こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

AIと病理診断(下)

2018年11月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

”ダビンチ手術”というのがある。da Vinci Surgical System(ダ・ヴィンチ・サージカルシステム、ダ・ヴィンチ外科手術システム)という、アメリカで開発されたロボットを使っての手術のことをいう。日本で保険収載されているのが、前立腺癌に対する手術。前立腺という臓器は骨盤底の奥という狭くて容易に手を突っ込むことのできないところにあるのだが、ロボットの力を使うことによって狭いところに入ることができるようになり、従来よりもはるかに侵襲の少ない方法で手術を行うことができる。この技術はそもそも戦争の時に遠隔操作で手術ができるようにするという発想が元だったらしいが、平時の医療現場にも外科医の存在が不要になるかもしれない。

戦場ではないけれど、一般社会でも医者そのものの仕事がAI、ロボットによって代行されつつある。医療の均てん化というのは、医療の地域格差の軽減であり、最終的には医者ごとの能力差の解消というのが目的となる。一般的な医者なら同じような診断、治療を行うことができるようになるに違いない。

スマホカメラの進歩も著しいから、そのような画像診断を組み合わせたら、トリアージぐらいはスマホ経由で医療AIを搭載したロボットがやってくれるようになるかもしれない。そうしたら、救急医療の現場の負担も随分減るだろう。働き方改革にもつながる。

多分そこで問題になるのは、AIを使って医療を行う医者ではなくて、AIが対応できない事象に対応できる医者の育成だ。どの程度のことをAIにやらせるようにするのか、AIに何をやらせるのか、そういったことを考えることのできる医者は一定数必要だ。そのためには、結局のところ医学部教育は必要となる。

病理の業務は数年のうちにAIが導入され、働き方は大きく変わっていくだろう。ただ、病理医が扱うのは人間の体から採取された臓器。どういう角度から見て、どういう切り出しを行なって、その疾患の診断、治療、病態解明につながるかということを考えながら研鑽を積み仕事をしていかなくてはいけない。

まとまりのない話になってきてしまったけど、このテーマ、現在の様々な医療技術の進展状況を検討して述べなくてはいけない。量としては新書1冊分ぐらいになってしまいそうな話で、こんきも1、2回で済ませることのできるようなものではない。それに、このテーマ、2、3年先には予想とは違う展開となっているだろうから、大恥をかかないうちにこのくらいにして今日のところは終わります。

なお、病理学会のAI導入についての取り組みに興味がある方は、病理画像情報集積プラットフォーム構築事業のページを参照願います。

大阪万博の頃にまた書くか

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パンドラの箱を開けてしまった人類

2018年11月29日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

パンドラは災厄の詰まった箱を、ただ単に彼女の好奇心から開け、箱の中に詰まっていたほとんどすべての災厄は地上に撒かれてしまった。慌てて閉めたけど箱の中には希望しか残っていなかったという。

先日、中国の科学者がHIVウイルスに攻撃されないようにゲノムを編集した受精卵を作製して、出産まで至ったことを公表した(ゲノム編集で双子女児誕生と報告)。ゲノム編集はそのうち誰かがやるだろうと思っていたが、いよいよやったかという感じ。受精卵に手をつけ、それを子宮に戻して産んでいいとなったらもうなんでもありだ。議論はやがてなし崩しとなり、10年も経ったら多くの新人類が”作出”されているのではないかと心配になる。

 

父親がHIV感染者だから、そこからの感染を防ぐためだという、今回の研究者の説明は単なる言い訳だ。そんなこと言い出したら、顧客(親)の希望で、どんな子供もできてしまうことになる。もともとなんらかの遺伝子が欠損しているとか、異常があるからということでそれを”正常”の配列にする、ということならばまだしも、新たな遺伝子配列を加えるというのは”これまでとは別の”人類を生み出したということになる。そのうち、フランケンシュタインのような人間が増えて、その遺伝子が拡散してと考えだすと将来は暗い。

”ゲノム編集技術”が人類にとって福音となるのか、それともその先には災厄ばかりが詰まったパンドラの箱となるのかは今の所わからない。その結果が出るのは数世代先、200年後ぐらいだろうか。でもその頃にはこの技術は当たり前となっていて、倫理観もそれに合わせて変わっているかもしれない。何れにしても、いよいよ人間の技術が神が与えてくれた初期のものから完全に離れつつあるということになる。人類はついに自らその道を選ぶことになってしまったわけだがそれでもいいという覚悟があるとはとうてい思えない。

これを突然変異と考えるか

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愛と離婚と卒婚と

2018年11月28日 | 愛と女性とジェンダーと

最近、”卒婚”という言葉があるそうだ。テレビの解説をみると離婚しないまま別居するような形で、夫婦が別々の生活をしていくというようなことらしい。また、離婚を卒婚に言い換えている人もいるようだ。離婚というと人聞きが悪いからこう言うのだろうか。私は初め後者だと考えていた。

別々に暮らすのならば、結婚という契約状態を維持する必要は無いように思うが、一旦契約すると反故にするのは難しい。離婚したことがないのでよくわからないが、ずいぶん労力を使うということよく聞く。私の知人でも、離婚経験者はたくさんいるが、大変だという割に、離婚で手に入れたものの方が大きいようで、離婚してよかったと異口同音にいう。当事者にしてみたらそうまでしてもするべきことなのだろう。離婚しない状態で別居するパターンの卒婚は、離婚が面倒くさいからこのままでという判断なのだろうが、離婚に比べると中途半端感は拭えず、さらには老後の財産管理とか、遺産相続などで夫婦のどちらかが苦労してしまうようなことがありそうで、人ごとながら心配になる。大きなお世話だろうが、子供がいたら、その子たちが気の毒になる。

”愛”というのは、利己的なもので、愛する以上は相手からも愛されることを求める。どちらかの愛が薄れた場合、愛されていない人のことを愛するのは苦しいから、一歩間違うと憎しみにもなる。結婚は契約だから、愛情が無くても結婚していい。そうはいっても契約だから相手に対する責任や義務が生じる。当たり前だが結婚はよくよく考えてからしなくてはいけない。結婚の多くは愛情があってするものだから、愛の切れ目は離婚となる。でも、愛が切れていても結婚を継続している人はたくさんいる。そういう夫婦には宙ぶらりんな卒婚という形はいいのかもしれない。

男と女では相手への愛情表現の仕方が違うが、これはもう生物学的な問題になるで仕方がない。そういう点までも理解した上で、夫婦生活を続けるというのが卒婚だということなのだろうか。私としては離婚にせよ、卒婚にせよそういうことには至らないようにしたい。

一度、誓っていますので

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AIと病理診断(上)

2018年11月27日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

オックスフォード大学の研究者が発表した、将来コンピューターにとって代わられる職業というのがある。

下の表がそれ(週刊現代)。ここにある仕事は90%以上の確率でコンピューターによって代わられるというのだ。

医師の仕事もいろいろあるが、私のような病理医の仕事というのは基本的にはこの表の中ほどにある検査、分類、見本採取に相当する。

検査はすなわち顕微鏡で診断する病理診断、分類は診断に付随してくることだからこれもコンピューターがやってくれる。そして見本採取は手術材料の切り出し業務とかになるか。これだけ見たらこの間、「病理の仕事って、医者がやることなの?」と聞いてきた友人の言い草も納得できる(今さらながら落ち込んだ)。

慢性的な病理医不足状況を打破するために日本病理学会でもAI導入を進めている。”ひとり”病理医を救済するためにAIを導入して診断補助をさせるということだ。確かに、膨大な画像データを集積し、ディープラーニングによってパターン分類以上の診断を行ってくれたら、随分助かる。何よりも見落としがなくなるはずだ。AIは自律的に学んでいくから、それぞれの施設のデータを集積したらあっという間に”標準的”診断基準ができて、いちいち癌取扱規約の写真と絵合わせをする必要もなくなる。

切り出しにしても、AIと相談して「この病変を切り出しておくように」とオーダーすればその通りカットしてくれて標本まで作ってくれるだろう。病理医の仕事はその確認だけとなる。AIに無駄な切り出しや染色をやらせないように、医療資源のコントロールをすることが仕事となる。

AIが網羅的に鑑別診断を挙げて、病理診断でより細かい診断ができるようになれば、それぞれの患者さん独自の癌診断ができるようになるかもしれない。この人の胃癌はこのタイプ、あの人の胃癌とはここの遺伝子変異が異なるから、抗ガン剤の配合を少し変えよう、なんていうことにもなる。まさしく、オーダーメイド医療が実現されることになる。

日々、病理診断業務に忙殺されている状況から、このようなことを考える、新たな病理学の展開を行なっていくことができるということで、病理医にとっては歓迎すべきことだ。(続く)

忙しすぎる

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11月は士月

2018年11月26日 | 日々思うこと、考えること

11月最終週。昨晩は”下町ロケット”を観たあとすぐに寝たのだけど、それでも旅の疲れはまだ取れていない。

11月は二四六九士の士月で、30日しかない。1日というのはとても大きく、残すところ今日を入れてあと5日。毎年、11月というのはいつの間にか過ぎてしまうけど、今年もやっぱりそうなりそうだ。でも、このまま何事もなく静かに過ぎていってくれるというのも幸せなことなのかもしれない。

仕事は色々山積みだけど、一つ一つをおろそかにしてはいけない。後悔するのは結局自分自身。。今朝も随分冷えたいたから、体調管理もしっかりしながら12月に突入しよう。

まずは病理学会の抄録から。

密度の高い毎日を

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井伊谷奥浜名湖ツアー

2018年11月25日 | 日々思うこと、考えること


朝からいい天気。気温は10度を切っていて、結構寒い。

浜松には航空ショーでブルーインパルスが来ているとのことでそれも観たかったが、班会議スピンオフ勉強会参加者一行は奥浜名湖ツアー。
昨夜は夜中遅くまで勉強したのでずいぶん眠かったが、あちこち珍しいところを訪ねることができた。

まずは、NHK大河ドラマ、おんな城主直虎で知られる井伊谷龍潭寺。出家した次郎法師が修行したのがここだそうだ。

なかなか立派なお庭があった。あと2週間ぐらい後だったら、ドウダンつづじの紅葉も随分美しかったろう。

ドラマの中では随分田舎だと思っていたが、やっぱりそう。この辺りは、ずいぶん山深く、隠れ里だとかそんなのがあったのがよくわかる。
次に行ったのは観光鍾乳洞の竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)。歩くことができるのは400メートルほどだが、ちょっとした探検気分を味わうことができた。

最後に訪れたのは山奥の方広寺。
深い谷越しに立派な本堂が見える。

精進料理をいただいた。

帰りは、天竜浜名湖鉄道で気賀から掛川。気賀というのは随分奥まったところで、そこからローカル列車に1時間半揺られたらお尻が痛くなった。

掛川からこだまで帰る。

途中、赤富士が見えました。

なんだかベタな旅行記で

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班会議の勉強会 at 浜松

2018年11月24日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

鎌倉を出るときに横須賀線が止まって1時間後の新幹線で浜松へ。準備時間はけっこうあると思っていたのだけど、以外と早く浜松に着いてしまった。
班会議といっても今回は勉強会。いつもの会議と違って、いわばスピンオフ。日頃疑問に思っていること、研究で行き詰まっていることなどを持ち寄って、ざっくばらんに意見交換した(のは私だけかな)。

12名の参加者全員がそれぞれ発表し、結局、終わったのは日付が変わっていた。そのあと書いたのだけど、この記事は24日ということで掲載しておきます。

みんなよく頑張っている

 

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ボヘミアン・ラプソディー

2018年11月23日 | 読書、映画、音楽、美術

あんまり元気のない私のことを心配した妻が、気分転換に映画でも観ようと言ってきた。そこで昨晩、仕事帰りに観たのがQUEENのフレディー・マーキュリーの半生を描いた「ボヘミアン・ラプソディー」だった。QUEENのデビューは私が8歳の頃。ちょうど中学に入った頃、QUEENの曲の中で2番目に好きな「手を取り合って」が入っている、「華麗なるレース」がリリースされた(1976年12月)。「オペラ座の夜」の白ジャケットと対になっていて、ずいぶん洒落たジャケットだと思っていた。

この頃は、まだミュージック・ビデオなんてライブ映像をそのまま流していたから、ちょっと暗めの映像の中でフレディーが「テウォトリアッテ、クォノマーマイコー!アーイスールヒトヨー」と歌っていた。

昨晩は(内容は覚えていないのだけど)QUEENの夢を見た。そして一晩経ってもまだ頭の中で一番好きなボヘミアンラプソディーのメロディーがぐるぐる流れている。

KISSも良かったし、QUEENも最高。もちろんローリングストーンズもいたし。あの頃のロックシーンは本当に素晴らしかった。

レイトショウだったので、プログラムを買えなかったのはちょっと残念だった。


11月22日(いい夫婦の日)の次の今日は勤労感謝の日

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あとで買いました。

 

華麗なるレース
QUEEN

USMジャパン


陽の心、陰の心

2018年11月22日 | 生き方について考える

ここ数日、どうも元気が出ない。昨日書いた通り目の前の仕事の量の多さに圧倒されているというのがまずはあるのだけど、そのこと以外にも気分が沈みがちになることが多い。季節がどんどん冬に向かって行っているというのもその一つかもしれないが、今日のように朝から小雨まじりの曇天だったりすると気分はさらに沈み込む。

先日、テレビで放映されていた「ハリーポッター 死の秘宝」。久しぶりに観たが、何度観てもよくできた物語だ。その中に、ボルデモートの分霊箱の一つである銀のロケットを首にかけると、その人の性格が陰に変わっていくというくだりがある。全てが自分にとって悪くみえてしまい、周囲との間に軋轢が生まれていく。よくできた描写だ。悪い心を一旦もつと、その悪さはどんどん増幅されていく。

陰の心とでも言ったらいいのだろう、またはダークサイド。そういう心から出発して何かを考えようとしても決していいことはない。誰かが善意でしてくれたことはおせっかいに感じるし、楽しそうにしている人は嫉妬の対象となる。周囲の人やモノ、全てが自分にとって悪意に満ちたものとなってしまい、息苦しさばかりを感じるようになる。

陽の心を持つのはとても難しい。全てのことがうまく回っていくなんていうことはまず無く、どこかでなにかが欠けたり足りなくなったりする。それでもそういうところをその都度修復しながら何とかかんとかやっていかなくてはいけない。それが、努力であったり、辛抱であったりというものだ。

風船をいつも膨らませておくのは難しい。パンパンに膨らませたと思っても、放っておいたら2日か3日でいつのまにか萎んでしまう。陽の空気を心という風船に送り込んでいるのはとても大変かも知れないけど、きっといいことが起こるに違いない。

今夜は気分転換でも

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例によって仕事が…

2018年11月21日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

11月が終われば、師走。誰もがいやでも忙しくなる季節だけど、今年の師走はいつもと違う。

例年より仕事がてんこ盛りなのだ。もちろん、仕事といっても、日常の病理診断業務ではない。曲がりなりにもコロ健、大学教員で、研究会とか学会では、その道の専門家を名乗っているので、それに関する仕事がたくさんある。研究というには恥ずかしい内容であっても、それなりに実績を出していかなくてはいけないし、それなりに講演・原稿依頼がくる。

とはいえ実際にはどの仕事も私には荷が重い。今日までサボってきたわけではない。どうしようもなく、仕事が多いのだ。似たような内容はある程度まとめてみようとは思っていたけど、同じようなスライドを作っていたら、どっちがどっちだかわからないようになってしまった。にてひなるものはやっばり異なるものなのだ。ここはいったん、落ち着いて、ToDoリストを再確認して再整理する。

あとは、時間の捻出。まずは電車内でのブログの記事書きの時間を仕事に充てて、なんとかしてみよう。

結局いつもこんなものだからなんて高をくくっていたら、きっと足元をすくわれる。一つ一つ丁寧に対応することを心がけていこう。

そういえば、今朝はいい天気だったけど、今シーズンの最低気温とのこと。朝、10度を切っているとブルブルっとくる。体調管理にも気をつけないと。

推敲は忘れずに

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拾った命は大切に

2018年11月20日 | 生き方について考える

命拾いという言葉がある。

今目の前にいるナイトは幻なんじゃないかと思うことがある。

奇跡的に手術を受けることができ、それが上手くいって一命をとりとめた。すなわち命拾い。

そのままだったら失われていた命が、そのままは失われなかった。

現代では当たり前の技術かもしれないが、獣医学の進歩に感謝する。

そして、病気がわかる前より、ナイトがより愛おしくなった。

あの日の朝、私が無理をさせてもっと遠くまで散歩をしていたら、腫瘍からの出血はもっと多くてそのまま死んでいたかもしれないし、妻が様子見を決め込んで動物病院に連れて行かないでいたらやっぱりそのまま死んでいたかもしれない。

そして、動物病院の先生方が手術をしてくれなかったらどうだったろうかとも思う。

ナイトは獣医学の進歩によって命拾いしたけど、これは人間でも同じ、というかそれ以上だ。

人間は犬よりはるかに弱くて、せっかく生まれてもそのまま放って置いたらあっという間に死んでしまう。

成長していく過程でもあれやこれやと手を尽くして生き延びる。

そして人間の歴史は感染症、ガン、循環器疾患など、数多の病気との戦いであり、そうやって命を延ばしてきた。

命あるものは遅かれ早かれ、いつかは死ぬ。

病気らしい病気をしたことがないという人もいないわけではないが、長く生きていたら一度や二度、何も手を施さないでいたら、死んでいたかもしれないような大きな怪我や病気をしている人は少なくない。

私の場合は、大怪我が一度と敗血症になりかけたことがそれぞれ一度ある。

大怪我は放っておいても機能障害を残すのみで治ったかもしれないが、感染症の方はもしかしたらダメだったかもしれない。

何食わぬ顔をしているものの、私だって命を拾って生きている。

そうすると、今の私は、ナイトと同じ?

私にとっても拾った命、人の役に立てるよう、大事に使いたい。

生きとし生けるものを慈しむ

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日曜夜のみなとヨコハマ

2018年11月19日 | 日々思うこと、考えること

パシフィコ横浜で開催されていた臨床細胞学会も無事終了。参加したかった講習会に出そびれてしまったが、仕方がない。また別の機会に受講しよう。

学会が終わったら病院の同僚と、夕食を中華街で食べるという約束をしていた。会場のパシフィコ横浜から中華街へは歩いて移動することにした。神奈川県民として、みなとみらい駅まで歩いて、そこから電車というより、夜景が楽しめるルートを考えた。朝ドラで今旬のカップヌードル博物館の前を通って、赤レンガ倉庫、山下公園を抜ける道で、そこを実は元都民の怪しげな案内をしながらみんなでそぞろ歩きながら行った。

日曜夜ということもあって、みなと横浜、いつもより人出が少なく、のんびり歩くことができたが、海を渡る風は少々冷たく、中華街もちょっと寂しかった。

それでも、仲の良い同僚と楽しく食事をすることができた。

皆と別れてから私は、元町を抜け石川町駅に向かった。元町も人が少なく、クリスマスに向けてのイルミネーションを少々眠い目で見ながら通った。

クリスマスの頃にはたくさんの人が出て賑やかになるのだろうだろうなと思いながら、写真を撮ってみたが、こういう繁華街は人出があってこそ楽しい気持ちになる。

今月も残すところあと2週、日が経つのは早い。

さあ、今週も頑張ろう

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病理をめぐるおかしな言い方

2018年11月18日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 ある学会のセッションで、演者が「顕微鏡を見る前に」といっていた。うーん、いつものことながら、顕微鏡とは顕微鏡であって、それは常に眼の前にあってすでに見ている。この場合、「顕微鏡で標本を見る前に」か「標本を顕微鏡で見る前に」が正しい言い方だ。

 病理の言葉は、使っている人が少ないものだからか、使い方には色々な亜流というか流派があって、様々な言い方をする。

(注 私とは関係のない方です)

 いくつか挙げると、 解剖のことをゼク、術中迅速診断をゲフ、標本を深く切り込んで追加標本を作ることをディープカット。"深い切断"て、どういう意味よ。

 解剖は英語でdissectionというが、ドイツ語だと、die Sektion。もともとドイツ医学が入っていたので、これを略して英語ならセクションだけどドイツ語だとゼクチオンで、略してゼク。解剖と、ストレートに言わないうちにこうなったようだ。

 でも、意味知って使っているかは疑問。

   次のゲフとはもともとゲフリールというドイツ語で、gefrorener Abschnitt、英語だとfrozen section、すなわち凍結切片。急速に冷凍した凍結切片を染色して急いで診断するのが迅速診断で、それをこんな風に言う。でも、ゲフって言っちゃあ専門以外の人にはなかなか通じない。

   あと、ディープカットも意味はわかるけど、やっぱりディーパーカットという方が正しい。

   外国語由来の言葉を使うのはカッコいいけど、使う時は正確に使わないと、間違っていた時にはちょっと恥ずかしい。 病理学会で用語集でも作ってくれたらいいのだけど、なかなかそうしてくれないのは残念だ。

他にたくさんあるけど

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四角い観覧車・・・臨床細胞学会にて

2018年11月17日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

第57回日本臨床細胞学会総会が横浜で今日、明日と開催される。

出番はないので気楽なものだったけど、専門医の更新のための講習会があったのでそれには参加した。

終わったら、外は真っ暗。

でも、夜空には月と観覧車。あまりに綺麗だったので、桜木町への帰りの人の流れから外れて写真を撮った。

撮った写真を見たら、びっくり、観覧車が四角い。光の明滅でこのような形になっていたのだ。

目で見るのと、写真で見るのとでは違うというのは興味深い効果。

講演はAIと病理診断の将来といったような話。病理医不足から、AIによる補助診断が模索されるということで、私たち病理医も将来を考えていかないといけない。

明日は

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体力が落ちるときはあっという間

2018年11月16日 | スポーツ・健康・ダイエット

9月のカンボジア出張以来体調を崩してしまい、ついには帯状疱疹を発症してからというもの元気が戻ってこない。これが過労というものなのか。元気が出ないついでに、せっかくのジム通いもしなくなり、もうやめてしまおうかと思い始めていた。そのことを妻に相談したら、まだ続けたほうがいいのではということで、昨晩久しぶりにジムに行った。デッドリフトで少し無理をして、今朝起きたら少し腰が痛むが、概ね無事楽しむことができた。

トレーニングが終わってから、体脂肪とか骨格筋量を測定してみたら、がっくりきた。わずかこの2ヶ月でデータが軒並み悪くなっていたのだ。自分でつけているエクセルのデータをグラフにしてみた。

横軸1目盛りはだいたい1ヶ月、そうすると、せっせと鍛えてきた骨格筋量がわずかこの3ヶ月でピークからジム通いを始める前の水準に落ちている。

そして、転ばないようにと鍛えていた体幹の筋肉もやっぱり落ちている。

19ヶ月というのが長いか短いかはわからないけど、ちょっとサボっただけでこんなだ。もちろん体脂肪量はというと。

笑える。一目瞭然だ。

中高年者はこうして少し動かないだけでこれだけ急速に体力が落ち、逆に脂肪がついていくということを再認識する。

さて、気力がなかなか湧いてこないからといってこのままやめてしまうか、やっぱりこのデータを見るとここで止めたら、このままだとどんどん体力が落ちていくのは火を見るよりも明らか。それにやっぱり悔しい。

忘年会の合間を縫って、もう一踏ん張りしてみよう。

楽しむ気持ちを忘れずに

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