物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

量の理論といえば、

2022-04-30 14:00:59 | 物理学
量の理論といえば、民間教育団体である、数学教育協議会の量の理論のことを思い出す人も多いだろうが、ここではそういうことよりも広いことを述べたい。

量子力学では物理量は観測値であるから、実数でありそのことを反映して、物理量はHermite演算子で表される。

Hermite演算子は実数を演算子に拡張したようなものであり、その固有値は実数である。Hermite演算子の定義はあまりよくわからないものであるが、その期待値をとると、実数になるような演算子というのが一つの定義であろう。

こういうことをはっきりと書いてあるのは私の知る限りではBohmの『量子論』(みすず書房)である。もちろんこれから出発して、Hermite演算子の定義はさらに一般化されるのが普通である。

この一般化されたHermite演算子の定義をはじめて学ぶとHermite演算子がもともと、どういうのものだったか、わからなくなる(注)。

これは量子力学を学んだ人の知る、独特の量の概念であるが、相対性理論とかではスカラーとかベクトルに加えて、テンソルを学ぶ。

これがまたわからない概念だと大学生のころは感じていた。そのモヤモヤが晴れたのは大学院で学んだ変換性でベクトルとかテンソルを定義するという説明を聞いたときであった(この辺の経験はエッセイ「テンソル解析の学習の問題点」に書いた。小著『物理数学散歩』(国土社)所収)。

ところが相対性理論とかでは、あまりでて来ないスピーノルという量がある。これは電子の波動関数を記述するときに、電子のスピン状態という内部自由度を記述するために必要とされたものである。

もっとも、このスピーノルという量が物理で必要とされる前に、数学ですでに発見されていたのかどうかはよくは知らない。たぶん、物理学で電子の内部状態を記述するためにスピノールが必要とされる前にエリー・カルタンによって考え出されていたのであろう。

こういうふうに物理量はとても多彩なものであり、外延量だとか内包量とかいわれる「量の理論」よりはもっと広範なものである。

さらに、相対性理論でのテンソルには連続変換に対する変換だけではなく、離散変換である、空間反転等の変換もある。

ちなみにスカラーは0階のテンソルであり、ベクトルは1階のテンソルである。本物のテンソルは2階のテンソルから始まる。

小学校で小学生に算数を教えておられる先生方が、これらをすべて知ることは不可能だと思うが、そういう広がりがあるらしいと知っておられることは望ましいと思う。

(注)Hermite演算子を行列(マトリックス)で表す場合には、

 A^{+}=A

である行列をHermitean行列という。ここで、+は普通に使うdaggar(短剣)の記号の代わりに用いている。

 A^{+}をHermite共役行列という。これは行列の要素の複素数共役をとり、かつ行と列とを入れ替えた行列である。

このHermitean行列は実数を多次元化したような感じのマトリックスである。
その対角要素は実数である。

グラフを使った還元公式の導出

2022-04-30 12:27:52 | 数学
グラフを使った還元公式の導出とは、sin関数とかcos関数のグラフから、これらの関数の還元公式をどうつくるかである。もちろん、還元公式の導出のしかたは他にもあるし、それらの導出についてすでに「数学・物理通信」に2度ほど書いた。関心のある人は「数学・物理通信」を参照してほしい。

前にも書いたとかと思うが、cos xはsin xをx軸の左方向に¥pi/2だけ平行移動したものであり、逆にsin xはcos xをx軸の右の方向に¥pi/2だけ平行移動したものであるという事実である。

そうするとcos (\pi/2+x)ならこれはsin xと比べれば、\piだけを左方向に平行移動したものである。だから、元のsin xの符号が変わった ーsin xとなるのである。

というような原稿の草稿を昨日の午前中に書いた。それで前から入力している「一般二項定理の発見」の入力がまったくてできなかった。

面倒な入力が待っているので、しかたがない。こういうのもなかなか一気には行かないものだ。

それに「一般二項定理の発見」が終わったとしても、Wallisの推測についてのエッセイはまだ全くその草稿すら取り掛かれていないので、いつまでたっても仕事は終わらない。

Newtonの「一般二項定理の発見」について書くのならば、そのきっかけを与えた、Wallisの推測について書かないと首尾一貫していないと思われる。

空間反転に対するベクトルの変換は?

2022-04-30 11:37:22 | 物理学
空間反転に対するベクトルの変換はどうだったか。

昔のかすかな記憶を思い起こすと、ロー・メソンのような、べクトル粒子のスピンとパリティは1^{-}であったと思う。光子もベクトル粒子だから、スピンとパリティは1^{-}である。

ということは座標(x, y, z) に対して、空間反転(-x, -y, -z)をすれば、ベクトルは(A_{x}, A_[y}, A_[z})から(ーA_{x}, ーA_[y},ーA_[z})と変換するのがベクトルであったと思う。

そして、擬ベクトル(または軸性ベクトルともいう)はこの空間反転において符号を変えない。 普通のベクトル(極性ベクトル)は空間反転に対して符号を変えるが、擬ベクトルは符号を変えない。

極性ベクトルを鏡に映すと符号が反転するが、軸性ベクトルは極性ベクトルのベクトル積で定義されるベクトルだから、二つのベクトルがベクトルの符号が反転して、結果的に軸性ベクトルは符号が反転しないのである。(ー1)と(ー1)をかけると元の1に戻る理屈である。

だから、軸性ベクトルは普通のベクトルである、極性べクトルとは空間反転による性質がちがうのだが、そういう差をあえて目をつぶって電磁気学の記述をやさしくしているのが、ベクトル解析をつくったGibbsやHeavisideの卓見であったのだと思う。

しかし、普通の空間回転とかboostといわれるローレンツ変換のような、連続的な変換だけではなくて、空間反転のような離散的な変換を考えてくると極性ベクトルと軸性ベクトルとのちがいがでてくるのはしかたがない。

(E, H) 対応か、(E, B) 対応か

2022-04-29 14:59:21 | 物理学
(E, H) 対応か、(E, B) 対応かの論争は決着がついていて(E, B) 対応がいい。

要するに、磁性のオリジンをどう考えるかであるが、昔は磁極というものがあると考えていたが、そういう磁石の基になる磁極というものがあるのではなく、微小なサイズの閉じた電流が磁石の基になっているという考えが一般的になってきた。

そういうと磁石というのが現にあるではないかといわれるだろうが、それらも微小な閉電流が磁石の基になっているという風に現在では考えられている。

私たちが電極と磁極との対応をつけて電磁気学を学んでいたころからすでに微小閉電流が少し遠くから見れば、磁気双極子とみなされるということはわかっていたが、それがもう一歩踏み込んで、磁気双極子はすべて磁荷とかではなくて、むしろ微小閉電流が起源であると考えるのが一般的である。

それで、(E, H) 対応ではなくて、(E, B) 対応の電磁気学が教えられるようになった。だから、古いテキストはあまり読まれなくなっている。

私が学生のころにもマグネティック・モノポール(磁気単極子)を実験的に探すという研究を行っていた方もおられたが、結局は実験的にモノポールはみつからなかった。将来的にはどうかわからないが、たぶんモノポールを必要とはしないであろうから、いまの電磁気学(E, B) 対応が一般的に認められている。

私の友人に磁性の専門家がいるが、彼がどのように考えているか、いつか聞いてみたい。

少なくともdiv B=0は電磁気学の基本方程式である、Maxwell方程式の中にあるので、磁極はダイポール(双極子)としてしか存在しないことはわかっていた。

磁気モノポールは磁石を2つに切ると、その小さくなった磁石の両端にN極とS極が生じる。それをまた2つにより小さくしても、やはりその両端にN極とS極が生じるということでN極だけの物質とか、S極だけの物質は現れない。

もしN極だけの物質とか、S極だけの物質があれば、それを磁気モノポールというのだが、少なくとも実験的にはそういうものは見つかっていない。

これは電気の源である、荷電粒子があるのと対照的である。電気にはプラスの電荷をもった粒子とかマイナスの電荷をもった粒子が存在するのに磁性の方にはそういうものがない。
 
だから、電気と磁気とは似た側面もあるが、やはりちがっているものだと認識がある。だが、電流が流れるとその周りの空間が磁場をもったり、磁場が変化すると起電力が生じて、電流が流れたりするので、関連があるのは確かである。

そして磁場の変化によって電流をつくるのが発電機の仕組みでもある。

ともかくも電気の現象と磁気の現象の間に関連性がみとめられてそれがMaxwell方程式にまとめ上げられた。

その後の大きな発展は現在使われているような電波の利用である。テレビとかラジオやさらに衛星中継の電話だとか、携帯電話とかスマホの利用はすべて電磁気学にその起源がある。







昨夜は眠れなかった

2022-04-29 10:12:29 | 本と雑誌
昨夜は眠れなかった。だいたいこの年齢になっても不眠ということをあまり経験しない私だが、昨夜は眠れなかった。

12時半くらいには床に就いたのだが、眠れないので起き出して、三角関数の加法定理を一般の角について証明してあるかどうかを、私のもっている三角法のほぼすべての書籍を見てみた。

答えしようとしている本が多いが、やはり論理が完全ではない書籍がおおいと感じた。

知人の I さんから彼が加法定理の一般角での証明に努力した証のあるレポートを最近送ってもらったので、それの検討もしなくてはいけない。

そのうちに私が十分に納得できる加法定理の一般角での証明のレポートを書くことができるだろうと思っているが、まだイメージは十分でき上がっていない。

それで余分のこととして、前から考えていた、還元公式について三角関数のグラフからどう考えるのかを考えてみた。そして、それについて自分での納得できる考えにたどり着いた。

以前に、「三角関数の還元公式1,2」はレポートしたが、3がようやく書けそうになってきた。もっともいまは「一般二項定理の発見」のレポートの入力で忙しい。

「還元公式」についていえば、\sin (n\pi +x), \cos (n\pi +x)でnが整数ならば、\sin (n\pi +x)は符号を除いて\sin xとなり、\cos (n\pi +x)も符号を除いて\sin x
となる。あとは(n\pi +x)が第何象限の角かを知れば、その角のsin とかcos とかの角がわかるので、符号が決まる。これでこの場合は符号も込めて決定できる。

sin 関数とcos 関数の偏角がn(\pi /2)+x, n=奇数の場合はsinはcosxにcosはになるsin xになる。符号はそれぞれのn(\pi /2)+xがどの象限にあるかで、その象限の符号をつければよい。

know-howとしてはこれだけ知っていれば、十分なのだが、因果なことにそういうknow-howだけでは満足できないという性癖をもっている。 




ブログの分野の名のつけ方

2022-04-28 20:58:10 | 本と雑誌
一つのブログを書いたときに、そのブログの分野の名をつける。たとえば、外国語だったり、数学だったり、物理学であったりする。

ところが、どういうブログが読まれたかが著者の私にはわかるようになっているのだが、その中身は分野名が「外国語」とあっても実は中身は「物理」のことを大部分書いていたり、「数学」のことだったりもする。

私と同じような志向の人もいるのかもしれないが、多くの方はたぶんそうではないであろう。もちろんこういうブログであるから、七面倒くさい数式とかはでて来ないし、屁理屈をこねることもあまりないはずだ。

だが、私自身は楽しんで文章を書いている。それが自分以外の他の人に喜びを与えるかどうかはあまり気にしないで。





Ende gut, alles gut

2022-04-28 18:25:51 | 本と雑誌
Ende gut, alles gut(終わりよければ、すべてよし)とはドイツ語だが、英語ではAll is well that ends wellであろうか。こちらは私は読んだことがない原仙作著『英文問題精講』(旺文社)の本の終わりの章の冒頭にあったので、覚えた。

前にも、このブログで書いたが、原仙作著『英文問題精講』を読んだことがないのは本当である。この書はすぐの上の兄が大学受験勉強で読んでいた本であり、このとき私は中学生3年生であった。

中学のころは英語のことわざとかを一生懸命覚えていたので、その中の一つである。この『英文問題精講』のはじめの方にはWell begun is half done(はじめよければ半ばの成就)という言い回しもあった。たぶんこの書には他のことわざもあったのだろうが、それらはまったく覚えていない。

1年のドイツ留学を終えて、日本に帰るときに知人の大学の教授夫妻を自宅におよびしたら、この先生が「別れはちょっとした死だね」Abschied ist ein bisschen totと言われたので、私がひどく感心したら、この先生がフランス語にそういうことわざがあると、種明かしをしてくれた。

いつだったか、それが、A  quitter, c'est un peu mourirというのだと知った。確かに、別れは死別とは同じではないが、似たところもあると感じている。

私はあまり話をするのがうまくないので、いつも大学に勤めていたときには卒業式のあとのパーティでは、この言葉をいうことで送別の辞を言わないでお茶を濁していた。

ある数学の先生からお前がドイツ語を少し話すのは知っていたが、フランス語も知っているとはと感心(寒心?)された。

くだらないことを自慢げに、覚えている私です。




 

ドイツ語からフランス語へ

2022-04-28 11:52:21 | 本と雑誌
ドイツ語からフランス語へと言っても一般的な話ではない。

クイズについてである。NHKのラジオのフランス語とドイツ語の講座を何年も聞いてきたのだが、テクストについているクイズはドイツ語はかなり解けるようになったが、フランス語のクイズはなかなか手がつかなかった。

5月のテクストを大学生協の書籍部からもらってきたのだが、いつものように難しそうである。だが、和仏辞典を片手に挑戦をしてみた。初挑戦である。

これなど私の語彙の少なさがみなさんにわかるようだが、その通りで私にはフランス語の語彙が少ない。1000語のレベルはもちろん突破しているはずだが、2000語から3000語の間くらいだろうか。

ドイツ語の方は正確にはわからないが、3000語と4000語の間くらいだろうから、少なくとも1000語くらいは少ないと思う。

それも私のとってはフランス語は第3外国語であるが、話す言語としては英語のつぎの第2外国語である。ちなみにいうと私にとって、話す言語としては第3外国語はイタリア語であって、ドイツ語は第4外国語である。

もちろん、その後カタコトだが、かなり流ちょうにドイツ語は話すし、フランス語はドイツ語ほどではないが、フランス国内の普通の旅行に必要なくらいなら話すことができると思う。

だが、このフランス語のテクストのクイズは難しいのではないかと思っていた。それでできなくてもいいと思いながらの挑戦であった。

なんとかいくつかの単語を知ることができたが、一つだけその綴りはわかったが、その挿絵を見ても知らない語があった。それがbarreteであった。

しかたなく仏和辞典を引いてみたら、髪留めとあった。もう一つカラスという語のフランス語を知らなかったが、これは和仏辞典を引いてわかった。

そして、どういうのかフレーズをつくることになったが、これがわからない。しばらくその辺の絵を見ていたら、どうも食器を洗っている図である。

それですぐにあるきまりきった言い回しが思い出されてわかった。答えをここで書くと反則になると思うので、書くことはひかえておく。

クイズに初めて返事を書くことにしよう。


数学から物理への関心の回帰

2022-04-27 12:36:21 | 物理学
「数学・物理通信」に投稿された、「電磁気法則の共変性」という論文の投稿によって、初等数学への関心に偏っていた私の関心を物理へと引き戻すという作用を起こしてくれた。

私にとって、まだ十分なインパクトにはなっていないかもしれないが、以前とはちがってきたことは事実であろう。いやいやながら、この論文を読んでいたのだが、その論文を受けつけるかどうか判定するために、いくつかの電磁気学の相対論的記述の箇所を読む必要がでてきた。

こういうことでもなければ、絶対に自分ではこれらの電磁気学の本を読んだりしなかったことは確かである。私などは年寄りだから、電磁気学は(E, H)対応で書かれた本を読んだし、先生の教え方も(E, H)対応であった。

いまでは(E, B)対応の本がほとんどである。それに電磁気の法則を相対論的に書き直すときにも、そのメトリックの取り方が私のなじんできたPauliメトリックではなく、Feynmanメトリックになっている。

名著の誉れの高い砂川重信『理論電磁気学』(紀伊国屋書店)は以前にこのブログで電磁場の多重極展開の意味の説明がある貴重な書として推奨したが、相対論的な記述の部分にはPauliメトリック風でちょっと現代的なメトリックに書き換えしたほうがいいように思った。

もともと私の以前に書いたエッセイ「特殊相対論入門」(『数学散歩』所収)も(x, y, z, ict)ととっていた。時代を感じさせるが、「研究と実践」(愛数協)の発表が1986年だったことを思い起こせば、しかたがなかったかもしれない。



ローレンツ条件

2022-04-26 12:46:33 | 物理学
ローレンツ条件は四元ベクトルはベクトル\bm{A}とスカラー\phiの間に成り立つ条件式である。

div \bm{A}+1/c^{2}(\delta \phi / \delta t)=0となることはスカラー量 0 となることを意味するし、変数 x, y, z での偏微分と時間に関係した変数 ct での偏微分された式が足されているのだから、当然\bm{A}と\phi /cが四元ベクトルでないとスカラーにはならない気がするのだが、どうなんだろう。

もちろん、このローレンツ条件は一方で電磁場のゲージ不変性と関係するが、ロレンツ条件がローレンツ変換に対して不変な条件であることが場の量子論の共変的な形式の確立に寄与していると思っていたのだが、私の理解がまちがっているのだろうか。



四元ポテンシャル

2022-04-25 13:10:04 | 物理学
電磁気学のMaxwell方程式は磁束密度\bm{B}と電場\bm{E}と電流密度\bm{i}と電荷密度\rhoで記述される8個の方程式からなる。

ところが求めたい量は磁束密度Bの3つの成分と電場Eの3つの成分であるから、合計6個の量である。

方程式の方が多いが、これは矛盾しないか。これの説明を先ほど読んだのだが、今再現しようとしたら再現できないが、矛盾はないという。

さらにベクトル・ポテンシャル\bm{A}といわれるものとスカラー・ポテンシャル\phiとの4つとそれ対する4つの方艇式で、上の磁束密度\bm{B}と電場\bm{E}のみたすMaxwell方程式を代替することもできる。

このときにLorentz条件という条件が付加される。これは1つの方程式である。

さらに、ベクトル・ポテンシャル\bm{A}とスカラー・ポテンシャル\phiにはそれぞれゲージ変換という変換の自由度がある。ただし、Lorentz条件はこのゲージ変換で満たすものでなくてはならない。

このLorentz条件はベクトル・ポテンシャル\bm{A}とスカラー・ポテンシャル\phiの四元ベクトル性を保証すると思う。

コロナ禍で中止していた雑談会

2022-04-23 17:21:04 | 本と雑誌
コロナ禍で中止していた雑談会を久しぶりに開いた。参加者は多くなかったが、それだけ打ち解けた会だった。

コロナを危ぶんで参加しない方もおられた。しかたがない。

取り上げたテーマは数学オリンピックの問題だが、こちらはなんとか解をもとめられたと思う。

しかし、もう一つの日大の入試問題は解けていない。だいぶん解を絞り込んではいるのだが、まだなかなかである。

市会議員の選挙中で、参加できなかった方もおられる。

『無限と連続』(岩波新書)

2022-04-22 12:40:35 | 数学
遠山啓『無限と連続』(岩波新書)という本がある。初版は1952年である。

なかなか難しい本であり、実は私も1回しか読み通したことがない。それも大学生だったころで、確か2年から3年になる春休みにインフルエンザにかかり、2週間ほど下宿の部屋で臥せっていたときに、暇にあかせて読んだ。これくらい長期間病床に臥せっていると、背中が痛くて困った。

読んだことは確かであるが、その内容がよく分かったとは思えない。どうしてこの書のことを思い起こしたかといえば、分離量から連続量への飛躍について書いてあったのではないかと思ったからである。

第1章がそれにあたる記述がある箇所かと思うが、今ちらっと見ただけではその辺があまり定かではない。

私の記憶でも無限を数えるという操作の印象は残っているが、連続数の存在の印象はあまり残っていない。

同じ無限でも可算(可付番)無限の話は頭に残っている。無限でも連続無限というものもあるということは知っているが、あまり頭には残っていない。
連続無限は可算無限よりは濃度が濃いいことはわかっているが、その数を数えることはできない(注)。

この辺をうまく書いた書はあるのだろうか。こういう分野を開いたカントールの悲劇的な生涯とも重なってくるのだが。

(注)無限には、分数の数のような「可算無限」であるものと、実数全体のような「連続無限」と言われるものがある。
   



飛び飛びの量からつながった量へ

2022-04-21 12:21:44 | 物理学
飛び飛びの量からつながった量へと言っても、何を意味するかわからない人もいるだろうか。

数学教育協議会(民間教育団体)の「量の理論」の用語を用いて表現すれば、分離量から連続量へということになるだろう。

分離量という語に対して、物理学者の朝永振一郎さんは「とびとびの量」という極めてくだけた用語を提唱した。

エネルギーは連続量だと古典的には思われていたが、量子論ではとびとびの量、すなわち、分離量であるとの認識は実は量子論の始まりでもある。すなわち、Planckの熱輻射のエネルギーの量子仮説である。この仮説の提唱は1900年のことであり、実は19世紀の年の最後であった(1901年に20世紀ははじまる)。

これは物理学の歴史の上ではとても大きな発見であったが、実は数学では、とびとびの量から連続量を認識したことはもっと大きなBreakthorughではなかったろうか。

何もないことを表す、 0 の発見は数学における重大な発見であるというが、それだけではなく、とびとびの量(分離量)からつながった量(連続量)を発見したことは、多分それ以上の歴史上の大発見であったにちがいない(注)。

「ピースがつながって来た」という風に先日このブログで書いたが、そういうことの認識がどれくらいはっきりとあったのかということを、歴史上で振り返ってみる必要があるのではないかという気がいましている。

連続量だと思われてきたものから、実は分離したとびとびの量(分離量)が
出て来たということが20世紀の量子力学の世界の発見であったが、それ以前にはとびとびの量から連続量への発見があったのだ。

(注)整数、分数から実数へと認識が進んできたということについての私たちの認識はいまではなんでもないことだとして、すぐに実数などは受け入れるのが普通である。その辺の再認識が必要であるとの感慨をもった。

数学では単に「拡張への衝動」(遠山啓『現代数学対話』(岩波新書))だと言われているが、それが本質的な要素の一つであるとの認識であろうか。

昨日もくたびれた

2022-04-21 11:53:25 | 本と雑誌
普通はあまり夕方になってもつかれたとは感じないのだが、昨日は二つの仕事をかたづけたので、夕方には疲れを感じた。

特に、たくさんの仕事を片付けたとは思わないのだが、二つの仕事を片付けたのは事実である。

一つは「遠山啓博士著作目録」であり、もう一つは前に『数学・物理通信」に投稿されていた原稿を読んでの、意見をメールで送るための清書であった。

意見自身のメモは数日前から書き留めていたのだが、それはまったくのメモであったから、それを清書するのは結構面倒だった。だが、投稿した人の気持ちを考えれば、おざなりにもできない。

もっとも何回もすでに査読者から却下された人の方の身になれば、私自身が自分で判断する機会をもつのも、しかたがなかろう。