「幻の光」長い恋愛期間のあと結婚したゆみ子と郁夫。尼崎の路地裏で貧しい暮らしをしている。ゆみ子が勇一を産んだわずか3ヶ月後に、郁夫は電車に轢かれて死ぬ。自殺としか考えられないのだった。まだ35歳のゆみ子の子供時代からの回想とともに、なぜ郁夫は死んだのか考える。こどもの頃から貧しく、郁夫と結婚してからも郁夫の稼ぎは少なく、生活は苦しい。郁夫が死んでからも勇一を育てるために向かいのラブホテルで働く。やがて奥能登で料理人として働く民雄の元に勇一を連れて嫁ぐ。民雄も妻と死別しており、友子と言う娘がいた。義父と同居だったが、やはり貧しいながら一応幸せな日々を送る。不幸な人生のようだが、そこまでの悲惨さは表れていない。清貧。ゆみ子は郁夫を失ってから、郁夫の幻に独り言を言うようになっていた。そうやって自分の正気を保ってきたようだ。郁夫はなぜ自殺したのか結局わからないが、生への執着が突然なくなってしまったようだ。今で言う燃え尽き症候群というのだろうか。文中で民雄が「精がのうなると、死にとうなるもんじゃけ」という言葉がそれを表している。人間が誰しも持っている生命力の根源のようなもの。しかし郁夫がなぜそうなってしまったのかはわからない。貧乏な生活に嫌気が差したのだろうか。
短編だが、ゆみ子の人生が凝縮されており、密度が高い。最近読んだ湯本香樹実の「岸辺の旅」と雰囲気が似ている。死の世界に隣り合わせのような場所なのに、悲しさというものはない。
「夜桜」離婚した夫婦。つい1年前に引き取った息子が交通事故で死ぬ。夫婦は今となってはなぜ別れたか、別れなくても良かったのではと思っている。別れた旦那は再婚して子供もいるが、元夫婦は全くドロドロとはしていない。一人になった綾子は息子が過ごしていた2階の部屋を下宿に貸そうとしていたが、裕三に心配され諦めることにした。ちょうどその時、部屋を貸してほしいという電気工事の若者が訪れる。綾子の家の庭に立派な桜があり,、夜になると夜桜がとてもきれいなのだった。それが目当てのようだ。しかしもう貸す気持ちのなくなっていた綾子は頑なに拒否するが、家の中の家電製品を修理するという条件で一晩だけ貸すことにした。そして若者はやってきたが、今日入籍したという女性を伴ってきた。ラブホテル代わりに泊めてやるようで釈然としない綾子だが、その2階の部屋には敢えて近寄らないようにしていた。しかしふと、心中をはかるのでは?妙な不安にかられ2階へ上がっていく。しかし、夜桜を楽しむ男女の声がするだけだった。結局この若いカップルも貧しいのだ(綾子は離婚の慰謝料として立派な邸宅に住んでいるのだが)ただの5千円ぽっちで、新婚旅行代わりに美しい夜桜を見ようとしていたのだ。明るい未来があるように思わせる。
「こうもり」コンスケは同級生のランドウは死んだことを知る。ランドウはとんでもない不良だ。コンスケとは相容れないのだが、なぜか親しくしてくる。ある日可愛い女の子の写真を見せられ、その女の子の居場所に一緒に来てくれと頼まれる。住所を訪ねるうち、どうも貧困街のようであることがわかるそしてその女の子は体を売って生きていることもわかる。結局ランドウだけが女の子を長い時間口説いていて、コンスケは愛想を尽かして先に帰ってしまった。それ以来コンスケはランドウが学校に来なくなったので会っていないし、次に消息を知ったのはランドウが死んだということだった。あの日何があったのか?我々の想像に委ねられる。しかし、そんなことが主題ではないのだろう。私には、ランドウがとんでもない不良で自分とは全く相容れそうにないのに、親しくしてきてくれると言うことに、自分と重なる部分があって懐かしい気持ちになった。
「寝台車」主人公は普段は新幹線を使うところを
寝台列車の銀河に乗って東京出張に向かう。大きな仕事の仕上げに行くのだ。その車中で嫌な上司とのやり取りを回想する。今の自分を見ているようだ。途中から乗車してきた謎の老人。なぜか泣いている。東京につく前にどこかの駅で下車していた。医者の孫で金持ちの同級生のカツノリくん。主人公の家に遊びに来ていたが、過って河に転落する。危機一髪で生き残る。そんなカツノリくんが大学の医学部時代に山岳部に入り、山に向かう列車の途中で河に転落して謎の死を迎える。それが事故なのか自殺なのかは明らかにされない。これもどちらでもいいのだろう。
いずれの話も結論は読者に委ねられている。いかようにも解釈してくれというスタンスなのか。話の筋よりも雰囲気を感じてほしいということなのか。確かにこの空気感はいい。
20210328読み始め
20210328読了