こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

あの人の言い分、この人の言い訳

2020年03月31日 | 自然災害・事故・感染症
「だって、しょうがないじゃない」とか言いたいバーのマスターやママは少なくないだろう。
東京都の小池知事が夜間の外出自粛を要請するに至った。オーバーシュートが、目前となり、やっと、夜のクラスターに手をつける気になったようだ。当然のことながら、そういう業界からの反発はものすごいものがあって、身の危険を感じるほどかもしれないが、このまま放っておいて医療崩壊を招いて数千人の死者を出してしまってはいけないということでの決断だろう。オリンピックの延期決定に続いての英断に、統治者としての勇気に尊敬と感謝の念を表する。

感染拡大の原因が、活動的な若者、とか、バー、ナイトクラブで飲んでいる中年以降の大人、にあるということがだいたいわかってきた。海外旅行に行って新型コロナウイルスに感染して、帰国後卒業式謝恩会カラオケにまで行ってウイルスをばらまいた大学生。夜な夜なバーだのクラブで飲んで、その挙句にウイルスに感染する中高年者。そしてそういう人たちによって感染症は拡大していく。自覚のない若者はしても、ほとんどの若者はマスクをしている。静かに生活をしているし、中高年者だって多くは飲みたいのを我慢して家飲みしている。話はそれるが、マスクについては、外出の際には正しく着用するという条件で、若者に無料で配布したらいいと思っている。

カラオケ、バー、クラブ、ライブハウス、キャバクラでの濃厚接触というのがどのような状況で起こるのかは定かではないが、密閉、密集、密接の3密状態となっていることだけは容易に想像がつく。こういうお店、なんでやっているのだろうと思うこともあるが、やっている方にしてみたら、店を閉じたところで何もやることはない。そして、店を開けたら少しでも客は来る。
「店がなきゃやってられないという客がいるんだからしょうがないじゃない。この店を必要としてくれるお客さんだっているんだから。」
「こっちは店を開いているだけで、お客が新型コロナウイルスに感染しているかどうかなんてわかりゃしないだろう?かえって迷惑しているのはこっちの方だよ。感染しているんだったら、来ないでくれって言いたいよ。そんなのが来ちまうんだからしょうがないだろう。」
「この店がやってなきゃ、晩飯どうするんだよ。飲み屋?ちゃんとサラダだって、サンドイッチだって出してくれるよ。出前だってとってくれるし。簡単に閉めさせないでくれ。」
となる。それぞれの立場に立って考えなくてはいけない。
「熱がある、喉が痛い、味覚がないといって突然やってきて、蓋を開けてみたら、新型コロナウイルス感染だったなんて患者が来たら、院内感染なんかどんなにやったって防ぎようがありません。しょうがないでしょう。」
「この患者さん、ヘビースモーカーだったということですね。それによく飲んでいらしたとか。呼吸機能は低く、糖尿病に高血圧というような状態では回復の見込みはありませんね。これ以上の加療は無駄なので、他の方のために中止させていただきます。」
そういう場面が、もう眼前に迫っている。

今、私たちが考えなくてはいけないこと、やらなくてはいけないこととは何か。それぞれの立場でできることが必ずある。遊んだ挙句にウイルスをばらまいている人を目の敵にしてスケープゴートとしてあげつらったところで、しょうがない。自分はちゃんとやっているか、自分に求められていることは何かといことを考え、多少なりとも犠牲を払って行動することが要求されている。
私も考える

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決戦まであと一週間ぐらいか

2020年03月30日 | 自然災害・事故・感染症
昨日の寒さが残っていて今朝は少し冷えた。電車から見える郊外の家々の屋根にはまだ雪が残っていた。下り電車に乗っている私から見える上り電車、先週は向こうがあまりよく見えなかったが、今朝は見通すことができるようになった。
だが、まだソーシャルディスタンスの1.8メートルは確保できていない。
せめて互いに1メートルは離れていたい。
電車に一緒に乗っているというだけで感染(うつ)ることはないが、感染者の唾が付着しているようなつり革、手すりを触った手で、目や鼻をこすったりしたら感染のリスクは一気に高まる。
まずはそんなことをしないようにする自己管理が大切だが、花粉の飛散の多いこの季節、なかなかつらい。
新型コロナウイルス感染者による情報発信がSNS上で増えてきた。
中でも闘病記はとても役に立つ。初期症状、感染経路については、心当たりがあれば積極的に知らせてほしい。

免疫力がピークにある若者には感染リクスクを全く意に介していない人が少なくないようで、週が明けたらまた繁華街に繰り出す中学高校大学生が増えるに違いない。
ただ、そうやって外で感染って、家にウイルスを持ち帰り同居する大人に感染してしまったら、大変なことになる。
経済的な打撃に加え、もし死者がでたらその人本人の将来にも関わってくる。
また、親しい友人が実はステロイドなどの免疫抑制剤を使っているということもあるし、喘息持ちの人もいるはずだ。
子供や若い人にとって死が遠くにあるのは悪いことではないが、そのことを周りの大人が指導できず、挙句の果てに感染されてしまうというのは問題だ。
とはいえ、家の中でひと月もふた月もゴロゴロされていても、家族全員が滅入ってしまうのは無理もない。
外出禁止ではないのだから、散歩したり走ったりとか体を動かし、家に帰ってきたらうがい手洗いをしっかりすることが大切だろう。

このペースで患者数が増加し続けたら、早晩指数曲線のカーブに乗って、来週の月曜日には首都封鎖(ロックダウン)、外出禁止という措置が取られるだろう。
そうでもしないと首都圏の医療は崩壊する。
そうなる前に、医療機関は爆発的患者急増(オーバーシュート)への体制準備を進めなくてはいけない。
来週からが対新型コロナウイルス感染症との一大決戦となるのではないかと思っている。
医療機関にとってはこの一週間が決戦のために残された最後の猶予期間のような気がする。
被害は最小に

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この桜、来年も見ることができるかな?

2020年03月29日 | 鎌倉暮らし
朝からの季節外れの大雪のせいで山桜は見えない。あの桜を来年無事見ることができるだろうかと昨日思った。暖冬のせいで今年1度も見ることができなかった鎌倉の雪景色を目に焼き付けることができた。

明日からの通勤を考えると気が沈む。
雪の重みでチューリップが下を向いてしまったが、夕方には止んだ。
テレビばかり見てぼんやりしているわけにもいかないので、ちょっと仕事をした。
明日はどんな1日になるだろう。
換気をしっかり

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LGBTQと男女比

2020年03月28日 | 愛と女性とジェンダーと
男って強い。

本当は強くなくても強がって、強そうにみせるので、女性からみたら、男は強いと見える。実際、ちょっとぐらい弱くても、大抵の女性よりは強い。
生物として生き残るために他者に対して強くなくてはいけなかったから、そうなったのだろう。
結果として人間には男の強さが大切だと思われるようになったし、そのような役割を担ってきた。
でも、文明化が進み、男が男である必要がなくなり、性別による肉体的な優位性というものがそれほど必要ではないうことがわかってきた。男の存在意義については、これまでなんども考えてきた(男は要るか、要らないか?(上)男は何のためにいる  (中)男女公平な社会を目指す (下)男女は何を成してきたか )。
まだ、しばらくの間は男は必要かもしれないが、男が強い存在である必要はなくなるに違いない。
ここのところ、男性性と女性性についてあまり考えていなかったが、先日ムロツヨシ主演の 「三浦部長、本日付けで女性になります。」というトランスジェンダーをテーマにしたドラマを観て久しぶりに考えてみた。
LGBTQはレスビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クエスチョニングのことだそうだが、私が若かったころはLGだけだった。
Bは遊び人のような存在だった。
Tは、自殺した友人がそうだったのかと思うことがある。
Qはわからなかった。

LGBTQと男女比の男女比というのは男と女の人数比ではない、それぞれの人の中での男性の割合と女性の割合だ。
この人、男らしいと私が思う、男100%の人はこれまで何人か出会ったことがある。
それに比べて、男比率が低くて女性比率が高い人というのもある。
政治家なんかは男比率が高い人が多いように思うが、女性が混じっているように思える人というのもいる。
人間見た目で判断することはできないので、難しいが、誰しも男性的な部分と女性的な部分というのが混在しているに違いない。
基本的にはX染色体が優位で、男が必要だったからY染色体をもった個体が生まれて、男となった。
でも、無理やり男になったものだから、女性性というのは男の誰もが多少なりとも内包しているのではないだろうか。

そんなことをいくら考えても意味はないのかもしれないし、今や、LGBTQという考え方、すなわち、Qという、自分の性別がわからない・意図的に決めていない・決まっていない人という存在の出現そのものが答えなのかもしれない。
トランスジェンダーについては、さらに細分化されているらしいが、多分、すべての人の分だけ性自認があるに違いないだろう。
そういう意味では私自身Qなのかもしれないと思ってしまう。
嘘はいかんよ

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NHKがぶっ壊されては困る

2020年03月27日 | 日々思うこと、考えること
ここのところのコロナウイルス禍で、再放送が増えてきて、疲弊感が見えてきているが、それでもNHKは頑張っている。子供向け番組をすぐに準備するなんてこと、危機管理もできている。NHKが気に入らない人は少なくないようだが、私は好きではないが嫌いでもない。公共放送として完璧ではないけど、70点ぐらいはあげていいと思っているので、受信料を払うことに不満はない。ただ、お金の無駄遣いではないかと思うことがあり、90点はあげられない。でも、ぶっ壊されては困る。

先日、ムロツヨシを主役に据えてLGBTQについてのドラマを作った。ついにこういうドラマをNHKが週末の夜9時台に流すようになったかとしみじみ思った。ドラマの感想は別の機会にするとして、こういう放送を視るとNHKはよく頑張っていると思うのだ。以前にも尊厳死についての優れた番組があったし、看取りについての番組もあった。一時期、クラシック音楽の番組が減ったように感じた時期があったが、それも回復した。
若い人はテレビを見なくなったというが確かにそうなのだろう。私はニュースソースがYou tubeに代表される、”好きな情報”に偏ることが危険だと思う。インフルエンサーが偏った、もしくは誤った情報を拡散させることで、生活必需品の買いだめが起きてしまったり、差別を惹起したりということが恐ろしい。民放にあれこれ期待するのは酷で、優秀なアナウンサーが民放に引き抜かれてしまうのは残念だが、次からそれを超える才能が現れるというのは、たいしたものだ。

こういうことを書くと、体制派ということにもなってしまうかもしれないが、体制批判も様々なところでパロディーなどとしていて、それなりにバランスを取っているのではないかと思う。
NHKには独立性、さらには透明性を確保しつつ、さらには一部の人間による私物化、受信料の無駄遣いには厳しい自己規律を課したうえで、今後も精進して欲しいと思うのだ。

忖度なしでお願いします

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感染爆発の重大局面にて私たちにできること

2020年03月26日 | 自然災害・事故・感染症
新型コロナウイルス感染症、いよいよ首都東京が感染爆発の重大局面に直面していると、小池都知事が表明した。今週末の外出を控えるようにということ、言い方はマイルドだったがすなわち不要不急の外出を控えるようにということ。不要不急の外出とは (3月2日) という記事を書いてからおよそ三週間。通勤電車は相変わらず満員電車で、異常な状態が続いているし、乗り換え駅は若者でごった返している。そうはいっても家の中でじっとしていろといったところで、それは難しいし、できるわけがない。

ならば、このことに対し、一市民として今の私たちにできることは何があるだろうか。
まず、第一は皆が感染拡大防止ということを意識すること。
 でも、これ、都心のターミナル駅にいる若者たちを見ていると、たぶん無理。
 呆れるほど、何も考えていない若者の多いこと。
 東京封鎖、というよりは彼らをなんとかした方がよほど手っ取り早いと思う。

誰にでもできる自己防衛策としては、まず、人混みを避ける。
  混んでいる店に入らない。
  混んでいるイベントに参加しない。

換気・・・少々寒くても気がついたら窓を開ける。これは拡散しましょう。
(友人のFBより)
うがい・・・外出後は必ず。
手洗い・・・無駄とは考えずに行う。
咳エチケット・・・当然のこと。マスクがなければハンドタオル、ハンカチで。

時差通勤・テレワーク・・・これは職場がやってくれないとどうしようもない。あと1日休みを増やすというのもありではないか。


欧米のように強権を発動されてから文句を言うのでは遅い。今のうちに自主規制を敷いて努力したい。

気の緩み、のような言い方をする人もいるが、感染拡大の終息の目処が立たないまま、マスクは待てど暮らせど手に入らずというようなことでは、見えない敵を相手に疲れて気が緩んでしまうのは無理もない。それでも、これは戦争なのだと覚悟して人類が取り組まなくてはいけない。

困難に打ち克つ

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どこまでならいいかの自己判断はどこまでいいのか

2020年03月25日 | 自然災害・事故・感染症
新型コロナウイルス感染症に関する、SNS上のコメントが深刻になってきている。とくに、欧米在住の友人たちのメッセージは深刻なものが多い。そして、誰もが共通して、日本の感染対策の無防備さに警鐘を鳴らしている。

昨日はのんびり千鳥ヶ淵など歩いてしまったが、許されることだったのかどうか考えてしまった。娘を大学の近くまで迎えにいって、帰りに三人でお茶をしたがそれもどうだったか。自分では、感染に対して気を使っているつもりでも、ではどこまで人と接していいのかがわからず、判断に自信が持てない。
とはいえ、どこも人出は少なくて、商売をしている人には大打撃であろうことは明白だ。海外では、飲食業をはじめ多くの業種について休業させたり、人の移動を制限したりしているが、日本ではそれはまだまだ。政府も、そういった措置を選択枝の一つとして考えているのだろうけど、休業補償、経済損失を考えたら及び腰になってしまうのは仕方あるまい。各地の観光業も大打撃を受けている。国内観光を呼びかけているが、はたしてどこまでやっていいものか。屋外での活動に制限はないが、鎌倉などは大変な人出らしく、そうした時に生じる人の集中、交通機関の混雑といったものも無視できない。通勤にしても、こんな状況はいつまで許されるか。
東京で新型コロナウイルス感染患者数がじわじわ増え始めた。これがねずみ算式に爆発的に増え、”爆発的な感染染拡大(オーバーシュート)”となったら、医療崩壊は免れない。私の勤務先の病院もどうなるかわからない。首都封鎖(ロックダウン)も現実味を帯びてきた。様々な患者さんに対応をしなくてはいけない医療機関内での院内感染は防ぎようのないことで、情報公開は必要だが、責めたり、差別したりすることで萎縮させてはいけない。
新年度を前に、多くの組織が右往左往しているが、右へ倣えで、すべてを一斉に行うということの効率の良さを求めるよりも、感染症、自然災害といったことへの対応を考えると、多少時期がデコボコしているほうがいいのかもしれない。
今朝も電車はぎゅうぎゅう詰

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じいやとばあや

2020年03月24日 | 家族のこと
娘が都内の大学を卒業した。これまでありがとうと、桜の鉢植えをプレゼントしてくれた。
新型コロナウイルス感染症の感染拡大を鑑み、当然のことながら、卒業式は中止、それどころか、学部ごともしくは学科ごとの卒業証書授与式も無く、卒業式が予定されていた今日、卒業証書を大学に受け取りに行くだけとなった。

成人式で着た振袖に袴という姿で友達と卒業を祝うという予定に変更はなく、朝から近所の美容室で着付けをし、鶴岡八幡宮で写真を撮って、そのあと大学まで車で送った。
私は入学式に出ることができなかったので、卒業式に列席しようと休暇を取っておいたが、大学構内に入ることは叶わず、今日はじいやとばあやよろしく送迎の車の御者と相成った。

娘が友達と別れを惜しんでいる間に、せっかくなので妻と二人で千鳥ヶ淵まで足を伸ばした。オリンピックに向けてだろう、このあたりもずいぶん整備されていて、去年との違いに驚いた。桜は6、7分咲きといったところか。人出は去年の3分の一ぐらいだろうか。貸し出しされない足こぎボートが物悲しい。

二人目の子供だから、つい上の子に目がいってしまってきたので、今日ばかりは、いろいろやってやろうと思った。一応、狭い場所、換気の悪い場所には近寄らず、常識的な範囲で行動することができたと思っている。都内を車で移動したが、ずいぶん人では少なかった。

東京五輪の延期が決まりました

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第109回日本病理学会総会はWeb開催に

2020年03月23日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
4月16日から福岡で開催予定だった第109回日本病理学会総会だが、残念ながらWeb開催となった(第109回日本病理学会総会)。コロ健、口演発表の予定だったので現地に行くつもりで、そろそろ準備を始めなくてはと思っていた矢先のこと。これまで準備をされてきた会長はじめスタッフの皆様のこれまでのご努力を思うとお気の毒としか言いようがない。巡り合わせが悪かったということだ。そろそろ準備をと思っていたが実際のところやるかやらないかわからない状況で、いまひとつやる気が起こらないでいた。結局は発表スライドを作ることになるらしいが、いつまでに何をしろというのが決まったらそれの方が楽だ。
学会一つでもこうなのだから、オリンピック、パラリンピックの準備をしている選手たちがモチベーションを維持するのは相当な苦労だろう。でも、今夏の開催はほぼ絶望的だろう。かといって、では、どうすればいいのかは、誰にもわからない。いずれにせよ、組織委員会はできる限り早めに決断を下すべきだ。

都心の駅で乗り換えると、相変わらずの人の多さ。若者が、カラオケだ、クラブだのと馬鹿話をしながら歩いているのを聞くと呆れて物が言えなくなる。日本だって、いつヨーロッパのようになるかわかっていないのだろうか。きっと誰一人歩いていない街を想像できないのだろう。
我慢

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コロナ禍をきっかけに世界よ仲良く幸せに

2020年03月23日 | 自然災害・事故・感染症
新型コロナウイルス感染症(COVID 19)の世界的感染拡大は燎原の火の如くとどまるところを知らない。欧米各国は対応に追われていて、多くの方が亡くなっている。発症から亡くなるまで10日前後と急速に進行して亡くなる方もいるようで、単なる上気道感染症ではなく、深刻な状況になりうるということを自覚しておかなければいけない。不幸にもこの新たな感染症によって命を落とされた方々へお悔やみを申し上げます。

人類とウイルスとの戦いと書いてから1ヶ月半たった(これはある意味人類対ウイルス - 2020年1月29日)。2月いっぱいが山になるだろうと思っていたが、3月12日にWHOがパンデミックを宣言し、感染封じ込めの包囲網はついに決壊。とはいえ誰もが、いつかはこうなると思っていたし、案外遅かったという気もする。流行が始まった時点で中国の人は日本中津々浦々にいたし、そもそもインバウンドで潤っていたのだからそのこと自体は何とも言えない。そして中国のおかげで潤っていた人が数多くいたということは世界中、どこも一緒なはずだ。日本はさすが島国、国内での感染拡大は、ある程度封じ込めているが、ヨーロッパ旅行からウイルスを持ち込む人があとを絶たないのは伏兵あらわるという感じだ。アメリカは事実上鎖国のようなことをしている。それ以外の国も国境封鎖などしているが、そのこと自体にどれほど意味があるのかわからない。いずれにしても、国境も国家も感染症の前には意味のないものだったということが明らかとなったのではないか。

この”新型コロナウイルス感染症禍”を機に世界はもっと仲良く幸せな共同体なることはできないか、そもそも国境とか国家というものに意味などないと世界人類が自覚できないだろうかと思った。たとえ小さなフラワーポットの中であってもそれぞれの花は美しく咲くことができる。
今や自動翻訳機の進歩により、神がバラバラに乱したという言語の問題をクリアしつつある人類、世界の言語を合わせても7000余りというのだから、C3POとまでいかなくても、誰とでも胸襟を開いて話すことができるようになる日は近い。神は再び人類に試練を与えようとしているのか、それともこれこそが新たなる試練なのか。そんなことをいっても、それより別の障壁がいくつもあるのはよくわかっているが、それでも希望を持っていきたい。
塞翁が馬

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英気を養い明日からまた

2020年03月22日 | ガーデニング・菜園・花・緑
3連休、風は強かったが、晴天に恵まれた。ポカポカ陽気で、7月並みの気温となったところもあるそうだ。東京では桜が一気に満開になったとか。
わが家にやってきた春というと、妻が庭のあちらこちらに植えておいたチューリップが顔を出してきたことが一番か。
朝から、お墓掃除。お墓の桜はまだ1分咲きだったし、やっぱり今日も人はすくなかった。昨日の続きで石を入れて綺麗した。うっかりして、写真を撮り忘れたのは残念。
家に帰ってからは庭いじりの仕上げ。途中、セダムの花が咲いているのを見つけ、嬉しかった。

おとといの草むしりから始めて、掃除、土の掘り起こしなど細々といろいろやった。土いじりをしていていいのは、地面を見ていると、頭のところにナイトが来てくれる。お彼岸で帰ってきてくれたのかもしれないが、一緒に精を出した。顔を上げると何処かに行ってしまっているのが残念だけど。
仕上げといっても、ゼラニウムを植えたり、バラの手入れをしたりするうちいつの間にか暗くなってしまっていた。
これまた残念ながら写真を撮り損ねた。
クレマチスが終わり、次はモッコウバラ。一輪咲いた。
明日からどんどん咲くだろう、一週間がとても楽しみだ。
連休で英気を養うことができた。また、通勤頑張ろう。
明日から寒くなるとのこと

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日が長くなって

2020年03月21日 | ガーデニング・菜園・花・緑
春分を過ぎ、いつの間にか日が長くなっていた。あちこちのムスカリが咲いてきた。
今日も、庭いじり。
ほったらかしにしてたオリーブの枝を広げた。新芽がいくつもあって、これからが楽しみ。
風は強かったが、今日も1日ぽかぽか暖かかった。
小鳥たちも多くやってきた。
お墓掃除もした。
狭いお墓だが、少し綺麗にすることに。明日ももう一度行きます。それにしても、お墓、空いていた。新型コロナウイルス感染を恐れてお年寄りが外にでてこないからだろうか。
明日も天気は良さそうだから、お墓の続きと庭仕事、ひと段落させよう。
日が長くなったから、あれこれたくさんやりたいことができる。
休みは明日まで

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ちょっと不思議な閲覧数

2020年03月20日 | 電脳化社会
このまえの日曜日スマホをいじっていて、ブログのアクセスランキングをみたら、アクセス数がすごいことになっていて驚いた。瞬間的に順位が一桁というのは気持ちいいが、何かやらかしたかと心配にもなる。だがしかし、残念ながらこの山は続くことなく、風の谷のナウシカの王蟲のように右から左へとずるずる移動していって、その後何事もなかったかのように消えていった。
  
この現象のせいだろう、1日の閲覧数がとびあがって、この日は7046で、前日の14日も6132だった。このようなことは2月から数度あって、この前は、2月18、19日で、1日の閲覧数はそれぞれ6806と6275。その後、2月28日にも5029というのがあった。閲覧数はこんなふうに時々跳ね上がったものの、1日の訪問者数はこの間もずっと600〜800で、炎上というわけではないようだ。
このおかしな現象、検索エンジンのイタズラのようで、たまたまこのブログの中のどれかの記事か単語が検索エンジンの心の琴線に触れるかのようにアルゴリズムにはまったのだろうか。それとも某国の陰謀か。
いずれにしても、今週はこのようなことは一度も起こらず、このさきも多分ずっと起こることはないだろう。2月の時は炎上かとおののいてスクショしなかったが、今回は落ち着いてできた。

アクセスランキングに執着しているわけではなく、好意を持って読んでくれている人に、”今日も元気にやってますよ〜”という気持ちを込めて書いていると、あの人とかこの人が読んでくれたかな、などという延長上にランキングがあって、ついポチッとやる。
ブログ村と人気ブログランキングも、それぞれからここに来ていただく人がいるはずなので、そう簡単に止めるわけにもいかない。
訪問者数が飛躍的に伸びても怖いし、誰も読んでくれないというのも張り合いがない。
1日草むしり

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こういう気持ちのいい人に私もなりたい

2020年03月19日 | 生き方について考える
息子が入籍したという話を検査室の同僚の技師さんに話したら、「おめでとうございます。良い話が無い時に、そういう話があると良いですね。」とニコニコしながら祝ってくれた。私だったら、「おめでとうございます」の一言で終わらせてしまうだろうに、お祝いの言葉に、一言付け加えることができるなんて、いい人なんだなと感じた。その人はいつも私のお願いを嫌な顔一つしないで引き受けてくれ、大変助かっているのだが、それ以上に以前からネガティブなことを言わない人だなと思っていた。今度のような言い方をされ、「どうすれば、こういうことが言えるような人になれるのだろう?」と考えた。

今は、日本中いや世界中が’コロナうつ’の状態で、先が見えず、明るい話題は確かに少ない。娘の卒業式も流れてしまった。息子が入籍するのは自然の流れで、今回の新型コロナウイルス感染症は関係ない。こういうことは放っておいてもそうなるものだから、あえて一言を付け加える必要はないと思うのに、そこで自然な一言を出すことができるというのは、その人の才能ともいえる。

才能というものを、持って生まれたものと考えるか、後から獲得したものと考えるかは別として、今の私は、そういう”人をより幸せにする一言”が言えるような人になりたいと思った。
アラ還近くなって、そんなことを考えるようになったところで、遅きに失した感は免れないが、今からでもそうしたい。なぜなら今が一番若い。

そのためには、日々の生活で、心の中で舌打ちしてしまうような態度、自分の生い立ちを呪うこと、独り立ちしてからの自分の行き方を低く考えること、そんなことをやめることが必要ではないか。私はどこかで、自己愛が強く、人を上から見ているということがあるからそうなってしまうのだろう。そういうことをやめることはできないまでも、それらのことをしてしまった時に、それらを打ち消し、ポジティブに捉えるようにしたら随分変わるのではないか。自分というものは幾つになっても変えることはできる、それが今からであっても、遅くはない。幸いいいお手本が身近にいるので密かに見習いたい。
自己嫌悪には陥らない

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十九人の御霊に

2020年03月18日 | 日々思うこと、考えること
神奈川県の知的障害者施設で、入所者十九人が、その元職員に寝込みを襲われて亡くなった。その事件についての裁判が行われ、犯人の元職員には死刑判決が下された。
犯人がなぜ、あんな凶行に及んでしまったのか、多くの人がその心の奥を知りたいと、様々なアプローチを試みたがうまくいかなかったようだ。それは、当然のことで、そもそも人を殺すという時点で、正常な判断能力は相当失われていて、その時の精神状態をまっとうな人間が理解することは難しい。

私に理解できないのは、どうして知的障害を持った人は生きる価値がないという考えに至ったのかだ。いくら介護を頑張っても、毎日同じことの繰り返しのように感じてしまったのかもしれない。なぜそこに障害のある人たちの中にある成長とか可能性を見出すことはできなかったのだろうか。

私の2歳下の弟はダウン症で今も元気だ。あれやこれやといろいろなことはできないが、身の回りのことはしっかりやっている。時々失敗することはあるらしいが、お袋はそのことを苦に思うことはないといっていた。弟は親父譲りなのか、絵が上手だった。最近は描かなくなったようだが、子供の頃は毎日たくさんの絵を描いていた。人物のいる絵が得意で、家族の絵から始まって高校野球のスタンドのようにたくさんの人のいる絵あまで、いろいろな絵を描いてくれた。ちょっと、抽象的すぎたが、中にはいい絵もあって、両親はそれをとても喜んでいた。養護学校を終えて、授産施設でいろいろなものを作るようになってからも、いいものができると両親は喜んでいた。もちろん私も。
障害があるといっても、そこには成長があり、可能性がある。健常とされる人の一歩分を進むのに、10年、20年かかるかもしれない。それでも、少しずつ進んでいる。そのように考えたら、意味がないなどとは思えない。

犯人のいうことにはほんの少しの理もないが、そんなことを考える人が障害を持った人の近くにいたことが不幸だった。絶望したのだったら、そこから立ち去り、2度と戻ってこないで欲しかった。
安らかに

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