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「戦雲の夢」 司馬遼太郎

2019-04-07 21:58:12 | 読書

司馬遼太郎の初期の作品だからだろうか、時代小説よりの印象。長曾我部盛親が主人公。父親である長曾我部元親が主人公だった「夏草の賦」から直接繋がるという解説だが、書かれたのはこちらが早い。
関ヶ原直前、盛親は大坂に使者を出すが、江州水口に長束大蔵大輔によって関所が設けられた。長曾我部方は越えることができず、山内方は通り抜けることができた。これによって長曾我部は西軍に、山内は東軍につくことになり、先の話だが長曾我部は滅び、山内は長曾我部の本拠、土佐の国主となる皮肉な運命。
家康は伏見城に鳥居彦右衛門を残し、そこで討ち死にしてくれと命じ、彦右衛門もそれを受けた。という場面が短いながら出てくる。これは「関ヶ原」で詳しく出てくる。
盛親は終始、自分は果たして一軍の将の器があるのだろうかと迷っている。北方謙三の「楠木正成」のような雰囲気と似ていることから北方謙三は司馬遼太郎を参考にしたのだろうか。
関ヶ原の描写は、それがテーマではないだけにあっという間の展開。関を通り抜けたものと、抜けられなかった長曾我部で西軍につくという運命となり、関ヶ原に出たもののどう動くか決めかねていた時に、吉川広家の元を訪ね、真意を聞こうとしたら、自分は徳川に何の恩も恨みもない。それなのに徳川と戦う意味はあるのか。盛親にどうすればいいか教えてくれと聞かれる。この時すでに吉川広家=毛利は徳川家康に内通しており、戦う意思を持たないと推察した。狡猾な吉川により遠回しに不戦を進められたのだ。そのことによって盛親は毛利が参戦しない、石田三成=西軍の敗北を悟り、負け戦にあえて参加するべきかどうかという判断に迫られた。ここで、長曾我部が決起して東軍に挑んでいれば、果たして東軍勝利が成ったかどうか。人間の50年の人生の中で猛烈に右か左か決めなければならない瞬間がある。盛親はそれを流してしまった。知っておくべきは決断を迫られ、一方に決め、それが吉と出たか凶と出たかという問題ではない。決断しないまま事態が過ぎてしまったことだ。決めかねていた間に関ヶ原は終わっていた。こんな場面は我々自身にもあり得ることで身につまされる。
不幸なことに盛親は去ることでさえ、せめて去りかただけでも立派にしようとした。
自分は戦ってないから家康に何の敵愾心もない。それを釈明するため家康に使いしようとした。その中継にんに井伊直政を選び使いした。井伊は自ら家康に釈明に行く方がいいとアドバイスするが、それは筋からいってそうなのか、はたまた、行ったはいいがそこで誅殺されるかもしれないという罠なのか判別しかねた。本来は自ら家康のもとに行くべきだったかもしれない。しかし盛親は自分ではなくつかいをやって、自らは土佐に帰った。よくあることだが、歴史の大きな流れにあって、少しずつタイミングを外していく。まさに盛親に降りかかっている。
そんな中さらにタイミング悪く、盛親の兄、親忠が変死する。まさにこのタイミングだ。親忠は家康に通じているという噂だ。関ヶ原で西軍についた(かのようにみえる)盛親が土佐に帰ってきた。家康は当然、盛親を糾弾するあろう。そして家康に懐柔していた親忠を代わりに土佐に据え、盛親を処刑する可能性がある。それを見越して、盛親の重臣が親忠を暗殺したと考えられるのだ。このタイミングでこの事件だ。
盛親は隠凄を余儀なくされる。単身潜むが、なぜ京都なのかそれを知りたい。
牢人大名の章。孤独になった盛親のもとに忍の雲兵衛や桑名やじべえかこっそり訪ねてくる。それが郷愁的で切ない。
盛親に関わる女。田鶴と阿咲。田鶴は関ヶ原から敗走した直後に死去する。そして、盛親が京都にちっきょさせられたときに仕えた女
阿咲(おさき)である。商人の娘と紹介されたが、実は京都所司代のスパイなのだった。そして事実はわからないが、出雲出身の女(歌舞伎など舞う)を手なずける伊賀甲賀の忍(ここでは甲賀者)。出雲女をスパイとして操るようだ。そのターゲットとしての盛親だ。
冬の陣。京都から抜け出し大阪城へ向かう、向かいながら土佐の仲間たちが続々集まってくる。大阪に付くと、後藤又兵衛は親しげに話しかけてくる。明石全登も親しげだ。明石はただ戦いたい、戦うことが侍の本領で、結果は蛇足だという。つまり勝ち負けは結果にすぎない。
この作品においては作者は長曾我部盛親を平凡な人物と表現している。たまたま大名の家に生まれたから関ヶ原や大坂の陣といった大戦に参加したが、むしろ農民や漁師、士であれば、槍一本で敵に突撃する一兵士であれば、それがふさわしかったのではないかということらしい。
これは盛親の伝記と言うよりは、盛親を看板として侍の生き方を綴った物語だろう。人生のどこで花を咲かせるか?結局は人生のどこにおいても決断しきれず、タイミングを逃し続けてきた盛親である。一番の見せ場は大坂夏の陣であったのだろう。つまり我が身ひとつを賭場に賭ける。勝ち負けは結果であって、賭けることが本質なのだ。なかなか深い人生観だ。これを一体作者が何歳の時に書いたのか興味があり調べると38歳の時のようだ。作者のこの達観さ。驚きだ。
戦国時代は人生50年という。大坂方の牢人たちはすでに50近い。戦って勝つより、いかに死ぬかということに賭けている。50歳というと自分自身はあと数年で迎えるし、真田幸村が夏の陣で戦死したのは48歳だ。果たして自分が侍であったらと感慨深い。
この話では長曾我部盛親のその後は曖昧になっている。福井へ落ち延びて僧になったのではないかということだ。平凡な盛親にはそれがあっているのかもしれない。

20190330読み始め
20190407読了