物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

議論と学習での理解

2007-10-31 11:59:24 | 学問

学問を進めるには議論が欠かせない。同様に学問を学ぶときにも議論しながら学べば早く理解ができるのではないかと思うが、どうも私は議論が苦手である。

何かの分野を学んでいるときに疑問点が出てくることが多いのだが、それがどうもあまり他の人には疑問にも思わないような細かなことが気にかかる。そういうところにひっかかって先へと進めないことが多い。

また自分の疑問を議論したくても問題意識を共有してもらえなくて議論の相手になってくれる人がいない。結局自分で問題をじっと抱え込むことになる。何年か後に解決することもあれば、ずっと疑問が解決しないこともある。

解決したことの一部はすでに小著「数学散歩」(国土社)に書いたものもある。しかし、全く解決には至りそうにもないこともあれば、またその解決のためには何冊かの書物を読んで理解しなくてはならない。これが自分の能力以上だと考えられることもあって断念していることもある。

ちょっとオーバーに言えばいつも自分で統一的に世界を理解したいという性癖があって(しかし、内実はいつも断片的な理解しか得られていないのだが)、それが自分には容易には達成できないのでいつもフラストレートしている 。


四元数の導入

2007-10-30 11:51:58 | 数学

四元数のことを書こうとして久しぶり計算をしているが、いつものように計算間違いをしたようだ。

これは前に計算していたことを改めて計算したのだが、どうもおかしい。この歳になっても計算の下手なのはなおらない。

四元数について普通の人が書くのよりも一歩突っ込んで書きたいと前から思っていたのだ。

Hamiltonの手紙も読んでいるのだが、なかなかわからない。それで結合則が成り立つように1, i,  j, k の積の係数を決めようとしている。i^{2}=j^{2}=-1 はそのまま用いるが、k^{2} の値は結合法則から決めたい。

また、i,  j, k  の積も基本的には結合法則から決めたい。ただ、これらから任意に二つ選び出した積がi,  j, k  の1次結合とするにはあまりにも自由度がありすぎて難しいのでそこは制限をする。

しかし、ともかくも計算がおかしいのはどうしようもないが、計算が下手なのはよく自覚しているので丹念に見て行くしか方法がない。前にした計算との整合性を確かめてみようと思っている。

四元数になんて関心はまったくなかったが、Cauchy-Lagrangeの恒等式の証明をレビューしているうちに関心が出てきたのである。なんでもつぎからつぎへと関心や疑問の輪はつながっていくものである。

(2014.8.14付記) 四元数に関心のある方は『数学・物理通信』の掲載された私の四元数シリーズを読んでほしい。そこに私のわかったことはすべて書いてある。

『数学・物理通信』で検索すれば、すべてのバックナンバーは名古屋大学の谷村先生のサイトにリンクされて掲載されている。

このシリーズの内容は高校数学を知っていれば、十分理解できる。計算そのものはめんどうなところもあるが、行列のかけ算とベクトルのスカラー積とベクトル積の定義を知っていれば、誰でも理解が可能である。

(2021.3.2付記) 『四元数の発見』(海鳴社、2014)をすでに発行しているので、四元数についての初歩的な知識はこの本を読んでほしい。満足されること請け合いである。

(2022.2.15付記) 『四元数の発見』(海鳴社、2014)を改訂するとしたら、第6章「四元数と空間回転3」である。これでも最低限として話は通じるが、それでも直交補空間という節がどうも唐突感をぬぐえない。

もっとも、しばらく我慢をして読んでいただくとその唐突感は消えるのだとは思うが、ベクトル空間とか計量ベクトル空間とかの話を端折った感はぬけない。その辺の不具合をポントリャーギンの『数概念の拡張』(森北出版)を参照していただくことで切り抜けたつもりであった。

『四元数の発見』を英訳すること考えているので、どうしてもこの箇所を埋めなくてはいけないと思っているのだが。まだその空白を埋めきってはいない。


 


敵から学べ

2007-10-29 11:52:17 | 日記・エッセイ・コラム

佐高信「面々授受」を読み返したら、はじめに竹内好のことが書いてあって、この竹内好のモットーが「敵から学べ」だったという。

いま武谷三男の伝記または年譜の資料となる武谷と交渉があった人が武谷について書いているものを読んでいる。その伝記を書く方針の一つとして「敵から学べ」を選びたいと思った。

ということは武谷の論争相手の書いたものをもよく読み込まなければならないということである。その一人として広重徹がいる。実証科学者としての彼の業績と武谷との意見とか考え方の違い等は一つのテーマだろうか。


カゼ、口内炎、高血圧?

2007-10-27 12:14:47 | 健康・病気

このところ調子がよくない。ということで今週の火曜日のテニスはボールをI さんに託してお休みをした。こんなことは滅多にないのだが、関節が痛く体に力が入らなかった。そして口の中が痛む歯茎や歯痛がする。それで久しぶりに歯科の病院に行った。レントゲンを撮られたが、それを診察台の前のディスプレイに取り込んで説明をしてくれる。

そして、そうでないときにはテレビの放送を流してくれる。びっくりしした。診察をしてくれた先生は美人の女医さんである。実際の治療は来週から始まるが、自宅の近くの歯科医院に行く気がなくなってしまった。

妻がこの歯科病院を薦めてくれたのだが、それに従ってよかったと思っている。治療法が若い医師ほど新しい技術を身につけているために進んだ治療が受けられるという。

なんでも新たらしいことについて行くのは大変だが、これをしないと世の中から取り残される。


ブラックホール

2007-10-26 11:15:04 | 物理学

光さえも引き込まれてしまう天体ブラックホールはどうやって観測するのだろうと思っていた。人間は光やX線とか電波とかの電磁波で天体が存在するかどうかを観測するのだから光や電波が出てこないと天体の存在を観測できない。だからブラックホールとは単に言葉の遊びではないのかと思っていた。

最近亡くなった物理学者の中村誠太郎さんが「科学朝日」に昔書いていたのでその謎がわかった。確かにブラックホールの中からは光も出て来れないが、ブラックホールへと落ちていくその周りの物体や物質は加速されるので光やX線が放出される。したがって、ブラックホールの存在はそのようなX線やガンマ線を出している強い電磁波線源のきわめて近くにあることがわかる。それで、ブラックホール自身はその存在が間接的にわかるのである。

ブラックホールの従う方程式は一般相対論のEinstein方程式だろうが、これをいつだったか日本に来たChandarasekhrが古典力学的に説明している講演記録を物理学会誌で読んで、すぐに入試問題として出題したことがあった。また、これは最近のことだが私の小著「数学散歩」にもこの初等的解説を再録した。

ChandarasekhrはChicago大学の天文台に勤めていて、彼の教えた学生LeeとYangはノーベル賞を受けたので自分の大学院生がすべてノーベル賞を受けたといったそうであるが、その後Chandarasekhr自身もノーベル賞を受賞した。Chandarasekhrはインドの生んだ偉大な天文学者である。


早稲ミカン

2007-10-25 12:02:00 | 日記・エッセイ・コラム

物理の話もそろそろ種切れである。それで話題を変えるというのではないが、早稲のミカンが出回る頃になった。愛媛のミカンは甘くてうまいが、まだ現在ではちょっとすっぱい。

11月から12月にかけて本当にうまいミカンがでる。このミカンを食べるのは至福のときだ。2、3個くらいは瞬く間に食べる。昔、広島大学の学長だった森戸辰男がふさごと食べると学生の質問に答えていたのが広島大学学生新聞に載っていたが、私もふさごと食べる。

私の意見では瀬戸内海の島の大長(ここは広島県だが)のミカンが一番だと思うが、八幡浜の出身のTさんはまあなミカンが一番だという。それぞれのお国自慢だが、これは仕方がないのだろう。自分の経験しかわからないのだから。

テニスの仲間Mさんによれば、吉田町のミカンが最高だと言っていた。それを吉田町まで買い出しにいけばよいと東京にミカンを送りたいという人に勧めていた。吉田町は一昨年亡くなった義父の出身地である。


Hamilton方程式とPoissonの括弧

2007-10-23 10:38:20 | 物理学

解析力学のHamilton方程式は2つで1組の1階の偏微分方程式である。質点の座標と運動量についてのとても対称的な方程式である。

それで十分満足する人もいるのだろうが、運動量pの時間微分がハミルトニアンHの 座標q での偏微分に等しいといいっていいが、ただ負号のマイナスが前についている。

これは座標qの時間微分はハミルトニアンHの運動量pでの偏微分に等しいがこの前には負号のマイナスはついていないのと対照的である。

ほとんど対称的に見えるこの方程式の対称性をこの差が崩していると考えた人がいた。それで見かけをもっと対称的にしたいと強く思ったのだろう。

そう考えてポアソンはPoissonの括弧を考え出したのではないか。そしてその括弧を用いると対称性の崩れはまったく見えなくなる。

これは私の推測であって、いま歴史的な裏づけをもっている訳ではない。

そしてそのPoissonの括弧の形に書いたHamiltonの方程式はDirac がHeisenberg  の量子力学への端緒となった論文を読んでDirac流の量子力学を思いついたきっかけとなった。

現在ではPoissonの括弧をハミルトニアンHと座標qまたは運動量pとの交換子で置き換えれば、Heisenberg方程式が得られることがわかっている。


ひだまり

2007-10-22 11:08:39 | 日記・エッセイ・コラム

10月も半ばを過ぎてようやく夏の暑さも遠ざかりひだまりが恋しくなるような季節となった。秋から冬にかけて私の家のリビングには午前中から午後の3時くらいまで日が差し込む。今年も日が差し込むようになった。

ウイークデーには在宅しないが、日曜などにはこの日だまりがとても好ましい。ヨーロッパの冬と比べれば信じられない心地よさだと思う。暖かいのはいい。特に朝食をすませて新聞を冬の日だまりの中で読むというのは無上の幸せである。特にこたつに入ってその暖かさとやわらかな暖かい日差しとそれに温かいミルクティーでもあればさらにいうことがない。

我が家もそろそろこたつを入れようかと考えている。確かに座椅子に座って立つのが億劫なるので動きが少なくなり問題が少しあるが、その点を除くといいことづくめである。その暖かさにかまけて居眠りするのもまたよい。

特に秋の晴天の日差しに布団を干したり、それを取り入れたりと忙しくもあるがこれからのひとときを楽しみたい。


波とはなにか

2007-10-20 10:44:18 | 物理学

波と振動とはどういう関係にあるのだろうか。

このことを物理を教えていてよく考えてなかったことに気がついたのはもう大学で教えはじめてから10年以上経っていた。

そのころ「フィジックス」(?)というある物理の雑誌に波動の数学的表現についてのエッセイが載った。それを読んでやっと波動と振動との区別がはっきりしたのであった。

波動のことをもし教える機会があれば、自分に理解できていないことは教えることができないから、納得するまで理解を深めようとするのだが、そのときまでそういう機会がなかったのであろう。

さて、まず振動だが、「振動はある場所で起きる周期的な現象」である。「波動はそのある場所で起きた振動が周りの空間に伝わっていくこと」である。

また、どのように波動を数学的に表すかも「フィジックス」の解説記事には書いてあった。それを読んでやっと波動について理解したと感じられるようになった。

それまでは正弦波の波動の形を丸暗記していたのだと思う。波動の数学的表現についての説明を高校の物理の授業で聞いたことは覚えているが、なかなか難しいところがあり、そこが十分にわからなかったから正弦波の形を丸暗記していたのだ。

それが大学で教えるようになっても10年くらいは同じ状態が続いていたが、やっと丸暗記から抜けられたと思う。もっとも波の正弦波の形は高校の頃と大学、大学院と経るにしたがって記憶する波の形は簡便にはなっていったのだが。

要するに波動はある地点での振動の形が別の場所に移動して行くのだから、時間的な平行移動である。

ところでグラフの平行移動をどう理解するかであるが、これは私の中学校以来の理解の十分にできていないことの一つであったが、最近になってやっとこれについて納得ができたと感じている。

すでにグラフの平行移動についての数学エッセイの予稿をつくっているのだが、いくつかの図を付け加えることがまだ出来ていないために完成をしていない。原理的な問題として問題が残っている訳ではないが。

それにしても中学校かせめて高校時代に解決すべきことをやっと70歳近くになってやっと納得するなどというのはなんて遅いことだろう。

(2013.5.13 付記) グラフの平行移動についてはすでに愛媛県数学教育協議会の機関誌「研究と実践」103号(2009.12)に発表した。

またその中の一番の要点については、このブログでもどこかで言及してある。もし気になる方は「グラフの平行移動」で検索をしてみてください。

(2020.9.16付記)グラフの平行移動については「数学・物理通信」9巻6号に掲載してある。インターネットで「数学・物理通信」と検索したら、すぐでてくるので調べてみてください。

波の数学的表現法については昔大学の振動と波動の講義でしたことがあると思うが、「数学・物理通信」でも一度取り上げておくことが必要だろう。

私の知人だった故 Y 先生は愛数協の機関誌「研究と実践」でフラフの平行移動は2次元の現象の本質を突いたものではないというご意見だった。

それはある意味で正しいが、波の数学的表現を理解するためには本質的な役目をするというのが現在の私の見解である。

電子の波動性を示す実験

2007-10-19 12:01:30 | 物理学

電子が波動性を示す実験事実は物理を学んだ人なら、Laue斑点型の回折写真とかDebye-Schrrer環型の回折写真とかがあることを知っているだろう。

ところがこれらの写真に対応した、X線によるLaue斑点型の回折写真とかDebye-Schrrer環型の回折写真とかが先にあった。それで疑り深い学者は電子線による回折像はひょっとして電子線が結晶に当たったことによって生じたX線による回折像ではないかと思った。

そうではないことを示さないと本当に得られた回折像が電子線によってできた回折像であることを証明できない。では物理学者はどうやってそのことを示したのだろうか。

ここで、電子線とX線の本質的な違いが問題になる。電子は荷電粒子であり、X線は電磁波である。

そうすると、電子線による回折像であれば、そこに磁場をかければ回折像が歪むであろう。一方X線による回折像ならば磁場によって回折像が歪むことはないはずだ。

ということで電子線によって生じた回折像を生じた実験で、磁場をかけて回折像を撮リ直したところ見事に回折像は磁場によって歪んだ。これで確かに電子線によって生じた回折像であることが実験的に証明されたのであった。

この写真はReightonの「現代物理学概論」(岩波書店)に出ている。他の本にも出ているのかもしれないが、私は他では見たことがない。Reightonは有名な「Feynman物理学」の著者の一人である。


ポテンシャルと力の関係

2007-10-18 11:46:04 | 物理学

「量子力学にための解析力学」という名の本まであるが、しかし、量子力学に必要なのはまずポテンシャルと力の関係である。もちろん、さらにハミルトニアンの作り方を知ることが必要である。

ところがこのポテンシャルと力の関係が私の教えていた工学部の学生にはしっかり身についていなかった。量子力学を学ぶのに力学のすべてを知っておく必要はないが、どうしても必要な部分がある。

ハミルトニアンは解析力学を工学部ではラグランジュの方程式くらいまでしか普通勉強しないので、これはもう量子力学で講義をしなければならない。

それをハミルトニアンの定義までさかのぼって話をすべきだろうが、いつも力学的全エネルギーということでお茶を濁していた(付記参照)。

約37年の大学在任中にはじめの30年くらいは量子力学の講義のときに出席を取らなかったので、試験のときにだけ出て来て合格しようという不心得者を防ぐためにシュレディンガー方程式を立てさせる問題を出題していた。

そのときに力の式は与えておいたら、それをポテンシャルに直さないで力のままの形で方程式の中に書く学生が1/3くらいは出て来た。意地が悪いが、こういう風にして出席をした学生と区別がつくようにしていた。

その内に出席を取らなくてはならなくない風潮になったので、これはできなくなった。また、確かに講義に出席はしているのだが、内職で実験のレポートを書く時間にしている不心得モノも散見された。

ときどき教室の後ろの方へ行って学生に質問したり、不心得モノの学生には注意したりしたが、わからないことに付き合っている学生にしたら、自衛策だったのだろう。

もう出席はとってあるのだから、教室から出て行ってレポートを書きなさいと学生には口頭で指導していたのだが、そう指導しても教室から出て行く学生はいなかったのは不思議である。

レポートを書きながらでも授業に出ていれば、試験のときに役に立つかもしれないという心理だったのだろうか。

(2012.6.8付記) ハミルトニアンはラグランジアンからLegendre変換をして得るというのが、正統的な道筋であるが、解析力学を学んだ当時は私はそういうことを知らなかった。Legendre変換の詳しいことは小著「物理数学散歩」(国土社)に書いた。


光速は不変か

2007-10-17 13:50:55 | 物理学

何年前になるかは覚えていないが、原子力工学の授業をもっていたことがあった。10年以上続いた講義だったが、その始めの2時限をとって特殊相対論を教えていた。

これはエネルギーと質量の等価性を導くのがその目的だったが、はじめに光速不変の原理を教えた。これは互いに等速運動をしている座標系から見たときには光速が不変であるという原理である。

試験のときに「光速不変の原理について書け」という試験問題を出したら、「いついかなる場合にも」光速は不変だという原理だと解答が多かった。

それでこちらの方が当惑をしてしまった。というのは真空中の光速は屈折率がnの媒質においてはその1/nになることが知られているからである。そしてたとえば、空気に対する水の屈折率は4/3であるから、水中では光の速さは真空中の光速の3/4となる。

いかなる場合にも光速は不変だなどと一言も授業で言った覚えはない。ただし、水中では云々は確かに触れはしなかった。授業をいい加減に聴いている学生が苦し紛れに書いたことだろうとは思うが、そういう学生がかなり多かったのは事実である。

学生のできのわるいのは学生のせいではなく先生のせいだとも言えるが、授業で言ったことをきちんと覚えておくだけでも真っ当な答えができたはずなのに、何を聞いていたのだろう。点を与えるつもりの問題が却って難問となった例であった。

ちなみにこれは黒板に板書をするだけのノート講義ではなく講義の詳細なプリントを渡しての講義であった。この講義のプリントは小著「数学散歩」(国土社, 2005)に再掲している。

(2012.12.21付記)  いま小著「数学散歩」(国土社, 2005)は品切れである。再版予定はない。それでこの書の抜粋版である、「物理数学散歩」(国土社, 2011)を編集するときに「特殊相対性理論」の記事を収録するかどうか迷ったが、ページ数が増えるということで収録しなかった。goggleで「数学散歩」のこの章を読むことができればいいのだが、現在読めるでしょうか。


物質の波動性とBohrの量子条件

2007-10-16 11:58:51 | 物理学

歴史的にはもちろんBohrの量子条件(1913)があってその後約10年程してde Broglieの電子の波動性(1924)が提唱されてBohrの量子条件が実体論的になった。

Bohrの量子条件は現象論ではないにしても、なんだか天下り的で天才の閃きによるものとしか思えない。

もちろん、de Broglieの電子の波動性もそのアイディアは天下り的であるが、それによって量子条件が実体論的裏づけを得たと思う。それで「de Broglieの物質波仮説」は私の好みに合っている。

もっともde Broglieの「物質と光」(岩波文庫)に収録されている、彼のノーベル賞受賞講演によれば、その着想は単なる天下りではなくちゃんと理由があることがわかる。いずれにしてもいろいろな意味でde Broglieは私の昔からの憧れの学者である。

(2013.5.25 付記) de Broglieはあまり難しい数学は使わないで物理学を研究するというタイプの学者であり、人とのつきあいがあまり上手ではない人であった。

そういうところが私の好みとあっている。私もあまり人とのおつきあいが上手ではない。また、数学があまり得意ではない。

もちろん、世の中の一般の人と比べれば、数学が下手だとは言えないかもしれないのだが、それでも私は数学が得意ではない。

(2013.6.10 付記) 先日、Yangの論文選集II (World Scientific, 2012) を読んでいたら、Bohrの量子条件をde Broglie流に解釈した述べ方がした図が出ており、私が上で述べたような捉え方をYangもしているらしい。

私のようなぼんくらの物理学者でも、ときにはYangと似た考えをもてたということであろう。


場の量子論

2007-10-15 14:19:18 | 物理学

場の量子論を学んだのはもう45年以上前のことでその後あまり復習をしていないから、知識があやふやになっている。今のようなゲージ場の量子論がまだそれほど一般的な知識でない頃であった。だから大学院で学ぶのは量子電気力学が主であった。中間子の場の理論とかはその後に学んだと思う。

亡くなったO先生がゼミの先生で、彼が出張でいないときはS先生にゼミの指導をしてもらった。Feynmanグラフの描き方などはS先生に習った。まずはHeitlerの本で、共変式でない摂動論をまず習い、続いて共変式の摂動論を勉強した。

細かなことは忘れてしまったが、その後Oさんが北京シンポに出席するために夏の学校用にテキストを書いて、それを出かける前に講義してくれた。

そのときに第二量子化する前の量子力学で粒子に波動性が導入され、場の量子化によって粒子性が導入されたと言われた。また、場の量子論によってはじめて粒子の生成消滅が議論できるようになった。これで弁証法的な生成流転が定式化されたという風なことを言われた。

とてもそのときに感動したのだが、ちょっと違った言い方だったかもしれない。正確にはどういう主張だったかはそのころの講義ノートを引っ張り出してみれば、わかるはずだ。


β崩壊の謎

2007-10-13 12:04:35 | 物理学

β崩壊は電子が原子核から飛び出してくる現象である。

それだから原子核の中に電子が存在しているであろうと誰でも素人は考える。いや、素人でなくとも昔の科学者はそう考えていたのだ。しかし、電子が原子の構成要素であることはいろいろ矛盾をはらんでいることがだんだんと分かって来た。

それで現在では電子は原子核の構成要素だとは考えていない。ではないものがなぜ原子核かとび出して来れるのだろう。そういうことを授業で質問して、しばらくだが考えてもらうことにしていた。

物理学を学んだ人ならば、それは原子核内の中性子が陽子と電子に崩壊して、その電子が核内から放出されるのだと知っている。すなわち、電子は核内に存在はしないが、中性子の崩壊によって創り出されるのである。

その解答を聞いてしまうと「なあんだ」ということだが、授業中のしばしの時間を「β崩壊の謎」で学生たちを悩ましていた。そして、これは実は粒子の生成と消滅を取り扱う「場の量子論」への端緒にもなる。