ビールを飲むぞ

酒の感想ばかり

「補陀落渡海記」 井上靖

2019-04-28 23:43:15 | 読書

これも講談社文芸文庫から出ている、井上靖の短編集。

「波紋」最近は著者の歴史小説や、西域小説ばかり読んでいたので、この話は現代小説ということで、一体なんの話をしようとしているのかわからなかった。
舟木淳介は研究に没頭したいため、私を頼り、私は友人の田宮を紹介した。田宮夫妻の家に居候することになったが、次第に田宮夫人に恋心を抱く。耐えられなくなった舟木は田宮家を出るが、実は田宮夫人も舟木に好意を持っており、家を飛び出し追いかけてきたのだった。既に私は舟木を親戚のところに預けており、会うことは叶わず、田宮も迎えに来て一件は落ち着く。その親戚の18才の娘・真弓が逐一様子を報告してくれていたが、ある日舟木は居なくなる。それを知らせに来た真弓から自分も舟木に好意をもったことを知らされる。そうして波紋だけを残した舟木だった。何だかモテモテでいけすかない。
「雷雨」68歳になる魁太は根性が悪い。ひねくれもので誰からも疎まれている。それを全く意に介さず、ずかずかと他人に因縁をつけては物や酒をせびるどうしようもない男だ。ある時、小学生の時、1,2年ほどだが、友達付き合いしていた同級生が東京から帰ってきた。西尾玄一郎といい、地質学の大家となっており、調査研究のため帰ってきたのだ。小学生の時は自分の方が頭がよかったのに、今は立派になった玄一郎に嫉妬でいっぱいだ。とは言え、村のみんなが英雄が凱旋してきたようにちやほやするなか、自分は同級生で対等であるところを見せびらかせたいため、玄一郎の調査隊一行を出迎えようとする。玄一郎には無視をされ、取り巻きからも煙たがられる。唯一玄一郎の娘だけが優しく接してくれた。失望と怒りで抜け出す魁太だが、腹の虫が収まらず、酒をせびり歩く。泥酔した後再び玄一郎に会って酒の酌でもさせようと宿に向かう。ところが村人たちと宴会をしていて不在だった。玄一郎の娘が寝椅子で横になっていたので、またくだをまいて酌をさせる。泥酔したあげく娘を倒してしまったらしく、下男から娘さんは心臓が悪いと知らされる。そして遂に玄一郎の宴会場に乗り込み酒を注がせようとしたら、すぐさま回りのものたちに抱えられ、外に放り出される。失意のままおぼつかない足で家へ帰ろうとするが、途中で娘の心臓病の事が思い出され、心臓にはオオバコがいいと、オオバコを取って、娘に渡したいという思いが出てきた。崖に手を伸ばしたところ落下してしまう。玄一郎一行が去った1時間後、魁太の転落死体が発見された。その手にはオオバコが握りしめられていた。この全く親近感の湧かない魁太の、ささやかな親切が誰にも気づかれなかったのだと考えるとそれでも悲しみを覚える。
「グウドル氏の手套」曾祖父の妾に育てられた主人公の話。妾ゆえに肩身の狭い思いで生きてきた、おかの婆さん。それでも毅然と生きてきた。曾祖父の師である松本順という医師に対する尊敬の念と、大切にしていた大きな革の手袋。その手袋はグウドル氏という外国人のもので、それが今でも婆さんの元にある、そのささやかな思い出。少し心暖まる話。
「姨捨」姨捨山の暗い、土着的な話を想像していたが、まず、そんな話ではない。むしろ行ってみたくなった。Googleストリートビューで見てみたが、本当に何もない。この姨捨という駅で降りたらそのあとどうすることもできないのではないか?しかしこんな場所が現在も残っていることは感慨深い。母親を背負って姨捨に向かう自分。母親は意外にも捨てられることを悲しんでおらず、あっけらかんと、人のいないところで静かに暮らしたいと願っている。考えてみれば、自分の妹や弟も家族や仕事を捨て一人で生きていきたいという性質を持っているようだ。これは、そもそも自分の家系の持つ性質なのではないだろうかという気付き。姥捨の伝説のある村は月がきれいに見えるところであることも合わさり、これも行ってみたい場所の候補に入った。
「満月」これは前作の月繋がりなのだろうか?現社長の大高が失脚し、影林が社長になることが内定していて、その宴席の場面から始まる。秘書課長の遠山が早くも感づき、お茶屋に行こうとして宴席を抜けた影林に車を向ける。媚を売ろうというのだ。そこへ遠山を狙っている寡婦の照子が加わる。打算的な照子は遠山より、社長の影林に鞍替えする。
影林が社長になると、年一回の行事として観月会が開かれる。そこには野球解説記者もどきの貝原も参加していて、自分は影林の野球部の後輩で、先輩の投げる球は速すぎて難渋したと宴席を盛り上げる。ただ影林はそんな記憶はない。むしろレギュラーにもなったことがないくらい平凡な選手だった。まあ誉められて嫌な気はしない。
やがて影林は多くの事業を成功させ、遠山は重役の椅子についている。照子は年一回の観月会の折りに会うくらいだ。運命は巡り、影林も株主総会で社長を辞任するよう勧告を受ける。失意の影林は急に照子に会いたくなり鎌倉へ貝原と向かう。途中で車がパンクする。弱り目に祟り目という事で苛立つが、貝原からまたあの速球の話をされ、長い年月のうちに記憶に刷り込まれてしまっていた影林は、かつて自分は速球が投げれたのではないかと錯覚する。そして投球フォームをして見せるのだった。しかし貝原には、悪鬼が踊っているようにしか見えなかった。という皮肉めいた話。
「補陀落渡海記」「楼蘭」所蔵で既読
「小磐梯」「楼蘭」所蔵で既読
「鬼の話」この流れからいくと怪奇小説ではないかと思ったのだが、全く異なる。3章からなる。1章は亡くなった叔父の話で、不眠症に苦しむ主人公が、寝床に入ってから自分と関わった人たちが幻覚のように現れてくる。叔父に始まり、幼くして亡くなった自分の娘や、友人たち。叔父は角を生やして現れた。それ以降幻覚で現れる人々に角が合うか合わないか想像を巡らせる。角が生えた顔がふさわしい人もいれば、どう考えても似合わない人もいる。2章では鬼という文字を含む漢字を調べていくうち、意外と星に関する感じが多いのに気づく。そこで、角の生えている人物は地上に、映えていない人物は星として天空にいるのではないかと悟る。3章では友人が亡くなり、その妻から連絡がある。その妻も後を追うように間もなく亡くなる。また角が似合うか想像を巡らせる。友人の方は角がふさわしい。しかし妻の方はどう想像しても角がしっくり来ない。つまり仲のいい夫婦であったが、地上と天空に離ればなれになったようだ。ある日幻覚の中に友人が出てきた。主人公は離ればなれで寂しくはないのかと問うと、離れてはいるが、時空を超えて通じあっているというのだ。
井上靖の時代小説は面白い。詩情溢れるが、現代小説はそれがかえってクセが強い。そんな中でこの話はなかなかいい。1章2章はやはり退屈だったが、3章は本領発揮でしみじみくる。井上靖の死生感が濃く出ている。死を悲しいものととらえるのではなく、あたかも生からのつながりとしてあるかのようだ。
「道」生きるものには道がある。ここでは犬の道、子供の道、老人の道の3つ。犬の道と子供の道は意図しない、無意識から来る本能からというのか、何となくそこを自分の道とする不思議なものだ。老人の道は意図的なものと言える。例えば健康のために、行き続けたいために歩く、と言うような道だ。
章が変わって、自分の叔父の話。叔父は若いときからアメリカに渡りアメリカ人の国籍もとった。晩年になって日本に帰ってきた。その叔父にも散歩道ができた。その道程は何か意味や理由があったのだろうか。叔父が亡くなった後親戚の集まりで話題に出た。叔父の散歩の理由は、本人は気がつかなかったかもしれないが、子供が神隠しに合うという不吉な道だったのだ。それは叔父の郷愁だったのか、神隠しに逢いたいという本能故だったのか?
 
20190409読み始め
20190428読了

キリン一番搾り清澄み

2019-04-28 19:50:17 | ビール

セブンイレブン限定らしい。「きよすみ」と読む。

一番搾りらしくない缶の配色。氷点下貯蔵と希少ホップ使用とある。

ノーマル一番搾りというよりはとれたてホップ一番搾り的な、フレッシュで涼しい風味。しかしそこまでは青々しい感じではない。

後味は渋みが残る。それは悪いわけではなく。適度なキレを感じる。

とれたてホップよりすっきり飲みやすい。


サッポロビアサプライズ「至福の香り」

2019-04-27 18:38:53 | ビール

サッポロビアサプライズシリーズの新作。ファミリーマート限定。

香りはありがちなホップを前面に押し出したような香り。平凡な味を連想させる。

飲む。後味の渋味が印象的。

これまでサッポロが発売してきたホップを押し出した製品とは異なり、うわべだけのホップの風味だけではなく、そこに重厚さが加わっている。

これは悪くない。ホップの飲料水ではなく、ビールに近いホップの風味が強化された飲料と言える。

 


悦凱陣純米吟醸讃州山田錦

2019-04-27 17:38:16 | 日本酒

注ぐと、ややとろみがあるように思える。色は薄く黄色みがある。

香りは山田錦らしいフルーティーさ。

口に含むと凱陣らしいヨード感がかすかに感じられるが、うまい、吟醸味あり、フルーティーさもあり、酸味がよく感じられる。

口に含んで口で味わうと、山田錦の涼やかな甘味が感じられる。

コクもあり、水のような純米吟醸ではなく、しっかりした濃淳な純米吟醸。

悦凱陣のほかのラインナップより少し高めで3000円近い。やはり値段相応の味わいだ。これでは2000円前後の純米吟醸が物足りなく感じてしまう。

値段でいうと赤磐雄町バージョンも3000円近い。こちらは当初感じたヨード感が、実際はほぼないので飲みやすい。

しかし、色々な酒を飲み進め、改めて飲むと、ヨード感と重さが感じられてくる。

なので、一番最初に飲み、単独で飲むべきではないだろうか。

20190531追記。

ただし、酒本体に重厚感があるので、味の濃い食事に、むしろ合わせるべきか。濃い食事に負けないだろう。

20190602追記。

もう、飲み尽くしそうなので感想を。

山田錦を使った酒であるが、山田錦だからこの味というわけではなく、作り手によって様々な個性を得る。

この悦凱陣も然り。山田錦独特の涼やかな甘味をベースとしていながら、悦凱陣らしい重厚さがある。要するにヘビーだ。

山田錦の純米吟醸に軽快でフルーティーで涼やかな酒を求めるとちょっと違うかもしれない。

それとは対極にあり、何とも重厚でおいしい。立派だ。


「豪姫」 富士正晴

2019-04-25 23:42:08 | 読書

 本の写真がないので映画版のDVDの画像

文庫本、単行本すべてが絶版していたので図書館で借りて読んだ。西条市図書館だ。

豪姫は前田利家の四女で宇喜多秀家の正室だ。1992年に宮沢りえ主演で映画化されている。全然知らなかったが、古田織部が語り手として話が進行するのだ。原題は「たんぽぽの歌」というほのぼのとしたもので、後に「豪姫」と改題されて文庫化されてもいる。しかし、今や絶版。結局は図書館で借りることにした。

話は利休切腹後から始まる。シリアスではあるが軽妙で、気楽な雰囲気の話で思ったより引き込まれる。織部は秀吉から、なぜ利休は切腹させられたか自分に質問してみろと言う。恐れ多いことだが、質問しなければしないでうるさいのでしぶしぶ聞いてみる。大徳寺の利休像の件、不当に高値で物を売った件、娘を秀吉に捧げなかった件等々。しかしいずれも核心ではないとはぐらかされる。豪姫が織部の邸にいきたいと言うので、共に邸に帰ると蒲生氏郷が勝手に上がり込んで肘をたてて横になっている。古田のおやじ、と気さくに声をかける。豪姫からも古織のおじと呼ばれていて、気さくな人物だ。男勝りな豪姫に清々しいものを感じている。蒲生氏郷も豪姫を気に入る。豪姫自身は今のところ脇役で、織部と氏郷の人生観が互いに交わされる。氏郷は伊達政宗の監視として奥州にやられる。政宗は氏郷を茶に招いて毒殺しようとするが、それを察知しあらかじめ嘔吐剤を飲んで出かけ、毒を盛られた直後、全部吐き出して事なきを得たというエピソード。これは氏郷の妄想かもしれない。ただそのあと脳が思考停止しやすくなるという後遺症が残ったという。氏郷、織部の会話は、利休と秀吉の関係や細川忠興、幽斎親子、高山右近とそれを庇護する前田利家の話など問答が繰り返される。織部と氏郷は、ごろ寝で問答する、気楽な感じがいい。一緒に酒を飲んですぐに寝てしまった豪姫が、突然目を覚まし、織部の下男のウスを供に帰っていった。その直後に外で刀が斬り合う音が聞こえ、氏郷はとっさに太刀を取って外に出る。織部もついていく。外で騒ぎを起こしているのは、覆面の者たちと、豪姫・ウスであった。その覆面の者たちは実は秀吉であった。豪姫のやんちゃを諫めようと秀吉が乗り込んできたらしい。この辺りの秀吉の気軽さが面白いし、直前に察知した氏郷も媚びへつらうところがない。そして、邸に勝手にあがりこまれた織部も肝が据わっている。氏郷と作法そっちのけで寝ながら茶を飲んでいた後を見られたら秀吉に咎められるかもしれない。実はウスの機転でその痕跡はきれいに片付けられていた。石田三成が秀吉を迎えに来て、豪姫を諌めつつ共に帰っていく。
次に細川忠興が登場。気の短い人間は人生も短いという人生観を語る。忠興自身は気が長いと思っているようだ。昨日氏郷は忠興を訪ねており、その時河原で利休の首が、大徳寺にあった利休の木像で踏ませてさらされていたという。そんな話をしていた。昨日の織部邸の外での騒ぎは、ウスが利休の首を奪い取ったというのが真相らしい。
利休の首を娘の吟に届けるためであったが、受けとると吟は自害して果てた。衝撃を受けたウスは織部の元に帰り伝えた。どうやらお吟は利休の娘ではなく妾だった。
侍の生き方に嫌気がさしたか、ウスは織部の元を去る。去る途中でウスは刺客から襲われる。織部はそれに気付き助けようとする。自ら名乗って刺客を引かせようとした織部だが、その上で、織部とは知らない振りを決め、邪魔立てするなら、ただの老人として斬るという。一立回りするウス・織部と刺客。ピンチを救ったのは何と、どこからか現れた豪姫だった。ただウスは鉄砲により耳を欠けさせられた。それをかいがいしく手当てする豪姫だった。実は前日、豪姫の寝所に忍び込んだウスは豪姫と交わっていた。ウスの鉄砲で吹き飛ばされた耳を手当てし、自ら半裸になりさらしで傷を塞ぐ。官能的な場面。ウスは去っていく。それを見送る織部と豪姫。そこで豪姫は自分が宇喜多秀家に嫁ぐことを告げる。
そこで織部雑記帳が終わる。
次にウス雑記帳が始まる。
耳の傷によって意識朦朧と雪道をさ迷い倒れるウス。それを助け、自分の小屋に連れ帰り手当てをする老人。老人は仙人のようで、山奥の小屋で全て自活できるすべを知っている。そこで弟子のような息子のように共同生活を送る。老人はジュンサイという。昔、大名に仕えていたという。その大名は百戦錬磨の優れた猛将であったが、キリスト教に目覚め、大名という仕事を捨てキリスト教を選んだらしい。そんな自分の上司を不甲斐なく感じつつ、自分はいつか元上司の旗印の元、再挙しようと戦狩りをして、武器や武具を集めては小屋に蓄えていたのだ。再起を呼び掛けようと元上司に面会したジュンサイだが、すっかりキリスト教にはまり、戦う意欲を無くした上司。失望して小屋に帰るジュンサイ。戦場で、馬上で死ねぬなら、女の上で死のうと考えたジュンサイ。そうして一人の女を北之庄で買い、小屋に連れ帰り、その通り女の上で死のうとしている。もはや死を覚悟している。最期は腹上死。遺書にはその女を元上司である高山右近に届け善きに計らってもらうよう書かれていた。高山右近という誰もが知る大名であることを知ったウス。女を届け、いいようにしてもらった上で、右近はウスに自分の部下にならないか持ちかけられる。しかし断る。
ある時一人の気品ありげな女が馬に乗り歩いているところを盗賊に襲われるのを目撃した。女を助けたウスだが、その女が豪姫であることがわかる。自分の屋敷といっても、その小屋の方に迎える。
しばらく住むが豪姫から古田織部のところへこっそり様子を見に行ってほしいと頼まれる。最近は清韓和尚を接待して家康から怒りを買っているし、利休もしかり年を取ると何かとタテをつきたがる。そんな織部の振る舞いを気にしている豪姫。それを聞いて織部の身に何か不穏なものを感じるウスだった。
古田織部の元に行くと、陣屋回りをしている途中の織部に出会う。その途中で竹藪に入り花生けにつかえる竹を切ろうとする。その折に鉄砲で狙われ頭を怪我する。このエピソードは有名だ。これは武人としてふさわしくない振る舞いに対して天から鉄槌を下されたと思う織部。しかし逆に言えば茶人としては認められたことと考えられると喜ぶ。
ウスは杵太郎という少年を供に付け大阪城へ行ってくれと頼まれる。織部の作らせた焼き物を託される。大阪城へ向かうと途中で木村宗喜という織部の部下と会い、秀頼の侍従として使えている織部の息子の九八郎への届け物をあづかる。そしていざ大阪城の手前で、高山右近の部下から、届け物は確かに届けるが、ウスたちに用はないとして帰される。織部よりもう帰ってこなくていいと言われていたため、加賀の豪姫の元へ行く。杵太郎は豪姫の元に仕え、ウスは山小屋で自然の中で再び生活を始めた。
半年経った時、杵太郎がウスの元にやって来て、豪姫のところへ来てくれと伝える。豪姫の元に行くと、(大阪夏の陣が始まろうとしている)いよいよ織部の身が危ういと知らさせる。織部の部下の木村宗喜が謀反の疑いで捕縛された。織部もその責任を追及されている。茶人というのは、こだわって意地を張って命を落とすと悟った豪姫。利休しかり、織部もしかり。織部は家康に盾つき、キリシタンに義理立てた。
豪姫はウスに織部に会いに行けと命じる。後で思ったのだが、それは織部の切腹を見届けよということだったのだ。織部を助けるだの云々ではない。死は確定しているのだ。ただ自分は織田、豊臣、徳川と時の権力者にうまく懐柔して生き延びてきた前田利家の家系のものであり、徳川秀忠と縁のある前田忠利につながる身であるため、かどが立つため大っぴらには動けない。そこでウスに見届けて来いというのである。
織部の邸の床下に忍び込むウス。昔ながらの暗号で織部を呼び出す。それに気づいて縁側に出てくる織部。ただしウスは隠密のため床下からは出てこれない。織部のそれがわかっている。床を通して対面することなく再開する織部とウス。ウスはすぐさま、先だって預かった織部の焼き物一対を床下から差し出す。それを見ながら織部は、ウスと豪姫との思い出を懐かしむ。織部は既に死を覚悟しているのだ。この場面が寂しい。
やがて京都所司代の者がやってくる。つまり切腹を命じるためだ。織部はウスにうまく逃れよと言う。しかしそのあともウスは床下に忍んだまま織部の最期に立ち合う。
織部は史実では切腹をしたと思われた。ここでは、、茶人としてなら千利休のように切腹でもしよう。しかし自分は武人だ。ならば戦って死にたい。という思いがよぎる。時世の句を詠んだ後、気が変わったように切腹はやめた。見届け人 、つまり家康の代理人に刃向かいたくなった。そして、刀を抜いたが、見届け人らによって斬られて死ぬ。この辺りの解釈は斬新だ。それでいて詩情豊かだ。
それを床下で見届けた(聞き届けた)ウスは加賀の豪姫の元に帰り伝える。
かつて、ウスが利休の妾のお吟の自害を見届けた後、心のわだかまりのはけ口として、豪姫の寝所に忍び、豪姫を抱いた。今度は豪姫がウスの寝所に忍んできて織部の最期の始終を聞く。そしてウスをつき倒し、かつてお前はおれを抱いた。あのときのようにおれを抱くか?それともおれがお前を抱いてやろうか?というラストだ。何とも感動した。
映画もほぼ原作に忠実だ。合わせて読むと感動も深まる。
豪姫や古田織部、蒲生氏郷、細川忠興、高山右近など著名な歴史上の人物が出てくるが、人物の伝記を物語風に書いたものでなく、登場人物の心を、創作に違いないが、それを中心に書いているので素晴らしい。井上靖の本覚坊遺文に匹敵するくらいの小説だ。これが絶版になっているのは残念だ復刊してほしい。また他の著作も読みたい、これが作者の作風なのか、この作品だけのものなのか。あいにく富士正晴の著作はほぼ絶版だ。惜しい。

 
20190415読み始め
20190425読了