物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

塩パン

2013-06-30 10:33:20 | 日記・エッセイ・コラム

松山市の隣町である、松前(まさき)町に塩パンを製造販売するパン屋ができて、評判らしい。

昨日の朝はそのパン屋製のパンが朝食にでた。もっともそれは塩パンではなく、甘くはないが、普通のパンであった。

塩パンはとても評判で買いに来る人が多いので、一人3個に売る数を制限しているらしい。そして昨日の午後妻が私にその塩パンを食べさせようと思って買いに出かけたが、駐車場が30台くらいしか駐車できないので、駐車場の案内のガードマンに制止されて、買うことができずすごすごと帰ってきたという。

もともと、このお店は八幡浜市に本店があるが、ここでも当然評判のお店だそうである。それで、松山近郊に出店をしたということらしい。テレビ朝日でもこの新しいパン屋のことが放映されていたとかで、大評判とのことである。

塩パンというのがどういう味がするのかはわからない。多分、健康食品ブームと相まって評判なのであろう。大体が日本のパンはむしろお菓子のようであり、子どもには好かれるかもしれないが、健康のいいとも思えない。

それでもこの塩パンはヨーロッパ風の固いパンではないだろうとは思うが、そのうちに朝食で食べてみることができると期待しよう。ちなみに私はあの固いパンを好んでいる。


お母さんコーラス大会

2013-06-30 10:18:03 | 日記・エッセイ・コラム

朝日新聞が主催する「全日本おかあさんコーラス」の愛媛大会が今日の午後に行われる。昨年は妻が所属するコーラスグループも選ばれて東京の全国大会に出場することができた。

それで今年はお礼奉公の愛媛大会のお世話役の一グループのメンバーだということで、妻を大会の準備のために7時半には会場の県民文化会館へと車で送って行った。

そういえば、昨年は妻は9月だったか8月のおわりだったかに東京大会に出るために上京をしたときに、妻は二人の子どもとその配偶者たちに会ったので、恒例の12月の上京を取り止めた。それで私は下の子どもとは昨年は一度も会うことがなかった。

今年は秋に私の卒業した高校の同窓会が東京であるので、夫婦で出かけるつもりである。久しぶりに昨年会えなかった子どもにも会えるであろう。また他の友人のところにも訪問をする予定である。

今度の愛媛大会は妻の最後のご奉公でもある。というのは、妻は4年にわたったコーラスグループを辞める決心をしたからである。

音楽の心得があるのなら、コーラスのグル―プもどうってことはなかったのだろうが、妻は音楽にまるで不案内であったので、どうもこの4年間は大変だったらしい。それでもなんとか少しはみんなについていけそうなくらいにはなったと本人は言っている。

本当のところは私も音楽は素人なのでわからない。だが、本人の意志を尊重するのみである。


「武谷三男の生物学思想」放談

2013-06-29 12:02:12 | 学問

先日、伊藤康彦著「武谷三男の生物学思想」を読んだ直後にブログを書いた。

この書を十分に読んだとはまだ言えないが、それに関して考えたことを放談として、ここに記録しておきたい。

これは自分の備忘録のメモであるから、いま伊藤さんの主張に反論するとかそういうつもりではない(将来の議論のタネとはなるかもしれないが)。

以下箇条書きに書いておこう。

1.武谷三男に生物学思想があったか。私はこれに関しては否定的だが、それはともかくとして遺伝学と進化論との間にギャップがあるとの問題意識はあっただろう。

2.ルイセンコの獲得形質の遺伝学とメンデルの遺伝学とが2者択一ではなくて、メンデルの遺伝学に加えて、ルイセンコの獲得形質の遺伝もあると考えていたのなら、議論はまったく違って来るのではないか。(これは1940年代後半を除いて)

3.ルイセンコの遺伝学かメンデルの遺伝学かとの論争であったとの理解が普通だが、武谷においてはこの辺はどうであったか。どちらか一辺倒であったのか。遺伝を決める要素の主因はメンデルの遺伝学だが、それに加えて獲得形質の遺伝の可能性もあると考えていたのではないか。

4.ルイセンコの遺伝学は、「メンデルの遺伝に加えての追加の遺伝子機構としてもない」というのが、現在わかっているところであろう。

5.伊藤さんが扱った文献が古いものが多いような気がする。もちろん、『現代生物学と弁証法』(勁草書房、1975)とか『思想を織る』(朝日選書、1985)も引用されているが、全体に文献が古い。それと『原水爆実験』(岩波新書、1957)のVIIの中の遺伝とその被害についての見解のようなことが吟味されていない(ような気がする)。

6.5.で挙げた最後の文献のVIIでは普通のメンデル遺伝学の見解にしたがっていると思われる。そこを調べて哲学的な論文における主張だけではなく、武谷の認識に迫る必要があるのではないか。同様な武谷の他の文献は存在しないのか。

7.科学上の見解で自分が間違っていたときに、論文上で間違っていたと言明することは普通のことであろうか。ある主張が間違っていてもそれは科学的な事実がそのことを示すので、間違いを改めて言明をする必要がない(のが普通である)。間違っていましたという言明だけではどの科学雑誌も論文を受理しない。

8.哲学的な論文ではそうではなくて、自分の間違いを言明することがあるのだろうか。そこらあたりが知りたい。(哲学的な論文ではまちがっていたことを自分で言明すれば、それを読んだ人はすっきりするではあろうが、一方でその人の権威がガタ落ちするような気もする)

9.誰でも自分の過ちを認めたがらないものである。また、間違いかどうかはわからないが、世界的に通説になってもなかなか心理的に時間が経たないと認められないものである。これは私の個人的な経験でもそうである。

10.遺伝子が変化するのは

(1)交配

(2)人工的な遺伝子操作(遺伝子工学)

(3)放射線による影響

(4)薬による変化

(5)抗体での、外からの異物に対しての遺伝子の体内変化(利根川進の発見)

(6)突然変異

(7) その他 (原因がわかっていないもの)

等が考えられる。それらのうちのどれが次世代に遺伝するのか。それらを確かめる必要がある。

『武谷三男の生物学思想』を読んで取り留めもなく考えたことは以上のようなことである。それに加えて、すでに考えたのだが、ここに記録されていないものもあると考えられるので、思い出せば、また追加をするつもりである。

(2014.7.16付記)  今日思いついたことだが、伊藤さんの武谷批判について述べておく。批判をすることが有効なのは批判しないと学問の進歩が阻害されることが明らかな場合である。

武谷は生物の研究者ではないから、あまり研究の阻害が出たとは考えられない。そうだとすると批判のための批判となりあまり積極的な意義がない。

それと人のいい面を見て、その悪い面を見ないようするという積極性の観点をとりいれて考えたいと思う。

(2017.11.22付記)  その後知ったことはすでにこのブログでも書いたかと思うが、エピジェネティックスである。これは遺伝はメンデルの遺伝で遺伝するのだが、その遺伝子が作用しないように、ある意味でのスイッチを切っていたり、または機能するようにスイッチが入っていたりすることから、遺伝の機能が機能したり、しなかったりするということがある。

それからもう一つは遺伝と関係するのかどうかはわからないが、山中4因子の入った細胞では細胞の機能がいくつか初期化されるということである。こういう不思議な作用があるということがわかってきている。これは上に述べたエピジェネティックスと関係がありそうに思われる。


Rodriguesの回転公式

2013-06-28 13:17:19 | 数学

サーキュラー『数学・物理通信』に連載をしている、四元数シリーズの「四元数と空間回転5」の原稿をようやく書き始めた。

今回は回転公式としては誰にでもなじみのある、Rodriguesの回転公式の導出を中心としたい。

Rodriguesの回転公式とは普通のベクトルの有限角の回転公式である。だから、名前は知らなくても、この回転公式を物理で学んだ方々は大抵知っている。

それをAltman の"Rotations, Quaternions and Double Group" (Dover)の説明にしたがって、述べようと思って一昨日草稿を書いた。

しかし、ちょっとわかり難いところがあると感じたので、別の説明を昨日ゴールドスタイン『古典力学』 3版 (上)(吉岡書店)を見たら、どうもこちらの説明の方が簡明なようだ。

それでRodriguesの回転公式の導出法をゴールドスタイン流の説明に置き換えた方がいいかなと思うようになった。

Altmanの説明も簡潔なのでこちらが気に入って、この説明を採用することにずっと以前から決めていたのだが、実際に文章を書いてみて、途中の計算の過程をつけ加えているうちになんだか複雑と感じるようになってきた。

どちらの説明を最終的にとるかはまだ決定をしていないが、多分ゴールドスタインの説明法を採用する可能性が強い。

ちなみにAltmanはこの回転公式をconical transformationと呼んでいる。だが、他の文献でconical transformationという名を聞いたり、読んだりしたことがない。

また、まったくどうでもいいことかもしれないが、Rodriguesの発音はロドリーグでいいのだろうか。それともロドリーゲスと発音するのだろうか。

(2017.10.17付記)このRodriguesの回転公式の私の説明で私のとった回転角の正の方向が普通のとり方と反対になっている。それを標準的な角度のとり方と一致させた方がいいのではないかと感じている。『四元数の発見』(海鳴社)をそのうちに英訳するつもりでいるのだが、なかなか取りかかれていない。英訳のときにはどうしても普通の回転角の正の方向のとり方をとるようにしないといけないと思っている。

(2019.12.23付記) いろいろ障害があって、とどこおっているが、この代替のエッセイはできあがっており、「数学・物理通信」9巻9号に掲載を予定している。これは将来の『四元数の発見』の英訳のための準備の一環である。

これとか「Pauli行列の導出」とかはその作業の一環である。もっとも「Pauli行列の導出」の方はまだ原稿が十分でないためにこちらはいつ「数学・物理通信」に掲載できるのか、目途が立たなくなった。

かなりのページの原稿はあるが、自分自身の理解がまだ十分でないということがわかったのが、途中で原稿を引き下げることになった理由である。

『四元数の発見』を改訂をしたいと海鳴社に申し出たら、まだ手元に500部以上残っており、一年によく売れても70部なので、5年か6年は無理との出版社の言い分はどうもごもっともである。

5年か6年もすると、そのうちに海鳴社は廃業するかもしれない。四元数の補遺のエッセイもその後に4編ほど「数学・物理通信」に書いているので、それとか『四元数の発見』では補注となったところを本文中に入れたほうがいいかもしれないなどと考えている。

それらが英訳を考える理由である。それにgoogleの翻訳プログラムがかなり良くなっており、はじめから自分で英語に訳さなくてもまずはgoogleの翻訳を使ってみたらとのお勧めも1,2いただいている。半分くらいはそのまま使えるのではないかというご意見もある。

(2021.1.30付記) 上に書いたRodriguesの回転公式の回転角を反時計方向にするエッセイは「数学・物理通信」9巻9号(2020.1)に書いて掲載されている。また「Pauliの行列の導出」は「数学・物理通信」9巻10号(2020.2)に掲載した。あわせて読まれるといい。

「Pauliの行列の導出」は朝永振一郎さんの『角運動量とスピン』(みすず書房)の該当箇所を読み解いたものであり、これによって朝永さんの解説がより分かりやすくなったのではないかと思われる。

(2024.3.27付記) 最近知ったことで自分の不勉強を白状することになるが、セガの「線形代数講座」によるとRodriguesの回転公式は簡単に導けていいが、回転の合成が難しいとか。そのため、四元数による回転の合成とか行列による回転の合成がされるのが普通であるという。

もちろん、Rodriguesの回転公式もすぐに行列の形に書けるので、それを使えば難しいことはないのはもちろんである。このときにテンソル記法を使えば、ずいぶん便利である。

空間回転の表し方は

1)Rodriguesの回転
2)Euler角による回転
3)四元数による回転

の3つがある。従来2)が使われてきたいが、最近は3)が使われているであろう。小著『四元数の発見』(海鳴社)を見てほしい。



板倉式発想法

2013-06-27 12:03:05 | 学問

最近、ちょっと板倉づいている。

『模倣と創造』に引き続いて板倉式発想法『主体性論、実践論、組織論』という本を読んでいる途中である。

先日読み始めたのだが、「教育論」、「発想法が生まれた過程」のところまで読み進んで、「認識論と弁証法」の途中である。

昨夜も11時過ぎからこの箇所を読んでいたのだが、知らずに座椅子で寝ていた。それでまだ途中であるが、板倉さんのなかなか何にもとらわれないところがよい。

「弁証法は真理かもしれないし、うそかもしれない」などという。ここが失礼だがおもしろい。また弁証法は何事も固定的にとらえるなということを主張するが、このことも固定的にはとらえない。

ということは物事を固定的に捉えた方がいいこともあるのだと。ただしそれがいつでもではないという。

それで思い出したのだが、ルールには普通のルールとその上の上位に位置するルールがあると聞いたことがある。それによると、その上位のルールは固定的に考えるべきだという主張だった(注)。

よくある冗談に「ここに落書きするな」と落書きを塀などにするというのがある。もしここに落書きするなというルールが上位のルールであるならば、塀に「ここに落書きするな」と落書きすることは許されない。

そこのところを突いた落書きであり、おもしろい。しかし、「落書き厳禁」などという札を出すことも落書きの一種としてとらえるならば、何もいえないという、矛盾に陥る。

落書きを撲滅するには描かれた落書きをできるだけ早く消すことだという、テレビ番組があった。これはNHKの「ご近所の底力」で取り上げられていた。

それこそ、ここに「落書きするな」などという札を出すよりも有効な方法らしかった。

思わぬ方向にまたまた話がずれたが、このブログのこういう脱線がおもしろいという方もおられよう。いずれにしても朝方の夢うつつで考えたことの一端である。

(注) 上のルールとは法律でいえば、国の憲法である。それは普通の法律とは違ってそう滅多に変えるものではない。だから、絶対変えてはいけないということはないが、変更が難しいように規定されている。

それを嫌がってなんでも過半数の多数で変えてしまおうというのが、最近の自民党やその他の党の主張である。その考えはどうかと思う。


武谷三男の生物学思想

2013-06-26 12:02:27 | 科学・技術

「武谷三男の生物学思想」(風媒社)という本を手に入れて、昨夜から読んでいる。

武谷のルイセンコ遺伝学を支持する、またはルイセンコ遺伝学よりの言説を批判した書籍である。

なかなか詳しく調べて書いてあるので、大抵はこの書での著者の主張は正しいのであろう。ただ、ルイセンコ遺伝学が間違っていたということが明らかになった段階でも武谷がルイセンコ遺伝学を支持していたというのは理解が正しくないであろうと考えている。

もっともルイセンコ遺伝学が間違っていたということを武谷が正直に認めてそのことをどこかにはっきりと書くべきであったのだが、それをしなかったためにその後の武谷の問題意識までもまた間違っていたようにとられていると感じている。

もっともその問題意識も現在では議論の対象になるのはいうまでもないが。

この書の著者伊藤康彦さんの主張の大部分が誤解だという気はない。やはり、武谷は自分の過ちを率直に認めるのが難しかったのであろう。

だから、武谷無謬説を私はとらない。間違っていたこともあるだろう。それにしても私にはまた重たい仕事が出てきたと考えている。


デモ

2013-06-25 11:00:35 | 国際・政治

最近の大きなデモの話題はイスタンブールでの広場の近くの公園の再開発に反対する、デモである。

もう一つはブラジルでのワールドカップの会場のスタディアムを建設するのに1兆6千億円(?)だったかの費用がかかる。人々には、地下鉄の運賃が上がったり、物価が上がったりして、生活が苦しくなっていることに対するデモである。

イスタンブールは2020年のオリンピックの開催都市として立候補している。同じく立候補している、東京の有力な対抗馬である。

イスタンブールのうたい文句は「アジアとヨーロッパとの懸け橋」である。これはなかなか魅力的なうたい文句で、東京からは離れている地方に住んでいる私などは東京よりはオリンピックの開催都市としてはオリンピックの目的にも適しているではないかと思ったりしている。

しかし、今回のデモでひょっとしたら、東京の方がイスタンブールに差をつけたかもしれない。

それはともかくとして、スポーツの祭りの誘致が必ずしも人々の生活に資していないということが読み取れる。

ブラジルでは大統領が地下鉄の運賃の値上げをあわてて撤回したそうだが、年間6%のインフレで生活が苦しくなっているらしい。いまコンフェデレーションズカップが行われているが、来年のワールドカップの開催が危ぶまれている。

FIFAは今のところ何とも言ってはいないが、急遽、他の国での開催を密かに検討しているかもしれない。

ブラジルはサッカーの盛んな国の一つであり、サッカーファンは多いはずだが、それでもやはり生活あってのスポーツである。

デモでの人々の民意は、ジャスミン革命とか呼ばれた、エジプトとか世界の至るところで最近は現れており、なかなか政府がコントロールが難しい。


サイエンスカフェ

2013-06-24 13:44:37 | 科学・技術

先日からサイエンスカフェの連載が朝日新聞にあった。

サイエンスカフェとは何かよく知らないが、レポーターと一般の参加者が対等の立場である科学的なテーマで討議をするということなのだろうか。

2回目の連載で細谷暁夫(元東京工業大学)さんの写真が出ており、おやっと思ってそのことにようやく気がついた。

細谷さんはもともと宇宙物理学的な関心の強い人であるが、話のテーマは地球外生命であったらしい。

それは彼の研究とは少し離れたところにあったので、取材を方々でしたらしい。そのときの写真が新聞に載っていた。

この松山でもサイエンスカフェは必要とされるのであろうか。


年を入れるには

2013-06-24 12:03:08 | デジタル・インターネット

「年を入れるには」とブログのタイトルをしたが、これはかなり説明を要する。

武谷三男の著作目録をつくって、「素粒子論研究」に発表したのは2004年のことである。

その何版かのときの感想を寄せられた西條先生によれば、著作の番号の他に西暦で年を入れて、どれだけの著作が何年にでたかわかりやすくした方がよいとのアドバイスを頂いた。

その方がよいことはすぐにわかったが、そのときにlatexでどうしたらよいかわからなかった。それでそのままになっていた。

最近になって私の先生の、小川修三さんの量子力学の講義ノートを小川夫人がコピーして送ってくださったが、その内容目次をlatex入力しようとしたら、節の番号が講義ノート全体で通し番号がついていた。

すなわち、節の番号は、章の番号とは無関係な講義ノート全体を通しての通し番号であった。それでどうしたものかとlatexの本をよく読んだら、ようやくそのやり方がわかった。

それで、その方式を現在作成中の遠山啓著作目録にも適用できるようになった。元の武谷著作目録をその方式で修正するのはもう少し先になるが、ようやく西條先生のアドバイスを生かす可能性ができた。

ちなみに、武谷著作目録の一番新しい版は第4版であり、素粒子論研究電子版で見ることができる。だから、修正版はこれの第5版となるはずである。もっともこれはまだ全く準備もしていない。

もっともこのことは私に心理的な後遺症を残している。

というのは遠山博士の著作目録に年を入れられるようになって、自分のことを顧みてちょっと寂しくなってきた。いままで70数年を生きてはきたが、ほとんどそれらの間に大したことができなかったと気がつく、きっかけになったからである。


100haの広さは?

2013-06-23 11:40:01 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、朝日新聞を読んでいたら、中国の北京にある、中南海に中国政府の中枢があるという。

その中南海の広さが100ha (ha=ヘクタール)とあった。私には100haがどれだけの広さが見当がつかなかったし、1a (a=アール)はどれだけの広さかもわからなくなっているので、妻に「1aとはどれだけの広さだったかね」と尋ねたら、10m *10mの広さだという。ここで、*は掛け算の記号の代わりである。

それで、100haを換算してみるとそれは1km^{2}であることがわかった。これは縦1km、横1kmの正方形の面積、すなわち、1km*1kmの広さである。

とはいっても私にはどれくらいの広さが見当がつかなかったので、1kmはどれくらいだろうと妻に重ねて聞いた。

松山でいえば、城南線の電車がJRの駅の方から道後温泉の方へ向かって、勝山交差点のところで北方に曲がるが、その勝山交差点から西へ県庁前の電停を越えて、東堀端に至るくらいだろうという。

後で実際に松山の市街図をみてみると、勝山交差点から東堀端までの距離に加えて、さらになお100mくらい堀之内の公園に入ったくらいの距離であった。

その距離を一辺とする正方形を考えるとおよそ一番町から松山市の伊予鉄道の市駅くらいまでの繁華街はすっぽり入ってしまうくらいの広さである。結構広いことが分かった。

人口10億人とも言われる大国の、中国の政府要人の住居や執務室があるところだから、広くても当然ではあるが、かなり広いことがわかる。その中には人工湖の南海、中海が入っている。

まだ1kmを感覚的につかめないという人のために言うと、普通にまじめに歩いて約15分くらい歩く距離と言ったら、そのくたびれの程度で感覚的につかめるかもしれない。

松山の1番町の電車通りを勝山交差点の方から、西に向かって歩いていけば、その中に交差点の信号の4つ目が東堀端である。このときに勝山交差点の信号を入れていない。もしこの一番最初の信号を数に入れれば、5つの交通信号がある。

およその話ではあるが、交通信号は250mに1個くらいの割合であることがわかる。


再び推測科学史

2013-06-22 11:39:40 | 科学・技術

推測科学史というような怪しげな概念は私のつくった用語であり、純粋の科学史の研究者からは毛嫌いされるような話である。

だが、科学史のアカデミックな研究はそれはそれとしての存在意義があるが、この推測科学史の効用はそれよりもっと教育の分野では大きい。

水道方式で有名な数学教育協議会のメンバーたちや仮説実験授業として知られている授業を行っておられる方たちの努力はひょっとすると疑似科学史の体験を授業中に生徒や児童にさせるということではなかろうか。

少なくとも歴史に忠実に授業を構成することではあるまい。歴史に忠実には教育では再現することなどまずはできない話だ。

それに、あまりに歴史に忠実に再現すると授業中に生徒たちが何が何だかわからなくなってしまうという、弊害の方が大きい。

そこを教育においては読み切らないといけない。これはアカデミックな科学史の研究とは自ずから、違うのだと思う。

生物学では「個体発生は系統発生を繰りかえす」とよくいわれる。この命題の真偽はわからないが、人間の認識にも社会的な認識を要領よくポイントを押さえて、繰り返すという側面がある。そうでなくては物事を納得するように理解できないだろう。

数学教育協議会などで数学教育のために

(1) 数学史

(2) 心理的な認識段階

(3) 現代数学

の理解が大事だと言われてきたが、私の理解するところでは数学史の理解はアカデミックな数学史そのものではないと思っている。

急に人のことを持ち出してご本人にはまことに申し訳がないが、徳島科学史研究会を長年主宰されている、西條先生などもそういうご意見だと思っている。


Zange

2013-06-21 12:02:22 | 外国語

Zange(ツァンゲ)とはペンチを意味するドイツ語である。

昨夜、ドイツ語のクラスでR氏がペンチでホワイトボードの後ろのねじを締めてホワイトボードの傾斜角を調節していた。

これは蛍光灯の光が反射してホワイートボードに書かかれた字がとても読みにくいというOさんからの前々の苦情にようやく対応したものである。

これと発音がよく似た言葉にZunge(ツンゲ)がある。こちらの方は舌を意味する。ちなみにdie Zange, die Zungeとどちらも女性名詞である。

Zungeに関した言葉で、早口言葉のことをドイツ語ではZungenbrecher(ツンゲンブレヒャー)という。

ドイツ語の早口言葉は今一つも思い出さないが、日本語なら「東京特許許可局」とか「生麦、生米生卵」とかよく知られている。

英語ではtongue-twisterというが、twistは辞書によれば、「(糸などを)撚る、からませる」という意味が出ている。言っているうちに舌が絡まって来るという意味なのであろうか。

昨夜のクラスでは最近暴露されたアメリカの国家保安局のインターネット等での個人情報の収集についての話がされた。クラスのメンバーからは知られて困るような個人情報はあまりない、ということだったが、もちろん個人の銀行口座等が人に知られれば、いいことはない。

政治信条とかがアメリカの国家保安局に知られたら、アメリカに行こうとしたときに入国制限がされるかもしれない。もっとも私はアメリカという国にあまり関心がないので、たとえ入国禁止とか言われても個人的には痛痒を感じないけれども。

こういう話を書こうと思ってパソコンに向かったのではなかったが、どうも話が思わぬ方向にそれてしまった。


石手川ダムの貯水率4

2013-06-20 12:41:08 | インポート

このブログに「石手川ダムの貯水率」で数回述べたので、現在の状況を記しておこう。

リアルタイムで石手川ダムの貯水率を記したサイトがあるので、それを見たら昨日

6月19日(水) 21時 石手川ダムの貯水率: 73.7 %

だったが、

6月20日(木) 12時 石手川ダムの貯水率: 85.4 %

に回復している。まだ、平年の平均値には達していないが、そのうちに回復するであろう。今朝の5:40から6:20にかけてかなりの降雨があったことが、この貯水率の回復に寄与している。

それと数日したら台風がやってくるので、多分もっと降水量が期待できるであろう。今年は5月、6月と少雨であり、ちょっと困ったことになっていたが、なんとか一息がつけそうである。

今年もそのブログへのアクセスが数回あったことがわかっているので、世間の関心事の一つであったのだろうと思って現在の貯水率を記した。

(2013.6.23付記) 石手川ダムは現在100%の満水であり、順調に放水が行われている。取水制限はなくなった。

もっとも石手川ダムはあれはダムではない。「ちょっと大きな水たまりですよ」という皮肉を口にする人もいるくらいなので、満水になったからと言って安心すべきではないであろうが、最悪の事態は少なくとも今のところ免れている。


抗体の不思議

2013-06-19 17:58:19 | インポート

今日の朝日新聞の広告に『「抗体」100年の謎』という題の広告が出ていた。テルモという体温計をつくっている会社の広告である。

大体あまり広告を読むことはしないのだが、『北里が発見し、利根川が解明した「抗体」100年の謎』とあったので、その文を読んで見て初めて大事なことを知った。

以下は重要な箇所の引用である(朝日新聞広告2013.6.19より)。

人体には、さまざまな細菌やウイルスなどの異物が侵入してくる。これに対し、血液成分の一つであるリンパ球のB細胞は、その細菌なり、ウイルスなりに対する抗体をつくる。すると同じ異物が再び侵入したとき、簡単に撃退できるようになる。これが免疫だ。どんな異物が侵入しても、B細胞はそれに応じた抗体をつくることができ、その種類は100億を超える。(中略)

抗体多様性に関する彼の報告は、出席者の度肝を抜くものだった。なんと、遺伝子が変化するというのだ。遺伝子情報はDNAに書き込まれており、一生その形はかわらないため、指紋のようにその人を特定する決め手になる。しかし、利根川は「B細胞だけは自らの抗体遺伝子を自在に組み替えて、無数の異物に対応する無数の抗体をつくることができる」ことを証明したのだ。(引用終わり)

この事実を私は今朝まで知らなかった。それで衝撃を受けた。これだとノーベル賞委員会が「100年に一度の偉大な研究だ」というのも頷ける。これは京都大学の山中教授のips細胞の研究と同じようにとても破天荒な研究であろう。

これからは、ときには新聞広告も読んで見よう。


記憶欠落2

2013-06-19 13:12:47 | インポート

歳だから、記憶が欠落しても当然のことだろうが、昨年夏の甲子園大会で優勝したチームの投手が阪神タイガースに今年入団している。

先日、楽天の田中将大投手と投げ合って負けたのだが、彼の名前が出て来ない。藤*だったと思うのだが、わからない。藤のつく姓を思いつく限り思い出してみた。

藤野、藤山、藤目、藤谷、藤本、藤村、藤尾等である。これらの中には実際に私の知人である人もいるし、全くそうでない人もいる。そういうふうに思い出してみたのだが、名前がわからない。

困って妻に聞いたのだが、名前を憶えていなくてインターネットでしらべたらとのことしか返ってこなかった。

いま、インターネットを調べる前にこのブログを書いている。それでどうもすっきりしないが、しかたがない。このブログを書いた後で調べてみようと思っている。

こういう経験が多くなっている。人の名前のことが多いが、それだけではない。英語の単語の綴りを中学・高校ときちんと覚えていたと思うが、このごろはどうもパソコンでも間違って入力することが多くなった。

この間もAlberta大学をAlbataと入力していたら、NさんのコメントでAlbertaとあったので、あわてて直した。

数学の公式でも間違えていないか、ときどきチェックする必要ができてきた。

私が中学か高校の頃に叔父が中年になっていたのに、代数の因数分解の公式を覚えていたので、記憶力のいい人だと感心したことがあった。

先日、算数の学習会に出ていたら、三角関数も複素数も使わないから、もうわからなくなったと言われた、小学校の先生が居られた。やはり何十年もご無沙汰だと忘れるのが普通でしょうと答えておいた。

(2013.6.20付記) いまインターネットで調べたら、上に書いたのは藤浪晋太郎投手でした。ひょっとして藤がついていなかったかと心配しましたが、やはり藤がついていました。

それにしてもこの記憶の欠落は困ったものです。