 その人、こういう傾向ありませんか?

といくつかの行動パターンを尋ねられ、心当たりがあると答えたら。

 やっぱりそうですか、そういう人いるんですよ、先生はあまりそういう人に会うことがないからわからなかったんでしょうね。
 僕は、先生よりは人と会うことが多いから、初めて人と会う時にはそういう傾向がないか、必ずみますよ。

 先生、その人の気持ちちゃんと考えてあげなくちゃ。
 その人は悪い人じゃないんです、サボっているわけでもない。
 一生懸命頑張っているんですよ、それを先生はそれをちゃんとみてあげてきましたか?

と言われ、そういうことだったか、そういうタイプの人がいるのを知ってはいたが、あらかじめそのことを知っていたからといって、どうにかできたかはわからなかった。
こんな状況になって、やっとそのことがわかった、というかその人に大切なことを教えてもらった。

これまでのことを思い出し、どうしようかと考えたら、私に非があり私から謝る以外に解決策は無いという結論に至った。
案ずるよりは産むが易し、どうせいつか謝るのなら早い方がいいとすぐに謝った。

すでに形式的には謝っていたが、改めて考え違いをしていたということを伝えたらよく聞いてくれた。
すぐには修復できないことかもしれないが、ギクシャクしていたことは解消されそうに思う。
途方に暮れていたのは何も私だけではなかった。



人間やはり相手の気持ちになって考えることが大切だ。
誠実に生きている人に対してはとくにそうだし、その生き方を否定してはいけない。
私というのはつくづく単純な人間で、人には善人と悪人しかいないと思っていた。
でも人間はずっと多様で、善人の中にだっていろいろな人がいて、上手に立ち回ることのできない人もいる、そういう人のことを責めたり否定してはいけない。
そういうことがわかる人というのは多くの人と仲良く生きることができるし、そういうことがわからない人というのは時としていじめっ子とまでなってしまう。
これまでそんなよくことわかっていると思ったが、ダイバーシティとは何かが分かっていなかった私はなにもわかっていなかった。
傲慢だった

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対話力放棄の時代

2023年10月12日 | 人間関係
秋晴れのさっぱりした天気。
こういう日は、朝から元気に動きたいところだが、このところなかなかそうもいかずちょっと困っている。

最近"無理"という言葉をよく聞く。
私も先日そう言われ、コミュニケーションが取れなくなってしまった人がいる。
”それはあなたの感想ですよね”、とか、相手の立場に立った会話とか対話ということを最初から拒否する言葉が横行している。

そのことが顕著なのが、ウクライナ、パレスチナの戦争。
直接対話は困難で、それを止めようと周りが介入しても埒が開かない。
人間はいつまでこんなに愚かであり続けるのだろうと思うが、おそらくそれは永遠に続く。

人間一人ひとりの人生は短く、いくら学習しても学びきれない。
それに、元来弱い存在だから、自己防衛のためにしなくてはいけないこともたくさんある。
そして、誤ったことをしてしまっても修正が効かない。

人間には落とし所ということを探す力があるはずだが、冒頭に述べた対話の拒否は、それらを一切拒否する。
立場によってものの考え方、捉え方は大きく異なるが、その溝を少しでも埋めることのできるのが対話であるとは思うが、今の時代はそれが面倒になってきてしまったようだ。
相手の立場にすら立てない

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どうして他人と自分を比べてしまうのか

2023年08月17日 | 人間関係
いい天気。
今週はゴミステーションの当番なので、カラスよけのケージがほかの人に組み立てられないよう、起きてすぐに行って何とか間に合った。早朝にほんの50メートルあまりを往復しただけで汗ばむほどで、いよいよ猛暑がぶり返すらしい。
この当番、今年は(というかいつも)お盆休みに休みを取らなかったから無事大役を務めることができたが、そうでなかったらどうしていただろう。
誰かに代わってもらっていただろうか。
まあ、それはその時考えよう。

今朝はおかしな夢で目が覚めた。
微かに覚えているのは、

 私の学歴からしたら今のポジションで十分満足です。

という様なことを、転職を進めてくる相手に言っていた。
ここのところ、自分の立ち位置を考えざるを得ないことが多くてそんな夢を見たのだと思うが、それはいつまで経っても私が自分を他人と比較しているということだ。

地位、名声、収入、健康、容姿、その他もろもろのことを他人と比べ、細かい差異に一喜一憂している。
この安穏な日本ではそれらのことは大した意味などないのに気になるのはどういうことか。
もっと大変な局面にいる国だってある、という言い方にしても結局のところ今度はそれらの国との比較に過ぎない。

どうして比べてしまうのか

比べて、劣っていたらそれは劣等感となり、それを跳ね除けようと頑張るかそのまま落ち込んでいくか、ほかにもいろいろなパターンがあるだろうし、人類の進歩は劣等感が推進したとまでいう言い方すらある。

他人より少しでも安全な場所、豊富な水、食料というものを求めることで人類は進歩してきたのかもしれない。
そして、それは今も続いていて極端な行為は戦争となる。
異様に肥大してしまった大脳をどうコントロールしたらいいのかもはや人類自身にもわからなくなっている。
環境破壊はその副産物

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あの人いい人だよねといわれる人

2023年06月30日 | 人間関係
どんよりした梅雨空だが、目を手前に落とせばベランダのバラが満開。

一週間ほど前、茎まで黄色くなって葉っぱがたくさん落ちてしまって焦ったが、水をしっかりやっていたら、緑に戻ってこんなにたくさんの花を咲かせてくれた。
これほど多くの花を咲かせるにはずいぶん体力を使うだろうから水も栄養も必要だ。

世の中にはいい人といわれる人がいる。
いい人と悪い人を分けるポイントは、人の悪口を言うか言わないかだと思っている。
ちなみに、私は人のことを悪くいうことがあるので、いい人ではない。
いい人は、人のことを決して悪く言わない。
私の前だから言わないだけかもしれないが、他の人に聞いてもやっぱり言っていないので、多分いい人だ。

逆に、人のことを悪し様に言うような人の中には悪い人がいる。
他人の悪口を言うということは、その人のことを貶めることであり、間接的には傷つけている。
知らぬは仏とはいかず、巡り巡って相手の人にもなんとなくそのことは伝わるので、最終的には自分こそ悪い人となる。
こちらも相手と喧嘩をしようというのであれば、それでいいが、そうは問屋はおろさないということだ。

悪い人というレッテルを貼られると離れていく人もいるので、予期せぬ人・・・味方だと思っていたような人・・・まで失うことになるので注意しなくてはならない。
逆にいい人には人が集まる。
集まって来なくても、少なくとも避ける人は少ないので、それはそれで人生は楽しいし、豊かになる。

私もそういう生き方をしてみたいと思うのだが、どうしても他人の欠点というかそういうところが気になって、つい口にしてしまう。
それが普通といえば普通なのかもしれないが、そんな私がいい人といわれることはやっぱりないだろう。

花好きだからといって

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日本人はそんなに意地悪か?

2023年03月27日 | 人間関係
二日続きの雨がやっと止んだ。
妻が弁当を作ってくれているうちに、花をみがてら掃き掃除をしたら花はだいぶやられていて、パンジーやビオラなどは花びらが溶けてしまっていた。
まさしく花散らしの雨。
でもまだ、これから咲く子はたくさんいるので楽しみ。

先日、ネットをうろうろしていたら、こんな記事があった。
他にも、
2022/5/23(月) Yahoo!ニュース
というのがあった。
どちらももよく納得できた。
なぜなら自分のことだから。
自分が意地悪な衝動を持っていることを私はよく知っている。

だが、私は本当に意地悪か、そして日本人はそんなに意地悪な民族なのだろうか。
そもそも、意地悪とはなんだろう。
わざと人を困らせることだが、困らせるとはどういうことか。
歩きスマホの人が前から来た時、どうするか。
私は相手が普通に歩いてくるという距離感ですれ違うが、大抵はうまくいく。
歩きスマホにモーゼ道を作ってやる必要はない。
これは意地悪だろうか。

日本人はそんなに意地悪ではないと思う。
あおり運転が社会問題になって久しいが、そんなのアメリカでは50年前にスピルバーグが映画にしている(激突!)。
コロナ対策のマスクにしても、”本当に”感染対策だと思っているから着用を薦めるわけで、私も患者さんが歩いているスペースでは必ずマスクをつけている(部屋で一人になったらもちろん外す)。

人間誰しも、嫉妬や羨望の念を持つわけで、その延長上の行動がすべてスパイト(Spite、意地悪)であるわけがない。

様々な考えの人が共に暮らすこの人間社会。
意地悪をしているつもりでなくても意地悪になってしまうことがあれば、意地悪をしているつもりでも意地悪をされていると思わない人もいる。
この日本人のスパイト(意地悪な)行動論議は、ちょっと行き過ぎのような気がする。
むしろ、日本の元気が失われつつあるからこそ、今一度日本人、日本文化の持つ様々な美徳を再認識してより良い社会を呼び戻すことが大切ではないだろうか。

それは、政治の世界も同じで、国会で重箱の隅をほじくり返すようなことをしているより、もっとほかに大切なことがあるのではないかと、心配していう。
日本人としての誇りをもって大丈夫

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人間(じんかん)至るところに面倒ごと

2023年03月10日 | 人間関係
ゴロゴロという遠雷で目が覚めた。
明け方まで雨も降っていたが、じきあがり、出かける時には青空が広がっていた。

このところ、仕事が詰まり気味。
出張仕事などをいれてしまうからこんなことになるわけで、気がつけば3月10日、時間は飛ぶように過ぎていく。

やらなくてはいけないことがたくさんありどれから手をつけようかと悩む。
その中で一番嫌なのは、人と関わること。
人が関わってくると途端に仕事が滞ってしまう。

このことを頼んだらあの人は何を考えるだろう、そもそも引き受けてくれるだろうか、何を要求してくるだろう、でもそもそも処理能力はあるだろうか。

では、このことを誰かに相談しようかと思うと、今度は話が大きくなってしまう。

  内緒にしておいたのに・・・

なんてことはよくある話で、結局立ち消えになってしまうなんてことだってある。
勇気を振り絞って相手と直接話すことが一番だが、それが面倒だ。
それでも、面倒ごとを解決するためには結局自分で動かなくてはならないし、そういうのが嫌だったら人が関わることをしてはいけない。

人間至る所に青山ありというが、それは自らの力で切り拓いた場所のことであり、そこに至るまでは面倒なことばかりだ。
社会生活を送っていこうというのであれば、面倒を避けて通るわけにはいかない。

その面倒に立ち向かうか否か、決断すること行動することは大変なことだが、何もとって食われるわけではない、おかしなプライドは捨て、全身することこそが、結局のところ自分を助けることになる。
さっさと済まそう

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年をとっても初対面は疲れる

2023年03月09日 | 人間関係
出張。

普段と違う仕事をすると疲れる。
本業の時間も取られてしまうので、断れるならば断りたいのだが頼られてきた仕事を無碍に断るわけにもいかないので、結局引き受けた。

出張では初めて会う人がほとんどで、疲れる原因の一つに人と初めて会うというのもある。
もちろん相手も疲れているだろうから、私のことばかり言っても仕方がないがとにかくいくつになってもそれは変わらない。

相手は気が合うか合わないか、敵か味方か、(仕事を遂行するにあたって)邪魔か邪魔でないか、そういったもろもろのことを推しはかりながら相手を評価しなくてはならない。
だれもが打ち解けて楽しく話すことのできる人だったらいいが、みんながみんなそんなわけはなくて、最後まで緊張感が消えない相手というのがいる。
こういう人というのは誰とでもそうなのか、その人とうまくいかないのは私だけなのかがわからないまま別れることになり、なんだか気になる。
2度と会わなければいいが、そういう人に限ってどこかでまた会うとちょっと気まずかったりする。
自分のコミュニティーを広げていくというのはそういうストレスを乗り越えていかなくてはならないということで、人と出会うことを億劫がらない精神的な耐性というものを獲得していかなくてはならないということかもしれない。
ワクワクしよう

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相性の悪い人と縁を切るには別の楽しいことを考える

2022年09月13日 | 人間関係
先週末に恩師の元を訪ねたのはいい思い出となったのだが、これとは別にちょっと面倒な問題が起こっていた。

人間生きていたら一人や二人相性の悪い人(≒嫌いな人、苦手な人)というのがたいていはいるだろうが(そうでない人もまれにはいる)、そんな相性の悪い人とどうしても関わらなくてはならなくなってしまったのだ。
相性が悪くても、関わらなければいいのだが、そうもいかないのだが、こういう人と付き合うと精神的にやられてしまい、他の何もかもがうまくいかなくなる。
もちろん逆も真で、先方も私と関わりたくないだろうから、あれこれ言ったところで意味はない。

人を呪わば穴二つともいう

これ以上はやめておこう。
とにかく、私にもこういう悩みがあるのだ。


それはさておき、どうしても関わらなくてはいけない相性の悪い人(≒嫌いな人、苦手な人)と付き合うにはどうしたらいいだろう。

無視する、気にしない、別の楽しいことを考える。

無視するといっても、どうしても関わらなくてはいけない時はそうもいかない。
気にしないといっても、一挙手一投足がいちいち私の考えとは真逆のことで、気にしないのはほぼ不可能。

別の楽しいことを考えるというのは、無視して気にしないということの延長上にありそうだが、そうではなくて、楽しいことを考えることを考えるというのが重要だ。
雑音を消すために、イヤフォンの音を最大にするようなもので、抜本的な解決ではないもののそれなりにストレスは薄まるだろう。

今私が考えなくてはならないことは、ルーティンワーク、研究、執筆のこと、病理診断科のこと、病院のこと、妻のこと、などなど・・・。
これらのことはどれもこれも面倒なことではあるけれど、別の見方をしたら楽しいことばかりだ。
まずは、これらのことをしっかりやっていこう。
癒しはなくなってしまったが

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融通のきかない使えないと思う人と対する時

2022年04月08日 | 人間関係
 2022年4月、世界中でもっとも融通のきかない使えない人物と思われているのはロシアのプーチン大統領を措いて他にいないだろう。一週間ほどで終わるだろうと思われていたウクライナへの侵略行為は泥沼化の様相を呈し、一般市民の残虐行為や殺戮までも明らかになってきているが、終わりはなかなか見えてこない。プーチン大統領の始めたことなので、一度あげた拳を下すことのできるのはプーチン大統領以外にいない。誰もがプーチン大統領に停戦を決断してほしいと思っているが、なかなかそうはいかない。つくづく融通のきかない使えない人物だが、他人というのはいつも自分の思惑通りに動いてくれるわけではない。

 仕事でも、思いもよらないところから、それこそ思いもよらない形で横やりが入ることはしばしばある。上司がこちらの期待しているような指導力を発揮してくれなかったり、部下や同僚が思い通りに動いてくれなかったりというのは、ある意味職場のありふれた日常風景だ。そんな”自分にとって都合よく動いてくれない融通のきかない使えない人"に対して不満を持つのは簡単だ。でも、そんな時果たして自分の考えは正しいか、相手は何を考えているのか考えたか、と立ち止まってみる必要がある。

 どんな理由(動機)でこんなことをするのか。ウクライナ人に対するロシアのジェノサイドは許されないことであるけれど、そもそもなぜ、プーチン大統領とロシアはあそこまで追い込まれていたのか、話し合いで防ぐことはできなかったのかと考える必要はある。地政学的、民族的、歴史的な問題が輻輳しているので、極東の島国の一市民にその背景を知ることは難しい。ウクライナとロシアの問題では、多数の人の命が残酷な方法で失われてしまった今となっては議論を振り出しに戻ることはもはやできないことはとても残念だ。

 翻って、私の今いるところのことを考えると、相手のことを単に融通のきかない使えない人として片付けるのではなく、話し合いで解決しなくてはいけないことは多い。私自身、その力量に依って立った行動をしているか否か、地位を恃みとした行動をとっていないか、自分自身が融通のきかない使えない人間になっていないか、と考えてことに当たらなくてはならない。少なくとも年長者として、そういったことに十分注意して周囲の、自分が勝手に”融通のきかない使えない人”というレッテルを貼っている人たちと付き合っていきたい。

わかっちゃいるけど難しい

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男性更年期の原因はコロナ禍による行動変容

2022年01月27日 | 人間関係
 朝の忙しさをつい忘れて美しい空をぼんやり見ているうち、いつの間にか明るくなって、それを写真に収めるタイミングを逸してしまうことがよくある。去年も同じように朝焼けの美しさを書いているエントリーがあったが、そのタイトルは”これからはどうやって人間関係を築いていけばいいのだろう(2021年2月10日)”で、今日書こうと思っていたのと似た内容で少し驚いた。

 昨晩、NHKのニュースで男性更年期の問題を取り上げたコーナーがあった。その原因として男性ホルモンの一つであるテストステロンの減少をあげていた。男性更年期の話自体は以前より知っていて、このところ元気が出ない私もそろそろ検査しなくてはいけないかと思っていた。放送の中ではコロナ禍による人との接触の制限がテストステロン減少につながっている可能性を伝えていた。

 男性の場合、人と接触することでテストステロンの分泌量が上がるそうだ。他人と接触することが男性の活力、というかそういったものに関係しているのだろう。たしかに戦う時には攻守を問わず、多量の男性ホルモンが分泌されているに違いない。他人との接触というのは、少なからずストレスを伴うことで、そのこと自体が戦いということだ。それがコロナ禍でずっと家にいて、画面越しにしか接触できなくなるとしたら、ストレスはずっと軽減するだろうが不要となる男性ホルモンの分泌も著減する。そうなると、かつて大量に分泌されていた男性ホルモンの枯渇が更年期症状として出てくる。

 このことが問題になるのもいつまで続くだろう。多くの人が自身をアバターに投影するようになり、直接他人と触れ合う機会が減少していったら、男性ホルモンそのものの分泌がなくなっていくのではないだろうか。他人との接触というのは、その人が発する声のみならず、表情、体臭、体温、すべてを感じることだ。そういったものがほとんど失われてしまう未来は、コロナ禍にかかわらずやってくるものであり、そんな未来に向かって人類はどう変貌していくのだろう。
私は変化についていけるか

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