ビールを飲むぞ

酒の感想ばかり

梅乃宿アンフィルタード・サケ備前雄町純米大吟醸

2018-05-30 21:03:34 | 日本酒

西条の村上酒店で購入。アンフィルタードと言うのは無濾過と言うことだろう。備前雄町の純米大吟醸となるとかなり高級なイメージだが、1890円だからリーズナブルだ。

村上酒店だから味は安心だろう。自分が酒を覚えたての学生の頃感動した一番の酒がデパートで試飲した梅乃宿純米大吟醸で思い入れが強いのだが、梅乃宿も多角的になりすぎて、冒険しすぎで付いていきにくくなっている。その印象を変えられるか?外国人の杜氏も雇って革新的な味を狙っているイメージ。これもアルファベットを冠しているだけにそんな軽いイメージを持つ。

注ぐ。注いだ端から香りは酸味のある強い香りが漂う。やや濁っている。つまり無濾過と言うところか。

飲む。先入観とは違う美味しさ。安心した。梅乃宿紅梅のような日本酒っぽさを想像したが、そうではない。ただし、吟醸香高く、フルーティーというわけではない。よくある、濁り特有の米っぽさをベースとしたフルーティーと錯覚する味覚。濃さはある。そして苦味が主だ。以前飲んだるみ子の酒の濁りのような日本酒らしさが前面に出る味とは違って飲みやすい。

 


「銀河パトロール隊」 E.E.スミス

2018-05-29 21:44:18 | 読書
 
レンズマンシリーズの記念すべき第1作がこの銀河パトロール隊だ。E.E.スミスの有名なスペースオペラ。日本ではレンズマンというアニメーション映画が作られた。ただこの映画は登場人物はそのままだが原作と内容が異なっている。意外と知られていないが、CGを用いたアニメのはしりでもある。邦画アニメで初めてCGが使われたのはドラえもんだった記憶があるが、その次に来るのではないだろうか?冒頭でボスコーンから追われてブリタニア号。これがCGで1秒間に24コマというアニメと異なり、30コマ以上ということで滑らかな動きを表現できるとあった。実際はそれをフィルムに焼いて映画館で流すからその恩恵を得ることはできないと思うのだが。とにかくそんなことより、CGで描かれたブリタニア号のいかにもCGという表面の描写に興奮した。このほか主人公キムの手にレンズが移植される場面などでもCGが使われていたと記憶する。また技術的にはオプチカル合成という手法も取り入れられた映画だった。ハイテク技術を使った場面は感動したが、同じものがアニメでの表現に変わるとその貧相さにがっかりしたものだ。そんな技術面ばかりに興味があって内容は覚えていない。この映画を逆にノベライズ化したものが講談社X文庫というこれまた出来立てのレーベルの第一弾で吉川 惣司の文で出版された。映画のシーンが口絵に挿入されていた。もちろんこれは買って読んだ。そのうちに、オリジナルを読もうと、創元SF文庫から出ていた「銀河パトロール隊」を買ってみた。恐らく中学生の時あたりだろう。ところがまったく面白味を感じずほとんど読まず積読状態。時が流れどういうわけかまた読みたくなり、改めて買おうと思ったらこれが絶版となっている。調べてみると、一度絶版になっていた上に、新訳版として再販していたが、それさえ絶版となっているのが現状のようだ。そこで電子書籍で購入。訳は当初、小西宏だったが、新版では小隅黎である。小西版の記憶は全くないが、小隅版はいくらか読みやすくなっているのではないかと思う。
主人公キムボール・キニスンが主席の優等生でそれが卒業するところから始まる。その卒業証書的に、手にレンズを装着されるのだ。つまりいきなりレンズマンとして登場する。レンズの秘密はまだよくわかっていない。アリシア人によって作られ、機能も分かっているが、詳細はアリシア人が無口のためはっきりわからない。
レンズマン同士はレンズを通して、異性人とも会話ができる。それは言葉ではなく、言葉を越えた思念として伝わる。
記憶に残っていたヴァスカークとともにボスコーン軍団に挑む。しかし苦肉の策で、自機を爆破して救命艇で逃走する。逃げた惑星で未知の生物に襲われピンチになったところ、これまた記憶にある龍の姿のようなウォーゼルに助けてもらう。すごく強くて頼れる戦士だと思っていたウォーゼルだが、敵によって近々殺されてしまうだろうと、ちょっと諦めモードの鬱っぽいキャラだった。過去に敵に挑んできたヴェランシア人たちだが1人として生きて帰ったものはいない。何やらその敵は、体だけでなく精神もコントロールすることができるらしい。そのため仲間で挑んでも互いに殺し合うように精神をコントロールされてしまうからであった。そこで弱気になっていたウォーゼルだが、キムが励ましつつ対抗しようと手伝う。キムの方が上位にいる。
「トレンコ」宇宙船が故障しトレンコと言う惑星に降りる。いや降りようとするが、猛烈な風のため着陸できない。レンズマン仲間の誘導により想像絶する方法で着陸することができた。この星は形を持たない。また生物も胞子から誕生するやあっという間に成長する。そしてその端から他の生物を食べる。食べながら自分も食べられているという奇妙な光景。すごい星だ。
14章。キムは遂に昇進する。組織からの束縛から解放され独立したレンズマンになるのだ。自分がそれに値するのか?戸惑いつつ、ふさわしいのだと上官から励まされる。その帰還する道中の晴れがましさ。それはまさにグレーレンズマンだ。
無敵の強さを持つキムだが、アルデバラン系惑星での任務の際、作戦に失敗し瀕死の重症を負う。入院した病院で(ここでついに)クラリッサ・マクドゥガルという看護婦と出会う。ベッドに拘束されてイライラするキムは悪態ばかりつくが、退院後すぐにアリシアへ再度修行に行きたいと希望する。アリシアでは導師から改めてさらにレベルの高い修行を受ける。この風景は精神を鍛えるというようなイメージだ。スターウォーズ的であり、東洋の精神修行のようでもある。
つまりアリシアの導師は思考をコントロールする達人である。その姿は脳だけという姿だ。新たな能力を身に付けたキムは敵の意識を、それを感じさせず侵入して意のままにコントロールすることができるようになった。SFではあるが、どちらかというとテレパシー合戦のような様相を帯びてくる。そうしてヘルマスの居所を見つけ出したキムであるが、ヘルマスもしたたかで。しっかりキムの動きを察知し、意識を操られないよう強力なバリアを張って防御を固める。単独では侵入攻撃が不可能と考えたキムは一旦地球に引き返す。そして多くの軍勢を率いて、そして自分はトロイの木馬作戦でまた単独ボスコーンに乗り込んでいくのだ。
全員バリアで防御されていたボスコーンだが、犬だけ無防備だった。その犬の思考を乗っ取り、それをきっかけにボスコーン兵達の思考を乗っ取っていく。さらに強力な麻薬シオナイトを基地内に撒き、敵の大部分を麻痺させる。ヘルマスもバリアを張り思考を乗っ取られるのを防いでいた。そしてキムに機関銃で応戦する。キムは強固な宇宙服を用意しており、無傷だ。ただ思考防御したヘルマスは強敵で攻撃ができない。そしてヘルマスのもう一つの秘密兵器、高エネルギー放射装置。これは思考によってコントロールする。それを操作しようとしたヘルマスの思考に隙ができた。そこで気付く、装置を作動すると思考に隙ができ乗っ取られる危険がある、つまりそれを避けるためには装置を作動することができないという相剋が起きる。ならば作戦は一つヘルマスに絡みつくことだ。そしてヘルマス共々機関銃掃射の嵐に飛び込んだ。キムは強固な装甲に守られたが、ヘルマスは貧弱な装甲しか身につけていない。ヘルマスは弾丸によって最期を迎えた。
決着はレンズのテレパシー的攻撃によるものではなく、機関銃の玉という原始的な物理的攻撃によって着いたのだった。
前半は各話完結的な話で、様々な惑星へまさにパトロールし問題を解決するという話が続く。中盤、それでも未熟ゆえに瀕死の攻撃を受ける。そこでクラリッサ・マクドゥガルと知り合う。その後、クリスが海賊につかまりそれを救うという絡みがあるが、ほとんど出番がない。瀕死の重傷を負って治療後退院してから、修行し直し、さらに強力なレンズマンとなり、ヘルマス率いるボスコーン軍団と対決する。大軍勢対大軍勢の戦いではあるが、核はキムとヘルマスの一騎打ちだ。
スターウォーズの元ネタだとか、そんなマニアックな解説はできないが、近未来の兵器を駆使して対決するSFではなく、相手の意識を乗っ取ったり、操作したりし対決するという点では珍しいSFだと思う。しかも書かれた年代からすると全く稀有な存在と言える。
 
20171229読み始め
20180529読了

「暗号が通貨になる「ビットコイン」のからくり」 吉本佳生

2018-05-28 23:18:56 | 読書
 
2014年5月20日発売で、買ったのは2015年1月11日で半年遅れで購入。そして今読んでいるのは2018年5月25日付近だ。こういった金融関係の話においては3年と言うブランクは致命的だが。
通貨の経済的な意味合いと、情報科学的な意味合いと、両方からの解説で分かりやすい。公開鍵と秘密鍵のRSAの解説も良くわかった。
ただわからないのは、どこから金が生まれてくるのかということ。無から生まれてくるその起源は何なのか?そこがまだ理解できていない。
ビットコインとは数学を学ぶきっかけとなるという著者の言葉が印象的だ。金融工学で使う数学は、全体の価値は変えず、ほかの誰かから奪うための数学。しかし、貨幣に使う数学は、貨幣そのものの価値を高めるものである。
20180521読み始め
20180528読了

「戦国無頼」 井上靖

2018-05-23 23:14:00 | 読書
 
井上靖の時代小説だ。風林火山や本覚坊遺文のイメージがあるから歴史小説、つまり史実に限りなく近い小説や、純文学の作家というイメージがあった。実は初期のころは大衆小説も書いていたし、これなども同様、文学の色が濃いというよりは、むしろ大衆文学つまり時代小説といえるのかもしれない。にわか知識だが、井上靖は初期のころはこういった大衆小説を書いていたが、ある時、純文学に転向し、同時に、過去の時代を取り扱っているが、より純文学の色合いが濃い歴史小説を書き始めたようだ。とは言え、それが大岡昇平には納得できなかったようで、「蒼い狼」に対してはこれは歴史小説ではないとかなり噛みついたという事件があったようだ。まだその事件を詳しく調べてはいないので何もわからないが、この作品に関しては個人的には、教科書にも出てくるような純文学家井上靖が大衆的な時代小説を書いていたのかということに新鮮な印象を持ち、また、そうではありながら独特の情緒感が(ある意味、純文学を志向していないこの時代に既に)あることに感慨深い。
いままで時代小説といえば山田風太郎第一と思っていた。この年まで(46歳)。しかし、井上靖の時代小説もなかなかいいではないか?この頃読み始めて発見というか再発見とでも言うのだろうか、面白いと思うのは司馬遼太郎や井上靖だ。
自分が小学生やその前に見た時代劇の映画かドラマ、1970年代だろう。おばあちゃんの家でテレビで何気なく映っていた時代劇を思い出す。思い返せば35~40年前に見たそんな時代劇に郷愁感を感じその印象が今感じられるのだから面白い。
メインキャラクターは、滅びゆきつつある浅井氏の家来ではあるが、死んでまでつくしたいとは思っていない。何とすれば落城直前に織田の包囲網をかいくぐって放逐したい立花十郎太。浅井家に恩義があり主君ともども殉死しようとしている(しかしあわよくば逃げおおせたいと思っている?)顔面が痘痕と二本筋の刀傷で鬼のような形相で槍の達人、鏡弥平次。全く祝人に恩義がなく、死ぬなんて考えも及びもしない佐々疾風之介。
それぞれ思いがあるが、落城前日、主君とともに殉死するか確認を取ったり、そんな自分は逃げおおせたいくせに、そんな駆け引きが繰り返される。
小谷城落城時、思うところあってそれぞれの道をゆく侍たち。疾風之介は、死ぬつもりなど全くなく、そうではあるが、侍女の加乃と気になる仲になる。そうではあるが、疾風之介は死にたくないながら自分の武術への驕りから、最後まで自分の腕を発揮したいと考えている。十郎太は、侍女の加乃を連れて脱出する。疾風之介は城と共に死ぬのだけは嫌で、とは言え最期まで戦おうとした。しかし、最後の最後に瀕死の状態で逃げ、途中で野武士たちに助けられる。弥平次は城と共に討ち死にしようと思っていたが、捕らえられ、その勇猛さに織田陣営に仕官するよう薦められる。最初は抵抗し早く死なせろと望む。
野武士に囲われた疾風之介。首領でありおりょうの父である藤十の過去を聞くとどうやら斎藤義竜の家来だったらしい。斎藤といえば自分の家族親戚の仇である。それを知って一瞬仇を取ろうと言う衝動に駈られた。しかし思い止まった、ただ、その集団から離れ、下山してしまった。おりょうが留守の間のことだったので、いたく傷つくおりょう。藤十の娘であるが、男社会で育ったため、自然と男っぽい言動のおりょうであるが、疾風之介には何か思うところがある。
所変わって弥平次。結局生き残ったのだ。しかし琵琶湖沿岸の海賊の首領になっていた。ある時美しい娘が連れられてきた。それは実はおりょうだった。疾風之介という共に知っている名前が出て来て複雑な気持ち。それよりもおりょうの現実離れした美しさが際立つ。
立花十郎太の章。加乃と疾風之介はそういう関係だったが、小谷城落城のときはなぜか、疾風之介は城に残り、加乃には十郎太が付いて脱出した。それから一年たち、加乃は疾風之介が忘れられない。それに対して十郎太は加乃に特別な感情を抱くようになる。ただ、それははっきりしたものではない。
男3人と女2人の生き様。十郎太はガサツな男だ。戦で名をあげることばかり考えている。途中で昔なじみの疾風之介と鉢合わせするが、仲間意識などなく、気づかないなら迷わず斬ってしまおうとする。弥平次は生き延びて盗賊の親分のようになっている。疾風之介はというと、剣の腕はめっぽう強いが仕える主君が不運なため名をあげられずにいる。ただ功名を上げるのが目的ではなく、死なない、ことが目的だ。実は疾風之介は弥平次ともニアミスしている。嵐の夜、弥平次の仲間が襲われる、相手は一瞬のうちに仲間を袈裟懸けに斬ってしまう。それに対抗するため槍を持って飛び出す弥平次だった。結局、勝敗はつけられず、疾風之介は崖から転落して生死不明となる。
おりょうがかぎとなる。盗賊の娘として生まれたおりょうは男勝りで、言葉遣いも男並みだ。しかし美しい。弥平次は自分の娘のように大切に思う。
疾風之介は加乃から慕われ、おりょうからも慕われる。十郎太は加乃に思い入れがあるし、弥平次はおりょうが娘のようにかわいい。おりょうは疾風之介が忘れられず。加乃も疾風を忘れられない。もてまくる疾風之介だが、面白いのはそんなヒーローなら今風には戦のために命を捨ててもいい、捨てたいというような虚無感を持っていそうなものだが、生への執着が強いというところだ。
「月明」の章。三人の男がそれぞれの状況から月を眺める。疾風之介は、八上城にこもり明智軍を迎える。城が落とされる日は近い。兵も恐らく皆死ぬだろう。疾風之介は加乃と別れたことが今になって後悔する。それを消してしまうにはいつ死ぬかもしれないこの状況に身を置くことしかない。と言いながら最後まで逃げずに戦うが、死ぬことは考えていない。疾風之介を仲間に率いれた三好兵部が疾風之介を外へ連れ出し、自分にとって最後になるであろう仲秋の名月を眺めるのだった。十郎太は加乃を仲秋の名月に誘う。十郎太の片想いで、加乃の方は疾風之介に気持ちがあり、むしろ十郎太には憎しみの方が強い。そんな加乃に十郎太は持ち前の能天気さで意に介しない。弥平次はおりょうが疾風之介を追って八上城に出ていった。直接の親子関係はないが、いなくなった寂しさを紛らせるため猪狩りに夜の畑へ出る。自慢の槍を持っていく。しかしすんでのところで槍を落とし、逃げられる。後には月に照らされた槍が残った。この三様の仲秋の名月が印象的だ。
疾風之介は初め小谷城で落城を味わった。そして仕官先を変え、丹波の波多野氏に仕えたが、これもまた明智光秀に滅ぼされた。そんな負けることを運命づけられたかのような。対して十郎太は運良く勝者側についており、しかも部下が5人もいる。
疾風之介の元に八上城の落城前に一度おりょうが訪ねてきた。そこでおりょうと近い関係であることを認識した。しかし落城後逃げることができおりょうの待つまで行く途中、十郎太の一団と出くわす。また無慈悲に疾風之介を殺めようとする十郎太であるが、疾風にねじ伏せられ、ばか正直に加乃の居場所を漏らしてしまう。それを聞いた疾風之介は、今となっては加乃よりおりょうの元に行くべきと思っていたが、思わず加乃のいる坂本を目指してしまう。おりょうの元に行くにせよ、加乃に一言それを伝えておこうと思ったのだ。
本能寺の変後、十郎太は武功を求め、疾風之介はただ戦って死なないために明智軍に仕官する。明智光秀はその後秀吉によって倒されるのは歴史の事実である。疾風之介はやはり負ける方に仕えるのだ。この前、加乃は十郎太を好きにならないまま世を去った。何とも悲しい場面だった。
「生きることはいいことだ、生きようとすることだけが貴い」という台詞がいい。これは疾風之介を仲間に入れた三好兵部の台詞だ。戦国時代というと、自分の命は主君のもので、いつでも捨てるという考えだと思われる。しかし、生き続けよ、というのはかえって新鮮な感じだ。
クライマックスは、十郎太は圧倒的勢いのな羽柴秀吉軍により討たれる。弥平次は侍をやめていたが、疾風之介を助けに行きたいというおりょうに付いて戦場に入ってきたわけだが、明智軍の敗残兵に紛れてしまい、羽柴軍の銃弾に倒れる。疾風之介は瀕死の重症を受けたがおりょうに救われ、二人で洗浄から脱することに成功する。疾風之介自身は自分は死にたいというよりは死なない不思議な身体であると思っている。しかし、今となっては死ぬのではないかという漠然とした感覚があり、生への執着もないので、このまま死んでもいいと考える。おりょうの方も疾風之介が死ねば自分も死ぬし、生きるなら自分も生きる。どうするかは疾風之介に委ねられた。そんな疾風之介の脳裏に思い出したのが、先の三好兵部の言葉だ。それを境に「生きられるだけ生きよう」と、生への執着が生まれたのだった。
 
これは映画化されていて、三船敏郎、三国連太郎、山口淑子が出ているようだ。見たことはないが、確かにこの時代望まれている時代劇の脚本、それを感じる。
これは時代小説でかなり面白い方だと思うが、今時の時代小説はもっと面白いと言うことだろうか?現在2018年5月時点では絶版だ。長く出版され続けるにはどれ程面白ければならないのか?大変なことだ。
 
20180509読み始め
20180523読了