こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

まさかあの方にお会いできるとは

2022年11月30日 | 日々思うこと、考えること
今から、4、5ヶ月前に某地方での仕事の依頼があった。
そこは私の尊敬するブロ友さんが住んでいるところにほど近く、ひょっとしたらお会いすることができるのではないかと、ある意味下心を持って仕事を引き受けることにした。
その方は、私は先生と呼ばさせていただいており、2年ぐらい前からメールのやり取りはしていたものの、面識は一度もなかった。
私が仕事でそちらに行くとメールをしたら、先生は一泊二日の私の出張に合わせて、会食の手筈をとってくださり、ご友人二人を含め、楽しく過ごした。

こういうのをオフ会というのかもしれないが、私がもっていたオフ会のイメージはこれとは違って、先生はずっと昔からの友人で、その人に忘れた頃に再会しただけのような感じがした。
とはいえ、先生と初対面なのは事実で、至極自然に打ち解けることができたことにおどろきながら、ブログというものの力を見ることができた。

妻は面識のない方に、それも土地勘もないところで会うことに少なからず不安を持っていたようだった。
そう言われると私も絶対に大丈夫だとは言えず、食事を予定しているというお店に連絡でも入れて確かめたらいいだろうかと思ったが、それはなんとなく先生を裏切るような気がしてやめた。
私にとっては、ブログを通じたやり取りであっても友情とか信頼というものが得られるのだと確信できた。
面白いもので、一緒に来られたご友人たちとも気が合ったのは先生のお人柄によるもので、ブログからは人間性も十分伝わるということだろう。

先生には私の今後のブログへの取り組み方、テーマの選び方などについて、ご指導いただいた。
今までも先生のブログの中で名指しで厳しく批評してもらったこともあったのだが、やはり直接話してもらうとその真意がより明確に伝わってくる。

ちょっと飲み過ぎてしまったが、早めにお開きにして今日の仕事に差し支えるようなことはなく、こちらは当然のことながら無事終了させた。
新たな出会いは楽しい

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その時々のことに真摯に向き合う

2022年11月29日 | 生き方について考える
朝焼けで真っ赤に染まった空が見えた。
庭木が大きく揺れていたが、この谷戸に吹く風は南からのもので、案の定ベランダに出たら生暖かく強い風が吹いていた。
天気予報では、夜は冷えるということでコートを手に持って出てきたが電車に乗ると汗ばんだ。

今、江藤淳の西御門雑記というエッセイ集を読んでいる。
ご近所の方から紹介していただき、ネットで探したら古本を手に入れることができた。
その中に、『理工系大の人文社会科学』という一文があり、一生に一度しか出会うことがないであろう文系の学問を東工大の学生たちに熱意をもって伝えようとする氏の講義、課題に、学生たちが熱心に取り組んでいるということが綴られていた。
こういう真面目な学生の話を読むと、自分が学生時代、その時々のことに真面目に取り組んでいなかったことを思い出し、しまった、と後悔する。

私はいかにして講義をサボるかばかりを考え、仮に出席していてもろくに聞いていなかった学生だった。
武勇伝はいくつかあったものの今となっては恥ずかしくてその一つも口にはできないガラクタばかりだ。
部活には比較的熱心に取り組んだが、せいぜいそれだけだし、チームプレイの何たるか、支えてくれる人への感謝の気持ちなどは、傲慢さのうちにかき消されていた。

若かった頃の貴重な時間を無駄遣いしたツケがいまになって重くのしかかり、人生とは取り返しのつかないものだと思い知らされる。
人間はこうして後悔という人生の澱のようなものの上を、死ぬまで生き続けなくてはならないのだろうか。
だが、いくら後悔しても過去を変えることはできない。
そうであれば、”後悔すること”すなわち過去にとらわれることは意味のないことだ。

後悔よりも未来を生きるために何をすべきかを考えることこそが必要だ。
後悔よりも過去を振り返ることで、それを2度と繰り返さないよう、行動したい。
いつもいつも全力で取り組むことは難しいが、その時々の状況に対して緩急をつけながらそれぞれを決して疎かにすることなく生きていったら、この先後悔することはあるまい。
今を丁寧に生きる

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気持ちを新たにして年の納めに向かう

2022年11月28日 | 日々思うこと、考えること
11月も残すところ今日を含めてあと3日。
今月のうちに、あれこれ済ませておこうと思っていたが、結局多くの積み残し案件を抱えたまま師走に突入してしまうことになる。
中には頭の痛くなることもあって、仕事に行くこと自体億劫になるが、さりとてとって食われるようなこともないだろうからと今日も頑張る。

そんなわけでちょっとパッとしない、どうにも元気の出ない年末だが、一つ朗報がある。
このあいだブログにばかり時間を取られるからどうしようかと悩んでいた改訂版の件は、出版社から是非にという依頼があり、結局受けることにした。

案ずるより産むが易し。

最初の版は、閑職(といってもこの時はこの時で、そこにいい上司がいて心身ともに助けてもらったので、ネガティブな言い方をしてはいけないのだが)にあった私が売り込んだことがきっかけだったが、今度は先方からの依頼で、こうなると皆さんの期待を背負ってということになる。
改めて読み直すとよく書けていて、われながら読み物としても面白いといえるところもある。

恥ずかしながらこの歳になって、やっと自分の周りのさまざまなことが人様の助けで回っていて、自分一人では何一つできないということを自覚できるようになった。
本を出すなんてことは、まるで著者の手柄のようだが、そんなことはまったくない。
もちろん、最初の時も編集者の方々へのお礼の気持ちは持っていたが、今度は責任感もある。

寒い季節を迎えるにあたり、しょんぼりしたことばかりでは、面白くない。
いま一度、気合を入れ直して、仕事に執筆に、もちろんブログもだが、どれも手を抜くことなく、質の高いプロダクトにしていきたいと決意を新たにする。
人間万事塞翁が馬

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忙しさの種類

2022年11月27日 | 家族のこと
今日は母の84歳の誕生日。
横浜生まれの母を囲んで横浜で食事会。
昨日からプレゼントを買い、午前中は庭仕事。
それから急いで横浜に行った。
帰ってまずは、高安阿炎の本割から決定戦で阿炎が優勝するまでを見届けて、買い物に出て、サッカー観戦に間に合うように戻ったが、残念ながらコスタリカに0−1で敗れた。
あれは、甘く見ていたというよりは、コスタリカが強かった。
これで決勝トーナメントも厳しくなった。
日曜劇場と録画しておいた鎌倉殿を観たらもうヘトヘト。
なんだか忙しい1日でした。

仕事だけが忙しいというわけではない

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絵画館から銀杏並木を経て表参道まで

2022年11月26日 | 日々思うこと、考えること
午前中、所用があり、昼までには終わらせ、午後は買い物があり都心に出た。
車を絵画館の駐車場に停めてから、妻との待ち合わせ場所へ。
外苑前駅で待ち合わせていたので、一人で外苑の色づく並木を見ながら散歩。

妻と会ってから、あらためて一緒に銀杏並木へ。
てっぺんのほうは葉っぱが落ちいてたが、いつも通り見事だった。
自分たちも加わっていたのだが、随分な人出だった。
買い物を済ませてから、表参道まで歩いていったら、カルチエのクリスマスツリーがあった。
表参道にも人が多くいて、外国人観光客も結構な人数。
(ほんとに)久しぶりに表参道のトンカツ屋で少し遅めのお昼を食べた。
イルミネーションはまだ始まっていなかった。
戻ってきたらもう真っ暗だった。
でもライトアップされていてこれはこれで美しかった。
まだまだ、多くの人が銀杏を見上げていた。
ずいぶん歩いた

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チームの仕事に部活から学んだことが活きる

2022年11月25日 | 生き方について考える
昨晩は東京ー神奈川を結ぶ横須賀線、東海道線、京浜東北線の3路線が事故のためそろって遅延して、家に帰りついたのは午前様になった。
ただ、私の場合は職場でのいろいろでどのみち遅くなって、ちょうど帰るタイミングで電車が動き出したというのは、よかったのか悪かったのか。
今日もいい天気になりそうで、寝不足ではあるが、元気を振り絞って出勤。

その仕事、労働とその対価から成り立っている。
金を払ってくれるのであれば、当然それに対する責任があり、それをまっとうしなくてはならない。
労働の内容はさまざまだが、私が従事している医療もチームで成り立っていると考える。
患者さんの健康を守るためにチームを組んで行うわけだが、それがうまく機能しない場合がある。
ある特定の人に仕事の負荷がかかっている”ように”見えて、その人から見ると他の人が何もしていない”ように”見えてしまうことがある。

そういったことでトラブルがあり、ふと学生時代の部活のことを思い出した。
私は、中学・高校・大学と10年以上バスケット部に所属し、結局、うだつが上がらないままだったが、チームメイトのおかげでそこそこの成績を残すことができた。
そのチーム、ポイントゲッターのシューターや、ダンクをするポストプレーヤーがいたりしたが、その二人では、一チーム5人のバスケットボールはできない。
私のように足が速いだけのフォワードや、ベンチで交代を待ちながら待機する人間、そんなメンバーが必要だし、普段の練習にはそれ以上の人間がいなくては、レベルアップは望めない。
そんな中には練習があまり好きでない人間もいるし、体力的にトップチームについてくることのできない人間もいた。
だが、肉体的、精神的に強靭なチームというのは、色々な人を包含し互いにリスペクトし合うことのできる組織のことだと、ふと思った。
野球にしても、サッカーにしてもスポーツはそういうことを比較的理解しやすく、今のトップアスリートのほとんどがチームを大切にするのがどうしてなのかよくわかる。

このことを現役の時から理解していたらもうすこしまともな大人になっていただろうに、気がついたのはこんな人生の終盤に入ってから。
遅きに失した感はあるものの、このことを知らずに死ぬことにならなかったことを喜ぶべきかもしれない。

ところでそのバスケット部、奇しくも亡父が、”お前のように自分勝手な人間はチームプレーをしてそういったものを学べ”といわれて、陸上部に入りたかったのを止めさせられて入ったところだったが、おかげで今になってその意味を学ぶことができたと実感する。

 チームプレーって実社会でもいろんなところで活かさなくてはならないね

と学生時代はテニスに明け暮れていた妻にこの話をしたら、

 あら、テニスだってそうよ

と反駁された。
いや、もちろん陸上にもリレーがあったので、そんなことはわかっているし、多くのプロスポーツで、コーチをはじめとするスタッフを含めたチームこそが躍進しているのは周知のことだ。
人間一人ではやっていけない

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私にとっての日課とルーティンワーク

2022年11月24日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昨日の寒くて暗い1日が嘘のような明るくて爽やかな朝。
これでは元気にならざるを得ないし、体も勝手に反応して出勤のために起き出す。
オンラインミュージックの選曲も自ずと変わる。

私が朝やることはほぼ定型化していて、まずはベランダに出て写真を撮り、顔を洗い、自分の分の朝食を準備し、コーヒーが沸くのを待つ間に家中のゴミを集める。
着替え終わったら、コーヒーをマグカップに注いで朝食をとる。
寒くなるとセーターを着るので、髪型を整えるのを最後にするとか、細かいところは前後したり、割愛することもあるが、大抵はこんな感じ。
こういう一連の行動はパターン化しており、ルーティンワークという言葉に表されるが、日本語にはない。
もちろん、表現することは可能だが、ハマる言葉はない。

辞書的には、日課とか習慣と言うのだろうが、ちょっと違う。
日課というと、もう少し外部要因が入ってくることがある。
私の日課といえば今や、このブログ書きしかないが、かつては犬の散歩もあった。
だが、犬が亡くなってしまってその日課は無くなってしまったし、ブログ書きも書くことが無くなってしまったらやめてしまうだろう。
そういう意味では、日課とはある程度の意思を持っていなくてはできないことであり、逆にやらなくても別に困らないことと言える。

ルーティンワークにピタッとハマる日本語がないというのはどうしてなのだろう。
”いつも通りのこと”とか”普段通りのこと”というようなことは、曖昧でなんらかの定型化された行動を具体的に示してはいない。
仕事だったら、チェックリストでも作ってその通りにしなくてはいけないことだが、日常生活ではそこまではしない。
そういえば、チェックリストというのも日本語にはなく、トゥードゥーリストなんてのも最近になって膾炙してきた言葉だ。
これらは、行動目標、点検表といえるが、ちょっと仰々しい。

こういうビジネス用語が溢れるようになったというのは、これまでの日本社会には馴染みの薄かった概念だったということだろうか。
このような言葉を使って仕事を可視化するようになったのが、日本社会にとってよかったのかどうかと考えてしまう。

日本にはカイゼンがある

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そういえば今日は勤労感謝の日

2022年11月23日 | ガーデニング・菜園・花・緑
せっかくの休日だったが朝から大雨。
勤労感謝の日というのは、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」日ということだ。
もともとは新嘗祭だということだが、季節が秋から冬へと移り変わるこの時期に体が慣れるにはちょうどいい休日のような気がする。

チューリップの球根を植えるつもりだったのだが、あいにくの天候で庭はあきらめて、寄せ植えづくり。
輪になったメッシュプランターの土を除いて。ネットを貼り直しておいたのにビオラをメインした寄せ植えを2個作った。
1個は別の鉢に植えておいたワイヤープランツとバコバを間に入れたが、ふえてくれるかな。
低気圧のせいだと思うが、なんだか調子が悪かった上、思ったよりも疲れていたようであとはゴロゴロしていた。
昼寝していたら、美容院から帰ってきた娘が、

はい、勤労感謝の日

と、お土産をくれた。
神奈川の熊澤酒造の天青、それの鎌倉殿ラベル。

こう言われるまで今日が勤労感謝の日だということは忘れていた。
これから夕食、社会人1年目の娘も、いつも家事に精を出してくれている妻も一緒に飲むことにする。
休めてよかった

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うそ・ごまかしがなければそれほど丁寧でなくてもいい

2022年11月22日 | 日々思うこと、考えること
遠くの山は霧でかすみ、ベランダは夜露でびっしょりになっていた。
午前中いっぱいは晴天が続くそうなので、気分よく出勤できる。
今年の鎌倉の紅・黄葉は大変素晴らしいものになっているのは、台風の直撃がほとんどなかったおかげだそうで、葉をたくさん残した木がそのまま赤くなったり黄色くなっているのはとても美しい。
このまま冬に向かっていく姿を楽しんで見ていたい。

旧統一教会、死刑軽視発言、不明朗会計と、なんとも情けない理由で、わずか1ヶ月で閣僚3人を更迭した岸田内閣は国会運営が厳しさを増しているようだ。
岸田さんとしては、任命責任を率直に認め、経済対策、外交その他諸々の問題に対処していこうという姿勢を全面に打ち出して、国会運営では一部野党の希望も取り入れるとか。
そこで気になったのが、あいかわらず”丁寧”な説明を行なっていくという発言。

この”丁寧”という言葉を政治家から聞かされるたびにもやもやしたきもちがわく。
”丁寧”という言葉は、誰かに何かを教える場合に使う言葉で花だろうか。
一番わかりやすいのは、学校の先生が生徒に”(その国で、その時代に)正しいこと”を教える場合、とか病院で医師(先生)が患者さんに診断、治療方針を説明する場合、”丁寧”に行う。
だが、政治家同士での議論で”丁寧”にというのはちょっと違うような気がする。
それとも、政治家も先生だから、適切な使用例だというのだろうか。

学校の先生も医者も説明をする場合には、その時点で正しいこともしくは正しいと思われていることを包み隠さず話す。
それが、政治家は国家機密というような大それたものでもない、隠し事が多すぎる。
”丁寧”という言葉は聞き飽きたし、そもそも信ぴょう性がない。
まあ、多少の隠し事があるのは仕方がないが、”うそ・ごまかし”はあってほしくない。
岸田さんにはそれほど丁寧でなくてもいいので、”うそ・ごまかしのない"説明をして政治を行なっていって欲しい。
支持率が低くても気にしない

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10年後、世界はきっと明るく楽しいと考える

2022年11月21日 | 日々思うこと、考えること
夜来の雨は霧雨となっていたが、厚い雲に覆われて寒さもひとしお。
気圧の低下もあってか、体調は今ひとつで元気も出ない。
気持ちを明るくしてくれるようなニュースはあまりなく、日本のみならず、世界中が暗鬱な気分に覆われたまま時間が流れているようだ。

今週は明後日が勤労感謝の日で休み。
コーヒーのTVCMにもあるが、みなさんまだまだ働きすぎのような気がするので、少しでも休んだ方がいい。
そういえば、上野千鶴子さんが、あるエッセイのなかで、リモートワークをしている人の割合は年収が上がるに従って高くなるということを書いていた。
われわれのようなエッセンシャルワーカーは仕方ないが、いわゆるホワイトカラーの人たちのリモートワーク率をもっと上げることはできないだろうか。
とはいっても、新型コロナで一気に進んだリモートワーク環境が社会に根付くのには10年以上かかるだろう。
また、こんな考え方とは反対に、かのイーロンマスクなどは買収したTwitterの社員に出社して働くことを勧奨しているそうだ。

この先、世の中がどう変わっていくかはわからないが、10年後はどんな世界になっているか。
個人的にはいろいろあるだろうし、とっくに死んでいるかもしれない。
一寸先は闇とはいえ、世界が明るく楽しいものになっているだろうという夢をいつも見ていたい。
価値基準も変わっているか

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これでもずいぶん生きてきたものだ

2022年11月20日 | あの頃のこと…思い出話
新型コロナで2年ほど中断されていた地域の防災訓練が再開された。
妻の調子が悪くなって途中で引き上げたが、ご近所さんの顔を見ることができて、また見ていただいたのはよかったかな、と。

そして、夜は小学校のクラス会。
前に出たのは10年ほど昔だからずいぶん久しぶりだった。
残念ながら(?)、私のマドンナは来なかったが、みんなで楽しくワイワイ喋って過ごした。
気がついたら、ずいぶん遅くなっていて、終電近くになってしまったが、無事帰り着くことができた。

卒業したのが12歳ごろだったが今やそれからかれこれ48年、みんなよく生きているものだと我ながら感心してしまう。
それでも、あちこち痛いところ、具合の悪いところが出てきて、身体機能も落ちいている。
寿命というものがちょうどいい塩梅で調整されているものだと、ふと思った。
さすがに変わった

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ちからがでなかった1日

2022年11月20日 | 日々思うこと、考えること
昨日のクラス会の疲れが残って、なかなか力が出ない1日だった。
寒さもあったのだと思うが、午後からは雨も降って、さらに元気が出なかった。
新型コロナは第8波に突入したということを、マスコミはずいぶん騒いでいるが、インフルを合わせ、各自ワクチンを打って自己防衛をしないとならない。
そういえば、岸田内閣が3人目の閣僚更迭問題で揺れている。
これが安倍菅政権だったら、強行突破しただろうか、はたしてどうだったか。
それにしてもしょぼい人間しか周りにいないなんて、岸田さんもついてない。
呆れてものが言えない

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ファストファッション時代のコート大臣

2022年11月18日 | 日々思うこと、考えること
このところの朝の気温は12度前後と、いよいよ冬らしくなってきた。
ポインセチアの短日処理は思ったように進まないでいるが、クリスマスを目標にせっせと出し入れを続けようか、それとも、常夜灯の光が届かない裏庭に置くことにしようかと考えている。
というのも、夜中はポインセチアを玄関横のクローゼットに入れるのだが、コートの出すのに朝ここを開ける必要に迫られるようになってきたのだ。
体は寒さに徐々に慣れてきているのであまり苦痛ではないが、コートはもう手放せない。

そのコート、私は今8着か9着持っている。
4着ほどは自分が10年以上前から使ってきたもので、袖の擦り切れも目立つようになってきたものもある。

最近、義父と父から回ってきていた形見のフロックコートを着るようになった。
義父からのと父からのがそれぞれ2着、グレーと黒と濃紺と柄物。
義父も父も私より少し小柄だったが、コートとなると袖がちょっと短いぐらいであまり気にならない。
イニシャルが付いているが、義父のは致し方ないが、父の名前は健の字から始まるのでちょうどいい。
これに私の持っている古株のトレンチコートと皮のコートを着回せば、それだけで冬は楽に乗り切れそうだと思っている。

10年ほど前まではこういったコートは年寄りじみた感じがしたが、彼らの年に追いついてきてこういったものの良さがわかるようになってきたように思う。
また、かつての職場に勤務していた頃は片道30分近く歩いていたということもあって、ジャンパータイプのダウンの入ったコートの方が動くには都合が良かったということもあっただろう。

最近、妻からは場所を取るので、古着としてコートを処分してほしいと言われることがあるが、どれも私の小遣いで買うことのできるような代物ではない。
こうなると、私が以前から使ってきた袖が擦り切れてきた古参のコートを処分しなくてはいけないのかもしれないが、これはこれで愛着があって、そうやすと手放す気にはなれない。
SDGsというか、こんなのは当然のことだ。

ブランド物の洋服のうち売れ残りの余りものは廃棄処分にされるということが問題になっているが、初めてその話を聞いた時には耳を疑った。
ファストファッション時代となって、毎年莫大な量の服が生産され、その4割近くが廃棄されていると推測されるそうだ。
どうみても異常としか言いようがない状況だが、アパレル業界としては次々と買ってもらわなくては立ち行かない。
彼らからみたら私のような、ある意味”物持ちのいい”人間は、ただのケチでしかないだろう。
古着として再利用してもらうのもいいが、まだまだ着ることのできるものをわざわざそうやって処分してしまうのはどうも勿体無いと思われ、結局我が家のコート大臣として君臨しているのである。
一生もの

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心が弱った時にパラパラ開いて読む本

2022年11月17日 | 読書、映画、音楽、美術

最近、アップルウォッチがそろそろ震えそうだという予感めいたもので目が覚めることが多い。
起床時間まであと、4、5分あるので、ギリギリまで眠っていたいのだが、二度寝は難しいので、そのまま起きてカーテンを開けると払暁の空。
今朝は雲ひとつない。
夜明けが美しい季節だ。
これがもう少し経つと朝起きても真っ暗で、出かける時分になってやっと明るくなるということになる。
世界はますます混迷の度を深め、思考することが苦しく心が弱ってしまう気がするが、それでも多くの情報から私自身の芯になるものを見出していかなくてはいけない。

そんな時役に立つのが読書だ。
残念ながら、医学論文は客観的事実の羅列であって、人間社会を見出すことは難しい。
もちろん、科学技術の進歩の向こうにある人間社会を読み解くこともできなくもないだろうが、少々無理がある。
したがって、生き方に自信のない時、不安を感じるときには誰か他の人の書いた文を読むことにより心に”あそび”のような隙間をつくってやることで、自分の考え方を整理し、落ち着かせる。

今、なんとなく小説を読む気にならないのは、いまだ収まらないロシアによるウクライナ侵攻という、架空の世界をはるかに超越する非道と新型コロナウイルス感染症のせいだろう。
戦争という最悪の悲劇を避けて通ることのできない欧米を中心とした外国文学はもとより、日本文学にしてもマスクによって覆われた社会に人間性を見出すことは難しい。

私はこれまで生き方に自信がなかったからだろうと思うが、比較的多くの自己啓発本を渉猟してきた。
ある意味、こういった本は人の心の弱みにつけ込んでいて、最近はあまり買っていないが、ときどき”気晴らし”ついでに手に取っている。
そんな私が時々開く本が2冊ある。
わざわざ書棚から取り出すというわけではなく、ダイレクトメールやら販促用の月間誌と一緒の棚に置いてあり、手持ち無沙汰の時に読む。
別にこれらの本でなくてもいいのだが、今だに私の手元に残っているという意味では私との相性のいい本なのだろう。

これらは、松下幸之助の『道を開く』とジェリー・ミンチントンの『うまくいっている人の考え方』。
驚いたのは、それぞれを読んだのが、『道を開く』は2014/12/19『うまくいっている人の考え方』は2015/08/11で、ちょうど閑職に追いやられていた頃に読んでいた。
苦しい時に心を救ってくれた本がいまだに私のそばにいて、心が弱った時にそれを開いているというのは興味深いことだ。
どちらもソフトカバーの小さな本だが、こういうのを座右の書というのだろう。
ちょっと時間がある時、身構えることなくパラパラとページをめくり、生きる知恵、元気、勇気をもらっている。
ユーミンは卒業写真

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たとえそれが完敗でも言い訳せずに別の進路をみつける

2022年11月16日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昨夜、息子から、

これってお父さんがこの前に話してていたもの?

というメッセージと共に、COVID-19に関する論文が送られてきた。
タイトルを読んだだけで、”やられた”と思ったが、時すでに遅し。
先を越されてしまった。
実際は、すでに同様の先行論文が出ているので、これが私の大発見というわけではなかったのだが、臨床的なことまで言及されていたのは分が悪い。
いまある知見を集めてさっさと出さないと、このままでは国内でも負けてしまう。
それにしても、最初に発見してから1年以上経っているのに何もしないでいたのはサボっていたとの誹りを受けても何も言い返せない。

そんなわけで、昨晩はあまりよく眠れないまま過ごした。
あのときああだった、この時ああすればよかったなどなど発表が遅れてしまった理由を考えてしまった。
つい先日のエントリーに書いたことも結局は言い訳だった。

あーあ、と嘆くことはしないで、どうしたら反転攻勢に移ることができるか早速考え、この先の”後悔”という被害を最低限にする作戦を考えよう。

こんなことを書いていたら、別の研究者から、私が共著で書いた論文が海外の雑誌に採択されたという吉報が同じモニタに届いた。

悲喜こもごもである。
焦らずに

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