物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

星への距離の測り方

2018-09-29 16:59:39 | 日記
を木曜のドイツ語のクラスで聞かれたが、ほとんどそれについて知らないことに気がついた。妻がスマホで調べてくれたところでは結構ネット上では質問がされ、またその答えがされているようだ。

この機会に調べてエッセイを書いておこうと思っているのだが、投稿予定の原稿がまだできあがってはいないので、10月1日以降になりそうである。

たぶん、インターネットの説明だけでは不十分であろうから、それを数式等で補いながらすこし詳しく説明をしたいと考えている。

9月にもう一号発行する予定だった「数学・物理通信」もできたら、発行したと思ってはいるのだが、さて果たして実際に発行できるだろうか。

ようやく原稿が

2018-09-29 16:48:07 | 日記
完成したわけではないが、ようやくなんとか最後まで書いたという次第である。これから読み直しをしないといけない。

この原稿を一応最後まで書き上げてみないとどうしていいかわからないからである。これからまた何回も読みなおしをして最終稿にしあげなければならない。

それでも批判しようとして、とりあげた論文の一部しか取り扱えなかった。どうも時間切れである。それで今朝からブログも書かないで必死でパソコンに入力した。

昨夜、A4で4ページほど手書きで書いたので、それを入力した。形だけは論文の体裁が整ったが、内容はまだ検討しなければならない。

毎年、いまごろ投稿原稿を書くのに追われている。今朝も昨年の9月28日のブログをちょっと読んだが、同じ日に原稿ができあがったようである。ただ、今年はまだ文章はあまり練られていない。

昨年も編集者にご迷惑をかけたのだが、毎年その様子は基本的に変わらないようである。進歩のないことである。

作家の言うことが少しわかったかも

2018-09-28 14:23:41 | 日記
作家が小説を書いているときに、その小説の登場人物が一人で動き始めて、その勢いに作家自身が身を任せるとか作家の文章で読んだことがある。

そんな!と思っていたのだが、昨日の論文「他人から見た武谷三男 4」を書いている途中でそういう感じと思われる状態に一時陥った。

なんだか自分の書いている文章だが、それが一人で歩きだすような感覚をほんの一時ではあるが、感じた。こういうことは長年数学エッセイを書いてきたけれど、まったくはじめての経験であった。もちろん、文章を書いているのは私自身なのだが、不思議な感覚であった。

他人から見た武谷三男4

2018-09-27 12:23:24 | 日記
という論文を「徳島科学史雑誌」に投稿するためにせっせと書いている。今日がもう9月27日で10月1日が投稿締め切りなので、もう時間がないのであるが、ようやく半分くらい書いたところである。

ただ、昨日ちょっと自分でも予想しなかった展開になる様相を呈してきた。というのは K さんというある劇作家の方が書いた、武谷批判の論文への反論を書いているのだが、太平洋戦争の終結に関してのある一つの考えに到達した。

広島と長崎への原爆投下によってすくなくとも合わせて30万の人々が投下後数か月以内に亡くなった。それを K さんは武谷が是認したととっており、それを絶対に認めるわけにはいかないという。

そんなことをもちろん、武谷は書いているわけではない。もちろん、そうとられる恐れはないわけではないが、ちょっとあまりに敷衍しすぎた解釈であろうというのが、私の論点である。

これは武谷の文章は「革命期における思惟の基準」という1946年の論文で、武谷を批判する論者がたいていこの論文の冒頭部分をもとに武谷三男を大いに批判してきた論文である。たぶん、この文章の冒頭箇所を弁護した論者など少なくとも私は見たことがない。

それをあえて武谷批判に反論をしようとしているのだから、とても困難である。

だが、これを日本の敗戦を認めるポツダム宣言の受諾の時期とあわせて考えると、すくなくとも沖縄戦は組織的には1945年6月20日に終わっていることを知った。そうするともう太平洋戦争は日本にポツダム宣言の受諾を迫った文書は同年の7月26日には外交的に政府は受け取っていたとのことであり、その前の沖縄戦は日本の大敗北になり、6月20日には実質的に終わっていた。

だが、それでもポツダム宣言の受諾をこの直後にしてもよかったのに、当時の日本政府は受諾をしなかった。そして、8月6日と8月9日の原爆投下が行われたのであった。

そのことを武谷は「実際、日本軍国主義の野蛮は、困ったことには原爆のような、彼らには全く得体の知れないウルトラ級のもので吹き飛ばなかったことは確かであった」と書いたが、それを K さんは、「軍国主義の野蛮をふきとばすためには何十万の人民が焼き殺されてもよかったのである」という。

それは話が違うのではないかというのが私の意見である。

武谷は「軍港主義の野蛮をふきとばすためには何十万の人民が焼き殺されても仕方がない」とは書いていない。あくまで日本軍国主義のことだけしか書いていない。

その当時の日本国政府に敗戦を受け入れるつもりがあれば、広島と長崎の原爆の投下は十分に避けられたはずである。いくらなんでもすでに敗戦を受け入れた国に原爆を投下することは倫理的に許されないだろうから。それも沖縄の地上戦はすでに実質的には6月20日には終わっている。散発的な戦闘とかはあったとしても、これはもう組織的な戦闘ではなかったとは昨日インターネットで知った歴史的な事実である。

国の軍部が戦争をするということに対する明確な見通しが欠けていたとかいうことは折に触れて聞いたことがあるが、その後もどう戦争を終結させるのかという見通しが当時の政府には見られない。どうにもこうにもならない事態にまでいたっていたのに。


歴史的事実としてはポツダム宣言の受諾を発表して日本政府が敗戦を受け入れたのは1945年8月14日だという。これは妻が私がこの話をしたときに、すぐにスマホで調べてくれたことである。

現在でも指摘されるが、沖縄の犠牲の上に成り立っていた。その支配層の思考形式は現在のアメリカの基地の沖縄への集中にもみられる。政府の思考構造は70年前も今日もあまり変わっていないと思われる。

こういう事実にまで K さんが思いが及んでいたとは思われない。K さんと私は同年の1939年生まれであり、戦後に教育を受けて育った世代である。


体系的な書物を著した人たち6(補遺4)

2018-09-26 11:57:09 | 日記
そろそろ最終章の10章の「フェルマーの最終定理」を読み終わってもいいころだが、まだ10.4の「楕円曲線の世界」までしか読んでいない。10.5 「保型形式の世界」と10.6 「谷山・志村の定理」のところはまだ読んでいない。

その前に息切れしてしまった。それでその2つの節を読まないで、10.7 「打ちあげ」を読んだ。昨夜に一気に読み終わるには荷が重すぎた。

しかし、谷山・志村の定理に至るあら筋はすでに示してくれているので、まああらかたこの本を読んだといってもいいかもしれない。

まあ、いくつかの宿題は残っているわけなのだが。私などにも案内をいただいたことには感謝をしたい。

まあ残りの部分を読まないと何かをいうのはいけないのだろう。

体系的な書物を著した人たち9

2018-09-25 10:41:59 | 日記
少しは面識のある方の書籍も取り上げないといけないだろう。取り上げたいのは武藤徹先生の書である。

一番初めに先生の名前を知ったのは朝日新聞の記事からであった。そのときに数学思想史家であるということだった。そのうちに『新しい数学の教科書』I 数量編、II 図形編(文一総合出版)がでたときに E 大学の生協書籍部から1部を購入した。

そのときに出版社を通じて先生に質問をしたら、メールのアドレスを教えてもらった。その時がおつきあいができるきっかけであった。そののちに私がその当時作っていたe-learningのコンテンツをお送りしたところ、なんと先生が以前に出版されていた『数学読本』I [代数学と幾何学], II [線形代数学・解析学] III [微分積分学・統計学](三省堂)を送っていただいた。

ということでお知り合いになったのだが、そのころはネット上のおつきあいにすぎなかった。基本的にはいまでもそうなのだが、先生の教え子の東京都立戸山高校の卒業生が主催したある集会に出席して、先生にお目にかかることができた。

その後、先生は『武藤徹の高校数学読本』1-6 (日本評論社)を出版された。その内容は

1.数と計算のはなし
2.図形のはなし
3.多次元世界をのぞく
4.運動と変化のはなし
5.ミクロとマクロをつむぐ
6.大量現象のはなし

である。そのほかにも『面積の発見』(岩波書店)を出版されている。これらの書物は先生が90歳を超えるか超えないか、のころに出版されたものであり、もちろんそれ以前の教育における蓄積がこういう出版に結びついたものである。

そのほかに先生と三浦基弘さんとの共著の『算数・数学用語辞典』『数える・はかる・単位の事典』(東京堂出版)と『算数・数学活用事典』(日本評論社)がある。これらは数学教育に関心のある人には大いに役立つであろう。特にこの3冊にはその用語にほとんど英訳がついており、役立ったことがあった。なかなか初等的な数学用語を英語でどういうか知らないことが多いから。

一つだけ反数という用語の説明はあるのに、それに対応する英語がなかった。これは銀林浩先生親子の編纂した本にopposite(s)とある。

いつかこのブログに書いたことがあるが、反数という用語は数学者の遠山啓先生のつくった語だろうとかなり長い間思ってきたが、一般的な用語であるということを知ったのはベルの『数学をつくった人々』(東京図書)を読んだからであった。

いずれにしても、わたしも武藤先生の活力を大いに見習いたいと思う今日この頃である。


体系的な書物を著した人たち6(補遺3)

2018-09-24 11:28:02 | 日記
昨夜、テレビを見終わったのちに、『数学ガール』-フェルマーの最終定理- の第8章「無限降下法」のところを読んだ。なかなか数式ばかりでどうなることかと思ったが、最終的には筋が通っていた。なかなかここまで粘り強くは追求が私にはできない。

結城さんは優れた数学の理解者でもあるのだろう。それにわかりやすく書く才能がある。また、多くの読者があり、読者から意見やコメントをもらえるようである。

これで最終の第10章を「フェルマーの最終定理」を残すのみとなったが、どうもこの章が読み通せるか自信がないのは昨日も書いた通りである。もっともほかの章でも私に読めるのかと思っていたのだが、その危惧は当たらなかったので幸いだった。

それにしても副題の「フェルマーの最終定理」は私などには関係のない本だと思ってしまっていたのはまちがっていた。それでも図書館で借りてきてその先入観を払しょくできたのはよかった。

結城さんの他の著書はどうなんだろうか。

体系的な書物を著した人たち6(補遺2)

2018-09-23 14:38:40 | 日記
1章1章づつだが,『数学ガール』ーフェルマーの最終定理ー の3章「互いに素」と4章「背理法」を昨夜に読んだ。今日は日曜であるので、午前中は第7章「ヘアスタイルを法として」を読んだ。

「互いに素」では最大公約数の求め方を知った。これは普通にはユークリッドの互除法とか素因数分解して共通な因数を取り出して求めたりするが、後の方法の一般化した話である。

\sqrt{2}が無理数であることの背理法での証明も読んだ。これは高校数学でテクストの欄外に説明があったのだが、数には関心をもたない、私はきちんと読んだことがなかった。

環の定義が始めて頭に入った。というか、体と環との区別ができていなかったが、そこがわかった。もっともこの本の説明を見たあとで、遠山啓編著の『現代数学事典』(明治図書)を開いてみたら、同じことが書いてあった。何回かこの事典を開いてみているのだから、ここのところを読んでいるはずなのに、頭には落ちてきていなかった。

環が納得できたら、多元環の説明も頭に入ってきた。そして複素数とか四元数も多元環の一つであることも了解できてきた。

言葉だけが頭にあってもそれが頭のどこかに落ち着いてくるのは別のことである。

『現代数学事典』には基底ベクトルの間の乗法の関係を示す構造定数にある関係がなければ、結合法則が成り立たないとある。四元数まではこの結合法則が成り立つが、八元数にはこの構造定数の間の関係がもう成り立ってはいないのだと想像できた。

もっとも立ち入った事情はまだ知ってはいない。森田克貞さんの『四元数・八元数とディラック理論』(日本評論社)を読む必要があろう。

元へ話を戻すと『数学ガール』であるが、ようやく第8章と第10章を残すのみとなったが、いまでも第10章が読み通せるかどうか自信がもてない。

私のこの本の読み方は途中の第5章、第6章から入って、第9章へと飛びといった、いきつもどりつの読み方である。こういう読み方が一般の人に勧められるわけではない。


体系的な書物を著した人たち6(補遺)

2018-09-22 16:53:36 | 数学
結城浩さんの『数学ガール』ーフェルマーの最終定理ーの第2章「ピタゴラスの定理」のところを昨夜読んだ。

単位円周上の有理点のところの話が「原始ピタゴラス数は無限にあるか」と関係しているとは第2章の最後まで思わなかった。

松坂和夫先生の『数学読本』にもそのような話があったのだが、それを理解していなかった。私の関心はこの件に関しては、\sin \theta とか\cos \thetaを\tan (\theta/2)で表すことにあった(「数学・物理通信」5巻11号参照)。

先日も書いたが、-1の複素数の意味は私もいたるところで書いているが、感動ものである。これが実はフェルマーの最終定理について書いた、この本に出ているとは思わなかった。

もっともe^{i\theta}を1への演算子として考えるという観点があれば、もっと面白いのではないかと思うが、そこまでを望むのは望みすぎであろうか。

実はこの本を図書館で借りて読んでいるが、近いうちに自分でも購入しておきたい考えている。しかし、フェルマーの最終定理などという副題を持ったこの本など自分でははじめからは購入の対象とはならないだろう。

中身を読んだから、購入して自分でも持っておきたいとか考えるようになった。図書館も大きな役割をしているかもしれない。

体系的な書物を著した人たち8

2018-09-20 12:17:26 | 数学
つづけて、松坂和夫さんをとりあげよう。

数学者で、かつ分かりやすい数学書の著者ということであろう。『数学読本』全6冊と『解析入門』全6冊(岩波書店)を書いておられる。

いつだったか、グラフの平行移動に関心があって、『数学読本』のシリーズのうちの1冊を参照したことがあった。残念ながら私の納得が十分に得られたということではなかったが、それでもある種の著者の工夫が感じられて好感をもったことを覚えている。

『数学読本』のほうは高校レベルであるが、『解析入門』は大学レベルである。松坂先生といえば、『集合・位相入門』とか『代数系入門』の著者であり、『集合・位相入門』は名著とかアマゾンコムの書評で読んだことがあるが、まだ私はまだもっていない。

松坂先生はラングの『解析入門』と『続解析入門』(岩波書店)の訳者である。これらはもっている。この『解析入門』には三角関数の半角の公式の導出法がいいことを見つけてうれしかった覚えがある。同じ導出法を私は藤森良夫先生の本から学んだものであったが、ほかの本ではあからさまに同じような導出法を述べたものを見たことがない。

それで私が以前にE大学在職中に「電気電子工学科ミニマム」を編集したときに、採用した半角公式の導出法である。

また、『線型代数入門』(岩波書店)ももっているが、これは残念ながら、あまり詳しく読んだことがない。


(2018.10.1付記) 岩波書店のPR誌「図書」10月号によれば、11月に「松坂和夫『数学入門シリーズ』」が発行されるという。

それによれば、
1.  集合・位相入門
2.  線型代数入門
3.  代数系入門
4-6.解析入門 (上)(中)(下)
だという。すべて大学程度の数学をとりあつかっている。高校程度の数学である、「数学読本」は入っていない。

体系的な書物を著した人たち7

2018-09-20 11:22:35 | 数学
数学者で数学教育に関心を持つ人として、志賀浩二さんがいる。

『中高一貫数学コース』という10冊か11冊のシリーズのテクストを岩波書店から出版している。これは中学校と高校のテクストであるが、読み物風の書籍としては『数学が生まれる物語』と『数学が育っていく物語』も出版している。これらも同じ岩波書店からの出版である。

『数学が生まれる物語』は「数の 誕生」「数の世界」「式と方程式」「座標とグラフ」「関数とグラフ」「図形」の6冊であり、これらは中学校くらいの程度である。

また、『数学が育っていく物語』は「極限の深み」「解析性」「積分の世界」「線形性」「方程式」「曲面」の6冊であり、高校から大学1~2年くらいであろうか。

これらの本はすべてもってはいるが、まだ詳しく読んだことはない。ただ、こういう本の持っているときに応じて中を検索したり、参照したりすることができる。

無限級数の和に関心ができたときに参照したら、Cauchy-Hadamardだったかの極限値をとる形の発見法的な説明があり、ちょっと腑に落ちた感じがした。

これに関したことは近いうちに数学者の N さんが独自の説明を展開してくれるのではないかと期待しているのだが。

体系的な書物を著した人たち6

2018-09-19 13:50:18 | 数学
結城浩さんの『数学ガール』(ソフトバンク・クリエティブ)のシリーズははじめはオイラーだとかフェルマーだとかを扱っていたのだが、いまでは高校数学もいわば、教科書的な副読本を書かれるようになっている。

本の定価が比較的安価で結城さんの書きぶりがわかりやすいとかいうこともあり、結構売れているらしい。

本のテーマとして自分のわからないことを書く人はいないだろうが、難しいテーマを取り扱うときもじっくり1年くらいかけてご自分が多くの本や論文を読み、かつよく理解してからかかれると、このシリーズのどれかの1冊で読んだ。

結城さんはもともとはプログラマーだそうだが、いまでは数学の啓もう書の著者としてのほうが有名であるかもしれない。

(2018.9.21付記)

昨夜、この結城さんの『数学ガール』ーフェルマーの最終定理ーの5章と6章をたまたま読んだ。この書を図書館から借りて帰っていたのだ。「砕ける素数」と」「アーベルの涙」というタイトルがそれぞれついている。わかりやすい。おもしろい。この本のファルマーの最終定理は私にはわからないだろうが、これらの章はわかった。日本の文化の層の厚さを感じた。

この本を読んで数学を目指すようになる若い人も出るのかな。そんなことを思った。私はこの本の前の章を読んでいるわけではない。たまたま5章と6章を先に読んだのである。

結城さんには難しい内容でもわかりやすく書ける才能がある。本人の努力はいかばかりかと思う。

上の本の第1章「無限の宇宙を手にのせて」と第9章「最も美しい数式」の章を読んだ。第9章の内容は私も何回か書いたことがある。ある数の累乗の意味を説明したエッセイはまだ書いたことがないけれど。孫が中学生になるころにはこの本を読ませてやりたいものだ。とはいってもまだ孫は1歳9か月くらいである。

この本の全体はほぼ10章からできているから、そのうちの4つの章を順不同にいままでに読んだことになる。ほかの章が読めるかどうかはわからない。ただ、本の順番には読めそうもない。興味がわくところから読むしかない。

シェア・カー

2018-09-19 13:12:36 | 日記
というのかどうかよくは知らないが、若い人たちには自分で車を買うという傾向が減っていて、その時々で車は借りたらいいという考えだという。

これは車を持てば、税金もかかるし、第一、駐車場がいる。それよりも時々で町のそこここにあるタイムシェア―の車を借りたほうが安上がりだという。

それはそうだろうが、自動車産業の落日が目に見えるようだ。以前からレンタカーのシステムはあったが、それよりは気楽に借りられるということだろうか。

企業は自分の利益を上げるために非正規社員を増やしたりして合理化を図ってきた。だが、それは実は自分の首を絞めることになったとは皮肉である。非正規社員が増えて所得が少ないと車を買う人も少なくなる。そうするとまた必然的に正規の社員を減らして利益を確保しようとする。そうするとまた車は売れなくなるという循環のループができるというわけである。

もっとも都会では地下鉄とかの公共の交通手段が発達しており、日常生活で車は必要ではない。そうするとたまに家族で遠出をするときにのみ、シエア・カーを利用すればよいともいえる。それにたとえば、東京なら、住居を手に入れるとその支払いで人の一生がかかってくる。だから車を購入するということはできないだろう。

それに車を増やすことが環境にいいかということもある。いずれにしても自動者産業の落日を見るのはそう遠い先でもなさそうである。



数学の定理が解けたとか

2018-09-19 11:25:26 | 数学
今日の朝日新聞に書いてあった。「直角三角形と二等辺三角形で辺の長さの和と面積の両方が等しいものはあるのか」という問題の解が得られて、数学の専門誌に載ったという記事である。一組だけあるということが証明されたという。

こういう三角形は二等辺三角形だと(132, 366,366)であり、直角三角形だと(135, 352, 377)であるという。

面積は23760で辺の和は864であるという。図を描けばすぐに問題の意味はわかるのだが、ここでは図を描けないのでちょっとわかりにくいだろう。

解いたのは慶応大学の大学院生の二人組であるという。おめでとうを二人に申し述べたい。


二等辺三角形の辺をp,2qとし、直角三角形の三辺をm, n, hとする。二つの三角形の面積をSとし、辺の和をLとすると、

L=2p+2q=m+n+h, S=rq=\frac{1}{2}nh

またr^{2}=p^{2}-q^{2}, m^{2}=n^{2}+h^{2}

が成り立つ。ここですべてのp,2q,r, m,n,hはすべて整数である。こういう代数方程式を立てて解いていったのだろうが、新聞には言葉での説明しか書いてなかった。





心ここにあらず

2018-09-18 11:48:12 | 日記
というか。昨日までとても忙しくしていた。ようやく自分のことをする時間がとれそうになってきた。論文のことが気にかかってはいたのだが、どうもそれには時間が取れなかった。

今日になってようやく郵便で武藤先生に原稿のコピーを送った。それと武谷の論文のコピーをとってきた。これを見て、論文の冒頭箇所をパソコン入力するつもりである。

そこから、今年の徳島科学史研究会の論文の書き始めができる。締め切りまでには2週間をきったのだが、まだはじめの数行しか入力をしていない。