こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

晴天、満月、ハロウィーン

2020年10月31日 | 日々思うこと、考えること
朝から秋晴れのいい天気。こんな日は、Stay home。
鉢植えの手入れをしたり、玄関掃除をしたりしていたらあっという間に昼。
雲ひとつない。
お日様に当たっているとポカポカしてくる過ごしやすいいい天気。
午後ものんびり過ごし、久しぶりに昼食を作った。今、糖質ダイエットに挑戦していて、おかずを作るというよりは、食べるそのものを作るので、それはそれで作りやすい。
昼食に糖質の多い人参を使ってしまったので、その分のカロリーを消費するために駅の方に買い物に出かけた。もう日が暮れかかっているのに、まだまだ観光客がたくさん。ソーシャルディスタンスを取りづらいところもあった。
夕食を買って帰りは少し遠回りして人通りの少ないところを歩いたたので、マスクを外して歩いて帰ることができた。
今月2度目の小ぶりの満月。夜まで晴天だった。明日いもいい天気だそうだ、どう過ごそう。
ハロウィーンナイト

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大船フラワーセンターでたくさん撮り溜めたけど使いきれなかったお花の写真





情報集めで忙しいのも

2020年10月30日 | 電脳化社会
今朝、このブログを開いたら、昨日のエントリーがアップされていないことに気がついた。慌てて公開したが、毎日のことでもうっかりしてしまうことはあるものだ。今夜、ウェブ会議でちょっと長めのプレゼンがあり、その準備をしなくてはいけないので、今日のエントリーは帰りに書くことにする。テーマは決めてあるので、おそらくすんなりと書けるだろう。

というわけで、今は帰りの電車内。こうして、朝のうちに予言していたことがおよそ12時間後に実現できたなんていう自分はとても幸運だと思う。プレゼンはまずまずだったが、なんだかPCの充電がうまくいかなくて、残りが30%を切ってちょっとビビった。最近はみなさんウェブカンファレンスにも慣れてきたようで、ディスカッションは結構盛り上がって、少し頑張った甲斐というものがあった。
さて、今日というか今夜書きたかったテーマは、情報集めばかりで忙しくしていると、主客転倒になりかねないという話。

本を読んでいて、文中にあれなんだっけ?なんてことが出てくると今やすぐにググってしまうのが習い性。どうにもいけないと思いながらも、自分のあやふやな記憶を辿るよりもよほど正しいのだから仕方ない。今やそれはもちろん読書だけでなく、新聞を読んでいてもそうだし、テレビを見ていてもそう。妻との会話でもそうだ。記憶を辿らないことが悪いわけではないのだけど、こんなことばかりだと、脳の記憶を呼び起こす部分が退化してしまいそうで怖い。
それがど忘れしていた政治家とかスポーツ選手の名前なんかで目的が達せられたらいいのだが、1人で何か調べていると疑問が次から次へと派生するなんてことになる。そうなるとそもそもなにを調べていたのか忘れてしまい、挙げ句の果てには調べていただけで時間切れになってしまうなんてこともある。そうなると何のための検索だったのかもはやわからない。最初からネットサーフィンをするつもりでいたのならいいが、こんなことで本来の目的がわからなくなってしまっては意味がない。情報を集めるのは大切なのだけど、そればっかりというのも気をつけないといけない。
北風が冷たい

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小学生よ、私も同感だよ

2020年10月29日 | 日々思うこと、考えること
ヨーロッパでは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大が再び深刻化していて、フランスでは新規患者が33000人あまりで、1日500人以上も亡くなっているそうだ。ちなみにアメリカは新規患者が74000人あまり、死者およそ1000人。日本は新規患者が618人、死者5人。日本も毎日どこかで感染は起きていて、北海道はじめ北日本では感染者数が増えつつあるらしい。いつ感染爆発が起こるかなんて予断を許さない。

マスクをした女性が「マスクをしないで行動している人が感染を拡大させている。最近はマスクをしていない人も少なくない」と嘆いているパリ街頭でのインタビュー映像がニュースで流されていた。マスクをつけているのは鬱陶しいので、マスクをつけない人の気持ちはわかるが、事態は深刻化しており、ソーシャルディスタンスの取れない距離でのマスク着用は必須だし、そもそも3密は避けなくてはならない。

この夏、新型コロナウイルス感染症で学校生活が奪われたとして卒業を1年延期してほしいということを訴え、署名活動をしたという小学生がいた。あの子はその後どうなっただろう、秋になって遠足ぐらいには行けたのだろうか。小規模ながらも運動会はできただろうか。その小学生へのインタビューで、大人が”夜の街”で遊んで、コロナを広げていて、そのしわ寄せが子供に来ているなんて、理不尽だというようなことを訴えていた。私も同感。飲んで騒いでどんちゃん騒ぎをしたいのなんて、多くの人が感じていること。多くの人がそれを我慢しているのに、一部では気にせず遊んでいる。そんな”大人の”遊びとは縁のない子供の目から見たらそういう大人の存在は許せないだろう。

どこまでなら感染しても仕方ない、どこからはダメ、という線を引くのも難しい。医療従事者の場合、仕事での感染リスクが高いからと家族まで敬遠されてしまうわけで、なかなかつらい。
東京の繁華街を通過する身としては、やっぱり若い人が感染を拡大させているのではないかという印象が強い。あくまでも印象だが。かかっても平気、すぐ治る、しょせん風邪、みたいに考えているようにしか見えない。
とはいえ、君たち小学生から見たら20代だろうが4、50代だろうがみんな大人だよね。老いも若いも大人とくくられる人たちはみんなもう少し自粛しましょうよ。
経済は他の形で回せないか

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似たことを考える人と話は合うか?

2020年10月28日 | 電脳化社会
ブロ友さんのエントリー、毎日何本か読ませていただいている。読むタイミングは、朝昼晩、すなわち出勤の電車の中、昼食(孤食)中そして帰りの電車の中だ。病院の奥にある病理診断科の部屋は電波状況が悪く、幸か不幸かスマホは役に立たない。寝る前にもちらっと読むが、目が冴えてしまうのであまり一生懸命は読んでいない。

なにはともあれ毎日楽しく読ませていただいているブロ友さんたちのエントリー、私が書こうとしているのとずいぶん似たような考えを書いたエントリーに出くわすことがある。ブロ友になることなんて最初は偶然だけど、エントリーを読んで共感したとことからフォロワーになったのだから考えが似通っているのは当然かもしれない。そんな気に入ったエントリーばかり読んでいると、考え方が狭まってしまうのではないかと心配になるが、かといってわざわざ読んで不愉快になるようなブログはそもそも開けることがない。

その日書こうと思っていたことを別の方のエントリーで見つけると、どうしようかとちょっと迷うがそこそこ下書きも進んでいるので、そのまま書いてしまう。そんな時思うのが、「ああ、この人とお会いして、お互いの思いを語り合いたいな」ということ。「あなたもそう思うでしょう?やっぱりそうですよね」なんて、自分の考え方を補強し、後押してくれる人がいたら嬉しいだろう。
オフ会とでもいうのだろうか、そんな場で酒を飲みながら話したら大いに盛り上がるだろうと、勝手に考える。

でも、実際に会うことへの不安も大きい。人と人の考え方が重なり合い、共感し会うことのできる範囲というのは相手によって大きく異なる。環境、境遇はそれぞれ大きく違うから、会話するうち些細なことが気になり、せっかくのブログ仲(?)にヒビが入ってしまうこともありうる。コメントを通じて、相手のいいところだけに共感しているのが無難だろう。
幸い、コロナ禍で私たちは自由に会うこともできないので、そうしたくてもできないわけで、今の所これは杞憂に過ぎないと言える。
オンラインならどうだろう

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日本学術会議の任命拒否問題に関する菅総理大臣のNHKでの説明を聞いて

2020年10月27日 | 日々思うこと、考えること
ただでさえ31日ある上、唯一の祝日である体育の日がオリンピックに持っていかれたので、今年の10月はよく働いている。昨年は即位の礼もあったので、それと比べるとずいぶんな違いだ。そのせいか、仕事も多くて、未だコロナ麻痺のような状態にある私には厳しい状況が続いている。11月は休みが二日あるので、あと一息頑張ろう。

昨晩、NHKのニュース9に菅総理大臣が出演して、日本学術会議の任命問題について説明していた。その中で、”一定の大学に偏っている、若い人、地方の人、そういった人に加わっていただけるような仕組みが必要”というようなことを言っていた。確かにそうなんだろうな、と想像していたが、案の定そうだった。
会員一覧(50音順)をながめてみると、東大が圧倒的に多くて、あとは慶應東工大東北大も案外多かった。早稲田、京大、北大、九州大学はそれほど多くない。現在の所属は東大でなくても出身大学が東大だとすれば余計に増えるのではないか。

東大は日本の知をリードするためのエリート養成校だからある程度かたよった分布はわかるが、あんまり固まりすぎていても学問の柔軟性、自由が狭められてしまうのではないか。出身中学、高校だって同じようなところを出ている人は複数いるだろうから、多様性は余計にとぼしい。菅さんは”細かいところまでは言えません”と話していたが、たしかに、会員の相当数が東大ですよ、とまでは言えまい。紳士的な対応だ。それに東大が悪いなんて思っていないだろうし。ただ、それが引き継がれていくということで、組織が硬直化してしまうかもしれないというのは当たり前の論だ。
国家公務員だなんだという身分については詳しいことはよくわからないが、皆さん所属先から給料をいただいているだろうから、公務員といってもちょっと違うのではないだろうか。
菅さんばかりがたたかれているが、学術会議側の言い分も十分に聞きたい。喧嘩は両方の言い分が出そろったところから始まる。憲法違反とまで言う深刻な問題なのならば、しっかりと説明してほしいものだ。少なくとも、昨晩菅さんが言ったことに対して反駁できるか、是非とも教えていただきたい。

蛇足となって恐縮だが、会員一覧には、すでに鬼籍に入られて久しい方のお名前がありびっくりした。会員の入れ替わり状況もよくわからないようでは、いったいどんな体質なのかと問われても仕方ないような気がする。
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なんてことを出勤の時の下書きに書いていたが、この話、前から問題になっていたみたいで、ネットニュースにこんな記事が今日流れていた。
”加藤勝信官房長官は27日の記者会見で、日本学術会議の会員構成が一部の大学に偏っていると批判した菅義偉首相の発言について、所属先にとらわれない人選が重要との認識を示したものだと釈明した。「大学の所属先や民間、地方といった意味でバランス良くと言っている」と述べた。
 今月任命された会員99人のうち東大出身者が最多だったこととの関係を問われると「個々の人選について言っているわけではない」と述べるにとどめた。首相は26日夜のNHK番組で「結果的に一部の大学に偏っている」と批判していた。”
すでに問題になっていたわけか。“最多”ってどのぐらいだったのだろう。学術会議自身がこのことも説明するのがとても大切なことではないかと思う。エリートが悪いわけではないけれど、エリート以外にチャンスがないのはどうだろう。
また立ち上がれる社会を

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時間に抗うとは

2020年10月26日 | 日々思うこと、考えること
10月も最終週に入ってしまった。ちょっと油断していると時間がどんどん過ぎていく。そしているうちに、私に残された時間は減り、できることも減る。どう頑張っても時の流れに棹差すことはかなわず、生きるということは何なのかと考える。何のために生きるているのか、目的がなくても生きなくてはならないものなのか。
いったん生を受けたなら、精一杯生きなくてはならない。虫も花もみな命をつなぐことのために生きる。命をつなぐとは、遺伝子を存続させることで、それはあたかも時間に抗っているかのようだ。
時間が限られている、というのは生き物にとってであり、この世を包む時間は永遠に前に進み続け、巻き戻せはしない。私たちの体を構成する細胞それぞれの命には限りがあり、役割を果たすと消えていく。細胞の命は老化するしかなく若返ることはない。そしてそれは細胞の集合体である私たちの体も同じこと。生き物だけでなく、すべてのものはやがて朽ちて消え果てる運命にある。
などということを秋が深まるにつれしみじみと感じるが、それは実は仕事から逃げたいだけだからだ。良いアイディアも湧いてこないし、一体どうしようと途方に暮れているだけ。ほんと、いよいよ追い詰められてきた。
さっさとやれ

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今日も一日秋晴れで大船フラワーセンターへ

2020年10月25日 | 鎌倉暮らし
少し雲が多かったが、いつの間にかそれも晴れた。
大船にある日比谷花壇大船フラワーセンターを訪ねた。
もともとは神奈川県の農業試験場で、その後、神奈川県立フラワーセンター大船植物園、略してフラセン、となっていたが、いつ閉鎖かと噂されるほどの閑古鳥だったのが、2018年にネーミングライツを日比谷花壇が得て以来、随分と綺麗になったという噂を聞いていた。
恥ずかしながら不肖コロ健、鎌倉に越してきて四半世紀、フラセンを訪れたのは初めてだった。といっても、鎌倉育ちの妻にしても小学校以来ということで、今はどうなっているかなど知る由もなかった。
ちょうどバラの季節だからと初めて訪ねてみることに。
手指消毒、検温のち入場。ちょうどハロウィーン企画で園内は親子連れで賑わっていた。
お目当のバラは、代表的なものの他に、県内で作出されたものなどもあり、興味深かった。

バラの他にも様々な花があり、楽しく過ごすことができた。ついでに今週分の写真をたっぷり撮った。

夕方になって駅前のスーパーまで買い物にったら、美しい月が顔を出していた。
買い物を終えて帰ってきたら、鶴岡八幡宮の舞殿では結婚式が行われていた。
篝火の横を通ったら、暖かさを感じた。夜はすっかり寒くなってきた。
しばらくの間は天気が良いそうで

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秋晴れに誘われて

2020年10月24日 | 鎌倉暮らし
朝から青空。
週末の天気が良いのは数週間ぶりだそうだが、エントリーの写真を見ると、たしかにそのようだ。
マルチーズ のコロと朝食前に妻と散歩。
久しぶりにベランダで食事をして、しばしひなたぼっこ。
あっという間に午後になって、こんどは散歩。
小町通の方はひとが多いだろうから、それはやめ、ナイトとよく歩いた道を歩いた。
フラットコーテッッドレトリバーのナイトが散歩に行けなくなってから1年以上たったが、その間に街の景色もかわっていた。昨年の台風19号の影響で、立ち入りできない場所もまだある。
ナイトが一緒だったらあっという間なのに、二人だとずいぶん疲れるものだね、などと話しながら秋晴れのもと散歩を楽しんだ。
地元の人しかいないような通りを歩いているときは、すれ違う人も少なくマスクを外していられた。だが、時折表通りに出るとと結構な人出にびっくり、あわててマスクをつけた。
明日もいい天気になりそうなので、また出かけてみよう。
朝は冷えるらしい

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本を書くこと

2020年10月23日 | 読書、映画、音楽、美術
三週間だか四週間前のことだが、Eテレの日曜美術館のなかで、村上隆とリ・ウーファンという二人の現代アーティストの対談があり、そこでリーが、「日本では専門家が素人向けの本などばかり書いていて、専門領域で戦っていない、というようなことを嘆いていた。たしかに、いわゆる専門家が入門書的な本を書いているのが目立つ。私が下手の横好きで読んでいる哲学関係の本も、その分野では高名な哲学者が書いているのだろう。入門書を書いている暇があるなら、もっと自分の研究を行うために時間を振ったらいいように思うが、まあ、優秀なひとにとってこういった活動は余暇程度のものなのだろうと思って読んでいる。

私は、4年前に病理関連の教科書を1冊、単著でものしたことがある。その本のタイトルは入門書的なニュアンスを思い切り詰め込んでおいた。文章はこのブログでご存知の通り平易なものだったが、内容は専門的なもので、入門書として手に取った人にはちょっとしんどいものだったかもしれない。以前いた職場でちょっとゴタゴタしていた時に、一気に書き上げたが、編集者にも恵まれそれなりに評価される本とはなった。後にも先にもこれ1冊だが、いい思い出である。

この場合、私はそれまでの経験をまとめただけで、入門書といっても専門家(医者)向けだったので、一般の人相手の入門書とは話が違う。自分の経験を顧みると一般の人相手に書くことの方がよほど難しそうだが、今度挑戦してみようと思う。ただ、受けてくれる出版社があるか。そもそも私は、本を出してもらえるような身分とは程遠く、たまたま運が良かっただけのことで、そのような僥倖が再びあるか。

gooブログにはバックアップ・書籍化というシステムがある。以前一回PDF化してみたが、画像は取り込んでもらえないので、白けてしまってそれ以来、何もやっていない。画像を含んだPDFができたら嬉しいが、それを書籍化するとなったら、費用の点から結局は画像は取り除くことになるので、同じことか。そうすると、写真に助けられているろくな文章も書けない私のブログはなかなかうまくいかない。
それにそんなに書きたいのなら、、まずは締め切りが見えてきた原稿をどう片付けるかを考えた方が良さそうだ。
結構あせっている

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”利便性の低下”ってなんだろう

2020年10月22日 | 日々思うこと、考えること
一気に寒くなるかと思っていたが、秋はなんとか踏みとどまってくれている。今年の秋は一日二日は好天で、そのあと同じぐらい天気がぐずつく、というようなことを繰り返しながら、深まっていくようだ。秋台風が来ないというのもありがたい。今週末の天気はまた上向くということで、それを励みとして明日一日頑張ろう。それにしても昨日今日と忙しく、いつの間にか終業時刻。ここだけの話、私のしょぼいオツムでこの病院を支えていくことができるかと不安になる。

鉄道各社が終電の時刻を早めるということが話題になっている。私も忘年会シーズンともなれば、新宿からなら何時に品川に着く、というように横須賀線への接続最終の時間が頭に入っていた。東海道線が追いつく時間も。それでもそれに乗りそびれたら、今度は神奈川方面の深夜バスが新橋から何時というところまで考えて飲んでいた。というか、こういったことが体に染み付いていた。(ほんの)昨年の忘年会では確か終電近くの電車で帰った覚えがある。なんでそうまでして宴会で大騒ぎして、さらにカラオケで大声で歌っていたのかよく分からないが、楽しかったのは間違いないし、そういう機会があればまた同じようなことをしてしまう可能性は低くない。

ところが新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のおかげで全ては一変。都内のJRは夜9時を過ぎたらもう、ずいぶん空いている。もっと遅い時間の電車がどうなっているのか知る由も無いが、おそらくガラガラなんじゃないか。コロナ禍以前から保線作業のための時間確保のために終電時刻の繰り上げというのは検討されていたそうなので、今の事態はある意味渡りに船といったところだろう。夜オフィスで仕事をしなくてはいけないという人は、どんどん減っていくだろう。役人が率先してそういうことをやめるべきだ。新大臣を迎えるために夜中に登庁した文科省の役人に呆れた河野太郎(行政改革・規制改革担当相)は極めてまともだ。
今日の朝日の朝刊にJRの終電時刻が早まることが”利用者の利便性の低下につながる可能性がある”、とあったが、”利便性の低下”とはなんなのだろう。この記事を書いた記者は自分の利便性のことを言っていたのだろうか。

それこそ、保線作業をしている人、夜中に鉄道を走らせている運転手、車掌、駅員。鉄道だけではなく、コンビニも営業時間を短くすることを検討しているというが、そもそも7時から11時まで営業するというので驚いたし、それでも夜中は配送も行なっているというから、夜中にも十分働いている。それにもかかわらず、ありとあらゆる余剰時間を切り詰めて効率化を図り、顧客の満足度を高めるためにやってきたのがここ数年の社会だがそれは、すべての人にとって幸せなものだったのだろうか。

みんなで一緒に歩んできた道なのだから、引き返すこともできるだろう。企業が利益ばかりを求めず、利用者に還元するということを考えたらそれはそれで”ゆとり”という新しい価値がもたらされる。適正な価値観を新たに見出して、肥大化し過ぎたすべてのサービスを縮小することは決して社会の成長を妨げるものではない。
不便を我慢でなく当たり前に

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わがままで横柄な私

2020年10月21日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
またやってしまった。穴があったら入りたい

提出した書類に不備があって突き返され、それからしばらくの間ほうっておいたのだが、いつまでもそうしておくわけにもいかず、重い腰を上げ、それを書き直した。それをろくすっぽ確認もせずに事務方に提出したら今度は別の書類が足りないと受け付けてもらえなかった(あれもこれも全て用意しておけばよかっただけの話)。
そこでコロ健、「あ、しまった、そうですか、まだ足りませんでしたか、出直してきますね」とでも明るく言って引き下がればいいのに、2度目の却下に対し、自分でもわかるほど恨めしげに「あ、しまった、これでいいと思ったのに、、、しょうがない、、、また今度出直してきます」なんて捨て台詞を残して部屋を出てきたら、言われて残されたほうはどう思うだろう。そんなのしょっちゅうだから気にしません、という人もいるかもしれないが、そんな言い方をされ、いい気がするわけない。

事務方の人は同じ施設の同僚だ。そんな人に向かって横柄な口をきいていい道理などない。医者だからなんでも許されるとでも甘えているだけの話だ。そもそも、最初の書類が”突き返されて”なんて言い方をしているのがよくない。別に相手は突き返してなんていない、受け取れなかっただけの話だ。
その後部屋に戻って、足りなかった書類(わずかA41枚)、を慌てて書き上げたのだが、もう一度事務に戻るのは気恥ずかしかったので、忙しくてそっちに行く時間がないのでという理由で、取りに来てもらった。そして書類を渡しがてら、謝った。謝って名誉挽回といくわけではないが、せめてものお詫びの気持ちだった。

不平不満は結局自分に返ってくる。自分が謝ることになったわけを一から見直して考え、どうしたらそういう状況の中で最善のことができたか、よく反省してみよう。
何がどうであれ、謙虚でありたいし、相手のことを思っていたい。
それにしても忙しかった・・・

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痛みの程度と怒りの程度

2020年10月20日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
電車を降りたところで、私の目と鼻の先で、体の前で抱えていた男性のカバンが、斜め前から来た男性にすれ違いざま当たり、そのまま少し引っ掛かってたように見えた。二人の動きが止まり、始まるぞ、と私が思った次の瞬間、案の定、双方が「オォー」とか「アァー」とか怒声をあげて喧嘩が始まった。私は先を急いでいたので、言い争う声を背にその場を立ち去ったので、その後二人がどうなったのかわからない。当事者の少なくとも一人は私が降りた電車に乗る予定だったから、ドアの閉まる前に飛び乗っただろうか。それともそのままホームで本格的なつかみ合いになったか、はたまた片方が飛び乗った電車内まで追いかけたか。顛末はさておき、「そんなに怒ってどうするの?」というのが正直なところ。カバンがぶつかった、引っかかった、こっちが避けていただろう、お前がぶつかってきた、なんて瑣末な、実に瑣末なプライドとも言えないような意地にこだわって、下手をすれば傷害罪でも起こしてしまいそうなことをしても仕方がない。

だがこれは岡目八目。私もイラッとかムカッとかして相手を睨みつけることはある。睨み返されるどころか「なんだお前やるか」と酔っぱらいに言われたこともあった。いざ、そう言われた時は、即座に頭を下げて、すごすごと引き下がった。格好なんて気にしてられない。
私が怒りたくなるのは大抵マナー違反だが、その範囲が広かったら、ことによっては大きなお世話だと逆ギレされても仕方ない。参考までに一例を挙げておきます(心に波風 2011年12月14日)。こんな時、私に限らず男の人の方が怒りやすいような気がしていたが、それは戦闘態勢に入るのが早いというだけで、女性にしても怒る人は怒っている。SNSやらブログに怒りをぶちまけている人は、男女ともとてつもなく多い。男女の違いを挙げるとすればそれを実際に表出するかしないかぐらいだ。
怒りとは何か、それにはいろいろな種類があるが、それぞれに程度もある。怒りの程度を痛みと同じように0〜10に例えてみたらどうだろう。
痛みのスケールは
0=痛みが全くなく、幸せである
1=わずかに痛みがある
2=ほんの少し痛い
3=少し痛い
4=とても痛い(中くらい痛い)
5=これ以上ないほど痛い
というのが一般的。私の場合、低気圧で頭が痛いのが1〜2痛み、口内炎が2痛み、ギックリ腰が3痛みぐらい。4痛みともなるとあまり考えたくないし、5痛みとなったらくも膜下出血の痛みということで死線をさまようことになる。

これを怒りに置き換えてみたら。

怒りのスケール
0=怒りが全くなく、幸せである
1=ほんのすこし怒っている
2=少し怒っている
3=怒っている
4=かなり怒っている
5=これ以上ないほど怒っている

こういうのも既にあるかもしれないが、わたしなりに考えてみた。めざすところは常に0怒りだが、まずは1〜2怒りを目指したい。喧嘩に発展するのは3怒り以上のあたりで、どちらかが4怒りぐらだとまず喧嘩になるだろう。4怒り、5怒りあたりは障害とかにも発展してしまうだろうから危険だ。ただ、こちらが1怒りぐらいであるにも関わらず、相手が4怒りで襲ってきたら応じなくてはいけない。アンガーマネジメントが必要なのは喧嘩を売ってきた方だが、売られた喧嘩をどうしたらいいかについての解説はあまりない。とにかく謝り、その場から去ること、逃げること、が最善だと思っている。

怒りなんて、当人にしてみれば大変なことだが、はたから見たら馬鹿馬鹿しいこと。そう考えてみると、怒ること自体馬鹿馬鹿しいということになる。そのあたり、よく自覚して日々過ごしていきたい。
負けるが勝ち

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今日は雨になったけれども明日は晴れ

2020年10月19日 | 愛と女性とジェンダーと
おととい昨日と、浮気だ不倫だなどと考えいたせいか、自分が不倫の当事者になりあたふたしている夢を見た。相手の女性が誰だったかなんて、野暮なことは聞いてほしくないが、もうすっかり忘れてしまった。夢なんてそんなものだ。夢の中で私はどこかの誰かに目撃されて、そのことをばらすとか脅されていたようなことだったはず。とにかく覚えていることがひとつある。それは、私はわけもわからず必死だったということ。それがなんのために必死だったのかはわからない、妻に知られないためだったのか、交際相手を傷つけないためなのか、それとも世間体のためか。その必死だった自分自身の姿はとても滑稽だった。

しょせん夢の中のできごと、記憶の再整理のための作業と考えているので深い意味はない。昨晩の夢にしても、ブログに書いたこと、テレビでみたドラマの登場人物、以前に読んだブログのエントリー、そんなのがごっちゃになっていたのだろう。断片的ではあるけれど、それぞれの内容を思い出せばそんな事柄と紐づけることができただろう。ただ、一度目が覚め、もう一度寝たら夢の続き(らしきもの)を見たのにはちょっと驚いた。

ブログのエントリーにも、不倫の話がたくさんある・・・わたしのフォロワーの方、というわけではなく。わざわざ探すようなことはしないが、偶に目にした時はそれぞれ興味深く読ませていただいている。そこに出てくる人たちの多くはみなさん一生懸命に、そしてどうしようもないとわかっていながら相手の人も連れ合いも愛している。それぞれの愛に模範解答はあっても、真の答えはない。せいぜい答えの一つといえそうなのは、それでも生きる、ということだろうか。
そもそも、世の中半分は異性。同性なら好意をもってよくても、異性だったらダメということはあり得ない。好意の範囲も人それぞれだ。
2年以上前だが、浮気と不倫について妻と話したことがある(浮気はいいけど、不倫はダメ。やっぱりどっちもダメ! 2018年2月14日)。みんながハッピーエンドというのが難しいのであれば、自重するのが一番だろうと、私は思う。

人間誰しも答えなど出ない毎日を送っている。答えが見つかったと思っても、その次の瞬間に次の問題が降りかかってくる。ただ、人生に正解はないかもしれないが、不正解もないことを覚えておきたい。だから、一つ一つの設問を先延ばしせず、真摯に答えを出し続けていけば、案外人生は楽しく前に回っていくような気がする。今日は雨になるそうだけど、明日は秋晴れだそうだ。止まない雨はないわけで、そのことをいつも覚えていることが生きていく上で大切なことだ。
期せずして三部作

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不倫する人、バレる人

2020年10月18日 | 愛と女性とジェンダーと
日差しがあると暖かく、マルチーズのコロを連れて近所の学校まで歩いた。ソーシャルディスタンスを守っていたら、マスクをする必要はないと思っていて、誰もいない道をマスクをした人が向こうからやってくるとなんだかなと思う。NHKがソーシャルディスタンスをしっかり守っていたら大丈夫だとアピールしているのだから、それに準じてもいいだろうに。

有名人の浮気報道というのが、一定期間ごとに明らかになっている。政治家、芸能人、スポーツ選手。文春とか、週刊新潮に狙われ、写真を撮られて世間にばれる。連れ合いの知るところになるのが一番困るが、世間からも冷ややかな目で見られることになる。お気の毒としかいいようがない。

いまから20年ぐらい前の話だが、通勤電車でよく隣り合わせに座る女性がいた。始発電車に乗っていたので、座る席が大体決まっていて、隣になることが多かったのだと思う。浅野温子風の髪の毛の長い、痩せ気味の美しい女性だった。でもちょっと寂しげな女性だった。その人は毎朝、携帯メールを熱心に打っていた。今のように、セキュリティーがどうのと気にするような時代ではなかったのか、何度かその文面が目に入ることがあった。メールの相手は男性で、その女性とは職場が一緒なのだが、一緒の家に住むことは出来ない関係のようだった。不倫というものを生々しく感じた。その車両には、別の不倫のカップルーーー男のほうが先に乗っていて、あとから同じドアに女が乗ってくるというパターン。これも職場が同じなのだったのだろうかーーーもいて、不倫している人って案外多いのかと考えたことがあった。

どういう人が不倫するのかといっても、年齢も何も千差万別、組み合わせは無限大だから、一概には言えない。
でも、その中に”自己肯定感の低い人”というのが居るとはよく言われること。そして、そんな人は不倫がバレやすいのではないかと思う。自己肯定感が低いから、自分のことなど誰も見ていない、誰も気にしちゃいないからバレやしない、なんてことを考えているから、わきが甘くなって不倫現場を押さえられてしまう。もっと、自分は注目されていると自覚しておくことが必要なのではないか。
なくなりはしないだろうが

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付き合う相手の呼び名も年により

2020年10月17日 | 愛と女性とジェンダーと
既婚男性がその妻以外の人と関係を持つ場合、その人の年齢によって相手の呼び方は変わる、と思う。

20代後半から30代、結婚後の年数が比較的浅い場合、相手は浮気相手。ところが、これが何年も続いたりとか、40過ぎぐらいで家庭も落ち着いているような人同士で関係を持ったりするようになると不倫になる。ドロドロの不倫も家族に知られなければその限り続くが、浮気にしても、不倫にしても終わらせるのは大変そうだ。
そして、50歳過ぎにつきあい始めるとなると、相手は愛人。この場合、男性は50すぎの小金持ち、女性は同世代かやや下で独身。なんて世代によって適当な表現があると考えているが、映画の見過ぎみたいで恥ずかしくなってきた。

逆はどうだろう。若い女性からみた不倫相手の呼び方というのは、やっぱり彼氏だろうか。パパ活なんていうこともあるからパパというのもありか。あとは、旦那、そんなところだろうか。女性にしてみたら、既婚男性と付き合うことは後ろめたいので、その罪悪感を少しでも薄めようとしてそんな表現になるだろう。
既婚男性と付き合ってしまう女性がいるのは、そういう女性を誘惑する既婚男性がいるからで、誰が悪いかといえば今の価値観からいうとやっぱり男が悪いということになる。

と、ここまできて、なんだか続かなくなった。またもや尻切れトンボになりそう。
やっぱり、男女の関係というのは千差万別、組み合わせからいったらキリがない。浮気だ不倫だなどといったところで、それにモデルケースなどない。
援交なんて言い方もあったな

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