物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

旧湯川秀樹邸が京都大学の所有となる

2021-09-17 12:26:41 | 物理学
旧湯川秀樹邸が京都大学の所有となると数日前の新聞に出ていた。

京都が生んだ、偉大な文化人であり、物理学者でもあった旧湯川邸が売りに出されてこれを購入した建築業者が京都大学にこの旧湯川邸を寄贈したらしい。

改築はまだこれかららしいが、将来は何かの大学関係の施設として使われるということらしい。お庭がなかなかいいらしいので、いつか私の命のあるうちに庭園を見る機会があるといいのだが。

湯川さんの生前に面識を得た者の一人として、時代に変遷を感じている。最近では地下鉄が京都には通っているので、それほど交通の不便を感じないかもしれないが、この旧湯川邸はそんなに交通の便がいいところにあったとは思えない。

場所は下鴨神社の境内に接していたと思うが、どうだったのであろうか。新聞記事によると旧湯川邸もその前にどなたかの邸宅であったような書きぶりであった。

工学部の出身でも

2021-09-16 21:18:44 | 数学
工学部の出身でも学科によっては立体角とかステラディアンとかを知らないでもすむ学科があるとようやく知った。多分、そういう人が学んだ学科は、数学的な学科目が多い学科なのだろう。

昨日発行した「数学・物理通信」11巻6号に立体角のことを書いておいたら、いずれも同じ大学の工学部の出身の方から二人もステラディアンのことを知らなかったとメールをもらった。

別に知る必要がないのなら、それはそれでいい。ただ、それを知っていないと、いろいろなことの理解がうまくいかない学科の学生もいるということだ。

それだけのことではあるが、いろいろな人がいるということを知っておくことはいい。知識があるということは別に賢いということではない。

その立体角のエッセイの冒頭にも書いたが、ある数学者が立体角を知らなかったのだが、それは単に現代数学と技術とがきれいに分離してしまったいい証拠だと思う。

(2022.5.2 注)ここで同じ大学の工学部の出身でと書いたが、実は同じ大学の出身ではなかった。一人は京都大学の出身であり、もう一人は東京大学の出身者であった。本来、このことを早くにお断りして、ブログを修正するべきであったろうが、わざとここにまちがいを残しておく。

私自身はこの方たちのような立派な大学の出身者ではないことも付言しておく。また、このお二人とも応用数学かもしれないが、数学と関係の強い学科の出身であったことはまちがいがない。


今日は一日外回り

2021-09-16 16:47:36 | 本と雑誌
「今日は一日外回り」とは言っても大したことはしない。仕事場の隣の郵便局に行って、お金を引き出すこと、「数学・物理通信」を印刷したものを I さんに送ること、近くの銀行の支店に行って、送金をすることとかをした。

今日はこれでおしまい。大体が外へ出て行くことなど滅多にないのだが、それでも時々はそういう用事を済まさねばならないこともある。

ちょっと腰を落ち着けて本を読もうかとしたが、本当は9月末締め切りの論文を書かねばならないときがきているのに、その気になれない。困った困った。

昨夜のNHKのEテレ「旅するためのイタリア語」から

2021-09-16 13:06:00 | 本と雑誌
昨夜のNHKのEテレ「旅するためのイタリア語」から。

Pu‘o fare po'di sconto ?  すこし値引きしてくれますか
Pu‘o chiamare un taxi ?  タクシーを呼んでくれますか

Mi pu`o fare un pacch'eto regalo ?  プレゼントをラッピングしてくれますか
Mi pu‘o  fare una foto ?  私の写真をとってくれますか
Mi pu‘o portare un piatto ? お皿を一皿もってきていただけますか
Mi pu‘o offrire la cena ?  私に夕食をおごってくれますか
Ci pu`o offrirre la cena ? 私たちに夕食をおごってくれますか
Mi pu‘o portare il menu ? メニューをもってきてくれますか

Dove va di Bellto ? どこかすてきなところへ行きますか
Che cosa fa di bello ? 何かすてきなことをするの

ドイツ語でも値引きはSkontoというのでscontoはなじみのある語だった。


「他人から見た武谷三男 7」に集中しなければ、

2021-09-15 11:54:04 | 本と雑誌
今日は9月15日である。そろそろ「他人から見た武谷三男 7」に集中しなければならない。

これは毎年「徳島科学史雑誌」にここの数年書いている、武谷三男に関する評論の続きである。

今年は伊藤康彦さんの『武谷三男の生物学思想』という本を読んでの私の意見を書くものである。8月の研究会で発表したときに、少しこの本を読んだのだが、伊藤さんの論理は鋭くて、なかなか武谷もコテンパンに論破されている。

そこを少しでも論破されたところを拾ってやるというのが私のしたいことである。だが、その作業はとても難しい。

サッカーの名言

2021-09-14 17:06:40 | 本と雑誌
昨夜のNHKのEテレの「旅するためのドイツ語」でのサッカーの名言は

   Fussball ist keine einsame Insel.
  Er ist Teil der Gesellschaft.
                Franz Beckenbauer

 サッカーは孤島ではない。
  社会の一部である  フランツ・ベッケンバウア

であった。できるだけ多くの人にドイツ語に親しんでもらうためには、読みをカタカナで入れるべきだと思うが、省略する。

数学・物理通信11巻5号をようやく発行した

2021-09-14 12:13:52 | 数学
先週末にはできあがっていた数学・物理通信11巻5号だが、ようやく昨夕発行して有志の方々に通巻100号を送付した。

つづいて、11巻6号もできあがっているのだが、最終点検がすみ次第、今日か明日のうちには送付できるだろう。

これは101号ということになる。したがって、また101号からの出直しの感がある。誰からも褒められるようなことでもなく、自分が好きでしていることである。

しかし、この好きでしているということが強い。それに自分の労力は使うが費用がかかるわけでもない。

読者も購読料をはらう必要もまったくない。だから、利害を超えた支持を得られたりもする。それでも数十人への配布をできている。

もっとも配布を断られたりすることもある。大学の数学のある先生には読まないからといって、送付を断られたこともある。これは私の勤めていた大学の元同僚であった。





月曜日は気力が充実している

2021-09-13 11:49:51 | 本と雑誌
月曜日は気力が充実している。私は土曜は休まないが、日曜は休むことにしている。それこそ怠け者で日曜は居間の椅子に座って何もしない。

テレビを見ていないときは、あまり多くはない庭の木の緑の葉を所在なく眺めていたりする。

あまり所在がないのを嫌って妻がときにテレビをつけたりするが、そういうときにテレビを見たりするのはむしろ嫌である。そういうことを妻に直接言ったことはないが。

そういう休息があるからだろうか、月曜には仕事をしたいという欲求が強く出てくる。最近は週休2日であり、土、日と休むのが普通であるが、2日も休むのは私の場合は休みが多すぎると感じている。




久しぶりに理髪店に行った

2021-09-11 14:30:16 | 本と雑誌
理髪店にはわるいのだが、あまり頭を刈るのは好きでない。それでもあまり頭を刈りに行かないわけには行かない。これは会う人に失礼になるかもしれないからだ。

あまり人には会うことはないのだが、それでも皆無ということでもない。

まあ大体はパソコンの前に座ってメールをすれば、すむようなことが多い。

そういう意味では私の住む世界はvirtualの世界かもしれない。もっとも私などのvirtualの意味と実際に使われているvirtualの意味は外れているのかもしれない。

いつだったかテレビか何かで見たvirtualの意味は「実質的の」とか訳されていたので。

イタリア語で最近このブログでも書いた、puntaleという語が出てきたが、これはドイツ語で知っているp”unktlichと同じ意味なのでヨーロッパの言語の間の類似性が感じられた。



「数学・物理通信」11巻6号の編集も終わった

2021-09-10 17:26:54 | 本と雑誌
昨日から始めていた「数学・物理通信」11巻6号の編集も終わった。

とはいってもまだ編集後記はついていないし、変なことで差し戻しも起こりうる。私の当面の仕事は終わったというだけである。

行きがかり上、11巻7号も原稿が整えば、発行の予定である。あまり時間をこの仕事に9月は取られたくはないのだが、しかたがない。

もし、3号を一挙に一か月で発行できるとすれば、本当に久しぶりである。




今週も金曜日になった

2021-09-10 11:46:44 | 本と雑誌
この歳になっても毎日忙しい。

だから、木曜の夜のドイツ語のクラスが終わるとちょっと気が抜けたようになっている。

別にドイツ語のクラスでがんばって勉強しているという気もない。それはそうだが、やはりなかなかドイツ語を聞くのは難しい。そして、それを再現することを求められるのだが、なかなかどうだったか覚えていない。

まったくあるドイツ語の会話を聞いているのに頭に残らないようである。参加している各人が1回づつ会話のある部分を再現させられるのだが、聞いただけで文字はないのとそれを記憶で再現する。

調子が悪いと思われたときは順番を下げて、4人目にしてくれるとかの配慮はしてもらえるので、その場合には他の人の話すのを聞いて話の筋を記憶するようにする。

私以外はみんな60代以下だが、私だけ80歳代である。

昨夜のEテレの「旅するためのイタリア語」から

2021-09-09 15:53:22 | 本と雑誌
  A che ora parte il prossimo treno ?  
(ア ケ オラ パルテ イル プロシモ トレノ)
    つぎの電車はいつ出発しますか
 Sono puntuale.
    定刻通りに
 Alle cinque e venti.
  5時20分に
 All'una e un quatro
      1時15分に
 Dove andiamo  ?
      どこへ行きましょうか
     
   A che ora arriva ?  (ア ケ オラ アリヴァ)
    何時につきますか
 Che ora `e ?
    何時ですか
  alle `e 21
   21時に
 Dieci meno dieci  (ディエチ メノ ディエチ)
  10時10分前に(9時50分に)
 Che ore sono ?
   何時ですか
 Sono due e nove.
  2時9分です
 `E l'una.
  1時です
Sono le sette mezzo.
 7時半です
Alle undici e mezzo
 11時半です。

放送を見ながらの書き取りは正確ではないかもしれない。その節はご容赦を!

(2024.4.22付記)
これらがすらすらと発音出来たら、いっぱしのイタリア語通かもしれないですね。もっとも私は発音できるけれど、あまりイタリア語通ではありません。カタカナででも発音を書いておきたいけれど、ほんの一部を除いて、カナをつけるのは面倒なので止めておきます。

  

いま編集途中だが

2021-09-09 13:12:26 | 数学
いま編集途中だが、通巻100号の「数学・物理通信」を編集している。

それに私の以前に書いたエッセイを一部書き換えて載せようとしている。ところがその編集途中のものを編集委員の S さんが読んでいくつか修正点を指摘してくださった。

その中に複素数の範囲では2次方程式の解が1つだと私が書いたのを,2つでしょうと指摘してくださった。もちろんその通りである。

いつのまにか2次方程式x^{2}=-1の解が1個とまちがって書いたのはおかしい。中学校以来、2次方程式の解はいつでも2個だろうに。

実は、2次方程式x^{2}=-1の解は、数として、実数しか認めない立場なら解は一つも存在しないし、複素数まで認めれば、解は2個となる。

ところが、ところがである。四元数まで数を拡張すれば、2次方程式x^{2}=-1の解は無限個あることになる。

それも無限には可算無限と連続無限とがあるが、連続無限となるのである。

可算無限と連続無限とを比べれば、可算無限よりも連続無限の方が濃度が高い。可算無限では無限ではあるが、番号をつけることができるが、連続無限では番号をつけることもできない。

昨日から

2021-09-08 11:45:46 | 本と雑誌
昨日から「数学・物理通信」11巻5号の編集にとりかかっている。

ところがいつも使っているpdf文書を結合させるソフトがうまく動かない。昨日はこれの原因がわからなかったので、このソフトが壊れてしまったのかと思った。実際はそうではなくて、6月だったかにこのソフトを使ったときにいつもの使い方ではなく、むしろpdfの文書を分離するのに使ったらしい。