こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

在宅勤務と有給休暇

2020年04月30日 | 日々思うこと、考えること
木曜日で平日、でも今日は事務仕事はなく有給休暇を取った。幸い天気も良く、ゆっくり休んだ。
在宅勤務と有給休暇との違いは、もちろん仕事があるかないか。仕事となったらもちろんたくさんあるのだが、勝手が違って慣れない在宅勤務も何回もだと疲れてくる。どこにいても、仕事は仕事だし、休みは休みだ。
ブログを書こうとPCを開いたら、仕事関連のメールがきていたがそれへのお返事は申し訳ないが、今日のところは遠慮させてもらった。
しかしながら、休みだからといってどこかに出かけるわけにもいかない。不要不急の外出は厳禁だ。
今日の鎌倉への人出は普通だったらしいが、私は草むしり。
やっているうちにあっという間に1日終わった。
息子が遊びにきてくれたので久しぶりに4人で食事ができた。
風はつよかった

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家庭菜園に挑戦

2020年04月29日 | ガーデニング・菜園・花・緑
今年の家庭菜園はわたしも参加することに。去年までは妻があれこれやっていたのだが、フラットコーテッドレトリバーのナイトが死んでしまって以来、なんとなく元気が無いままなので、指導してもらって私がやることにした。
先々週、レタスだのミックスリーフを植え、それとは別にタネをまいた。ルッコラはけっこうな調子で発芽して、間引きまでしたが、コリアンダーなどまだうんともすんとも言わない。
バジルも別に育てているのだが、なかなか大きくなってこないので、妻が業を煮やしてレンバイ(鎌倉市農協連即売所)で、苗を買ってきてしまった。少し大きめの素焼きの鉢に植えた。
一緒に買ってきたビーマン&パプリカは野菜用プランターに。
ルッコラは赤と黄色とオレンジ。
実がなるのが楽しみ。
あとは、トマトか。今度野菜を買いに行ったときに、苗を探してみよう。
夕方、買い物に出た帰り、お寺の境内から月と金星が見えた。

外ではマスク

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アリンコのように小さい人たちが一番タチが悪い

2020年04月28日 | 日々思うこと、考えること
新型コロナウイルス感染症(COVID−19)の感染拡大は依然として続いている。東京での新規感染者数は相変わらず100人を超えているのがなによりな証拠だ。そんな状況下で外出自粛要請が出ているにも関わらず海に出ているサーファーとか、それでも観光にやってくる車や人たちのことが話題となっている。
海も街も誰のものでもないのだから、そこで何をしようと勝手だ。でも、その人たちの行動がアリの一穴となって、あっという間に感染が広がる原因となってしまうことまでは想像ができないのだろう。その人達は、観光地で遊ぶ行為が、そこに住んでいる人が犬の散歩で出歩くのとどう違うのだろうと考える。アリのような人たちは“その時の自分とその周囲”にしか関心が向かない人たちなのだ。

批判されることがわかっているにも関わらず行動する人というのはそれなりの言い訳、言い分を用意しているので、そんな人たちに何かを言ったところで仕方がない。確信犯というやつだ。未だ営業を続けるパチンコ屋にならんでいた人へのインタビューで「自粛していたら、ストレスが溜まってしまうからよくない」とか「自分の体だからどうしたっていい」とかいう答えがあった。自分の行動が伝染して周囲に広がったらどうなっていくかということに考えの及ばないアリのように小さな人たちなのだ。

世の中には色々な考え方の人がいる。彼らの言い分に一理あるとするかもそれぞれだ。
だが、新型コロナウイルス感染症(COVID−19)は”ただの風邪”なんかではなく、わからないことの多い恐ろしい伝染病だ。実際に患者さんを診た先生に言わせると、サイトカインストームが起きてあっという間に亡くなってしまうという。医者がよくつかう”もってかれる”というやつで、COVID-19の場合、それが誰にでも起こりうるのが恐ろしい。

健康被害の深刻なのは年長者ばかりなのだからどうでもいいと考える思慮の足りない若者が多かったのも仕方ない。それでも、今、それ以外の圧倒的多数の若者が悲しみに耐えて頑張っているということを忘れてはいけない。スポーツ、音楽その他の多くの若い才能が、理不尽ともいえるウイルスの猛威と自粛という形で戦っている。もちろん若者だけでなく、休業してじっと耐えている人だって数知れない。自分勝手な行動をとる人たちというのは、そういう純粋な心を持った人たちの心までを踏みにじっているということに考えが及ばない悲しい人たちだ。
もうしばらく頑張ろうよ

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在宅勤務、浮いた時間に家事手伝い

2020年04月27日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
在宅勤務の日は当然のことながら通勤時間が節約できる。だからといって起きてから仕事を始めるまで、ぼんやりと居間で上げ膳下げ膳で踏ん反り返っているわけにはいかない。
家のゴミを集めて出すのは以前からやっていたことで、それ以外にも仕事を探してみた。ベランダの鉢植えたちへの水遣りは、趣味の延長なので手伝いと言えるか微妙なところだが、ウィークデイにやったら、それはそれで手伝いと言っても悪くはあるまい。
アイロンがけは好きなので、時間があればやっている。ちょうど今日も洗ったままのシャツが置いてあったので、弁当包みのナフキンと布マスクと一緒にアイロンがけをした。
自分の身の回りのことをやっただけで、厳密には手伝とはならないがやらないよりはマシだ。
在宅勤務がかえってオーバーワークになっているという話があるらしい。オーバーワークは良くないが、家でできる仕事がそれだけあるということは悪くはない、そのうち各自時間を上手く使えるようになるだろう。そうはいっても、あっという間に過ぎてしまう時間のやりくり、私はまだまだ慣れない。
多くの仕事は流れてしまったと思っていたが、昨日の研究会議にしてもそうで、だんだんとコロナ後のIT生活にシフトしつつある。もう、みんなで顔を突き合わせての学会、会議は流行らなくなっていく。そうしたら、以前のようにまた山積みの仕事に追われるようになるのだろうか。できたら、そうはならないようにして、家事手伝いをする時間が残っていることを願う。
仕事が終わったら続き

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会議も仕事も息子の部屋で

2020年04月26日 | 電脳化社会
天気は昨日と同じで晴れているが朝から風は強かった。日差しは暖かく、マルチーズのコロがベランダに出ているうちにおもわず眠くなってしまうほどだった。

午後から研究会議があったので、マスクが手に入らず困っているという鎌倉市内の友人に、妻の作ったマスクを午前中のうちに届けに行った。マスクが手に入らない人というのはたくさんいて、その友人にしても、出遅れて買えず困っていたとのことだった。仕事はもともとIT系でテレワークだからいいものの、買い物に行くにはマスクが無いとなかなか肩身が狭く、本当に困っていたようだ。買いたくても買えない人というのは思いのほか多いようで、アベノマスクも意義があるのかも知れない。
鶴岡八幡宮を抜けていったが、参拝客はほとんどおらず、風が木々を揺らす音だけがやけに強く聞こえた。表通りを走る車はほとんどが地元のナンバーで他県のナンバーの車は10台に1台ぐらいだったように思えた。ランニング、サイクリングの人が多いように感じられるが、それは観光客がほとんどいないせいで、普段の週末と比べたらやはり少ないのではないか。
午後からの研究会議はもちろんWeb開催。ここのところの新型コロナウイルス感染症の騒ぎで研究意欲がしぼみつつあったが、全国の仲間の元気な顔を見たらやる気がやっとでてきた。この研究はこれから3年の予定。研究の目的をよく考え、研究推進のために自分に何ができるのかをこの連休中じっくりと考えたい。

出ていった息子の部屋を書斎にしようと目論んでいる。今のところ正式決定とはいっていないが、目論むも正式決定も何も、外出自粛でWebミーティングや在宅業務が増えていくことを考えると、こうするしかなく、わが家にとって、このようなWebを利用した勤務形態に移行するのはとてもいいタイミングだった。息子は仕事のタイミングが合うと、今でも時々帰ってくるので、ベッドはまだ残してあるが、私が仕事で使ううちに椅子や机の配置も少しずつ変え、使い勝手は確実によくなってきている。それにベッドも誰かがCOVID19にかかったら自宅隔離部屋に使えると家族で話している。もちろんそうならないように、気をつけています。
このタイミングで

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ローズマリーの植え替え

2020年04月25日 | ガーデニング・菜園・花・緑
悪いことをした。
二十センチはあろうかという大きなムカデを殺してしまったのだ。ムカデが悪いことをしたわけでないし、逃がしてやろうとすればそれもできたかもしなかったのだが、そうしなかった。それにたかだかムカデを一匹退治したところで、そこいら中、数十、数百匹といるはずなのでその一匹を駆除したところでどうということはない。ただ、ムカデはたまに靴の中に入り込んでいることがあって、そんな時には刺されて、ずいぶん痛い思いをするので”人間にとっては”害虫であって、駆除の対象とはなる。

もう何年も前から立性のローズマリーを鉢で育てているのだが、茎がひょろひょろ出ているのが不恰好で、以前から気になっていた。ローズマリーは少し地中深くに植えた方がいいということをテレビを見て知り、合わせて植えていた宿根草が枯れたということもあり、別の鉢で育てていた匍匐性のローズマリーを植えることにした。それぞれの木をひっくり返して土を作り直して植えるという、私にとってはまずまず大掛かりな作業となったが、考えていた通りにはなった。

その匍匐性のローズマリーの鉢をひっくり返したところで、鉢底にくだんの大ムカデが張り付いていた。逃げようとするムカデをシャベルの先で抑えて殺そうとしたのだが、なかなかそうはならない。哺乳類のように心臓をひと突きしたらそれで済むというわけにはいかず、最後には娘に殺虫剤をかけさせ、やっとのことで駆除できた。ただ、そうしてしまった後、よくよく考えてみると、鉢底でじっとのんびり過ごしていたムカデを、藪から棒に鉢をひっくり返し、見つけたとたん殺してしまうなどということをしてしまったわけで、大変申し訳ないことをしてしまったと思った。

人間というのは全く勝手なものだ。人間以外の動物は程度の差こそあれ不要で邪魔な存在だ。住む場所を手に入れるためには森を切り開き、動物を追い出す。人間が絶滅させた動物は歴史上数知れずいるが、それは食物連鎖とかそういうこととは関係がない次元でのことなのが、勝手だという理由だ。逆に言えば人間こそが全ての生物にとって不要な存在だ。そうしたら、人間以外の生物の中には生存をかけて人間を襲うことになってしまうものが出てきてもおかしくない。新型コロナウイルス(COVID-19) にしても、以前から別の動物にでもくっついてのんびりやっていたのが、何らかの形で人間につつかれたせいで、人間に感染し、変異して生き延びようとするようになってしまった。結局のところ、人間自身がこの未曾有の感染症を引き起こしたのだと、大ムカデのことを思い出しながら考えてしまう。
人間の都合

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コロナ後の世界はマトリックス?

2020年04月24日 | 日本のこと、世界のこと
現代の人は我慢するということができなくなっている。都内の乗り換え駅では飲みに出て行く人が心なしか増えているように思えた。5月6日まで、まだあと10日以上あるというのにどうしてこう、辛抱できないのだろう。自粛などという、一度外れてしまった欲望のタガをもう一度はめるという行為はとても難しい。
今回の新型コロナウイルス感染症の感染拡大でも、いろいろなところでそのことがよくわかる。自分がその立場だったらどうするかということを考えると自信が持てないので、他人の揚げ足取りになるようなことは言わない。
不平不満を今言ったら、あとで後悔するのは自分自身ということもある。「あの人あの時はこう言っていたのに、今じゃあもうこんなこと言っているよ」なんてことを言われて、言い訳するのは精神衛生上良くない。

日本中、世界中の人が未知のウイルスの脅威に直面し、右往左往している。耐乏生活を強いられている人は莫大な人数だ。目立った暴動が起きないのは”感染症”という、自分に跳ね返ってくるかもしれない脅威に対してだからだろう。誰が指導者になったとしても、池をかき回して泥を巻き上げないようにするしかできることはない。だが、本格的なオーバーシュート が起こっていない状態では、結局何も起きないでないかと、馬鹿なことをする人が出てきそうなのが怖い。

鎌倉駅前のロータリーは現在工事中で、3割ぐらい終わったところだろうか。先週あたりまでは、客待ちのタクシーが列をなしていたが、ここ数日はすっかり姿を消した。朝はもともと少ないが、帰ったときも同じようなものだ。小町通りも真っ暗で、鎌倉の観光業は死滅しつつあると言っても過言ではない。
病理学の言葉で”凝固壊死”というのがある。主に、血管の閉塞でその末梢領域の組織が死んでしまうことで、顕微鏡でその部分をみると細胞は死んでしまっているものの、その形態は残っている。心筋梗塞がそのいい例で、心筋に酸素を運ぶ冠状動脈が途絶し、血液が供給されず壊死に陥るのだ。この血液循環に相当するのが経済で、鎌倉市のみならず、日本中、いや世界中の経済がほとんど動かなくなりつつある今の状況はこの心筋梗塞の状態に見える。

”コロナ後”というものがいつやってくるのかはわからないが、そのとき建物ばかりが残って中に入る人が消えてしまっているということになる可能性は高い。ただ、心筋が虚血に陥った場合でも、しばらくするとその部位に”側副血行路”という新生血管が伸びてくる。社会でいったらネット社会がこれに相当するのかもしれない。ネットで互いに繋がるようになったら、人は移動する必要はない。そこで思い浮かんだのが映画「マトリックス」の世界。
種としての人類は存続していかなくてはいけないが、いつまた感染症の危険にさらされるかわからない。ならば、繭のような装置に入っていたら安心だ。まさに巣籠もり。AIにコントロールしてもらっておけば、争いも不平等もなく平和だ。ある意味、ネオやモーフィアス、トリニティーは我慢できなかった人たちということができるのかもしれない。
正解はたぶん無い

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あの人、この人、どこ行くの?

2020年04月23日 | 通勤・交通・旅行
これほど利用者が減っているのにもかかわらず、JR東日本は運行本数を減らすことなくよく頑張ってくれていると思う。ほとんど空の新幹線を運行しているJR東海も頑張っている。これが休日ダイヤで運行されたりしたら、接続とかの問題で結構大変な思いをしてしまうに違いないし、今よりは混雑することになる。さすがは元国鉄と頼もしく思える。さて、今朝の通勤。電車の中で隣り合わせで座っている人は減って、私も隙間に座るよりはと立っていた。ソーシャルディスタンスはなんとか取れている。でも、窓越しによその路線の車内を見ると、出口に近い車両ではまだまだ密で、乗っている人が気の毒になる。

昨日、政府の専門家会議で、「人との接触を8割減らす、10のポイント」と題した資料が示された。9の在宅勤務のところには、”通勤は医療、物流、インフラなど社会機能維持のための業種に限ること”というようにされている。もちろん、私も、医者だからといってのべつ仕事に出るようなことはせず、家でできることは在宅にして通勤機会を減らしている。

1】実家などへの帰省を避け、ビデオ通話によるオンライン帰省をすること、
【2】スーパーでの買い物は、1人または少人数で、空いている時間に行うこと、
【3】ジョギングは少人数で行い、公園はすいた時間・場所を選ぶこと、
【4】急ぎではない買い物は通信販売で行うこと、
【5】飲み会はオンラインで行うこと、
【6】診療はオンラインなどによる遠隔診療で受けること、
【7】筋トレやヨガは自宅で動画を活用して行うこと、
【8】飲食は持ち帰りや宅配を利用すること、
【9】仕事は在宅勤務で行い、通勤は医療・インフラ・物流など社会機能維持のための業種に限ること、
【10】会話はマスクをつけて行うこと

それなのになぜ、いまだに通勤電車が混んでいるのか。世の中には、私が思っている以上に”体を張って仕事をしている人がいる”ということなのか。医療業界と一口に言っても病医院勤務者以外にも、出入りの納入業者さん、医療機器の製造業者さんなどたくさんの人が関わっている。社会インフラといえば公務員はじめ多くの人が関わっている。物流はもちろん社会の生命維持機能だ。そう考えていくと、いまだ通勤電車に乗っている人の多くはそういう使命を持った人ということになる。ならば、通勤がストレスだ何だと単にわがままなことを言っているばかりでは解決にはならない。自分で行動することが肝要だ。

常に、ソーシャルディスタンスを意識して行動し、出口から少し遠くなってしまっても混んでいる車両は避ける、窓を開ける、つり革手すりに触らないように気をつけ、触ってしまったら手指消毒をする。マスクをして、他人に感染させない、感染させられないように注意する。といったことが求められる。
空いていても要注意

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ワイドショーには参ってしまう

2020年04月22日 | 自然災害・事故・感染症
在宅勤務。
情報セキュリティの問題がクリアできていないので、患者情報を持ち帰っての病理診断はできないが、管理業務に関する仕事や研究連絡などがあり、あっという間に1日が過ぎた。天気が良かったので窓を開け放っていたら気持ちがよく仕事はずいぶん捗った。

外出自粛で辛いと思ったのは、例によって民放のワイドショー。昼食時にテレビをつけていたら、よくもまあこれだけ視聴者の不安と不満を煽ることができるものだと感心してしまうほどのことを流し続けている。こんなもの毎日見ていたら、見ている方が参ってしまう。放送する側もプロであるのなら、こういう状況下で見ている人がいかに元気を出して、勇気を出せるかを必死に考えて映像化するという努力はできないのだろうか。視聴者と同じレベルで不安、不満を煽っている自分たちの姿を不甲斐ないとは思わないのだろうか。医療者が感染と戦い、差別と戦いながらも奮闘しているのに、一体どういう神経をしているのだろうかと疑問に思ってしまう。

お昼のNHKニュースで、
一昨日、私が書いたからというわけではなかろうが、さすがにみんなまずいと思っていたようで、すぐに動いてくれて本当によかった。
特措法では道路封鎖まではできないというが、何らかの交通規制は可能ではないだろうか。県知事の”できる限りの事はする”という言葉に期待したい。
でもそうしたら、山梨、軽井沢、那須、草津など内陸の観光地に車が押し寄せるようなことにならないかが、とても心配だ。いっそのこと、緊急事態宣言が出されている間は物流を除いたら、一般の人は通勤、生活必需品の買い出しおよび医療機関への受診など命に関わること以外での車の利用は禁止したらいいのにとさえ思う。
それにしても、その民放のワイドショー。東京都の感染者数が頭打ちに見えるようなことを、感染終息の兆しかみたいに話していたが、どうして今度は気が緩むようなことを平気で言うのだろうか。緊急事態宣言は少なくとも5月6日まで出されているわけで、それまでの途中経過に関する論評は控えるべきだろう。流石にNHKはそのことの評価には言及していないが、もしNHKまでそんなことをしたら私はきっと失望する。
あと2週間

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あたなも私も感染しているというつもりで

2020年04月21日 | 自然災害・事故・感染症
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策をめぐる議論として、検査体制について色々いわれている。
検査方法としてはPCR検査、抗原検査、抗体検査があり、このうちPCR検査の検査数拡大を求める声が一番多いみたいだ。私としては感染の既往のわかる抗体検査が有用だと思っている。というのも、PCR検査は、感染力が落ち始めている発症後の検査(COVID19は潜伏期の方が感染力が強い)で、いまさらやってもという気がする。抗原検査は症状のない人すべてにやらなくては意味がないし、これもイマイチの感じがする。その点、抗体検査は不顕性感染者、(ごく)軽症の人などを探し出すことができて、未感染の人をよけることができる。それに、ワクチンが出来た時には未感染の人から優先的に接種することができるので、感染拡大・医療崩壊の防止にもなると思っている。
判断は専門家の方々に委ねることとなるが、何せ”新型”のウイルスなのだから、ある意味専門家はいない。そういう意味では、専門家会議の先生方はよくやっていると思う。
でも、問題はPCRだなんだということではない。
そもそも”自分が感染しているかどうか知りたい”というのがナンセンスであるとわからないのだろうか。外出自粛要請の意味が全く分かっていない。
すべての人が感染している可能性があるから、外出、移動によって感染が拡大してしまことを予防しましょう、ということだ。
自分は今平気だから大丈夫、ということではないのだ。自分も気がつかないうちに感染している、だから動かない、家にいる。どうしても外出するのであればマスクをして、咳をするときはさらに腕を当てて抑えるなどする。もちろん対面で話さない。という行動が必要となる。
どの人も感染している可能性があると考えながら行動する。距離をとり、誰もが触るもの(エレベーターのボタン、ドアノブ)には、COVID-19が付いているかもしれないと考え、むやみにあちこち触らず、部屋に入ったらしっかりと手洗いをする。電車内でマスクをしていない人がいたら、突然のくしゃみ、咳にそなえて車両を移ったところで、あなたは悪くない。

私は大丈夫なんだけど、ではなく、あたなも私も感染していると考えて動けば、検査検査検査をしてくれ!などというような考えには至らないはずだし、少なくとも人手のかかるPCRではなく、感度は落ちてしまうが、簡便な抗原検査でいいようになるだろうと思っている。
それに、ただただ心配だというだけで不用意に検査を受けに行って、そこで感染している人と遭遇して感染するかもしれないと考えたら、今はじっとしているのが一番だろう。家にこもっていたら感染する確率はずっと下がる。
正常バイアスにとらわれるな

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観光地への訪問、お願いですから緊急事態宣言中の今は控えてください

2020年04月20日 | 鎌倉暮らし
ここのところ、週末になると鎌倉をはじめとする湘南地域への車での来訪が増え、海沿いの国道134号線は大渋滞のようだ。昨日もその状況がニュースで流され、病院で技師さんに大変ですねと心配された。
車に乗っているだけで降りはしないといっても、東京、埼玉の人が多数海沿いのレストランやテイクアウトの店に立ち寄ったりでもしたら、感染拡大のリスクは高まる。駐車場を閉鎖する自治体も出てきたが、内陸のスーパーの駐車場に車を止めて海まで行く人なんかもいるらしく、事態は深刻だ。
よその地域で感染した人が地元のスーパーの駐車場を利用したついでに買い物でもされたら大変なことになる。鎌倉市の住民はお年寄りが多く、生活のために利用しているスーパーでよその人と交わって感染が広がったらあっという間だ。
PCR検査をしてほしいという要望の中に、”自分が感染していたら、周りの人にうつしてしまうかもしれないのが心配”というのがある。これというのは”感染していなければどこにでも行っていい”、ということではない。新型コロナウイルス(COVID-19)は潜伏期である感染してから発症までが一番感染力が強いという。すなわち、症状が出る前、”心当たりはあるのだけれど、自分だけは大丈夫”という人が一番危ないように思う。
感染経路不明の人が増加の一途をたどっている今、誰もが感染している可能性がある。”自分自身が感染者”という認識をもって、常に行動しなくてはいけない。そしてその行動の一つに移動の自粛があるということを認識していただきたい。海も鎌倉もどこにも逃げないので、なんとか今だけは辛抱してもらえないだろうか。
自粛要請とはどういうことか

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こっちは任せろ、そっちは頼む、といかない残念さ。

2020年04月19日 | 自然災害・事故・感染症
写真を撮りわすれていた。気がついたら日が暮れていて、あわてて撮ったけど、明日の雨は間違いないと知らせてくれる曇り空。
朝の情報番組を観ていると、新型コロナウイルス対策に関わる人、とくに政治家の発言が頼りない。これまでの施策をみても、泥縄で、朝令暮改。新型インフルエンザ対策の教訓が全く活かされていないのを見ると悲しくなる。
私たちが選挙で選んだ政治家たちなので、それはそれでしょうがない。諦めるしかない。
医療機関は臨戦態勢で、日々過ごしている。私にしても、院内感染のニュースで知人のいる病院が出ると、心配になるし、明日は我が身とも思う。少なくとも医療者はこっちのこと(医療)は任せろ、となんとか頑張っている。それなのに、政治の方は頼んだぞ、任せたぞ、と万全な気持ちでいることができないのが残念だ。
政治というのが大変なことであるのはよくわかるが、一枚板で何とか頑張ってくれないだろうか。
医療従事者は今、新型コロナウイルス感染症、日常医療という二方面との戦いに加えて、後方の支援路、補給路が断たれつつあるような危機を感じはじめているのではないか(二方面との戦いは負ける - 2020年4月3日)。
マスクの配布が始まった

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春の大嵐でコロと一緒に自宅に蟄居

2020年04月18日 | 犬との暮らし
低気圧が来るとマルチーズのコロはいつも具合が悪くなる。昨年12月にフラットコーテッドレトリバーのナイトが死んで以来、わが家の癒しを再び一身で引き受けるかのように張り切っていたが、春の大嵐に襲われた今日は朝からソファーの上でぐったりしている。これほどの嵐、私にしても頭が痛くて調子が出ない。

鎌倉には大雨(土砂災害)・洪水警報が出され、例によって裏山が崩れてこないか心配だ。でもまあ、先日来手を入れたので、様子はよく見えているので、いざとなったらすぐに逃げ出せるようにはなったと思う。ただ、今は避難所が3密になってしまうという恐れもあって、不用意には動けない。

台風並みの暴風が吹き荒れる春の嵐というのは侮りがたく、とうぜんのことながら不要不急の外出は控えなくてはいけない。今日の場合、新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言の有無に関わらず外出する人は少ないだろう。先週は江ノ島に大量の自家用車が押し寄せ、世の中の人の自分勝手さに呆れるが、この嵐のおかげでそれも今日は無いと思う。
この雨雲、夕方には東の海上にぬけるという予報なので、もうしばらくはコロと一緒におこもりだ。
今は不要不急の外出自粛だから、嵐がおさまったからといってうろうろ出歩いてはいけない。
テレビをつけると新型コロナウイルス感染症のことがこれでもかと流されている。毎日同じような情報をながしていても仕方がないので、他の映像を流してほしいと思うが、どれもこれも今から思えば夢物語ような3密のものばかり。つい、半年前のことが違う世界の出来事のようだ。
人類が、これまでいかに肩寄せ合って生きてきたのかがよくわかる。触れ合わないこと、話をしないことこそが、人類が生き延びるための最善の方法として現実のものになるとは驚くばかりだ。
今日SNSに新たに流れていた情報では、新型コロナウイルスCOVID-19、発症前が一番感染力が強いそうだ。COVID-19は巧妙で、宿主の症状が出る前にあちこち歩きまわらせて、ばらまかれようとしている。ほとほと手強い相手だ。
眠り犬と一緒に過ごす

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やんだ
(16時)

結局やるなら、もっと早くやってりゃいいのに

2020年04月17日 | 自然災害・事故・感染症
こういうの、なんていうんだったっけ。

緊急事態宣言にしても、全国民に10万円にしても、どうしてもっと早くやらなかったのだろう。どちらの施策も、遅すぎた、後手後手。
うーん、ちょっと違う。

そもそも、1月には中国で多数の死者を出していたのがわかっていたのに、3ヶ月経ってやっとの緊急事態宣言。春節に大量の中国人が入ってきたうえ、3月の卒業式シーズンで大学生がヨーロッパ各地からウイルスを持ち込んだ。2月にクルーズ船が入ってきたときに、事の重大さはわかっていたのに新型コロナウイルス(COVID-19)の感染は拡大してしまい、休業で困る人がたくさんでてしまった。

そう、こういうのなんというんだったっけ。

そうだ、泥縄。
正しく言えば、泥棒を捕らえて縄を綯う(どろぼうをとらえてなわをなう )

渇に臨みて井を穿つ(かつにのぞみて いをうがつ)という言葉もある。

英語だと、
Prevention is better than cure. (予防は治療にまさる)
Forewarned is forearmed. (警戒は警備なり)



海外からの渡航者入国の厳格化(水際対策)、夜の街での感染拡大防止対策、人の移動の自粛など、一般の人の間では危機感を持って話し合われていたことだ。ワイドショーだって若者が繁華街に繰り出していることを憂慮していた(だって、やることないんだもん - 2020年3月4日)。その時点で、泥縄になっていたのに、これほどまでにずれ込むとは、全く情けない。今の政権の優柔不断さには残念ながら失望した。かといって、せっかくの国会開催中であるにも関わらず、揚げ足取りのような論戦しかできない野党各党を応援するのもどうか。さらには、身内が宴会、旅行するわ、規制が厳しくなるだろうから駆け込みで風俗店に行く代議士がいるとか、人に厳しくいう前に自ら律してくれなくては困る。
国政が機能不全に陥っているようにみえるが大丈夫か。

昨日、日本全土に緊急事態宣言が出された。いよいよ、各自治体の首長の手腕が試される。先行7都府県でも、能力のある首長、無能な首長というのがはっきりわかった。昔のお殿様ではないのだから、住民は身近なところで厳しく監視する必要がある。
電車はまだまだ混んでいた

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果たして”コロナ後”はやってくるのか

2020年04月16日 | 自然災害・事故・感染症
この秋に開催される学会での講演を頼まれた。
今踏ん張れば、半年後には終息しているだろうということなんだろう。もちろん、そうであってほしいという希望とともにお引き受けはしたが、本当にそんなことあるのだろうか。
医療崩壊が目前に迫ってきて、はじめてこれがどんなことかとわかってきた。人間なんて勝手な生き物で、自分だけは大丈夫という、根拠のない自信があって、それが判断を鈍らせる。
ひと月余り前の3月11日に最悪の先にある最悪を考える という記事を書いた。この1ヶ月の間に私たちは”最悪の先にある最悪”を果たしてどれほど考えただろう。東京オリンピックの延期が決まったのは3月24日。ずいぶん前のような気がするが、実はそうでもなくて、つい最近まで引っ張っていた。それ以上延ばせないという理由があるようだが、1年後に開催というのは可能なのだろうか?
一昨日、明るいことを考えよう!などと威勢のいいことを言ったが、それはそれ、これはこれ。
在宅疲れは早くもピークに達している。子供達の疲れを考えたら気の毒になる。
それでもこれはCOVID-19との戦争だから、私たちは頑張らなくてはいけない。負けたら、40万人が死ぬ。これはCOVID-19による死亡者数だ。医療崩壊によって心筋梗塞とか脳卒中といった急性疾患で救われなかった命を含めたらもっと多くなる。コロナ関連死とでもいうのだろうか。
あと3週間を耐えることができるかが、この国を救うかどうかの分かれ目。
”コロナ後”というのがあったとしても、それは来月再来月にやってくるものではない。社会システムが大きく変わり、パンデミックに強い社会を生み出したあとそれはやってくる。旧態然としたシステムにしがみついていては、日本は世界から取り残される。海外のIT化は目を見張るものがある。すでに遅れを取っている日本としては今回のこの恐るべき自然災害を奇貨として変わらなくてはいけない(災害から学ぶ。奇貨居くべし - 2018年9月5日)。”コロナ後”まで生きのびることができたらの話だが、新しいこの国を見てみたい。
その時のために変わろう

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