こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ナイトにお見舞い

2018年10月31日 | 犬との暮らし

クレートをどかし、クッションを直置きにするようにしたらそちらの方が気に入ったらしく、ナイトはもう使わなくなった子供用ハイチェアの背中に頭を突っ込んで寝ている。朝、私が起きてきてもクッションからなかなか離れようとしない。出かける段になって声をかけると慌てて起き上がり、一緒に出かける。

妻の学生時代の友人がナイトのお見舞いに来てくれた。彼女はナイトとは大の仲良しのシベリアンハスキーを飼っている。ただ、ハスキーには日本の気候は辛いようで、やっと最近元気が出てきたらしい。

ナイトへのお見舞いにと持ってきてくれたのが、ジャンボソーセージ風ドッグフード(Butch)。なんとも豪華な風情で、ナイトも自分のものだとわかって少し興奮している。

私が帰るのを待っていてくれた妻が一食分切り分けてナイトに食べさせてやったら、ムシャムシャとあっという間に平らげてしまった。今日1日あまり元気がなかったらしいけど、一気に復活したみたいだ。

この前から少し舌の赤みが戻ってきた。抗がん剤の副作用の一つである貧血が改善してきたように見える。

あと何日生きてくれるかわからないけど、こういう時はとても元気になるので、たまにはこんな贅沢も悪くはないのかと思う。

ドライフードと半々ぐらい

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他人のそら似か本人か

2018年10月30日 | 日々思うこと、考えること

夜、都心に向かうすいた電車に乗っていたら、どこかで見たことのある人が、二つ先のドアから乗ってきた。あれ、誰だろうと思いを巡らすと、ああ、大学の同級生だ。

卒業以来会っていないと思うが、学生時代はよく一緒に飲んだ仲。でも、本当に本人か、いまひとつ自信が持てない。とにかく、本人であることを確認しないといけない。SNSにはよく写真付きでアップしているので、本人の風貌が学生時代とあまり変わっていないことはわかっている。遠目にみると顔の輪郭は本人そのものだけど、髪の濃さが違うような。年相応といえばそうだし、そうでないといえばそう。一日、仕事をした後だから疲れているのかもしれない。

メッセンジャーを使ったらいいのかもしれないけど、違っているとなんだか間抜けだ。ウェーブ、というのを送ったら、しばらくたってスマホを見ている。多分本人なのだろう。でも、ウェーブというのを送った後、先方にどう届いているのかよくわからないので、確信とまではいかない。電子データは、送るのは勝手だが、受け取る方がどう受け取っているのかは不明な点が困る。今度会ったら、ラインで連絡が取れるようにしておこう。

私の座っている方を眺めてくれるが、私には気がついていないようだ。彼の勤務先はこの辺りというのもSNSで読んで知っていたが、私がこんなところにいるなんて思いもしないだろう。結局、下車駅まで来た。そうしたら、一緒に降りることになった。意を決して名前を呼ぼうと近づくが、近寄ってみると本人ではないかもしれない。私と話すときはいつも笑顔なので、その印象が強く”普通の顔をして”歩いている彼の顔が想像できない。それでもと思い、名前を”控えめに”呼んでみた。

反応なし。というか、蚊の鳴くような声で、相手にどとかなかったのだと思う。

電車を乗り換えて、メッセージを送ってみたら、「それ、多分自分です、無視するようになって申し訳ありません。今度お会いしたら軽く一杯やりましょう」という返事が来た。

彼は、その後会議があって、どのみち旧交を温めることはできなかった。厳しい顔をしていたのも、仕事を控えてたら当然だ。それでも、もう少し勇気を出して声をかけておけばよかった。

懐かしい人と会う時、あの頃の自分と今の自分を比べて、昔より少しマシになっているかどうか考えてみる。学生時代よりは今の私は多少マシになっていると思うから、わざわざコソコソする必要はないだろう。

結局のところ、彼に声をかけそびれた私が発した声の大きさはどんな思いの中で調整されて出たものだったのだろう。

彼と会うことはまたあるか

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憎しみから生まれるもの

2018年10月29日 | 生き方について考える

わたしには以前嫌いな人がいた。嫌いだと思っていたけれど、そういう人とは付き合わなければいいと知ってからというもの、嫌いだと思っていた人に近づかないようにしていたら、いつしかそういう感情は薄れた。そういう感情は薄れたけれど、嫌いだった人たちとまた会いたいとは思わない。

憎しみとか怒りというものはそういう感覚を持つ人に快感を与える。自分の頭の中で相手を罵倒し、辱めることで、全能感を得る。個人の妄想である限りはそんなことしてはいけないなどというとはできない。人が何かを考えることは自由だし、それを表現することだって止めることはできない。でも、その考えが単なる表現の域を超えて他人に害を及ぼすようになったら、それは迷惑だ。そして、それはすなわち犯罪となる。

アメリカで今度はユダヤ教の礼拝所で銃が乱射され、11人もの人が亡くなった(米・ユダヤ教礼拝所で銃乱射)。ヘイトクライム、という類の犯罪だそうだけど、何もしていない人が憎悪のためだけに殺されるというのはなんとも許しがたい。

世界に渦巻く憎悪の嵐はとどまるところを知らない。民主主義のお手本だったアメリカがその中心となっているのはなんという皮肉だろう。ブラジルでも極右政党の候補者が大統領となった(ブラジル大統領選、極右ボルソナロ氏が勝利)。南米最大の民主主義国家も憎悪の嵐に巻き込まれることになるのだろうか。

日本でも様々な憎悪が渦巻いている。小馬鹿にした蔑称をつけて特定の人を差別して、本人は楽しいかもしれないが、それで何が得られるのだろう。憎しみとか蔑みからは何も生まれない。

もう、止めようないのか

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秋晴れ、のんびり

2018年10月28日 | 日々思うこと、考えること

穏やかな秋晴れの1日。

気温は21度ほど、湿度も低くとてもすごいしやすい。

息子は大学に出かけてしまった。妻と教会のバザーに行った。Norwichにいる娘に日本のものを送ろうと、寄付がてらレトルトの日本食を買った。それからレンバイまで足を延ばし、野菜の苗と野菜を買った。秀吉で、焼き鳥も買った。


鎌倉は今日も多くの観光客で賑わっていた。あまりの人の多さに疲れてしまい、午後2時ごろには帰宅。昼食はベランダで焼き鳥丼。

何もしないでいることができるというのは、贅沢な話。

何よりも、心が休まり、体も休まる。

スマホを開くと、今日もまた仕事の連絡メールがきているけど、できることは明日に回そうと思う。

明日からまたしっかり

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人はいつか死ぬ・・・One day we will die.

2018年10月27日 | 生き方について考える

長く生きていると、多くの人と死別する。50過ぎともなると多くの訃報を聞いてきた、数え切れない。それは親族であったり、先輩であったり、政治家とか芸能人ほかの有名人であったりする。年齢的なことがあるのだろうけど、友人の訃報は幸いまだ少ない。亡くなるのは親の世代だ。私にしても両親の体調がちょっと悪くなったなどという連絡を受けると、その都度心配する。

まだまだ元気だっと思っていた人が鬼籍に入ったことをふとしたタイミングで聞かされると驚く。昨晩、ある方の葬儀があった。ほんの数週間前にお会いした時にはお元気そうにしておられた。突然亡くなられたそうだ。葬儀場で会った誰もが突然のことに言葉を失っていた。”まさか自分は”と思うけれど、”次は自分”という心構えが必要なのだと思い知らされる。

生きるということは、まったく真っ暗なトンネルを歩いているようなもの。突然死ぬなんていうのはトンネルの外からダイダラボッチが突然手を突っ込んできて、トンネルの外に引き出すようなものだ。死ぬ人は、トンネルの外の明るい世界に出してもらうのでいいけど、残された人は不安になる。そうやって、残された人たちは暗闇の中を日々生きていかなくてはいけない。生きていく上で、確たる拠り所なんてないけれど、それでも生きていかなくてはいけない。

人は、いつか必ず死ぬ。でも、それは今でない。

死ぬ時までは、自分は生きているのだという実感を持って生きていかなくてはいけない。

人生は一度しかない

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命を守っているという意識

2018年10月26日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

病理診断をしていて、少し難解な症例の診断書を書き上げ、やれやれと思ったあと、サインアウトする前にもう一度見直したらちょっと怪しい所見が出てきた。そんな時にそれをめんどくさいからとか、診断を始めてからずいぶん時間が経ってしまっているからなどという理由で診断を終わらせることはできない。

なぜなら、そんないい加減なことをしたらその患者さんへの治療方針が変わってしまうかもしれないからだ。考えていたよりも状況は悪くて、強力な追加治療が必要なのに少し軽いというような診断をしてしまったら、そのまま放置されてしまうかもしれない。逆もある。患者さんの診断に病理診断は重大な役割を持っているが、もちろん臨床医と協力して診断を進めているので、病理だけが暴走するということはないが、それでも患者さんは迷惑を被ることとなる。

免震や制振用オイルダンパーの検査データを改ざんしていたという報道を見て、いい加減な病理診断に通じるものを感じた。納期に間に合わせるため、なんてまったくの言い訳だ。できないならできない。それほど重大な仕事なのならば高い金をとって人を多く雇ってやらなくてはいけないという話だ。方向がどこでどう逸れてしまったのかわからないが、真実はいつか明らかになる。なんでそんなことがわからなかったのだろう。それが今回の会社だけではないということが深刻だ。私自身だって人ごとではない。上にあげたとおり、忙しいだのなんだのと理由をつけて、いつ"いい加減"の誘惑に襲われるかも知れない。病める人の命を守っているのだという気持ちを忘れず、真摯に仕事をしていきたい。

 

日本の劣化は底なし

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海外に出て見聞を広めることのすすめ

2018年10月25日 | 日本のこと、世界のこと

若い人の留学数が減っているそうだ。現実問題として資金不足で、海外に行きたくても行くことができないというのが最大の理由のようで、実際は留学したいと考えている人は少なくないようだ。「内向き志向」なんて言い方をするが、若者に海外に”行かせてあげる”ことのできなくなった大人=日本社会、の言い訳のような気がする。もう一つの理由として社会が若い人を急がせているということもある。人手不足からだろうけど、若者をどんどん囲い込んで、”のんびり”勉強する暇も与えない。人間の20代は見聞きすること全てが人生の糧であって、悪いこと以外ならなんでもしていい。海外留学なんて悠長なことを1年、2年やっていたらどんどん周りから取り残されてしまう、そんな空気を”大人=社会側”が醸成しているのではないか。

こんなことを考えたきっかけは、もちろんシリアで拘束されていたジャーナリストが解放されたという報道を見聞きしてで、”島国に住む日本人が海外に出て行くことの意義とは何か?”と思ったから。件のジャーナリストがずいぶん叩かれているらしいが、彼は『虎穴に入らずんば虎子を得ず』を地でいっただけで、ジャーナリストであれば”真実”という虎の子を得るには、紛争地域であっても危険を顧みずにそこに乗り込んで行かなくてはならないと考えたのだろう。そう考えた人を叩くのは、弱い者いじめに過ぎない。

危険の有無にかかわらず、なんにしてもそうだ。海を隔てているとはいっても、地球上にいるのは日本人だけではない。世界で起きていることは、テレビやスマホのモニターの中で起こっているのではない。難民にしても、紛争にしても、全ては地球上の同じ時間に生きている人間が実際にやっていることだ。無事帰国したら、拘束されていた期間のことをぜひ世に知らしめて欲しい。

一般の人は、危険な地域に足を踏み入れる必要はない。それでも、”日本以外”で起きていることを知る必要はある。でも、日本にはそのチャンスが少ない、というか、システムが無い。これから医者になろうという人にも留学のチャンスは少ない。医学部6年、初期研修2年、後期研修3年を終えたら、たとえ”現役”で入学しても29歳になっている。この間にお金を貯めて、1年でも2年でも留学して見聞を広めるということになるが、留学をバックアップしてきた大学医局が解体されつつある状態では、なかなか難しい。それでもやっぱり、ほんの少しでも留学するチャンスがあればその機会を逃さず海外に出て欲しい。

ものづくり大国、という評価が、自画自賛でしかなかったことは、大企業による相次ぐ偽装工作の発覚で明らかになった。いつの間にか日本国内でタコツボ化した企業風土がこうした風潮を生み出したということだろう。このことについてはこれまで何度か書いてきたが、不祥事は後を絶たない(日本企業の金属疲労 2018年03月01日)。海外で何が起きているのか、海外からだと日本はどう見えているのか、ということを知るだけでもずいぶん違う。海外に出て見聞を広めるということはとても大切なことで、そうしようとしている人を応援して、送り出すという気持ちが私たち年配の者には必要だ。

皆が日本代表

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書きそびれ

2018年10月24日 | 日々思うこと、考えること

いろいろなことがあった上、仕事も忙しくて大変な1日で、今日のブログを書きそびれてしまった。
帰ってきたけど、ブログを書く気力は残ってなくて、今日はこれだけです。

おやすみなさい。

写真は今朝の

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遅かれ早かれ決めなきゃいけない

2018年10月23日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

人生の岐路というのはある日突然やってくることになっていて、気がついたらいつのまにか決断を迫られている。

小説によく出てくる、「その日は突然やってきた・・・」というやつだけど、「実はこれには伏線があったのだった」なんて説明があとからされる。そして、それがハッピーエンドの話だったら幸運の女神が隠れていたり、サスペンス小説だったら巧妙な罠だったりする。

決断を迫られる時がきたら、とにかく決めなくちゃいけない。決断をすることで迷惑をかける方があるかもしれないが、決断をすることで助かる方もある。決断しないでいると両方に、すなわちその倍迷惑をかけることになる。どっちつかずは良くない。どうせしなくてはいけないことならば、さっさと済ませてしまった方が良い。短慮は慎まないといけないけど、熟慮も度が過ぎては一利もない。

”決断する”というのは少なからず、”エネルギー”というか大きなものを動かす”力”が必要となる。ただ、それは物理的にどうこういうものではなくて、心の問題だ。結局のところ、人間としてわけもわからない暗闇の中で動いている限り、誰がどうした彼がどうしたということは瑣末なことだ。他人がどうこう言おうが、それはその人それぞれの意見だ。その証拠に10人が10人同じことを言うわけではない。そうすると頼ることができるのは結局は自分の考えしかないこととなる。

いろいろある

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どこかで聞いたような話

2018年10月22日 | 鎌倉暮らし

ここ数週間、月曜日になるとその後の一週間を乗り切ることができるか不安になっていた。前の週の土日がなかったりとかして、疲れたなー、と思いながら出勤していたのだからそうだったのだろう。挙句、帯状疱疹を発症してしまった。幸い、治療療養の甲斐あって、ほぼ完治したようで、久しぶりに元気な月曜日を迎えることができた。そうはいっても右胸がまだ少し疼くのは、今朝のような13度という寒さのせいだろうか、油断してはいけない。


週末に、鎌倉駅近くの蕎麦屋に行った。以前はうまいラーメン屋のあったところだったのだが、そのラーメン屋が店をたたんだ後に蕎麦屋が入った。店主は小町通りのうどん屋「みよし」で美味しい天ぷらを揚げていた人で、独立し、念願の蕎麦を出す店を手に入れたそうだ(今日も鎌倉は混んでいた・・・2013年06月30日 )。ラーメン屋の頃から店はちょっと狭かったのだが、店主が替わってしばらくしてから改装した。改装後なかなか訪れるチャンスがなかったのだけど、先週末は好天であり、体調も回復していたおかげで、久しぶりに鎌倉の雑踏に出ることができ、案の定うまい天ぷらとそばに舌鼓を打つことができた。

店主と店員の二人でやっているが、ずいぶん混むようで、「とくに土日は互いに話す暇もないぐらい(忙しい)んですよ」とぼやいていた。それを聞いて、どこかで聞いたような話だと思い、忙しすぎると体は正直だから体調を崩すから気をつけるようにと、老婆心ながら忠告しておいた。あの店の蕎麦を食べられなくなったら、大変だ。うまい蕎麦を打って、美味しい天ぷらを揚げる店主には元気でいて欲しい。そんなわけで、これ以上混んでも困るので、お店の名前も場所も書かないでおく。

でももう、すでに人気店

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ほぼ完調

2018年10月21日 | 日々思うこと、考えること

やっと外へ出る元気が出てきた。帯状疱疹はほぼ完治したようだ。ひょんなことから動物園に行くことになって、しばらく歩いた。

体調が悪いと何にもする気が起きない。どこかへ行く気も起きなかったのが体調不良のせいだったとは、体調が悪い間は思ってもいなかった。

体力、免疫力が急速に落ちてきたのが9月に入った頃で、その後カンボジアに行って、帰ってきたら発症した。

3週間前に皮膚科にかかって、帯状疱疹の診断。それから1週間、抗ウイルス薬を飲んだ。痛みは1週間でほぼ消えた。

ずいぶんひどかったので、手遅れかと思っていたのだけどかゆみもほぼなくなった。

この間、何もする気がおきないでいたが、それが昨日今日、外に出かける元気が出てきた。これが復調ということなのだろう。

明日からは元通りになるかな。

とりあえずよかった

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鎌倉にあるあちこちの穴

2018年10月20日 | 鎌倉暮らし

鎌倉で散歩をしていると大きな深い穴が掘られている空き地にしばしば出会う。古くなった家が取り壊され、次の家が建つだろうと思っていると、その前に深い穴が掘られる。二十数年前に鎌倉に越してきたばかりの頃、東京者の私にはこれが一体なんなのかわからないでいたのだが、妻に教えてもらって合点がいった。なんと、家が取り壊されるて更地になるとそこを発掘調査するというのだ。

出土するものはたいてい鎌倉時代の土器、陶磁器、瓦とか遺構などの歴史的なものだ。それでも、古戦場のあったところでマンションを建てた時には大量の人骨が出たとか、長谷の方では鎌倉時代以前の人骨が出たとか、インパクトのある話を聞いたりする。建築業者も大変なようだ。それもそうで、発掘調査費用は地主負担だけど、出土品は市のものになるそうで、工期を考えると結構なリスクだ。

幸い、私の家は、すでに発掘調査が終わっていたところだったので助かったが、時々、更地にだけなってそのまま計画が頓挫している土地をみる。土地を購入したはいいけど、地主が発掘調査費用を出せないで困っているのかと思うと、ちょっと気の毒になる。

発掘調査が終わったら、この穴は埋め戻される。

文化財は大事です

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涼しいというより、ちょっと寒くて

2018年10月19日 | 鎌倉暮らし

この前の台風による塩害で、鶴岡八幡宮の段葛の桜の葉はほとんど落ちてしまった(秋の空に鳥の声、木々には塩害の痕 2018年10月15日 )。たまには外食をしようと妻を誘って駅近くの店で飲んだ帰り、残っている葉を探してみるがなかなかみつからない。私の場合は酔眼で葉が良く見えなかったのかもしれない。

そんなでも、少なくとも、真ん中から海側では、葉っぱが残っていないことは確かなようだ。

八幡宮の方へ向かうと少し残っていたが、それは海から少しでも離れているからだろうか。例年ならこの時期の段葛はもっと青々としていた。鎌倉の紅葉は11月下旬に始まるので、今年のような丸坊主はとても寂しい。

(2014年10月、改修前の段葛)

気温はぐっと下がってきて、朝は15度前後。涼しいというよりは肌寒い。空気も乾燥してきて少々喉が痛い。風邪をひかないように気をつけよう。

この気温に加えての塩害による落葉。今年の鎌倉の冬は気温以上に早くやってきそうだ。

月と火星が大接近

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ナイト、血管肉腫に対する化学療法2クール目

2018年10月18日 | 犬との暮らし

このブログをよく読んでくれている学生時代の友人が、「ナイト君のこと、心配です。もっともっと回復しますように」とのはげましのメールを寄こしてくれた。ご近所の犬友達や、老人ホームに慰問に行っていたころの仲間など多くの方がナイトの回復を祈ってくれている(ナイトの仕事 2013年11月23日 )。

わが家のフラットコーテッドレトリバーのナイトは2クール目(2回目)の化学療法を一昨日受けた。ドキソルビシン(アドリアマイシン)単剤の投与で、犬の血管肉腫に対しては標準的な治療法とされていて、余命の延長が期待できる。核酸(DNA, RNA)合成阻害薬で、ヒトでも適応疾患の種類は多い。副反応は下痢、感染症。下痢は消化管上皮の再生が抑制されるからだろうし、感染症も骨髄抑制が原因となる。とくに怖いのは骨髄抑制で、これは白血球や赤血球、血小板といった血液を構成する細胞の産生が抑制されることで、感染症のみならず種々の全身症状となって現れる。

ナイトは昨日で投与後2日目。まだ、消化管症状などが出現する時期ではないが、ずいぶんだるそうにしている。これも副作用だろう。昨晩、居間でスマホをいじっていたら足元に近づいてくるので、床に座って相手をしていたら、やがてスネの上に顎を乗せてじっとしている。風呂に入ろうと思ったのだけど、そうもいかず、10分ほどじっとしていた。写真を撮ってもじっとしている。急に頭を上げたので、ようやく何処かへいくのかと思ったら今度は体勢を変え、太ももに頭を乗せてきた。耳の下を撫でてやっていたら気持ち良さそうにいびきをかきはじめたので、そもまましばらくじっとしていた。

明日あたりから、消化器症状と貧血が出現する。初回の化学療法では貧血はあまり起こらなかったし、下痢もほとんどしなかったので、今回も乗り切ってくれるだろうと期待している。でも、この先これがあと4クール(4回)あるのかと思うとかわいそうになる。

人間も生きるために抗がん剤治療を受ける。もちろん、人間にとっても感染症との闘いは厳しい。命の危険に晒されることすらある。がんとの闘いは、まさに死闘だ。

でも、その闘いを乗り越えれば、大好きな人と一緒にいることのできる時間は延びるし、そのまま完治することだってある。生命の質をあれこれいうことはできないが、生きていたい、生きていて欲しい、という生命をいたずらに放棄する必要はない。

みんながんばれ!

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開けてびっくりToDoリスト

2018年10月17日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

ここのところ、体調不良だったので先の仕事のことをあまり考えないでいた。いつまでもそうしておくわけにもいかないので整理してみたら案の定たくさんあって、ToDoリストがあっという間にいっぱいになってしまった。さしあたって、まずは溜まっていたメールのお返事を丁重にお返しした。あとは講演とか原稿の確認。どれも締め切りは少し先なので、まあまあ余裕があるのだけど、いっぺんにきたらやはり大変だ。

直近の発表というか準備が必要で人前で話すことではまず病院のCPCが12月の初頭にある。難解な症例なので大変。そろそろ準備を始めようと思うが、その疾患関連の研究はどうなっているのだろうか。

学会の抄録が2本。いずれも講演だからちょっとボリュームがある。そろそろ内容を刷新しないといけないと考えていた領域の話題なので、ちょうどいいといえばちょうどいいので、これまたまずは勉強しないといけない。来年の病理学会はどうしよう。

1月に締め切りの依頼原稿というのがあって、一体何を書いたらいいのかわからず困っていたのだけど、どうやらもっと一般論化して良さそうなので、そちらにシフトすることに昨晩決心した。編集の先生に差し戻されてしまうかも知れないが、まあとにかくやってみよう。

おかげさまで、帯状疱疹の痛みはほとんど消えて、あとは痒みだけ。今回はなんとか乗り切ったようだけど、今週いっぱいはあまり焦らずに過ごそうと思っているのだけど、夕方になったらまた一つ依頼が入った。ちなみにこういった仕事は、仕事といってもほぼ無償で、実費すら出ない。まさに貧乏暇なしだ。でも薬屋さんとかの紐付きではない分、自分の考えたことを述べることができるので精神的なストレスはない。でも、やっぱりプレッシャーは大きい。

どこまでも追いかけてくる

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