「宇喜多の捨て嫁」を買ったものの読まずにいながら、買おうとしていたこの本。面白くなさそうだったが、「宇喜多の捨て嫁」を読んで衝撃を覚えた今では、むしろ楽しみでしかたがない。なお、この前に「敵の名は 、宮本武蔵」を読んでいる。つまり作者の木下昌輝にはまってしまったのだ。生涯で初めて山田風太郎にはまり、次は多分、田中芳樹だったかもしれない。木下昌輝は自信をもって、次にはまったと言える作家に違いない。
「龍馬ノ夢」はじめは坂本龍馬の話だ。人魚の肉を食べると不老不死になると言う伝説から始まる。登場人物は坂本龍馬、中岡慎太郎、岡田以蔵。幼い頃に浜辺に上がっていた人魚の肉を食べる。食べたのは元々やんちゃだった以蔵だ。龍馬は元は気弱な少年だった。以蔵から無理やり人魚の肉を食べさせられる。慎太郎は食べなかった。食べて以来、以蔵と龍馬は性格が激変する。ここで言う不老不死は、池田屋事件が場面だ。うとうとした龍馬が、夢の中で自分を呼ぶ声を聞く。慎太郎に起こされる。龍馬は夢を思い出せないが、以前にもこんな体験をした気がする。何百回も。そこへ新撰組が襲撃してきて頭を切られ死ぬ。やはり不老不死ではなかったのだと我々は思う。すると、絶命しつつある夢の中で、龍馬を呼ぶ声が聞こえ、お前は意識が戻ったら池田屋襲撃の直前に戻る。と言うことらしい。だから次はうまく逃げて助かりなさいと言うことなのだ。パソコンゲームのリセットだ。しかし何度甦ってもそれを忘れ、新撰組にやられるのだ。この数分の出来事を恐らく八百年繰り返さなければならない無限地獄。素晴らしい話の展開だ。
「妖ノ眼」新撰組の平山五郎の話。人魚の肉と血は何年たっても朽ちない。平山は芹澤鴨から眼をつけられ稽古を付けると称して虐待を受けていた。歴史が示すように既に死んでいた岡田だが、突然平山のところに人魚の肉をもって現れる。強くなりたいならこれを食べよと言う。これは何だか山田風太郎の「魔界転生」を彷彿とさせる。木下昌輝作品の中であまり人気はないそうだが、風太郎ファンにはかなり期待を持つ話ではなかろうか。平山は火の粉がかかって左目を失っていた。しかし人魚の肉を食べることにより、左に3つの目とうなじに計4つの目が生じた。それぞれほんの数瞬先が見える妖の目。そしてうなじの目はかなり先を見ることができる。数瞬先が見える目によって、相手の打ち込む剣先が予測することができ、剣の腕が格段に上がった。ある時ずっと未来が見える方の目に、自分が首を斬られている場面が映る。
「肉ノ人」沖田総司が主人公である。安藤早太郎という隊士が道で出会った商人から人魚の肉を手に入れたといって持ってくる。その商人は岡田以蔵とは書かれていない。総司は食べると無性に血を欲するようになる。のどが渇いて渇いて仕方がない。斬った相手の血を飲むと渇きが癒えるのだ。この葛藤、焦燥感がすさまじい。数年前にあった大塩平八郎の乱だが、その大塩平八郎が乱を起こす数年前に起きたキリシタン弾圧の際に手に入れた禁書(西洋の黒魔術)が、総司の元に舞い込む。そこには人魚の肉を食べた時の成れの果てが書かれていた。[さまよう死体、体の左半身にびっしりと目玉を生やした男、首のない騎士、しゃべる生首、夢のなかで何度も処刑される囚人]という、2番目はまさに前章の平山五郎、5番目は最初の章の坂本龍馬ではないか?うまく伏線を持ってくる。沖田総司はどうかというと、肉人というものらしい。血を吸い続けると肉まで欲するようになり、そのうちに体すべてが脂肪の塊となり、血肉を求めて生き続けるようになる。それを断つと衰弱して死ぬということらしい。戦うことを捨てて衰弱して死ぬことを選択する沖田。同志である山南敬助の友情や、破天荒すぎて恐ろしい人物としか思えない近藤勇や土方歳三からの愛情に怪奇小説らしくなく胸を打たれる。山南や近藤、藤堂、原田、井上たちと再会する最後の場面が感動的。
「血ノ祭」永太という扇子屋の子供の話。前章から関連している。水野軍記という九州の武士が西洋の魔術を伝えて京都にやってきた。そこで信者たちが隠れながら祈祷を続けていた。その軍記の子供が、人魚の血を手に入れることができたら、魔術が効力を発揮するという。魔術の所には前章で沖田総司が見た、男が手首を切りその血をマリア像にかけている絵だ。それを目にする永太。信者たちは振興のため京都に残ったが大塩平八郎によって処刑される。軍記の子供と連れの虚無僧は人魚の血を探して旅に出る。数十年たつ。扇子屋を継いだ永太(永兵衛を襲名している)のもとに、近江で元武士だった薪炭屋の升屋という男が岡田という客を連れてきた。意匠が好まれず全然売れない人魚の絵が描かれた扇子(永兵衛がプロデュースした)に興味をもって買いに来たのだ。その岡田という男が言うには自分は、昔人魚の肉や血を啜ったことがあると。人魚の肉を食べると妖怪と化し、血を飲むと不老不死になるとのことだ。複雑すぎてあらすじは省く。安藤早太郎という隊士は実は軍記の子が旅をしている間に、本物の安藤早太郎を毒殺しなり替わった人物だった。人魚の血と肉は土佐で手掛かりを得た。昔3人の少年がそれを見つけたという。そのうちの一人岡田以蔵が今も持っているらしい。早太郎は新撰組に入ることで岡田以蔵を見つけることができるのではないかと考えた。面識のある永兵衛を通じて岡田以蔵に会い。人魚の血と肉を手にいれる。血を使えば死者が甦るという術を始める。それには日数がかかるのだが、もう少しというところで早太郎の脛の肉から元の姿を形成する途中の千代がまるでゾンビのように永兵衛の前に姿を現す。同じ頃早太郎は襲撃に会い、自分の体と共に人魚の血の入った竹筒を真っ二つに切られこぼしてしまう。復活を遂げられなかった早太郎は新撰組を抜け出し、また人魚の血を探す旅に出ようとする。京に長州軍が攻めてきて町を焼け野原にした。その隙に新選組を脱走した早太郎と思われたが、山崎林五郎という新選組の使い走りが早太郎から預かったと言って包みを持ってくる。どうやら早太郎は脱出しはしたが、途中で引き返してきた。大火傷を負い、林五郎に包みを渡した後死んだらしい。包みの中身は椿の枝だ。千代の家に咲いていたのを、家族が引っ越した後永兵衛が挿し木をして育てていたものだ。永兵衛の家はもちろん椿の木も火事で丸焼けになったが、早太郎はこの椿を救ったのだった。千代を甦らせることに執念を燃やしていた早太郎だったが、永兵衛が言った。甦ったときに自分は死んでこの世にいないかもしれない。早太郎も老人になっているだろう。そんな世界に甦りたいものだろうか?というセリフに眼が覚めたのだろう。何とも切ない話だった。
「不死ノ屍」佐野七五三之助は伊東道場の弟子の一人で不死身であると自称している。その佐野が新撰組に入隊してくる。新撰組の大石鍬次郎は何かと目の敵にする。本当に不死身なのか試したくて仕方がない。佐野の場合斬られたら死ぬかもしれないが、斬られないという運が強いという。大石から渡された拳銃でロシアンルーレットをするが実弾が入っていた。それをすんでのところで近藤勇に刀の柄で突かれ軌道を逸らされ死を免れた。近藤は不死身は証明できなかったと言われるが、近藤によって助けられたことこそ不死身の証と言う。大石が気に入らない隊士を脱退させる言う仕向け、脱退したら粛清するという行為が目立ち始めてきた。佐野と仲間3人は一応大義名分を作り、脱退しようとした。ところが認められず近藤に切腹を命じられた。と同時に4人とも大石に謀られ暗殺される。直前に山崎林五郎から人魚の肉を食べさせられた佐野だけは死にきれなかった。そしてその後も果てしなく大石に斬られ続けるという結末。これは何とも不条理な結末だった。
「骸ノ切腹」商人の家出身の河合耆三郎と農家出身の沼尻小文吾。剣の腕はさっぱりで侍にはなれないと諦めぎみ。そんなときに近藤勇に呼ばれ、主君のために死ぬという思いがあれば侍だと励まされる。そして切腹と介錯の作法を教わる。耆三郎は隊の金を着服して処罰を受けることになるが、沼尻の願いにより切腹させてもらうことになった。但し介錯は沼尻自身がすると言う条件。切腹の段、剣の腕が未熟な沼尻は何度も介錯を仕損じる。それ以来自分の右に死んだ耆三郎の気配を感じるようになる。時は流れ、近藤勇が処刑される時、切腹ではなく斬首と言う武士にとっては不名誉な最後だった。沼尻は晒し首にされてる近藤の首を持ち去る。六道の辻に来たとき奪った首が勝手に動きだし、亡霊の体に繋がる。そして切腹を演じる。沼尻は介錯をする。これにより耆三郎の気配が去っていたのだった。
「分身ノ鬼」斎藤一。名前を変えた明らかに自分の分身とわかる人物と対決する。解説にあるようにドッペルゲンガーだ。この分身に悩まされる斎藤一。いつ人魚の肉を食べたか?そう言えば沖田総司の章で食べていたか。
「首ノ物語」これが一番怪談っぽいか。純和風な。晒し首になった岡田以蔵の首の守りをする少年の話で、人魚の伝説を信じない少年に不思議な現象が起きる。
20200314読み始め
20200321読了