こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

デジタル世界についていけなくなりつつあるデジタル鬱の私

2022年05月31日 | 電脳化社会
 夜中の雨は、ずいぶん降ったようで今日も水やりが要らないのは助かる。天のもたらす水の量は、ほんの10分、20分の水撒きの数百倍であり、まさしく恵み。そんな恵みのおかげもあってか、何年か前からフラワーポットで少しずつ増やしてきた紫陽花が今年は花をたくさんつけてくれそうだ。雨は午後からは上がるそうだが、今日は1日肌寒いとのことで上着を着て出てきた。

 昨日の私はデジタル鬱とでも言える状態だったのではないかと思った。デジタル鬱などという言葉すでに誰かが口にしていると思っていたが、検索しても引っかかってこない。単に、ネット上に見当たらないだけで同じような思いをしている人は少なからずいるだろうと思うが、こういった、電脳化によって色々な形で被害を受ける人が増えている。

 SNSを通じて未成年者が性被害に遭うことが多いということは以前より知られている。初めて持ったスマホで、自分の周りの世界がビッグバン的に広がってしまうが、現実社会で周りにいるのは自分の親、友達といった基本的には自分を大切にしてくれる保護者ばかりだ。だが世の中にはそんな子供、若者を商品として利用する大人など掃いて捨てるほどいて、デジタル社会以前と比べ物にならないほど多くの被害者が発生する。今回、警察はSNSを性犯罪に利用しようとする人間に対して警告メッセージを挟み込むことにするとか、不幸な被害者が増えないことを願う。

 デジタル化のせいかどうかよくわからないが、最近、紙に文字を書くときに字が浮かんでこないことがある。
 例えば、病理診断報告書に”内部に粘液を容れた嚢胞”という一文を書くとき、いったん学習したPCは”容れた”に対して"内容”の”容”を反映してくれるのだが、別な機会に私がこれを紙に書こうとすると「あれ?いれたでつかう容って、どんな字だったっけ?」となる。こうしてブログを書いていてもそこそこ面倒な字はPCが変換してくれるが、容すらおぼつかない私が例えば鬱、爆発の爆、警察の警などを紙に書き出そうとして果たして正確に書くことができるか心配になる。
 自分ができると思っていたことが、デジタル技術によってできなくなってしまうということが度重なると自信がなくなってしまう、デジタルによる実生活からの疎外感、デジタル環境についていくことが困難になってしまっているという思いもデジタル鬱の原因の一つではないだろうか。

 デジタル鬱を解消するためのデジタルデトックスなどという言葉もある。社会のデジタル化、電脳化というものがもたらす恩恵は今や人間の神経系にまで入り込もうとしているが、言うまでもなくそれらは双刃の剣であり、人間性を失わせる危険も伴っている。
 このことはもう少し考えてみることにする。
仙人とは俗世から避難した人

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なぜ、あんなに楽しそうなのだろう、そしてなぜこんなにつまらないのか

2022年05月30日 | 生き方について考える
 自分のことがこの上のなく惨めに感じられる。それがちょうど今。自らの人生に対してそれほどの夢も希望もなく過ごしていていいのかと自責の念に駆られているのだが、かといって、では何かを考え、行動に移そうという気にもならない。

 楽しいこと、嬉しいことというのは人間にとって果たして正しいことなのだろうか。よくわからない。SNSで次々と発信される人様の充実した日々を覗くと、私の人生の何とつまらないことか。他人の人生と自分の人生という、比べようのないことを比べるという馬鹿なことをするからこうなっているのだと、考えたらわかるのはずなのに、SNSだのなんだのには人間の心理を巧みに突くことが上手だ。

 自分自身がまんまとそれに乗せられているのが癪だが、実際羨ましいと思う気持ちは湧いてきてしまうので仕方がない。こんな気持ちを乗り越えるにはどうしたらいいのか、そもそもこのブログだってそのために日々書き連ねているのだが、答えの手がかりすら掴めないまま時間ばかりが過ぎ、年老いていく。

 こんなことを考えてしまうのも、今日1日忙し過ぎたからかもしれない。WEB会議でどこそこのお偉い先生方のごもっともなお話を聞かされ疲れ、帰りの電車の中でスマホを開いてFBを開けたのがよくなかった。そこには楽しそうな笑顔と輝かしい未来が並んでいる。

 今日は娘の誕生日、こんなことを考えているのは隠して、明るい顔をして帰ったら、少しは喜んでくれるだろうか。
明日は元気だそう

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テレビで得たもの失ったもの

2022年05月30日 | 電脳化社会
 朝も徐々に蒸し暑くなってきた。昨日、外に出ていた時間が長かったせいか、熱中症気味で体調はいまひとつ。1週間のスタートがこういうことではよくないが、とにかく頑張ろう。

 普段、通勤電車の車内でいわゆる世間話というものを聞くことはほとんどないが、週末はそんな話を聞くことができる。一昨日の土曜日、横浜に向かう横須賀線内にはご婦人3人が大きな声で話していた。その話題はテレビ番組の内容だった。山下公園を歩いていても、昼を食べた中華街の料理店でもテレビ番組の話で盛り上がっている人たちがいた。どれも何の足しにもならないネットニュースにでてくるゴシップネタだかそんな類のことを話しており、出演者のことをあれこれ話しているのも聞こえた。

 ああ、テレビに出ている人たちって、こんなふうにごく身近な存在として語られていのだと思った。他人同士の共通の話題としてはテレビは最適だ。個別の興味はネット上で他の誰かと共有し、一般的な話題は対面する人同士で共有する、そんな時代になってきたのか。

 58年生きてきて、私は何時間テレビを見てきただろう。朝起きて家を出るまでの1時間、帰宅してからの1、2時間はテレビがついている。小学生の頃、留守番中の午後3時から5時ぐらいにみた必殺シリーズ、非情のライセンスなどは今でもよく覚えている。テレビと共に育って、テレビと共に生きてきた。

 家族の会話が遮られてしまうから食事中はテレビをつけない

ということを、息子と娘が学生の間貫いたのは今でもよかったと思っている。だが、息子が独立し、娘が留学して、妻と2人になってからは話題を共有することのできる番組を見ながら食事している。娘が帰ってきて再び3人で暮らすようになっても、テレビはついていることが多い。それぞれが忙しくて食事の時間しかテレビを見る時間がないからだろう。私と妻はほぼNHKだが、娘は民放をよく見る。この好みの違いは何なのかわからないが、私も昔は民放をよく見ていたのだろうか、よく覚えていない。ちなみにスマホをいじりながらの食事は流石にないが、ではテレビがついたままとどう違うのかと言われるとよくわからない。

 テレビの普及期にはその害毒を訴える論調が多かったし、今でもそれが無くなったわけではない。ただ、それよりも強力なネットの影響が取り沙汰されるようになり、テレビはマスメディアの1ツールにしか過ぎなくなった。これまでテレビがもたらしてきたものは一体何だったのか、テレビで得たものそして失ったものは何だったのか考えてみたいが、仮にテレビがなくても、PC、スマホのない人はいないであろう現代社会においては、もはや検証することはできない。

ドリフなんて可愛いものだった

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女はなぜよく泣くか

2022年05月29日 | 愛と女性とジェンダーと
 梅雨入り前の青空。
 同じ地球の上で人が人を理不尽に殺している。幸い、ここ日本ではそんなことは起こっていない。申し訳ないと思う必要はないのだろうが、事実を謙虚に受け止めておかなくてはならない。今日のエントリーは前から書いておおうと思っていたこと。週末は読む人が少ないので、今日のうちにアップしておこう。
 男でも泣き虫はいる。女だからといってみんながみんなしょっちゅう泣いているわけではない。男が女であっても女が男であってもどうでもいい時代ではあるが、表現型が女の方が泣く人は多い。
 テレビの中で泣いているのはほとんどが女だ。スポーツでも勝っては泣き、負けては泣く。卒業式では男でも泣く奴は少しいるが、女はほとんど泣く。それほどの意地悪をしたつもりはなくても妻は泣いてしまうし、母が泣くところを見たことはあったが、父が泣いたところを見たことはなかった。今、読んでいる小説の中ではグレーゴル・ザムザの妹がちょうど泣き出したところだ。

 どうしてだ? どうして女はよく泣くのか?

 短気な男が怒り出すのと同じぐらいの速さで泣き出す女もいる。いつでも泣けるように準備をしているんじゃないだろうか。

 世の中わからないことだらけだが、女がよく泣くのは最もわからないことの一つで、ほとんど不可解だ。なぜ泣いているのかを聞いても、泣いている当人ですらどうして涙が出てしまうのかがわからないというのだからこっちがわかるわけがない。女の子だもん、といわれても途方に暮れてしまう。ザムザも妹のすすり泣きの理由が分からず、自らの体の変容についてよりもよほど悩んでいる。

 このことに関して最近少しだけわかってきたことがある。それは、女が泣くことを否定してはいけないということ。いくら泣くなと懇願したところでそうそう涙は止まらないのだからその状態を受け入れ、そのままにしておくしかない。泣かないでなんて歌があったが、何の参考にもならなかった。

 さらに不思議なのは泣き止むと案外ケロリとして次の行動に移ることができるということだ。別れ話で大泣きしたのに女はいつの間にか次の恋が始まるのに、男の方はいつまでも引きずってしまうなんてことはよく聞く。

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トム・クルーズ「トップガン マーヴェリック」を観に行った

2022年05月28日 | 読書、映画、音楽、美術
 妻の誕生日。朝のうち少し雲が出ていたが、昼はいい天気になった。妻は「トップガン」以来のトム・クルーズの大ファン。今回の続編「トップガン マーヴェリック」も是非観たいと言っていたので、誕生日プレゼントにと封切り翌日に一緒に桜木町まで観に行くことにした。

 上映の前に山下公園のバラを見に行った。何かのイベントをやっていて、すごい人出、コロナ前のようだった。青空の下、美しく芳しいバラを楽しんだ。バラを楽しんだあとは中華街でお昼と、これまた大変な人の波をかき分けて聘珍樓に向かったら何とお店がなくなっていた。あわててスマホで調べたらこの5月15日に閉店していた。移転する予定らしいが、たくさんの思い出のあるあの名店がなくなってしまったのは何とも残念だ。
 若い頃よく行った店は今や人気店とおなり、長蛇の列。名前を聞いたことのあった店に飛び込んだら、これが案外美味しくてよかった。食後の腹ごなしにと、桜木町まで歩くことにしたのだが気温が高く、赤レンガ倉庫まできたら妻が少々疲れてきた。上映時間も近くなり困ったなと思ったら、目の前に昨年開業しいたロープウェイ。係員に聞いたらすぐ乗れるとのことで飛び乗った。
 わずか5分の空中散歩ではあったが、景色はよく、空調もよく効いていてクールダウンもできた。ギリギリだったが、上映時間にも間に合った。映画館も結構な人出で、全員マスクをつけていること以外はもうすっかりコロナ前のようだった。
 「トップガン マーヴェリック」は36年前(!)の「トップガン」同様の実写のド迫力映画。ツッコミどころ満載だったが、妻は大いに楽しむことができたようだった。

 今夜は仕事の都合があるから来られないからと、息子が昨晩お祝いに来てくれた。今日の夕食は娘が準備してくれた。妻が今年の誕生日を元気に迎えることができて本当によかった。

盛りだくさんの1日でした

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あなたの趣味は何ですかと聞かれたら

2022年05月27日 | わたしのこと
 昨晩からの大雨はいっこうに止む気配はなく、そこそこ濡れながら家を出てきた。雨が続くとせっかく咲いた花びらが傷んでしまうのがかわいそうだが、自然のせいなので致し方ない。せめて鉢植えは雨があまり当たらないようにしてあげよう。

 私にはこれといった趣味はない。強いてあげれば読書、ブログ書きそしてこのガーデニングといったところか。読書が好きだったかというとよくわからない。文字を追うのは好きだが読解力がないので、読みっぱなし、読み散らかしているようなものだった。ブログ書きはこのブログだけで、そこそこ続いているものの中年になって以降始めたことで本質的に自分に合っているのかはいまだにわからない。ガーデニングは今の家に引っ越してきてからしばらく経って始めたことで、妻のするのを見よう見まねで始めた。それぞれ黙々と行うことができるという点では共通しているのかもしれない。そういう意味では病理医という仕事も趣味の範疇と言えるかもしれない。

 趣味を始めるにあたっては誰かの影響というものがある。読書は母の姿を見ていたからかもしれないが、読書も本読みの好きな母が読み聞かせをしてくれたからいつの間にか始めただけかもしれない。親子の趣味というのは、親子だから好みが似ているなんてことはほとんどなくて多くの場合は親に押し付けられて始めるのではないかと思う。
 
 通勤経路に古びた鉄道模型店がある。その店の前を通るたび昔遊んだNゲージの模型を思い出す。乗り物が大好きだった父は鉄道模型の他にも船や飛行機の模型を私と一緒に作ったり買い与えてくれ、Nゲージなどベニヤ板にレールを張って遊ばせてくれていたが、私はそれほど面白いとは思わなかった。模型を走らせるよりはお小遣いで買った模型のコレクションが増え、それを眺めている方がよほど嬉しかった。切手集めも比較的好きだったから、どうやら私はコレクター系の人間なのだろう。

 私と息子の場合、息子にはバスケットボールをやらせた。それは、私が中高大と10年以上バスケットボールに打ち込んできたというのがあるのだろう。野球でもよかったのだが親はあまり出てこなくていいというミニバスチームが市内にあったのでそこに入れた。息子は背が高かったということもあって、息子は中学校まではバスケットボールをやってそこそこ上手だったが、大学からはアカペラをやるようになって、いまではバスケットボールを触ることはあまりないようだ。ボーイスカウトにも入らせて世界ジャンボリーにまで行ったが、それもいい思い出としてしまったようだ。息子にとってそれは自然な成り行きだっただろう。

 そもそも私は中学に入ったときに陸上部に入りたかったのを、

 お前のように協調性のない男は個人競技よりも団体競技をやるべきだ

 という父の命令でバスケットボール部に入らされた。協調性がなく、一人で黙々と打ち込みたい、さらには今病理医をやっているということは全く父は私のことをよく見抜いていたとは思うが、私がやりたいことをやらせてくれたわけではなかった。今頃になって息子が「本当はあれがやりたかった、これがやりたかった」と恨みつらみを言ってこないのは幸せなことだと思う。

 今の時代、趣味の選択肢はずいぶん広がった。これは爆発的に増えた情報量のおかげで、価値観も多様化したからだろう。それでも親に誘導、もしくは強制されて趣味を選ばされるということは少なくないだろう。私の父のように”協調性のない”性格を矯正するために利用されることだってある。人生の半分をとうに過ぎてしまったが、ささやかながら趣味らしきものが見えた今はそこそこ幸せなのではないかと思う。

ライフスタイルとの兼ね合いも

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日本がいよいよ先頭に立った日

2022年05月27日 | 日本のこと、世界のこと
 先日、タイで開かれたAPECの貿易担当相会合で、ロシアの代表の演説の際、日本が米、加、豪、新の代表らと共に会場から退席した(APEC貿易担当相会合 ロシアの発言時に日米など5か国が退席  2022年5月21日 19時21分)。退席せずに牽制したという1ヶ月前のG20会合の時とはずいぶん違って、あらかじめ打ち合わせておいての行動だったそうだ(財務相「退席せずロシアけん制」 G20会合の対応説明
経済 2022年4月26日 11:00)。これまで対ロシアでは半歩遅れて動いてきたのがいよいよ先頭切って動くようになったのだと覚悟をあらたにした。これは日本がいよいよ自身で責任を取らなくてはならない立場になったということを意味するのであって、欧米に追いついたなどと単純に喜んでいいわけがない。

 先の大戦の敗戦国として、国内に多数の米軍基地を配置されている状況下、米国から、一緒に動いていいよ、とお許しをもらえたようにみえる。こうなると、将来の日本の国連の安全保障理事国入りを米国が支持するというのもあながちリップサービスではなかったのか( バイデン大統領 安保理改革での日本の常任理事国入りを支持     2022年5月23日 14時02分)。

 世界はさまざまな思惑で動き、色々なベクトルがさまざまな動きを形成する。そしてその流れの中で人の運命などどうでもいいものとなる。ウクライナの一般市民の死者は膨大な数にのぼっているし、ロシアも多くの兵士が無駄に死んでいる。栄華を誇るオリガルヒといえども例外ではなく、血で血を洗う争いが起こっているらしい(【動画】オリガルヒの実態に精通 “オリガルヒ・ハンター”)。経済的に無力化されたロシアがウクライナ東部2州を併合したところで、未来が明るいものとはなるまいし、さあ次は北海道だともいえないだろう。

 外務省による海外における対日世論調査というものがある(海外における対日世論調査)。ASEAN諸国に関して行ったアンケートでは、今後の重要なパートナーとなるのはどの国かという質問に、2019年には日本がトップだったが、今回中国に抜かれて2位となりこちらの方はトップから転げ落ちた。金の切れ目が縁の切れ目なのかどうかわからないが、日本の国力が衰えているということを感じる。その中国にしてもゼロコロナ政策がいつまで続くかはわからないが、武漢ウイルスなどという汚名を晴らすためにもそこは譲れず、意地でも貫徹しようとするだろう。そして却って経済的に停滞し、対中包囲網に絡め取られてしまうかもしれない。

 日本はロシアも中国も弱っている今のうちにいろいろ世界のことをよく見て、よく考えて行動することが必要だ。国民にとって最も大事なのは選挙だが、今度の参院選の結果は目に見えている。まずは、優秀な野党を育てることからしなくてはいけないというのは、ずいぶん気の遠くなるような話だ。
政治はまだまだ発展途上

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男が女であっても女が男であってもどうでもいい

2022年05月26日 | 愛と女性とジェンダーと
 オリーブの花が咲いた。昨年までと異なり、多くの花がついて喜んでいる。オリーブは自家不結実性なので、実を生らせるには別品種の花粉が必要であり、我が家にも大小で4、5本うわっているのに、なかなか多くの実がつかないでいるのだが、さて、今年は楽しみにしていいだろうか。
 先週、通勤の電車の中、若い女性二人が私の隣に座った。一人は少し甘えたような声でよく喋っていたが、私の隣に座った人はそこそこガッチリしていて、そのよく喋る人の話を胸を張って黙って聞いていた。マスクをしていたのでよくわからなかったが目の綺麗な女性だった。チラッと横を見たら向こう側の女性としっかりと手を握り合っていた。なるほど女性同士のカップルであったかと合点がいった。その時に、いわゆる男女の性的役割が必ずしも表現型の違いによって担われているものではないということがわかった。

 2丁目が今ほど観光化されていなかった30年以上前、ただのバカ学生だった私には馴染みのオカマバーがいくつかあってよく飲みに行って遊んだ。そんな時、そこで働いていた人たちに対して特別な感情を持つことはなかったし、いわゆる女性的であった友人がそこでバイトをするようになったからといって別に何とも思わなかった。

 私にとっては、男が女であっても女が男であっても、そんなこと関係なく、楽しく飲んで歌って騒いでいたら、それだけでよかった。
 
女ー1ー2ー3ー4ー5ー4ー3ー2ー1ー男

 男と女の間に1本の線をひいて結んだ場合、こんなふうにならないか。やることなすこと考えることが男という人はいるし、逆にそれらが女以外の何ものでもないという人もいる。そして私はこの線上の少なくとも両端にはいないと思うし、ちゅうぐらいのところでうろうろしながら生きている人というのは多いのではないだろうか。どの辺りの人が生物学的に優れているのかそうでないのかはわからないが、誰が誰よりも優れているということは絶対にない。

 男らしさ、女らしさという定義自体が間違っているのではないか。生物は遺伝子を残すために性的に異なった役割を有しているが、それは恋するためではない。もちろん、人間にとっても恋は恋で、そもそもの目的は自らの遺伝子保存、生命の維持が変形発展してきたものである。人間はもともと弱い生物であって、猛獣から見たら男も女も大して変わらない。それでも、人間社会という安全に囲われた世界の中では、男性の方が筋力がやや強いせいで女性に対して優位性を保っている。逆に女性は平和主義的だというが男性によって力を持たせてもらえないできたからこそのことかもしれない。
 
 女性に対する優位性をもって、男らしさというものを定義してきたのだとしたらそれは誤りだ。目先の問題で男性の既得権益を守ろうとするのは人類そのものの発展にとってマイナスであったという考えが必要だ。先進国と言われる国における少子化問題は男性至上主義の行き詰まりであり、女性の社会的地位向上が招いた問題ではない。男が女であろうと女が男であろうとそんなことはどうでもいい。

 日本男児、という言葉があったが、それは一体何を意味したのだろうか、そしてそれが軍部によっていいように使われて多くの日本人男性が無駄死にしたということに思いを馳せなくてはいけない。男性中心的な思考というのは必ずしも男性に恵みをもたらせてくれるものではない。
見直すことが常に大事

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マスクフリーでよくなったのにマスクを着けている人の何と多いことか

2022年05月25日 | 自然災害・事故・感染症
 早起きのガビチョウに起こされ、空を見ると細い月が出ていた。今日もいい天気になりそうだ。

 なぜみんなマスクを着けているのだろう。駅のホーム、バス・電車の中は当然として、数メートル先にしか人がいないのに、マスクを外している人は私のほかにはほとんどいない。都内でも横浜でも鎌倉でも多くの人が屋外でもマスクを着けている。アゴマスクの人はいちいち外すのが面倒なのだろうが、これはダサいし、電車内でもそのままだとこっちの気分が悪くなる。

 政府 マスク着用の考え方公表屋外で会話ないなら着用必要なし(NHK 2022年5月20日)。せっかく、政府から屋外でのマスクフリーのアナウンスが発せられたというのにこれはおかしい、はっきり言って異常ではないか。ちょうど今朝のテレビニュースでマスク着用に関してのアンケート結果を流していた。最も多かった意見が感染が怖い、続いては他人の目がある、化粧しなくて済むから、というようなことだった。

 大声でべちゃくちゃ喋りながら歩きたいのなら、マスクは着けなくてはならないし、そうでない、黙って一人で歩いている人は、マスクを着けなくていい、そんな簡単な行動すら日本人はとることができないのだろうか。

 依然としてマスクを着けている人が多いというのは感染への配慮というよりは、日本人の自主性の無さと身勝手さの表れではないかと思う。感染初期にはあれほど渇望したワクチン接種なのに、1回接種が81.7%、2回接種が80.5%、さらには3回接種はわずか57.9%だ。私の生活圏でワクチン接種率が高いとしても、さすがにマスクを着けて歩いている人の全てがワクチンを接種しているとは思えない。もちろん、ワクチンを接種しない代わりにマスクを着けているのだという論理もあるので、どちらが正しいとは一概にはいえないが、少なくとも2回接種した人は3回目を接種して、マスクを外したらどうだろう。

 他人の目があるからというのは、危険な考えだ。ここにはもはや科学的根拠はなく、あるのは同調圧力だけだ。感染拡大初期の段階では、むしろマスク警察は必要だったが、ワクチン接種がある位程度進み、感染機会についての理解も共有されるようになっているのだから、互いが自分で考え節度を持った行動をとったらいい。というよりは、自分で考えて行動しなくてはならない

 マスクを着けてさえいたら自分はコロナ対策に関して無謬であると考えているというのは間違いであり、むしろ感染対策とより自由な生き方というのを日々模索しながら生活することが大切だ。

こっちの方が挫けそうになる

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閑話三題・・・バイデン大統領、ウクライナ侵攻、誤送金

2022年05月24日 | 日々思うこと、考えること
 南風が入ってくるため少し湿度が高くなるようだが、まずまずの天気。出がけに左の靴に小石が入ってしまい、気になったので途中で履き直そうとしたら、靴をひっくり返した拍子に右に入ってしまったように見えた。そんなピンポイントでおこることがあるわけないと、気にせずに左の靴を履き直しいざ歩き出したら、案の定小石が右足の裏に感じられる。少し気持ちが悪いがあとは職場について靴を履き替えるときまで我慢することにした。私自分にとってすらどうでもいいようなことではあるが、解決すべき問題といえば問題である。こういう問題は身の回りに溢れるほどあるが、全てを解決することは不可能だ。

1・・・・・・・バイデン大統領来日
 岸田総理大臣と米国のバイデン大統領との会談ではいくつかの重要な合意がなされたようだ。最も大きな成果は英仏の同意も得られ、来年(2023年)のG7サミットを広島で開催することになったことではないか。先の大戦時には日独伊が枢軸国の主要国であったこと、双方の国が無差別爆撃を行ったこと、米国が原爆を投下したこと、まだまだあるがそういった過去の不幸な出来事、過ちを客観的に受け入れ、世界の未来を考えていくきっかけになってほしい。国連の安保理が再編される時に日本が常任理事国に立候補したらそれを米国が応援するという話も出た。もちろん、そうなってくれたらうれしいが、ちょっとリップサービスが過ぎるのではないか。

2・・・・・・・ウクライナ侵攻3ヶ月
 NHK映像の世紀バタフライエフェクト「スターリンとプーチン」が昨夜放映された。スターリンは名前を聞くだけでもゾッとするほと怖くなるので見るつもりはなかったが、あるブロ友さんが昨夜の放映をぜひみると書いていたので、私もみることにした。ロシア国民に対する暴政はすでに知っていた通りだったが、ウクライナとの歴史的関係についてはほとんど知らなかったので、今のウクライナがなぜここまで抵抗するのかが少し理解できた。旧東欧諸国にしてもロシアすなわち旧ソ連による支配を心底恐れているということも想像できる。ウクライナ侵攻が始まって3ヶ月。反ロシアグループとしてはこのままロシアの国力を奪ってしまおうと考えているのだろうが、政権交代のない独裁政治を目指す国家は他にもあって、なかなかうまくいかない。

3・・・・・・・・誤送金
 山口県で起こった誤送金の問題、ある意味被害者でもある容疑者の青年は全部をスったわけではなかったらしい(決済代行業者の1つから山口 阿武町の口座に3500万円余 返還 NHK 2022年5月23日)。私だったら、それっぽっちあっさり使い切っていただろうにと思うが、代行業者によけてあったとか。いつでも好きな時にカジノ遊びがしたかったのか。何があったかはやはり、本人以外にはわからない。隠蔽していたとすれば悪質だが、町にとっては不幸中の幸いと言えるだろう。でもこれ、詳細はわからないが、被害者ぶっているようにみえるが、24歳の青年の人生を狂わせてしまった町の責任が問われることはないのか、その点をはっきりさせないと、この話の落とし所は見つからない。

どれも一筋縄ではいかない

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合衆国大統領の来日と日本の安全保障と民主主義

2022年05月23日 | 日本のこと、世界のこと
 一昨日の5月21日、米国海軍の原子力空母「エイブラハムリンカーン」が横須賀基地に寄港した。20日に「ロナルドレーガン」が出港したのと入れ替わりだそうで、5000人もの乗組員のコロナ対策が記事に載っていたが、そんなことよりやっぱりこらは大統領の警護のためなのだろうと考える。「終末の日の飛行機」といわれる米空軍の空中指揮機E4B(通称ナイトウオッチ)も飛来しているとかで、合衆国大統領の行幸には一体どれほどの人間が動き、お金がかかるのかと想像するだけでも気が遠くなる。

 日本国内には沖縄、青森、神奈川、東京をはじめ、13都道府県に米軍の施設があるとかで、これに米軍が利用可能な基地を加えるとその数はもう少し増える。先の大戦での敗戦以来、こうして米国に安全保障の首根っこを抑えられているという事実をもう少し客観的に受け入れたらどうなるのだろうと思うが、そのような発言というのはあまり聞かれない。米国は日本国内に基地を点在させており、そんなところで、米国に対してなにかことを企てようとしても何もできないだろう。これは主義主張に関わらない事実で、日本の安全保障というものはここから考えなくてはいけないし、米国が日本につけた鎖を容易に手放すことはないだろう。

 ロシアによるウクライナ侵攻で、米国は日本を守ってくれるか、という話が出てくるようになったが、これは平時にはあまり聞かれなかった議論だ。スウェーデン、フィンランドのNATO加盟問題にしても、その根本原因は、人類はまだまだ戦争を考えたり、実際に行う人間のいる野蛮な種族であるからであって、共通認識に基づく世界平和の実現などまだまだ遠い先の話だ。

 ほとんどの人が平和を希求して生きているという性善説は、数人の独裁者に対してはまったく通用しないということが、今回の件で明らかとなった。欧米の動きはそのことを一早く受け入れた対応だ。日本も今回の合衆国大統領の来日を契機に、これまでの日米安保の精査と、今後の混沌とする世界情勢への対応を練っていく必要がある。
 流れる水は腐らないが、澱む水にはゴミ貯まる、という、民主主義のいいところはまさにこの一点であって、このシステムを維持している限り、希望は残る。
なぜ独裁者を求めるのか

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娘の友人を歓待

2022年05月22日 | 日々思うこと、考えること
 盛りを過ぎたバラの花を6、7輪むしって風呂に浮かべてみたら、いい香りと色とでリラックスできた。
 庭の木にも花がついいて、多くの蜂がやってきている。どこかに持って行かれているのかと思うとちょっと癪に触るので、今度自前で養蜂をしてみようか。
 午前中は自治会というか町内会の仕事で原稿をプリントアウトしたり、ご近所と折衝打ち合わせ。午後からは、娘が留学先でお世話になったというヨーロッパのある国からの留学生が鎌倉見物がてらわが家に来たので、歓待した。娘が世話になったといっても観光地を案内してくれたということだったらしいが、お互い観光地に住んでいるので娘もこんなふうにしてもらったのだろうか。

 日本語を勉強しに日本の大学の修士課程に2年間来ているということだったが、

 日本人はシャイで、シェアハウスに住んでいるのだけど、だれも部屋から出てこないんです。出てくるのは外国人ばかり。

 と、嘆いていた。

 いいところのお嬢様のようで、趣味は乗馬とアーチェリー。戦争の準備ばかりしていますと謙遜していたが、上品で素直な娘さんだった。妻が腕を振るって日本食をいくつか作り、コロ健さんも張り切って炭火焼きで焼き鳥を作った。手土産にもらった日本酒を飲んで眠くなってしまったが、見送って、片付けも手伝った。さあ、明日から仕事頑張ろう。
 
 話してみて実感するが、ヨーロッパというのはいろいろな歴史をもつ国が入り乱れて全体の歴史を作っている。それが今のEUにつながっている。そんなヨーロッパ人を前にすると、日本人のグローバル化なんて夢のまた夢だ。
あっという間の週末

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久しぶりに妻と二人で飲みに出た

2022年05月21日 | 鎌倉暮らし
 ちょっと肌寒い曇り空の1日。

 ブログ書きは最近ややスランプ。仕事も疲れる。自治会仕事ももうテンパイ近い。コロナ・戦争、いろいろ理解できない馬鹿げたことが続き、もううんざり。

 娘が外食するというので、私と妻は二人でダウンタウンへ散歩に出かけ、鎌倉裏駅の居酒屋畦屋で1杯、〆は篝でラーメン1杯。ラーメン屋ではやっぱり飲みに出ていたご近所さんとばったり会ってお互いびっくり。
 本当の〆は雨の中、そろそろ出始めたというホタルを見に行った。今年も無事見ることができよかった。
今日は軽く

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新型コロナの次は、サル熱肝炎。わが日本はどこへ行く?

2022年05月20日 | 日々思うこと、考えること
 昨日の自動車移動は疲れた。混雑していても、人(運転手さん)に任せて体を運んでもらうということのありがたみをしみじみと感じる。とはいっても、車内ではマスクフリーでいられるということで自動車は自動車で悪いことばかりではない。運転しながらのラジオでも聞いたが、屋外でのマスク着用は不必要という提言がなされた(  “屋外で会話少なければ必ずしもマスク必要なし” 専門家会合    2022年5月19日)。私もこのところそのように考えていたので、大いに賛成(そろそろマスクを外していいのでは2022年05月17日 )。早く政府からもそのことを周知してほしい。今後はワクチン接種で対応していくしか防ぎようはないだろうし、打たない人にはマスク着用などによる感染対策を続けてほしい。

 これで、円安をテコにインバウンド需要が飛躍的に伸びてくれると、言うことはないが、今度は別の感染症が欧州で流行し出したとのこと。その名もサル熱(サル痘)。天然痘と同じような症状を呈するそうだが、致死率は高くはないらしい。とはいえ、新たな感染症の出現は経済活動の復活に水を差すことであって心配だ。生物兵器でなければいいがと不安もよぎる。子供には原因不明の急性肝炎が散発的に発生している。ウイルス性かどうかもわからないようで、どこから手をつけていいかわからないみたいで、症例の蓄積が必要だ。肝移植が必要となった症例もあるということで、患者さんが重篤化しないことを願う。

 昨日のエントリーで書いたが、あんな大きなコンテナが世界中を行ったり来たりしていたら、蟻、蜘蛛、蚊、蝿などが紛れ込むのは防ぎようがない。イッツ ア スモールワールド、国境にも意味がなくなりつつあるのに、無益な争いが後を絶たないのはなぜか。原因の多くは独裁者の個人的わがままだが、他にも宗教、民族などいくらでもある。解決策としては言語の統一があるだろうが、それだと神様に楯突くようになって却って怒りを買うことになりそうでそれも容易ではない。日本に住んでいる人の多くは日本語を母語としているが、それが民族が一つであると言うような勘違いはせず、それなりにいくつもの民族が共存していると言う自覚を持っていなくてはならない。

 まさしく激動の世界。新型コロナウイルス感染症対策に加えて、世界戦争という大変な危機への対応を迫られ、現政権はお気の毒だが、政治家としての腕を振るうことのできる千載一遇の機会でもある。今のところ米国と同じグループで動いているが、その動きを批判する勢力政党がないということは、無難にこなしているということだろう。今日から米国の大統領が韓国日本にやってくるが、そこでどのような話し合いがなされるか注目し、日本の行く末を考えながら我が身を処していく必要がある。
先行き不透明

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高速道路はグローバル

2022年05月19日 | 日々思うこと、考えること
朝からJRが止まってしまい、いろいろあって車で移動。
おかげでブログを書く暇がなかった。いつもと違った状況で、何を書こうかと思ったが、そう簡単には思い浮かばなかったが、だが、高速道路の車窓を眺めて再認識したことがあった。

トレーラーが積んでいるコンテナ。ちょっと車が動かない間、その背中に書かれているのを読むが、どれも世界のどこからやってきたのかわからない”地名らしきもの”の名前が書いてある。コンテナのサイズは国際規格に則っているので、国内のトレーラーにも問題なく載せることができる。そんなわけで世界中のどこかからきたものであっても、国内では同じように取り扱われる。すぐ目の前のコンテナはどこからどこからやってきだろうと考え、こんなに身近にグローバル化があるのだと目の当たりにするとこれもまた面白い。
これは世界のどこからか

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