物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

チョコレートに注意せよ

2012-11-30 12:05:35 | 外国語

昨夜、ドイツ語のクラスでT"urchen f"ur T"urchen mehr Vorfreude auf Weihnachten--- von wegenという新聞の文章が出てきた。

ところが最初のT"urchen(ティゥアヘン)が私にはわからなかった。先生のR氏からは何の説明もなかった。それでなんだろうなとは思ったが、私も尋ねなかった。

それについてああ、T"urに縮小語尾がついていたのかとわかったのは今朝の朝食時に妻にこのニュースを話していたときだった。なんて頭のめぐりの悪いことだろう。

T"urとあれば、私だってドアのことだなとすぐわかったのだろうが、それがT"urchenとなっていた。こういう綴りのドイツ語を知らないと思ってしまった。そこがドイツ語にとって外国人である私の限界であった。

-chenはドイツ語での縮小語尾であるという説明をいままで何度聞いているだろう。ああ、それだのに、それだのにわからなかった。

それも話がAdventskalenderというドイツ人の子どもにとってとてもわくわくする話であったのだから、それからT"urchenの意味がすぐにわかって当然であったのに。

ドイツの子どもは大抵11月になるとAdventskalenderというカレンダーを買ってもらって家のどこかにかけており、毎朝そのカレンダーのその日のところにある、小さな扉T"urchen(ティゥアヘン)を開けては、その中のチョコレートを取り出して食べる習慣がある。これはクリスマスまで続く。

だから、11月の終わりからAdevent(待降節)がはじまると子どもはママやパパに朝起きたときにもおはよう(Guten Morgen)とも言わずに、このAdventskalenderのところへ駆け寄るのだとR氏はいう。

ところが子どもにとって大切なそのチョコレートが発ガン物質の恐れのある鉱物油に汚染されているらしいということがStiftung Warentest (財団:商品テストととりあえず訳しておく)という団体の調査でわかった。

ドイツで出回っている、このAdventskalenderの製造元は24社あるらしいが、そのうちの3社が特に鉱物油の汚染がひどかったらしい。幸いなことにそれ以外の各社のチョコレートの汚染はそれほどひどくはなく、一日1個だけ子どもが食べるくらいなら許容されるということである。

それにしても、Stiftung Warentestはなんでも調べるのだなあという驚きがあった。これは最新のニュースであり、日本でもAdventskalenderが売られているらしいので、要注意である。

(付記) Adevent(待降節)はクリスマス前の4週間のことであり、その4週間前の日曜日から始まる。11月はさびしい1年で一番自殺も多い月だというが、12月になるとクリスマスが近づくと町に灯りが多くなり、街が華やいでくる。

そのために季節的には11月よりも気温は下がってくるが、人々の気持ちは明るくなってくる。クリスマスは北国にも心の暖かさをもたらすのだ。

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数学勉強法

2012-11-29 12:02:13 | 受験・学校

「大人のための数学勉強法」(ダイアモンド社)という本を昨夜3/4くらい読んだ。246ページのうちで183ページまで読んだ。昨夜、2時ごろまで読んだが、遅くなったので読むのを止めて寝た。

教えられるところもあった。幾何図形の補助線の引き方で、情報を増やすように補助線を引けという。具体的には平行線か垂線が情報を増やす方向にいくという。

幾何図形のことをあまり学校で学んだことがない身としてはなるほどと納得した。私たちは学校で初等幾何学を学ばなかった世代に属している。

初級の物理学の特に力学で初等幾何学の知識が必要になるので、その最少限のところは自習したが、それでも高校で幾何学はほんの2時間くらい学んだだろうか(20時間の書き間違いではありません。本当に2時間くらいしか幾何学を高校では教えてもらわなかった)。

著者の永野裕之さんは東京大学地球惑星学科の出身の方だそうだが、プロの指揮者でもあり、かつ数学塾のカリスマ塾長であるそうだ。本人は高校時代に数学ができなかったと言われているが、それでもその学習法の独自性は先生も注目をしていたらしい。

この本の副標題が「どんな問題も解ける10のアプローチ」とある。どうも大学入試問題を解くということで数学の学び方を実地指導するという本らしい。

しかし、大人に数学の勉強法を教えるというのならいつまでも大学入試レベルに限定すべきではないのではないかと思ったりする。しかし、現に高校生ならこの本は有効であろう。

10個の方法というか考え方をうまく使えれば、大抵の入試問題でも解けるというのは本当ではあろう。この種の本としては予備校の講義を本にした秋山仁さんの「数学講義の実況中継」上、下(語学春秋社)があり、この本はいまでは古本としてしか手に入らないであろう。この本は私の子どもが大学受験のころに出版されていた書である。

秋山さんはその後の受験関係の仕事から退かれて、もっと広範な小学校とか中学校とかの数学教育に重点をおかれるようになったと思う。彼の駿台予備校から出された受験数学対策かどうかは知らないが、一連の叢書が発行されているらしいが、古本でも1万円以上の高値がついており、あまりに高価なので私は購入をしていない。

もっと古くは数学者のポーヤが書いた一連の「いかにして問題をとくか」(丸善)、「数学における発見はいかになされるか」上、下(丸善)、「数学の問題の発見的解き方」1、2(みすず書房)もあるが、昔からこういう数学の発見法に関心がある割にはこれらの本をもってはいるが、あまり読んだことがない。

最近、数列の和の問題に関心があり、最後の本の1巻の一部を読んだりしているが、それでも全巻を通じて読むということにはなかなかならない。

それにしてもそれらの総合的な方々の研究成果の比較検討ができればいいのにと思っているが、私が生きている間にそういう仕事に取り掛かれそうにはない。

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横断歩道

2012-11-28 11:04:35 | 外国語

今日、仕事場に来るときにたまたま横断歩道の手前で停車した。そのときに横断歩道に当たるドイツ語はZebrazoneだったかなと思った。

Zebraという語に関して、いわし雲のことをあるドイツ人がZebrawolkenと言っていたのを思い出した(Zebraの発音はゼブラではなく、ツェブラである)。そのときに雲の縞々はなるほどシマウマを連想させるなと思った。

仕事場で独和辞典を引いてみると、Zebrazoneという語はなく横断歩道はZebrastreifenであり、Zebrawolkenは辞書には載っていない。だからZebrawolkenは普通に通用するドイツ語かどうかわからない。

Streifen(ストライフェン)は帯状のものをいうので、いま話題になっている、パレスティナのガザ地区のことをR氏がいつかGaza-streifenと言っているのを聞いたことがある。ここでGazaは私が勝手にあててローマ字書きしたので、ドイツ語でガザ地区をGazaと書くとは思わないが、どう表記するのだろうか。

そういえば、地図で見るとこのガザ地区は細い帯状であるなとそのときに変に納得をした。横断歩道のZebrastreifenでは確かにStreifenは帯状の白帯と塗られていない黒帯がある。

Zone(ツォーネ)でよく知られているのは、Fussg"angerzone(歩行者の区域)で、日本の歩行者天国である。大抵の大きな町の中心部には車の入れない区域Fussg"angerzoneが設定されている。

車が町に入れないということではスイス・アルプスの秀峰マッタホルンの観光で有名な町である、Zermatt(ツェルマット)は環境汚染を顧慮して車の乗り入れが禁止された町であり、車で来た人は近くの町で下車して、汽車(または馬車?)に乗り換えてZermattに行かなければならない。

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反原発・消費税増税・TPP

2012-11-27 12:55:08 | 国際・政治

12月に行われる、総選挙のために新党がぞくぞくとできている。そして争点は上の3つに収束するらしい。

昨日、新たに滋賀県県知事の嘉田さんが新党とはまだ明言されなかったが、反原発を標榜する新党のまたは新勢力の立ち上げを示唆された。嘉田知事は美人の学者知事である。

新しい話題を集めることは間違いがない。反原発は大多数の市民や国民が願っていることだが、それも産業界を中心にして反原発の勢力が増えることに対して懸念の声がある。

確かに反原発以外に方向はないだろうが、問題はどう原発なしの状態に接続するのかが問題なのであろう。そこを語らなくてはならない。

消費税に賛成する人は本当はいないのであろうが、そう言ってしまってはどうやって国の財政を立て直すのかその方策が考えられない。だから仕方なく賛成しているというのが真相であろう。だから、消費税反対を唱えてどうやって国政を立て直すのかその方策の提言がなくては現実的ではない。

もっとも消費税を公共事業に使うとかは論外であろう。産業の振興は消費税以外で考えられないと政策としては本末転倒で知恵がなさすぎる。

TPPは一番私にはわからないものだが、TPPに入っても入らなくても、どちらにしてもこれからの経済とか産業は大変だろうなという気がする。

社会主義が破産してから、資本主義が勝利したと一時いわれたが、そうではなくてやはりどうしたらいいのかのアイディアは世界中の誰も持てていない状況ではないのだろうか。

そのときにめちゃくちゃな論理で幻想を振りまく人がある党の総裁になった。また、もっと変な人も居られる。そしてそういう人が人気があるのだから、困ってしまうが、それが私たちの知的なレベルかと思うと自分を省みて恥ずかしくなってしまう。

しかし、そうは言っても誰も明確な現在の困難から抜け出す明確のアイディアと政策を持ち得ないのだから、仕方がないのかもしれない。

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伝染する言葉

2012-11-26 14:32:44 | 外国語

先週のドイツ語のクラスのときに、R氏がプチというフランス語はドイツ語には入って来ていないと言う。

日本ではプチ・トマトというような語でプチがフランス語から入っているので、ちょっと不思議に思った。

フランスとドイツは隣国であるから、どうしても互いに言語の語彙が交じり合ってくる。だが、伝染しない単語もあると言うことらしい。

Chanceと書くと英語を知っている人は何だチャンスのことかと思うだろうが、これはフランス語ではシャンースと発音する。それはそのままの発音でドイツ語に入っている。

フランス語でVous avez de la chance. (ヴ ザヴェ ドゥ ラ シャンース)と言うと「運がよかったですね」という意味である。

「魅力的な」を意味する、charment(シャルマン)もドイツ語に入っている。また、ドイツ語とフランス語とのこれはどちらが先かはわからないが、ネクタイのcravate, Krawatte(仏語、独語の順。以下同様)とか人形のpoup’ee, Puppeとかも発音はとても似ている。pantomime, Pantomimeも同じような言葉であろう。

いつだったかカナダ人の先生のフランス語の講義に出席していたら、スリッパのことをpantoufle, Pantoffelだという。ドイツ語でも同じように言うと先生に言ったら、それはフランス語から来ていると教えられた。

もっともジャムのことをフランス語でconfitureというが、ドイツ語ではKonfit"ureと綴る。しかし、このKonfit"ureという語はドイツ人はあまり使わないような気がする。それよりはMarmelade(ドイツ語の発音:マルメラーデ)という語をいわゆるジャムにも専ら使うような気がする。

もちろん、ドイツ人がKonfit"ureという語を知らないはずがないのだが、普通にはジャムのこともMarmeladeというような気がする。これは私の単なる偏見なのだろうか。

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西山興隆寺のもみじ

2012-11-24 12:44:42 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の勤労感謝の日にあまり天気がよくなかったが、妻が前から行きたいと思っていたという、西条市丹原の興隆寺を訪ねて、そこのもみじを観賞した。

それほどもみじの木の本数が多い訳ではないが、11月も下旬になったので、深く紅葉をしていて、なかなか美しかった。妻は明日の日曜日に友人を誘ってまたもう一度行くと言っている。

私は膝があまりよくないので、登りの階段はともかくとして階段の下りには妻に脇を抱えてもらっての下山であった。階段が膝の悪い者にはきつい。

だが、それでも下りは登りと比べれば、早く降りてくることができた。登りはもうお寺の本堂に着く最後の階段かと何度も思ったが、どうもその期待はなんども裏切られた。

本堂のすぐ下になる庫裏で提供されている、食事の釜飯を二人で食べて、その後旧東予市の海岸が霧にかすんでかすかに見えるか見えないかというような景色をしばらく眺めた後に下山した。

国道11号線はそれほど込んではいなくてするすると渋滞もなく松山に帰ってくることができた。16時前には自宅に帰って来れた。

妻は毎年テレビで西山興隆寺のもみじのニュースが出ると今年は行ってみようと何年も思ってきたらしいが、その積年の念願がよやくかなったらしい。こんなもみじの名所があることを私はまったく知らなかった。

ということで、普通なら、祝日でも仕事場に来てブログを書くのだが、ブログはしたがってお休みになった。ともかく日頃は出不精な私を気遣ってくれる妻に感謝である。

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ラ・フランス

2012-11-22 11:28:54 | インポート

友人の数学者Nさんから山形産の果物 「ラ・フランス」を送って頂いた。wikipediaによれば、

ラ・フランスは、フランス原産の洋なしである。

不正円の果実で果皮部には斑点がある。外観は良くないが大変香りが良く、濃厚な甘みと滑らかな舌触りで、上品な味である。食感はリンゴモモにも似ている。

1864年に、フランスのクロード・ブランシェ (Claude Blanchet) が発見した品種で、日本へは1903年明治36年)に農商務省農事試験場園芸試験地(静岡県)へ食用としてではなく、受粉用として導入された。日本では盛んに栽培されているが、本国フランスなどヨーロッパ各国では、気候が合わなかったためにほとんど生産されていない。

本国フランスでの品種名は発見者の名を取り、Claude Blanchetとなっている

とあった。ラ・フランスという名の付け方が絶妙であり、クロード・ブランシェでは売れなかったろうが、ラ・フランスという名がこの果物の普及に大いに貢献したと思われる。たかが名の付け方だけかも知れないが、名の付け方はとても大切である。

今朝、受け取ったばかりなので、まだ食味はしていないが、以前に頂いたときにはその味を堪能したことを覚えている。

Nさんは山形県の出身なので、ご兄弟に頼んで、これを送ってくれたに違いない。早速、お礼の電話をかけておいた。しばらくラ・フランスの芳醇な味を楽しむことができそうである。

また、昨日だったか妻の従兄から岐阜の柿を送って頂いた。これも毎年送ってもらうのだが、なかなか立派な柿である。いつかもこのブログで書いたが、der Khakiという名でドイツでも柿は売られている。もっとも私の独和辞典にはKhakiはカーキ色としての意味しか出ていない。

いわゆるお歳暮は親戚ともやり取りはしていないが、この季節には秋の果物を贈ってあげたり、頂いたりしている。

ちなみにラ(la)フランス語の定冠詞の一つで女性名詞の前につける。男性名詞の前にはル(le)を、複数名詞の前にはレ(les)をつける。

例として la maison (ラ メゾン:家)、le chien (ル シアン:犬)、les Champs-Eys'ees (レ シャンゼリゼ:シャンゼリゼ大通)を挙げておく。

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武谷三男の寄稿文

2012-11-21 12:02:31 | 学問

昌谷忠海という人の追悼書『哀惜無限』という書をインターネットで手に入れた。農協とか生活協同組合の活動をやっていた人の追悼書である。

内申書裁判を担った人だという。この裁判の原告本人は保坂展人であり、この人は中学校での内申書を当時在学していた学校の先生が内申書をいいように書いてくれないので、受けた高校ですべて入学を断られた人らしい。

いまはどこに所属しているか知らないが、政治家として活躍しているような記憶がある。この保坂展人氏の抗議を当時の大人としては真剣に聞いて、10数年に及ぶ内申書裁判を支えた人が昌谷忠海である。

その追悼書に武谷三男が寄稿しているというので、上記の書を購入したのである。武谷が昌谷と知り合ったのは1941年である。そして、この年の11月から1942年の8月くらいまでこの昌谷さんの家の離れに住んでいた。

昌谷さんと知り合ったのは軽井沢で、武谷は羽仁五郎に言われて軽井沢にその1941年の夏に静養のために滞在していた。

これは武谷が湯川秀樹の中間子論の一連の論文の研究に協力した後で、大阪大学で菊池さんのグループで原子核実験を始めようとした矢先に、世界文化の事件で捕まり、半年留置所に入れられた後に釈放された。岩波書店から奨学金を支給してくれるということで東京に出て行き、理研の所属になったころのことである。

武谷の体調が思わしくなく、下宿もあわず困っていたときに昌谷さんの家の離れを貸してもいいとの申し出を受けたという。武谷の人生の中でもつらい時期であり、そのために武谷は昌谷さんに感謝をしている。この時代のことを武谷はあまり語っていないので、貴重な情報であろう。

もっとも武谷の寄稿文は短いものであり、この書からは武谷のことよりも昌谷さんの人柄を知ることができたのが、むしろ収穫であった。この本を読んで、昨夜は2時半くらいまで夜更かしをしてしまった。

私は大抵の武谷の寄稿のある書をもっているつもりだったが、なかなか完全ということは難しいことがわかる。武谷三男の著作目録を更新する必要がある。

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自然数のべき乗の級数の和

2012-11-20 11:06:22 | 数学

数学・物理通信への読者の声に応えようと「自然数のべき乗の級数の和」という題でエッセイを書き始めたが、書きながらつっかえてしまっている。

階差0項数列を求めて「自然数のべき乗の級数の和」を求めるという方法を名古屋在住のHさんから提案されているのだが、その階差0項数列の一般項をどうやって求めるかがテーマなのである。

その一般項を求めることができたと思うのだが、説明をしようとエッセイを書き始めるとどうも気持ちの悪いところが出て来て、昨日はそれがどうしてなのかわからなくて困ったが、帰宅する前になってそこがようやく解決した。

それでなんとかまたエッセイを書き続けられそうになった。まだ、エッセイで書きたいことの構想の半分も書いてはいないのだが、それは仕方がない。

仕事が遅いのはしかたがないが、いつもなんだか整合性がなかなか得られなくて居心地がわるい。

それはどこかというと階差数列の前進差分をとっているのだが、はじめのところだけ後退差分を取っているように見えたのだ。そこが、しかし昨日解決したので、少しすっきりとした。

昨日の午前中には階差0項数列の予想された一般項をようやく数学的に帰納法で証明ができた。一昨日にはそれをどうしていいかわからなかった。

証明の方向だけ一昨日の夜遅く考えついたが、それが本当に成功するかどうかは見通せなかった。やってみるとそれほどの困難もなく数学的帰納法で証明ができてほっとした。

何でも細かいことなのだが、それでもそこらへんがしっくりしないと落ち着きが悪い。でもちょっとだけ前進できそうである。

Hさんの質問に答えることはこのエッセイの完成によって代えることができるだろう。

(2012.11.29付記) 数学・物理通信への手紙のところにも付記をしたが、n, n^{2},n^[3}, n^[4}, ・・・の多項式で整数の和を表せる場合だけではないことを昨夜「数学勉強法」を読んで知った。

この本にフィボナッチ数列のことが出ていたが、この数列は階差をとっても定数になることがない(フィボナッチ数列では階差に循環する数列が現れる)。だから、n, n^{2},n^[3}, n^[4}, ・・・の多項式では表せないのだと思う。

「自然数のべき乗の級数の和」などと大仰なタイトルをつけた、このブログのことを後悔しているが、これは記録なのでそのまま削除しないで残しておく。

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色を音で聞く

2012-11-19 12:52:24 | 日記・エッセイ・コラム

先週のNHKのTEDカンファランスの放送であったが、色盲の方が色をそれに対応すると思われる音で聞くようになって、色についての感性が生まれたというか、豊富になったという話であった。

色を音に翻訳する手伝いをした、科学者の発想もおもしろいが、その経験をより多くの人に伝えたいと思ったご本人の考えがすばらしい。そして、彼が聞いている音をカンファランスに来た人は彼の装置から聞くことができたというわけである。

そういえば、思い出したのだが、もしカラーブラインドの人に色の違いを伝えるということを物理のテキストで取り上げていたのは、有名なThe Eeynman Lectures on Physics(日本語の翻訳は岩波書店発行)であった。

内容がどうであったかはよく覚えていないが、さすがにそういう想像をするということはFeynmanらしいと思ったものである。(まったく、余談だがいまFeynman Lecturesには定冠詞のTheがついていることに気がついた)。

TEDカンファランスでは灰色の音を聞いたりしたが、なんだか重苦しい感じの音であった。ただ、色の識別がつかない人にその感覚を伝えるという点では成功だろうが、その感覚をどれくらい本当のところはわかってもらえるのだろうかという気がした。

そんなことを言うと目の見えない人とか音の聞けない人への差別だといわれると困るが、そういった差別的な感情ではなくて、本当のところはわかるのだろうかという本質的なことである。

ただ、人間は類推ということがあるので、その類推の力を利用するというのはとてもいいアイディアである。よく4次元世界とかそれよりも高次元の世界を数学で定義したり、取り扱ったりするが、それはやはりある種の類推の力をつかっているのであろう。

色の識別のつかない人に色の違いを音の振動数の違いで感じさせるというアイディアはそれがある種の類推にしか過ぎないとしてもやはりその人の人生を豊富にしてくれるのだろう。

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すべての人を永遠に騙すことはできない

2012-11-17 13:13:27 | 日記・エッセイ・コラム

「嘘には三つの種類がある。嘘と大嘘と統計の三種だ」というのはマーク・トェ―インが使ってから広まったと前広島市長秋葉忠利さんが、「数学教室」の12月号で書いている。

このエッセイの題がLies, damn lies and statisticsであった。なかなかおもしろいエッセイで教えられるところが多い。

いままで、秋葉さんの「数学教室」のエッセイを読んで見ても、あまりおもしろくもなかったがようやくおもしろいエッセイに出会った。 これが本来の秋葉さんの持ち味であろうか。

統計で嘘をつくということは政治家にはよくあることで、一般の人も政治家に統計でこうなっていると言われると沈黙してしまうところがないわけではない。

日本でも政治家が国民にあまり信頼されないのは世界の他の諸国と変わりがないが、マスコミへの信用が大きいのは日本と韓国ぐらいで世界の他の国ではあまりマスコミを信用はしていないという。そこが日本と韓国とそれ以外の国々ととの違いであると秋葉さんは述べている。

ところで本当に日本のマスコミは信用できたのかとなるとちょっと疑問もある。それは政策誘導がマスコミを通じてなされていると言う節もあるからである。

今となっては明らかになったが、原発安全神話を吹聴したり、または吹聴まではしてないとしても、見過ごしてきたのもマスコミである。

それでもまだ政党や政治家とか官僚よりはマスコミの信頼が日本において大きいであろう。それにしても問題はいろいろと大きい。

秋葉さんはそれでもつぎの言葉でこのエッセイを締めくくっている。

すべての人を一時騙すことはできる。一握りの人を永遠に騙すことだって可能だ。でも、すべての人を永遠に騙すことはできない。

これはアメリカのあるジャーナリストの言葉である。

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毛沢東の評価は?

2012-11-16 12:02:07 | 国際・政治

「喧嘩はしましたか。喧嘩しないと仲良くなれませんよ」と日中平和条約の締結のために中国を訪れた当時の田中角栄首相に毛沢東が会見で言った言葉だという。これは今朝の朝日新聞の記事からの引用である。

この記事の著者は、毀誉褒貶のある毛だが、こういった言を知るとやはりなかなかの人物であったろうと判断している。確かに現代中国では功6分、罪4分と評価されているが、毛の功績をなかったものにするという話はない。

このブログで以前に書いたことだが、数学者の遠山 啓が訪中団の一員として訪中して、毛との会見で彼にあったときの印象を書いているが、彼は毛はなんだか陰険に見えたと書いている。だから、遠山には毛の印象はよくない。

武谷三男は訪中することはなかったが、その著書の中で毛の有名な著書「実践論」「矛盾論」についてあまりに教訓的過ぎると書いている。しかし、なにかそれ以前の書か論文について褒めているのを読んだことがある。

その書か論文は私は見たことがないのだが、武谷は毛が考えるようにそんなにうまくは行かないだろうと予想をしていたが、その通りになってびっくりしたという風なことが書いてあった。

現代中国の専門家である、矢吹晋さんの書を読んで、最後の文化革命は毛の権力闘争の様相が強く、あまり褒められたことではなかったというか害が大きかったという歴史評価を知った。 多分そのことは正しいだろう。

ただ、学生時代に岩波文庫で毛の「実践論」「矛盾論」を読んで学ぶことが多かったことを覚えている。毛は実践論の方が、矛盾論よりも重要だと訪中したアメリカのジャーナリストのスノー氏に語っていた。

実践論の方は日本には武谷の三段階論という方法が知られているので、あまり感銘は受けなかったが、矛盾論はそのいろいろな矛盾のもつ性質とかその克服のしかたとかは大いに参考になった。

私はこういった矛盾のもついろいろな側面を述べた書を読んだことがない。誰かの哲学者の著書の中にそういうものがあるのかも知れないが、私には唯一の書であった。

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意欲の減退

2012-11-15 13:03:05 | 日記・エッセイ・コラム

正の整数の級数の和についてのエッセイを書こうとしているのだが、何を書いたらいいのかがまだよくわかっていないためかどうか。なんだかエッセイを書くという意欲があまり強く湧かない。昨日、冒頭の部分を少し書いたのだが。

どうもやはり老齢化による意欲の減退があるのではないかという気がしている。そういえば、「四元数と回転3」を書こうともしているのだが、こちらもなんだか意欲の減退のせいか、それとも書こうとしていることが明確でないせいか、筆が進まない。

極端にいえば、1行も書けていない。もっとも構想はあるのだが、それで話が十分なのかどうか。もっとも誰もその構想をされたことはないと思うので、仕方がない話ではあるのだが。

一昨日も午後に松山は雷鳴とか吹き降りがすさまじかったので、夜のテニスコートの予約を世話人として勝手にキャンセルした。多分、クラブの中の一部の熱心なメンバーはコートに出かけてテニスをするだろうなとは思ったが、もう出て行く気がしなくなった。

これも意欲の減退の現れの一つであろうか。しかし、悪天候の場合には落雷等でメンバーが命を落とすこともありうるとの判断が働いてもいる。

ともかく、なかなかやはり人はいつまでも意欲満々というわけにはいかない。

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思想をつむぐ人たち

2012-11-15 12:44:58 | 日記・エッセイ・コラム

鶴見俊輔さんの「思想をつむぐ人たち」(河出文庫)を購入した。鶴見さんが武谷三男について新たな何かを言っているのかなと思ったからであるが、その期待ははずれた。

確かに武谷の項はあるのだが、これは以前に彼が書いた文の再録であった。ただ、細かなところですこし書き加えたのかなという印象をもった。初出の方の書ももっていると思うので、後で詳しく調べてみようと思っている。

しかし、今回読んであらためて印象が深かったのは彼がハヴァード大学の学生だった頃に寄宿していたヤングさんのことが改めて心に沁みた。

ヤング夫人には3人の子どもがあり、鶴見がヤング家に寄宿するようになったころ、ちょうどヤング夫人の離婚が成立した。二男が鶴見さんと予備校で一緒だったらしいが、この話にこの二男のことはあまり出てこない。

ヤング夫人の鶴見さんを家族の一員として分け隔てなく扱ったさまとか、家が狭かったにもかかわらずそのことで卑屈にはなったりしなかったとか。

また、長男のケネス・ヤングはその後、外交官としての生活を送ったが、あるとき鶴見さんを訪ねて、ケネスにいまどうしているかと聞かれたときに、鶴見さんはアメリカのヴィエトナム戦争に反対していると言ったら、びっくりされた。

当時ケネスさんは中国とアメリカは外交関係を結ぶべきだという論文を発表していたが、もし中国と外交を結べば、はじめの中国大使になるねと鶴見さんが言ったら、君にそんなに低く評価されている国の代表になっても嬉しくないと応えたという。その後、ほどなくケネスさんは心臓麻痺で亡くなられた。

鶴見さんのアメリカに対する感謝の念はいくつかあるだろう。そのうちの重要な要素がこのヤング家での鶴見さんに対する態度であったに違いない。そして、そういうところから鶴見さんのアメリカ政府のヴィエトナム戦争に反対するという気持ちも出ていると知ると単なる反米ではないことがわかる。このことは小田実にも同じようなことが言えるだろう。

私たちは健全なる市民から何かを学ぶことができる。

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プラタナス

2012-11-14 12:02:19 | 日記・エッセイ・コラム

退職してから、週に一度だけ木曜日の夜に愛媛大学に出かけるだけで、ほとんど愛媛大学には寄り付かない。

それでも大学生協の書籍部には月に1回だけ予約購読をしている雑誌をとりに行く。今日はたまたま鶴見俊輔さんの本を取りに大学生協の書籍部に出かけた。

11月も半ばになって、この赤十字病院や東中学校と愛媛大学との間の通りのプラタナスの並木が黄色く色づいて、そこここにその大きな葉が落ちている季節となっている。なかなかこの通りのプラタナス並木は立派で風情がある。

松山は並木の多い街の一つであろうか。愛媛大学の近くを東西に通っている平和通はメタセコイヤとかイチョウの並木が美しい。もっともまだこのメタセコイヤとかイチョウの紅葉の見ごろのシーズンはもう少し先であろうか。

そういえば、仕事場にやってくるときに通る、勝山通りも少しづつイチョウの並木が色づきはじめたが、まだ全体としてはやはり少し先であろうか。一、二本は色づいてはいるが、まだ緑を残しているものが多い。11月下旬から12月上旬になれば、これらの並木が本当に紅葉してくる。

もっとも、これは単に通行人としての私たちのいうことであって、これらの落葉を始末する立場に立てば、頭の痛いことに違いない。

まだ学生のころのことであったが、物理学科の講義が行われる講義室のすぐ外に1本のイチョウの木があって、まことにきれいに紅葉していた。それを講義を聞きながら、ちらちらとみて楽しんでいたところ理学部の用務員さんがきて、熊手でその紅葉を書き落としてしまうのを目撃した。

紅葉を楽しむというのは私たちの心情的な風情からいうとこの上もないが、その落葉を処理しないと構内が汚いと言われる、用務員さんの身になってみれば、仕事がいつまでたってもきりがないということであろう。

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