物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

辻哲夫『物理学史への道』

2014-05-30 11:54:03 | 学問

先日、松山市駅の高島屋のふれあいギャラリーに書道の展示の手伝いに行った後で、ジュンク堂に本を見に立ち寄った。

そこで『物理学史への道』(こぶし書房)を買って帰った。一昨日は読む時間がまったくなく、昨夜ようやくその一部を読んだ。

辻哲夫は広重 徹の僚友であり、物理学史家と考えられている。それで広重の武谷批判について辻がどういう判断をしているかが私には関心事であった。

これに直接触れたところはなかった。武谷は自分が批判されると過剰に反批判を展開するというところがあるので、それには巻き込まれたくないという意図もあろうか。

もっとも広重 徹は論争的であったというのは結構一般に受け入れられた評価のようであるので、広重 徹と武谷とは論争では戦闘的という点で、結構似た性質をもっていたということかもしれない。

私のペンネームの一つに香山 徹があるが、実は若いころに広重の書『戦後日本の科学運動』(中央公論社)に触発されて、自分でつけたペンネームである。

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世界の見方の転換

2014-05-27 10:47:20 | 学問

山本義隆氏がまた大著を著したらしい。

らしいとしか言えないのはまだこの3部の大著『世界の見方の転換』(みすず書房)を購入もしていないからである。

旧知の方であるから、彼の著書を読みたいと思ってできるだけ購入してはいるが、残念ながらちょっと拾い読みするくらいで通して読んだことはどの書もない。

これは彼の著書がくだらないからではなく、多分その反対に襟を正して読みたいと私が思っているからである。

この新著は『磁力と重力の発見』『十六世紀の文化革命』についで彼の3部作とでもいうべきものらしい。

5月25日の朝日新聞に書評が出ていたが、これは書評を読んでその内容がわかるようなものではなかろうから、やはり購入して読むべきだろうが、経済的理由からもなかなか購入も難しい。

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備える歴史学2

2014-04-07 10:46:29 | 学問

「備える歴史学」で磯田道史さんの朝日新聞のコラムの紹介をした。

そのときに知りたかった説明が連載の3回目の2014.4.5の記事に載っていた。それは堤防と水門の設計のしかたのことである。

そのときに堤防と水門の高さが15.5mとあり、3年前の津波は20mを越えたとあったので、やはり人的被害は最小限に抑えたにしろ、家屋とかの物的被害は大きかったのではないかと推測を述べた。

その辺は第1回の記事では明らかではなかったが、堤防の内側に防潮林を設けてあったらしい。だから、15.5mの堤防や水門でもその高さを越える津波を暗に予想していたと思われるとのことである。

一番、感心したのは堤防と水門の設置場所である。少し内陸に入った箇所にこれらを設置して津波の勢いが少し減ったところにこれらを設置したという。

そして、人の住まない谷に津波を誘導するという方法がとられたという。これはその土地の地形をフルに考慮した堤防と水門の設計であり、その対策そのものをそのままどこか他の市町村に適用することはできない。

しかし、その根本のところからは学ぶべきところがあろう。

自然の脅威は私たちの想像をはるかに超えることがあるが、それでも人間の知恵でいくぶんかはやわらげることができるというとてもいい例であろう。

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エピジェネティックス

2014-03-25 16:27:14 | 学問

先日、エピジェネティックスの研究で日本国際賞を受けたアメリカの医学者だったかのインタビュー記事を新聞で読んだが、昨日の朝日新聞にこのエピジェネティックスと関係する、記事が出ていた。

獲得形質の遺伝はないということが1960年代初めには確立したのだが、細胞レベルでそれとは違う実験が報告されている。

昨今の報道で新聞も誤った報道をするということがわかったので、この報道も用心してかからねばならないが、どうもこれがエピジェネティックスとの関係で昔の獲得形質の遺伝が否定されたことが覆るということではないが、新しい事実が現れて来ているのかもしれない。

飯尾先生がいつだったか遺伝子が働くスイッチが入ったり、切れたりすると言われていたが、ヒストンに巻き付いていたDNAがゆるむと遺伝子のスイッチ入るのか切れるのかして、それまで遺伝しなかったものが遺伝子したりするらしい。

自然は不思議なものであり、それを人間はなかなか汲む尽くすことができない。

それで、一度否定された獲得形質の遺伝も細胞レベルでは、場合によって、ある意味ではありうるのかもしれない。昔もちろん否定されたことのそのままではないだろうが。

最近はこのことに注目をしている。

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備える歴史学

2014-03-24 12:42:29 | 学問

これは朝日新聞の連載記事である、磯田道史さんの3月22日の分から、ちょっと好奇心に駆られたことを記す。

磯田さんという人は映画になった『武士の家計簿』の元となった資料を発掘して本か論文を書いたことで有名な歴史研究者である。

3年前の東日本大震災で人的被害の極めて少なかった村ではそれなりの津波の被害を最小限に食い止めようとした先人がいたという話であった。

それだけなら、あまり関心が起きないのだが、2011年に20mを越える津波に襲われたというのに、1人の行方不明者は出したが、あと死者等は出さなかったという。

その先人の名前は元村長の和村幸得さんだという。そしてその和村さんがこだわったのが堤防の高さで15.5mだったという。そしてさらに堤防の外に住宅を建てた人々のために水門を建設したという。

数字を見ただけで疑問に思ったのはもし3年前に20mの津波が村を襲ったのならば、堤防の高さが15.5mでは物的被害もやはりかなりあったであろう。その辺の事情は書かれていないのでどうだったか知りたいところである。

死者を出さなかったのはつまりハードな堤防とか水門だけで防げたではなかったのではないか。

もちろん、ヒントはこの記事に書かれてはいる。それは津波の力に逆らわぬ堤防の設計をすすめたとある。それがどのようなものであったかを知りたい。

それとそのような堤防の建設に尽力した土木技師の佐々木さんの存在である。

このような話を読むとオランダのゾイデル海の堰堤を設計した、オランダの物理学者ローレンツの話を思い出した。ローレンツの話は物理学者の朝永振一郎さんがエッセイを書いており、それはある年代の科学者や技術者にはよく知られている。

その話を磯田道史さんがご存じかどうかはわからない。

ご存じかどうかはわからないので一度こういう事例がありますよと教えてあげた方がいいのではないかと思っているが、面倒でそのままになっている。

彼の歴史学研究にローレンツの事例があるということが特に役に立つとは思わないけれど。

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STAP細胞の行方

2014-03-20 11:37:19 | 学問

どうもSTAP細胞の存在はあやしい。

今朝、新聞にその検証の問題点が出ていた。ほんとにきちんとした細胞ができているのなら、以前の博士論文の写真を使いまわしする必要がないからである。

こうなると研究の真偽よりも倫理の問題になるが、たくさんの共著者がいたのなら、チェックができたはずだのにそのチェックができなかったことに大きな組織上の問題がありそうである。

なんでも学術的な主張をするためには、その正しさの裏づけが必要である。

一つの事実を得たのなら、他の方法でも得られるのかを検証する必要がある。それも独立なグループが検証することが必要である。

私は時間がかかっても別の方法で同じことを導けるかをいつも気にかけていた。だから、自分で他の方法で同じことを得られないかをいつも考えていた。これは自分がミスをよくする人間であるから慎重になっていたのである。

他の方法で同じことが導けるかを調べる以外にも方法はある。ある特別な条件で予想できた結果を得られるかとか。

業績を出せないことは業績を偽造するよりはましだと思う。

(注)最後の行で書いたことがちょっと誤解を招くかもしれないのでお断りをしておく。

「業績を出せないことは業績を偽造するよりはましだ」などと書いたら私が業績を偽造することを考えたことがあるようだが、そんなことを考えたことはない。

普通の研究者にとって、業績を偽造することなど考えたことがないというのが本当だろう。業績の偽造をする研究者などというのは例外的である。

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日本の希望はどこに?

2014-03-07 15:03:01 | 学問

大学を退職後に、大阪大学で自発的に研究を続けている友人にK君がいる。

いわゆるもう名誉の追求とかではなくて、単に好奇心を満たすために研究をしているのだ。

彼の机の隣にもこれは大阪大学を定年退職した、実験物理が専門のN教授の机があるそうだが、このNさんも同じような感覚をもっておられるらしい。

K君は日曜日を除いて、大学に出かけて研究をする。ときには大学院生の外書購読につきあっているとか。

私の友人のK君は学生のころから、才能を注目されていたらしく、実験物理学の先生から自分の研究室で、実験をしないかと誘われたことがあったとはK君から聞いたことがあったが、彼は素粒子物理学の理論の研究者になった。

大学を1年早めに定年退職した後に大阪大学が受け入れてくれて、研究場所として定めてから、もう数年になる。毎日が充実しているらしい。

また、これは私の元の研究仲間で友人のEさんもE大学を定年退職後も大学で研究を続けている。

こういう幸福な方ばかりではないであろうが、こういう方が多くいれば、ひょっとしたら、彼ら自身がbreakthroughをするか、そうでなくても彼らの薫陶を受けた若い研究者から、日本の科学の新しい成果がでてくるかもしれない。

高齢化社会も意外なところで役立つのではないかと希望がもてないでもない。

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遺伝子のスイッチ

2013-12-05 12:01:32 | 学問

いつもこのブログにコメントを下さる医師の飯尾先生から、細胞レベルではある種の獲得形質の遺伝があるのだと以前にドイツ語のクラスで聞いていた。

それに関係する記事が朝日新聞に載っていた。これはマウスが身の危険を感じるとその「記憶」がマウスの精子を介して子孫に伝えられるという実験が科学誌のネイチャー・ニューロサイエンス電子版に発表されたという。

(引用はじめ) 実験はオスのマウスの脚に電気ショックを与えながらサクラの花に似た匂いをかがせ、この匂いを恐れるように訓練、その後、めすとつがいにして、生まれてきた子どもに様々な匂いをかがせた。すると、父親が恐怖を感じたサクラの匂いのときだけ、強くおびえる仕草をみせた。孫の世代でも、同様の反応が得られた。

父マウスと子孫の精子のDNAを調べると、嗅覚を制御する遺伝子に変化の跡があり、脳の嗅覚神経組織細胞の集まりが大きく発達していた。父マウスから精子を採り、人工授精で子を育ててその脳を調べると、同様の変化が見られた。

生物の遺伝情報はDNAに刻まれて親から子へと引き継がれるが、生活習慣やストレスなど、後天的な要因で遺伝子のスイッチの入り方が変わることが知られている(注)。(引用おわり)

このニュースにどうして私が注目しているかというと、1950年代終りまたは1960年代の半ばには遺伝学でメンデル遺伝学の正統性が確立をして、いわゆるルイセンコ遺伝学が間違っていた。この事実と思想的には関係があろうかと考えるからである。

ルイセンコ遺伝学が遺伝学として間違っていたことは確立した事実だが、武谷三男がその後でも獲得形質の遺伝を主張していたということで、その思想を断罪する書『武谷三男の生物学思想』が最近になって、医学者の伊藤康彦氏によって出版された。

ところがもちろん1950年代末に決着がついた遺伝学の論争ではないが、その後に遺伝子レベルのある種の「獲得形質」の遺伝がわかったというわけである。

だから、直ちに伊藤の主張が間違っていたなどと主張するつもりは毛頭ないが、議論はもっと注意をしてする必要があるということを示している。

これは先ごろ利根川進の免疫における研究を知ったときにも感じたことだが、自然はなかなか簡単ではない。

また、私の科学史の論争相手である、Aさんがこの事実をどう考えるかも知りたいところである。彼は獲得形質の遺伝は50年代の終りに否定されたとして、それがひっくり返ることはないと断じている。

それは確かにその通りだろうが、環境要因による遺伝子レベルの変化が知られたということを彼はどう捉えるのだろうか。

(注) 後天的な要因で遺伝子のスイッチの入り方が変わることは飯尾先生がすでにこのブログでコメントされたと思うが、それがどのテーマに対してであったかは覚えていない。

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武谷三段階論の実感

2013-10-26 13:33:24 | 学問

科学史の研究者の武谷「三段階論」の評価は人にもよるのだろうが、科学史の実証的な研究者にはその評価は余り芳しくない。

ところが一方では科学の研究者を中心にしてその評価は高いと思う。この落差はどこにあるのだろうか。

私は科学史の研究を主とするものではないので、残念ながら実証的な学風の科学史研究者の意見を支持することができない。

これは科学史の研究として武谷三段階論は確かに成り立っていると思っているということではない。あるいは広重徹が「科学史の研究からは武谷三段階論を正しいということはできない」という、指摘は本当かもしれないとまで思っている。

だが、一方で科学の考え方の新しい一面を開いたということと、それを使っていろいろ考える自分がいるという事実から武谷三段階理論の評価は来ている。

だから、武谷の文献を読んでこれは本物だと思ったとかということではない。または広重の論文を読んでその主張が間違っているとか思ったということでもない。もちろん、直接に広重が三段階論について触れた論説には不満があるのは事実である。しかし、間違ってはいないのではないかと思うところもある。

しかし、そういう話といま現在私が実感としていることはちょっと違う。そうではなくて何かものごとにあたって自分がその困難を克服しようとするときに自然に三段階論的に考えることが多いという、それだけである。これは厳密な意味ではない。

だから武谷は新しい一つの考え方を提供したのだという評価をしている。

もともと、武谷三段階論は大いなる誤解から来ているかもしれないが、それにしても新しい科学の考え方を与えたことは事実である。

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事実の発見か視点の発見か

2013-07-06 13:37:58 | 学問

西村肇さんの星野芳郎さんの追悼文で、星野さんは視点の新しさの発見を追求したが、事実の発見はしなかったと書いている。

それに反して近藤完一さんは細かなデータから新しい事実を発見することに長けていたという。当然のことながら、近藤完一さんと星野さんは相いれなかったという。

武谷三男は近藤完一さんが亡くなったということを聞いたときにがっくりきたということを誰かが武谷さんの死後に書いていた。

星野さんは西村さんによれば、まさに武谷スクールのプリンスだったというが、武谷はそれでも近藤完一のよさもまた知っていたのであろう。

人の個性はいろいろである。

また私が意外だったのは岩波の基礎工学講座シリーズに書いた星野の「技術の体系」は失敗であったという、西村の評価であった。そこに星野さんらしさが出ていると私は思っていたのだが。

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星野芳郎の遺言

2013-07-05 13:33:57 | 学問

西村肇さんが書いた、星野芳郎の追悼記「観念的で行動的」(現代化学?)を前にも読んだが、大事なことに気がつかなかった。

西村さんはその追悼記の終わりに、

『(引用者追加:星野さんは)50年変わらず評価する友人としては板倉聖宣をあげました。第3巻(引用者注:『自然科学概論』第3巻(勁草書房)のこと)の骨格作りに協力し、仮説実験授業を発想し確立した板倉さんです。星野さんに言われて板倉さんの多数の著書を読み出しましたが、青年時代とまったく変わらない態度で、科学史、経済学、日本史でつぎつぎ発見に満ちた仕事をしている驚くべき哲学者、思想家であることがわかりました。実際に仮説実験授業をする会員が2万人いることもすごいことです。その彼が日本の知識人の間でほとんどまったく知られていないのは、「自らの思想をつぶされない」ために徹底して「目立つことを避けて」生きて来たからでしょう。星野さんはそこを評価して私に教えたのだと思います。』

とある。この追悼記からは前にも武谷のことを、このブログでとりあげたことがあるが、前にはここの箇所を読み過ごしていた。

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「武谷三男の生物学思想」放談

2013-06-29 12:02:12 | 学問

先日、伊藤康彦著「武谷三男の生物学思想」を読んだ直後にブログを書いた。

この書を十分に読んだとはまだ言えないが、それに関して考えたことを放談として、ここに記録しておきたい。

これは自分の備忘録のメモであるから、いま伊藤さんの主張に反論するとかそういうつもりではない(将来の議論のタネとはなるかもしれないが)。

以下箇条書きに書いておこう。

1.武谷三男に生物学思想があったか。私はこれに関しては否定的だが、それはともかくとして遺伝学と進化論との間にギャップがあるとの問題意識はあっただろう。

2.ルイセンコの獲得形質の遺伝学とメンデルの遺伝学とが2者択一ではなくて、メンデルの遺伝学に加えて、ルイセンコの獲得形質の遺伝もあると考えていたのなら、議論はまったく違って来るのではないか。(これは1940年代後半を除いて)

3.ルイセンコの遺伝学かメンデルの遺伝学かとの論争であったとの理解が普通だが、武谷においてはこの辺はどうであったか。どちらか一辺倒であったのか。遺伝を決める要素の主因はメンデルの遺伝学だが、それに加えて獲得形質の遺伝の可能性もあると考えていたのではないか。

4.ルイセンコの遺伝学は、「メンデルの遺伝に加えての追加の遺伝子機構としてもない」というのが、現在わかっているところであろう。

5.伊藤さんが扱った文献が古いものが多いような気がする。もちろん、『現代生物学と弁証法』(勁草書房、1975)とか『思想を織る』(朝日選書、1985)も引用されているが、全体に文献が古い。それと『原水爆実験』(岩波新書、1957)のVIIの中の遺伝とその被害についての見解のようなことが吟味されていない(ような気がする)。

6.5.で挙げた最後の文献のVIIでは普通のメンデル遺伝学の見解にしたがっていると思われる。そこを調べて哲学的な論文における主張だけではなく、武谷の認識に迫る必要があるのではないか。同様な武谷の他の文献は存在しないのか。

7.科学上の見解で自分が間違っていたときに、論文上で間違っていたと言明することは普通のことであろうか。ある主張が間違っていてもそれは科学的な事実がそのことを示すので、間違いを改めて言明をする必要がない(のが普通である)。間違っていましたという言明だけではどの科学雑誌も論文を受理しない。

8.哲学的な論文ではそうではなくて、自分の間違いを言明することがあるのだろうか。そこらあたりが知りたい。(哲学的な論文ではまちがっていたことを自分で言明すれば、それを読んだ人はすっきりするではあろうが、一方でその人の権威がガタ落ちするような気もする)

9.誰でも自分の過ちを認めたがらないものである。また、間違いかどうかはわからないが、世界的に通説になってもなかなか心理的に時間が経たないと認められないものである。これは私の個人的な経験でもそうである。

10.遺伝子が変化するのは

(1)交配

(2)人工的な遺伝子操作(遺伝子工学)

(3)放射線による影響

(4)薬による変化

(5)抗体での、外からの異物に対しての遺伝子の体内変化(利根川進の発見)

(6)突然変異

(7) その他 (原因がわかっていないもの)

等が考えられる。それらのうちのどれが次世代に遺伝するのか。それらを確かめる必要がある。

『武谷三男の生物学思想』を読んで取り留めもなく考えたことは以上のようなことである。それに加えて、すでに考えたのだが、ここに記録されていないものもあると考えられるので、思い出せば、また追加をするつもりである。

(2014.7.16付記)  今日思いついたことだが、伊藤さんの武谷批判について述べておく。批判をすることが有効なのは批判しないと学問の進歩が阻害されることが明らかな場合である。

武谷は生物の研究者ではないから、あまり研究の阻害が出たとは考えられない。そうだとすると批判のための批判となりあまり積極的な意義がない。

それと人のいい面を見て、その悪い面を見ないようするという積極性の観点をとりいれて考えたいと思う。

(2017.11.22付記)  その後知ったことはすでにこのブログでも書いたかと思うが、エピジェネティックスである。これは遺伝はメンデルの遺伝で遺伝するのだが、その遺伝子が作用しないように、ある意味でのスイッチを切っていたり、または機能するようにスイッチが入っていたりすることから、遺伝の機能が機能したり、しなかったりするということがある。

それからもう一つは遺伝と関係するのかどうかはわからないが、山中4因子の入った細胞では細胞の機能がいくつか初期化されるということである。こういう不思議な作用があるということがわかってきている。これは上に述べたエピジェネティックスと関係がありそうに思われる。

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板倉式発想法

2013-06-27 12:03:05 | 学問

最近、ちょっと板倉づいている。

『模倣と創造』に引き続いて板倉式発想法『主体性論、実践論、組織論』という本を読んでいる途中である。

先日読み始めたのだが、「教育論」、「発想法が生まれた過程」のところまで読み進んで、「認識論と弁証法」の途中である。

昨夜も11時過ぎからこの箇所を読んでいたのだが、知らずに座椅子で寝ていた。それでまだ途中であるが、板倉さんのなかなか何にもとらわれないところがよい。

「弁証法は真理かもしれないし、うそかもしれない」などという。ここが失礼だがおもしろい。また弁証法は何事も固定的にとらえるなということを主張するが、このことも固定的にはとらえない。

ということは物事を固定的に捉えた方がいいこともあるのだと。ただしそれがいつでもではないという。

それで思い出したのだが、ルールには普通のルールとその上の上位に位置するルールがあると聞いたことがある。それによると、その上位のルールは固定的に考えるべきだという主張だった(注)。

よくある冗談に「ここに落書きするな」と落書きを塀などにするというのがある。もしここに落書きするなというルールが上位のルールであるならば、塀に「ここに落書きするな」と落書きすることは許されない。

そこのところを突いた落書きであり、おもしろい。しかし、「落書き厳禁」などという札を出すことも落書きの一種としてとらえるならば、何もいえないという、矛盾に陥る。

落書きを撲滅するには描かれた落書きをできるだけ早く消すことだという、テレビ番組があった。これはNHKの「ご近所の底力」で取り上げられていた。

それこそ、ここに「落書きするな」などという札を出すよりも有効な方法らしかった。

思わぬ方向にまたまた話がずれたが、このブログのこういう脱線がおもしろいという方もおられよう。いずれにしても朝方の夢うつつで考えたことの一端である。

(注) 上のルールとは法律でいえば、国の憲法である。それは普通の法律とは違ってそう滅多に変えるものではない。だから、絶対変えてはいけないということはないが、変更が難しいように規定されている。

それを嫌がってなんでも過半数の多数で変えてしまおうというのが、最近の自民党やその他の党の主張である。その考えはどうかと思う。

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人工光合成

2013-06-18 12:00:26 | 学問

最近、光合成のメカニズムが分かってきたという。昨日、NHKの「クローズアップ現代」でその話をしていたが、はじめの方を見ただけで最後までよく見たわけではない。

朝日新聞でも同じことを以前に読んだような記憶があるが、それほど感銘を受けた覚えがないから、やはり音声と画像での放送はインパクトが大きいと感じた。

これは世界中の研究者が光合成のメカニズムの解明をしようとしていたのだが、それにもう一つ届いていなかった。

それが最近日本で解明されたらしい。新聞で見たときに神谷教授とか沈教授とかの名前だけを覚えがあった。シンクロトロン放射光の施設がそのメカニズムの解明に役立ったらしいとか放送していたらしいが、よく聞かなかった。

そして、これから人工光合成ができるといろいろな応用が期待されるらしいが、それに多額の予算を投入して、成果を上げるということを言ったのはオバマ大統領らしい。

日本でこの光合成のメカニズムが基本的に解明されたと言ってもすぐに世界的な競争にさらされている。

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言語と抽象的思考

2013-06-08 12:00:47 | 学問

母語にあたるものがしっかり習得されていないと、抽象的な思考ができないらしいということを最近聞いた。

あるドイツで職を得た医者夫妻の子どもさんがドイツで教育を受けたのだが、どうも抽象的な思考が不得手であるらしいとのことが日本の大学の入試を受ける段階で明白になってきたとか。

頭の発達については第一言語の習得との関係があるとのことがわかってきたのだとはドイツ語のクラスメイトである、K夫人のお話であった。

私はその前のR氏のsemilingualの説明を聞いて、結局は頭の良し悪しではないかと思ったのだが、Kさんによれば、そうではないという。

私は長く外国にいる若者は別に日本で大学教育を受ける必要はないと考えるが、その辺はどうなのであろうか。

NHKの国谷裕子さんとかアメリカとかその他の外国で教育を受けた人も多い。少し昔ならNHKのニュースキャスターをした磯村英徳さんとかいる。磯村さんの場合にはフランス語が日本語と同じくらいに達者であった。

別に他人ごとばかりではない。姪の夫が中国の深圳に会社から派遣されているが、子どもの中の一人が父親について行き、カナダ系のハイスクールに通っている。

もう一人の子は母である、姪と東京に残っている。これは姪の子の希望なので、あまり外国も苦にしない姪もどうしようもなかった。

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