物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

「数学・物理通信」10巻2号を発行

2020-03-31 17:15:58 | 数学
午後になって「数学・物理通信」10巻2号を発行した。

もう一日くらい手元に置いておいた方がよかったのだが、だんだん年寄りになってこらえることができなくなっている。

手元に長くはもっておきたくないのである。要するに時間をとるということができなくなっている。もっとも今回はもう数日手元においてもあまり変わらなかったかもしれない。

今回は2号の発行は無理かなと思っていた。1号の発行の後で私の原稿が出来上がる予定が立たなかったからである。それでもなんとか自分の原稿ができたので、発行にこぎつけた。

2号はSさんの新型コロナウイルス関連の論文が掲載されいるので、ひょっとしたら話題になるかもしれない。



数学を語る者は

2020-03-31 11:55:02 | 数学
「ギリシャ人以来、数学を語る者は証明を語る」 ("Depuis les Grecs, qui dit mathematique dit demonstration") デュピー レ グレク、 キー ディ マテマティーク ディ デモンストラシオン(フランス語ではアクサンを省略している)。

と言われてもそれになっとくはしない気持ちが私にはある。証明ではなくて、ある定理をどういう風に発見したのかそういうことを知りたいではないか。

この句と最近出会ったが、その出会いはかなり偶然でもある。「数学・物理通信」10巻2号にSさんが新型コロナウイルスについての論文を書かれた。それを読んで以前に買ってもっていた2冊の本のことを思い出した。

それは佐藤總夫(ふさお)さんの書かれた『自然の数理と社会の数理』I, II(日本評論社)であった。

3月29日の日曜の夕方この2冊の本を2階の書斎から下ろしてもってきて、テレビの前のこたつの机の上で、その「あとがき」のところを読んでいたら、冒頭に書いたフランス文が書かれていた。

佐藤さんは数学者だったが、数学者としては特異な感性の数学者であり、私は大いに彼の隠された情熱というか気持がわかる感じがした。

「数学が証明を語る」のはしかたがないかもしれないが、それだけではだめなのではないかという気が私もとても強い。

「微分方程式で解析する」というのが、上の2冊の本の副題になっている。しかし、これらを雑誌「数学セミナー」に連載していたときにはそのタイトルは「微分方程式で解析する」であったという。

こういう書物を読んだりするだけではなく、そういう研究をしたりするという数学者は多いわけではないかもしれないが、一定数はいると思う。

これは大学院生だったころだが、数学者の故佐々木右左先生に大学内であったときに、この先生からゼリドーウィチの『数学入門』(岩波書店)がとてもいいと教えられたことを思い出した(注)。

(注)故佐々木右左先生は教養部で微積分を学んだときの先生である。彼は私と同郷の愛媛県の出身でもあった。






「数学・物理通信」10巻2号が準備できた

2020-03-28 16:26:21 | 数学
「数学・物理通信」10巻2号の編集の第1段階は終わった。

今日は土曜なので、明日の日曜日を1日かけてプリントした10巻2号を読んでみるつもりである。

というのはこういうものはディスプレイ上でいくら見てもミスはなくならない。プリントしてきちんと見ないとミスはなくならない。

それでも、この第一段階のプリントまでの段階がなかなか手間がかかるのだ。もっともこの最終段階のプリントを見るのもけっこう気が疲れる。最終段階であるから、できるだけミスを少なくしたい。

この段階で結構ミスが見つかるものだ。たいてい、月曜日にはいっぱい、赤の修正が入った原稿を修正しなくてはならないのが普通である。それでも月曜日の修正が終われば、もう十分いいかといえば、なかなかそうもいかない。

それでもこういう仕事が好きだからやっているので、嫌いならもうやってはおれないだろう。それでも自分のそんなところが恨めしくもあるから、人間はやはり一筋縄ではいかない。

人の考えは

2020-03-28 13:03:41 | 数学
人の考えはなかなか理解が難しい。いや、これは私がいつも人の考えを理解するのが難しいと思っていることが基本にある。

しかし、最近書いたエッセイを読んでくれた方から理解が難しかったといわれたので、ああ私も人には理解してもらえ難いところがあるのだなとようやくわっかった。

以前に「数学・物理通信」への論文を投稿者されたTさんにも私の思考がなかなかわかってもらえなかった。いろいろやりとりがあって、結局は理解してもらえたと思うのだが、それでもその理解をしてもらうにも時間がかかった。

私は凡人だから、数学だって物理だって凡人が理解できることを重視している。だから世の賢い人が深い洞察で得た知見でも、凡人でもわかるようにできないかという気持ちが強い。

方程式が与えられて、それを解けば答えがわかるというときに、じゃあ凡人ならどういうふうに考えたら、「その方程式を考え出せるの」というふうに考える。

そういう考えでときどき役に立つのはパラメータを用いる方法である。もっとも自分でもその基礎づけがうまくいかないときもある。現在行き詰っているのもそういう種類の事柄である。


 


長引く新型コロナウイルスとの闘い

2020-03-27 16:59:45 | 健康・病気
中国の武漢市ではじまった新型コロナウイルスの感染症がこんなに長く続くとはだれも予想していなかった。

安倍首相は2週間ほどがんばれば、なんとかなるという感じだったと思うが、なかなか2週間どころか2か月でもかたがつきそうにない。

若い人にはあまり厳しい症状にならないためとかで自粛する若い人はあまりいなかったのだろうか。

結局、若い活動的な人はあちこち移動するから、必然的にウイルスに感染するリスクが大きい。ところが若い人自身は軽症で治癒するから自覚的に療養するという考えをもてないとかで高齢の人に感染をさせてしまう。

つけは若い人が払うのではなく、高齢者が払うという構造があるのだろう。若い人がわるいと一方的に非難してもはじまらないところが難しい。

はじめは中国と関係が深い日本とか韓国とかが大きな影響を受けたのだが、アメリカにもヨーロッパにも影響は及んでしまった。

はじめは中国を非難していた人はつぎに日本を非難していたが、自分の国にも感染が広がり、死者が多く出るようになるという結末である。

なかなか難しい。

一日の動き出しが

2020-03-27 11:46:59 | 日記
一日の動き出しが遅くなっている。昨日も今日もようやくお昼ごろになってようやく始動である。

起きたのは8時30分ころで勤め人からすると遅いが、それでもそれほど遅いわけではない。

だが、新聞を読んだりしているうちに始動が遅くなる。昨日来たメールの返事をしたりして、その後でようやくこのブログへとやってきた。

毎日なにがしかのことを書いているのだが、今日などは何も書くことがない。ただ今週は歯医者に行ったり、購入した洗濯機の受け取りがあったり、いろいろ忙しいことはきりがない。

自分の原稿と他人の原稿

2020-03-26 11:46:46 | 数学
自分の原稿と他人の原稿とは変なタイトルだが、ちょっとこれについて話してみたい。

「数学・物理通信」10巻2号を発行するための自分の原稿がほぼできあがった。それでもSさんの原稿と私の原稿だけではまだ30ページにすこし足らないので投稿があったAさんの原稿を昨夜読んでみた。

どうもなんだかよくわからない論文でこういう論文は私なら没にしたいところである。だが、前に読んでもらったかたが一応投稿にOKを出したので、そのようにAさんにメールを出してある。

だが、もうちょっと言いたいことをはっきりしてくれなくては掲載することはできないと感じている。

それでどうしようかと考えている。Aさんは原稿を修正してくれるだろうか。

近藤康太郎さん (2)

2020-03-25 12:10:07 | 日記
数日前の朝日新聞に近藤康太郎さんが編集委員として紹介されていた。

新しい記事を順番で書くその一員になったということらしい。近藤さんと面識があるわけではないが、このインターネットの世界での知り合いの一人である。

彼は東京は渋谷区の生まれであり、だいたい田舎とは無縁の人だったらしいが、数年前に長崎は諫早支局へ自ら申出て赴任した。

そこでアロハシャツを着て田植えを行い、はじめての農業にせいを出す。その記事を朝日新聞に連載したりしていたが、数年前に大分県の日田市に赴任してここでは猟に励んでいたりした。

そしてこれまた前からの続きとして連載をしていた。彼をしたってジャーナリストの若い記者たちが集まり、それも彼のところに入りびたりの記者もいたようだった。

日田から東京に帰ったのかどうかは私は知らないが、とうとう朝日新聞の編集委員の一人になった。異色の編集委員である。もっとも彼は九州に行くまで、東京とニューヨーク以外のところに住んだことがなかったというから根っからの都会っこであったらしい。

なんで、その近藤さんと知り合うようになったかといえば、彼の高校時代の数学の先生である、武藤先生の紹介である。

近藤さんもちょっと変わった経歴なら、数学思想史の研究者である、武藤先生もちょっと変わった数学者である。

これは学歴が変わっているという意味ではない。そういう意味なら、近藤さんだって、武藤先生だって輝かしい学歴の持ち主である。

そうではなくて、その思想が自分で自分の枠を越えようと常にしているという点で特色のある方々である。

彼らと知り合いになれた、幸せを感じている。

微分方程式の解は?

2020-03-24 12:26:45 | 数学
微分方程式の解は一意的か。

こういう問題はあまり考えたことがなかった。自然に一意的だと勝手に思ってきたようである。

普通の微分方程式を解くことはあまりなかったが、量子力学での散乱問題を数値的に解くことをかなり長い間してきた。

だが、そのときにいまから考えると解の一意性を暗黙裡に認めてきた。もし微分方程式とその初期値が与えられたときに、解が一意的でなかったら、世の中はなにがなんだかわからなくなってしまいそうだ。

自然に法則があるということは因果律が成り立っており、その法則は一意的であるということだろう。そうでないと人間が自然を認識できないだろう。

ただ、量子力学ではある事象が起こる確率を与えるのみであり、狭い意味の一意性を保証してはいない。

ただ、それでもそのある事象が起こる確率を与える方程式はわかっており、それで普通には因果律が成り立つと考えている。

もっともそれは古典論的な意味での因果律は放棄されているのだが、微分方程式が分かっているという意味で因果律が成り立っているという風に考えるのである。

微分方程式と三角関数

2020-03-23 11:58:34 | 数学
「微分方程式と三角関数」というタイトルでエッセイを書いている。

かなり入力したのだが、まだ表を一つと付録をいくつか書かないとできあがらない。いちおう書きあがった段階で文章の点検に入るという風にいつも進む。この文章の推敲がなかなか時間がかかる。

これは少し前から読んできた『ピタゴラスからオイラーまで』の中に説明のあった内容のわたしなりの修正のエッセイである。

そのエッセイには付録として指数関数e^{x}の解の一意性を付加したい。これも別の本に出ていたのをただつけるだけである。

「微分方程式と三角関数」にもその解の一意性の証明が出ていたので、指数関数e^{x}の解の一意性はどういう風に証明されていたのかなと関心ができて来た。

いずれ完成したら、「数学・物理通信」に掲載するつもりで書いている。

(2020.3.31付記) 上に書いたエッセイ「微分方程式と三角関数」だが、今日発行した「数学・物理通信」10巻2号に掲載した。関心のある方は数日したら、名古屋大学の谷村先生のサイトに出ると思うので、そこで読むことができるだろう。



今日は連休の中日

2020-03-21 13:21:48 | 日記
今日は連休の中日なのだが、雑談会というのを開く予定である。それで参加予定者と思われる人に今になって急遽、携帯で連絡をした。

一人を除いてみんな出席である。一人はいつもの定例日ではなかったので、忘れていたようだった。

こういうことができるようになったというのは経費はそれなりにかかるが、いい時代になったものである。

昔の映画か最近映画かは登場人物が携帯で話をしているかどうかでわかるようになった。昔は携帯とかスマホとかはなかった。

私はだいたい電話嫌いである。だが、こういうときには大いに助かるというのは偽らざる実感である。

桜の花をもらった

2020-03-20 11:24:10 | 日記
昨日だったが、今年も咲き始めた桜の花の花束を知り合いにもらった。

昨年からこの知り合いから桜の数本をもらうようになった。昨年も桜は切らないものだということでこの桜をもらった方に尋ねたら、桜も種類によっては切ってもいいのだということを知った。

毎年、桜の花の枝の数本をもらえるのは、大きな厚意であるので、厚く感謝している。桜の花とともに日本の春はやって来る。

今年は各地で桜の花の開花宣言がなされている。当地の松山でもそろそろ開花宣言がされそうである。


ブログが5224件

2020-03-19 12:33:30 | 日記
私のブログの数が5224件であると書いてある。それで1年の365で割ってみると、およそ14.3くらいになるから、ブログをかきはじめてからおよそ14.3年となることがわかった。

確かにブログを書き始めたのは2005年4月の終わりころである。子どもたちがブログを書き始めたので、それを真似して始めたのだが、子どもたちはもうずっと以前に私ほどはブログは続かず、やめてしまったり、やめないまでも開店休業になってしまった。

私がブログを書き始めたのはもう定年退職後であったから、ブログを書くのは趣味の一つで、これがないと重要な自分の仕事の一つがない感じで生き甲斐の一つになってしまった。

いや、毎日ブログを書くのは大変である。というのは書く内容がないことも多いからである。

自分の感覚と思考のアンテナをいつも鋭敏にしておかなくてはいけない。それと好奇心をもつことであろうか。

もっとも好奇心といってもタレントさんが起こした不倫事件とかに対するような週刊誌的な好奇心ではない。必要なのは知的好奇心(mental curiosity)である。



くねくね体操

2020-03-19 12:11:43 | 日記
NHKの総合テレビの「試してガッテン」のおわりに「くねくね体操」を紹介していた。

体を左右にくねくね揺らすというだけの体操である。だが、現在新型コロナウイルスの感染の広がりを受けて、外出の自粛とか言われているので、これを防ぐ対策の一環ともいえる。

くねくね体操と片足を揚げて自分の腕にくっつけるという操作を左右にくりかえし行う体操とふたつで一組らしい。

ウイルスに対する免疫力の向上の効果があるのかもしれない。それに自分の基礎体力を維持することは悪いことではない。

私はラジオ体操を12時と15時にラジオを聞きながらしている。もっともこれ全体ができるわけではなく、ラジオ体操の一部しかすぎないが、それでもなにもしないよりもいいであろう(注)。

もっとも日曜日はまったくの休日にしているので、月曜から土曜までの6日にすぎないのだが。それでももう10年以上は続けている。

(注)これは私が屋内で体操を行っているために飛び跳ねることができないから、飛び跳ねる部分を省略しなければならないからである。

準備ができたので、

2020-03-19 11:51:00 | 数学
準備ができたので、昨日から三角関数についてのエッセイを入力し始めた。

これはこのところ読んできた、『ピタゴラスからオイラーまで』(海鳴社)を読んでちょっと不満に感じたところを、もし私ならどう書くかということで書き始めたエッセイである。

テーマは微分方程式と境界条件が与えられたときに、三角関数として知られている性質をどうやって導くかという『ピタゴラスからオイラーまで』に書かれた箇所の改訂版のつもりである。

大部分のことはそのままでもいいのだが、解の一意性とか、加法定理の導出とか、関数の偶奇性とかについて、はじめのところの仮定がもうちょっとしっかりしたものならないかという気がした。

しかし、これは単に私の感じだけであるのかもしれない。だが、結果がそれでいいからといってもどうもその前提となる方程式の導出がどうも天下りであるように思えた。だから、方程式が答えをきちんと導いてはいるが、その基礎がぐらぐらしているように感じられた。