歌手・山本潤子さんのオフィシャルブログを読んで

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マカロフ提督とウクライナ魂

2022-05-09 21:17:44 | 日記
潤子さん、こんばんは 前回はウクライナ国歌【ウクライナは滅びず】を紹介させて頂きました。この歌曲は
1862年から1863年にかけて作られたもので、1917年のロシア革命を機にロシアからの独立に伴い国歌に採用
され、1945年ソ連に併合されるまで使用されました。1992年ソ連から独立後、ウクライナの国歌として復活
したようです。祈りにも、誓いにも通じる気高い曲調ですが、歌詞の肝は次の4行にあるのでしょうね。言い
換えれば「コザック魂を忘れるな!」みたいな。
    魂と身体を捧げよう
    我らの自由のために
    そして示そう
    我らがコザックの子孫であることを!
ウクライナ・コザックとは15世紀後半以降、リトアニア大公国内のウクライナと呼ばれるドニプロ川の中下流
域の広域に存在したコサックの軍事的共同体、またはその共同体の系統をもつ軍事的組織だそうです。ぼくの
中ではコザックといえば「ドン・コザック合唱団」や「世界最強のコザック騎兵師団」という日露戦争当時の
イメージしか湧いてきません。ちなみに司馬遼太郎はその著作の中で、現在のウクライナを含む黒海の北岸の
ステップ地帯に紀元前6世紀~3世紀にかけて史上初めて騎馬遊牧文明をつくり上げたスキタイ王国の出現を
次のように書いています。

「草原で住む」という暮らしのシステムを考えついた偉大な民族は、スキタイであった。この古代民族は紀元
前三世紀に亡んで、いまは存在しない。かれらはイラン系の民族で、どこからきたかは諸説がある。紀元前六
世紀にこの草原に出現して、まず馬に騎るという他の人類にとっては奇抜すぎることを創始した。と同時に、
遊牧を考えだした。草原に群棲している羊の群れのなかに入りこみ、それらが草を食って移動してゆくままに
人間も移動する遊牧というのは、人類が農耕を覚えて以後、はるかに時間を経て出現した大文明であった(こ
の場合の文明とは、人間の暮らし方のシステムという意味として用いたい)。黒海のほとりのステップでアー
リア系のスキタイ人が発明したとされるこの文明の形態は、たちまち東へすすんで黄色人種(モンゴロイド)
を刺激した。
と。

なぜコザック魂のについて書いているかというと、4月13日に黒海艦隊の旗艦「モスクワ」がウクライナ軍の

対艦ミサイルで撃沈されたばかりなのに、5月6日に同艦隊所属のフリゲート艦「アドミラル・マカロフ」が
ウクライナ軍のミサイルで撃沈されたようだとの未確認情報が入ってきたからなのです。

潤子さん、マカロフ提督をご存知でしょうか。彼は前回取り上げたウクライナのヘルソン州出身のウクライナ
人で、日露戦争で旅順港に籠もったロシアの第一太平洋艦隊の司令長官でした。臆病だから籠もったのではあ
りません。ロジェストヴェンスキー提督が率いる第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)とニコライ・ネボガトフ
提督麾下の第三太平洋艦隊(黒海艦隊)と合流して日本の連合艦隊に決戦を挑むというのが作戦命令でした。

1904年4月13日、旅順港外に機雷の敷設をしていた日本の駆逐艦4隻と偵察をしていたロシアの駆逐艦1隻の
間で遭遇戦が発生。ロシアの駆逐艦が撃沈されたことを知ったマカロフは、旗艦「ペトロパブロフスク」で、
戦艦5隻・巡洋艦4隻を指揮しつつ生存者の救援と日本艦隊の攻撃に向かいますが、その帰途触雷して23000t.
の旗艦「ペトロパブロフスカ」は一瞬で爆沈してしまいます。彼の取った行動にウクライナ人のコザック魂
みたいなものを感じるのですが、どうでしょう。後年ウクライナの国歌になった愛唱歌も知っていた筈だし。
ちなみにマカロフの名将振りというか人柄については、司馬朗太郎が「坂の上の雲」の第三巻に彼の名を付
した目次をとって書いているので、その朗読【マカロフ】を添えますので時間があれば聴いてみてください。
   
いずれにしてもマカロフは世界的に名の知れた名将だったようです。海洋学に精通していたというアカデミ
ックな方面でも。司馬さんはロシアの軍人ではマカロフに魅かれたのでしょうね。章題「マカロフ」を設け
て語っているわけですから。日本に記録されているマカロフ提督絡みのエピソードを二つご紹介します。

アメリカに特使として派遣され、広報外交を行っていた金子堅太郎は、米国到着1ヶ月後には、ニューヨーク
のユニバーシティクラブで、前内閣大臣、陸海軍将校、裁判所判事、大学総長、商業会議所会頭、実業家、銀
行家、新聞記者など、二百人を超える壮々たる面々の前で、日露戦争の原因から当時の状況、日本人の決心の
程を述べている。そして最後に、前々日にロシアの海軍大将マカロフが旅順港外で戦死したことを受けて、敵
将の歴史に残る栄誉を称え追悼の意を表し、演説をこう結んでいる。
「二日前、旅順港外においてロシアのマカロフ海軍大将が戦死されました。大将は世界有数の戦術家でありま
した。我が国はロシアと戦っております。しかし、一個人としては誠にその戦死を悲しんでおります。敵なが
らも、マカロフ大将が亡くなったことは非常な痛恨事であると思います。しかし、祖国のために一番に戦死な
された事はロシアの海軍史上、永世不滅の名誉として刻まれることでありましょう。私はここに哀悼の意を表
し、大将の霊を慰めたいと存じます」と。
敵味方の区別なく、死者の顕彰をすることは日本人らしい姿勢であるが、金子の演説発言を掲載した翌日の新
聞紙上において、日本人は欧米人が考えることができない高尚な思想を持っていると賞賛されている。ロシア
の駐米大使カシニーが、粗暴野卑な姿勢で日本攻撃を展開したのに対して、金子は無礼な言辞を並べるのでは
なく、称えるべきは敵国側でも称えるなど、武士道の美徳を髣髴させる演説でもって対抗したのである。

日本では戦死したマカロフを哀れむような詩や短歌が新聞に載った。その中で石川啄木は、「マカロフ提督追
悼の詩」を1904年6月13日に作って『太陽』8月号に発表し(当時の題は「マカロフ提督追悼」)、翌1905年
5月に刊行した詩集『あこがれ』に収録した。この中で啄木は、次のようにうたった。

    君を憶へば、身はこれ敵国の
    東海遠き日本の一詩人、
    敵乍(なが)らに、苦しき声あげて
    高く叫ぶよ、「鬼神も跪(ひざま)づけ、
    敵も味方も汝(な)が矛地に伏せて、
    マカロフが名に暫しは鎮まれよ。」

    ああ偉いなる敗将、軍神の
    選びに入れる露西亜の孤英雄、
    無情の風はまことに君が身に
    まこと無情の翼をひろげき、と。


今日の一曲はウクライナコザックにちなみウクライ民謡【コザックはドナウを越えて】をお届けします。
    コサックはドナウを越えて
    こう呼び掛けた「娘さん、さらばだ!
    おい、黒毛の馬よ
    俺を乗せ駆けろ、そして嘶け!」
   「待って、待って、コサックよ
    あなたの恋人は泣いている
    私を見捨て還って来なかったら-
    そのことだけを思い詰めて!」

    行かなければ良かったのだろう
    愛さなければ良かったのだろう
    そして知り合わなければ良かったのだろう
    今、お互いを忘れるときが来た
    行かなければ良かったのだろう
    愛さなければ良かったのだろう
    そして知り合わなければ良かったのだろう
    今、お互いを忘れるときが来た


上のヨーロッパ地図の赤い線がドナウ川。地図右上の「UKRAINE」がウクライナ。ウクライナから神聖ローマ帝国
やフランス王国へ向かうコサックをモチーフとして、『コサックはドナウを越えて』が生まれたのだろうか。
16世紀から17世紀にかけて、ウクライナ・コサックは神聖ローマ帝国やフランス王国の傭兵として
活躍したそうですから。「コザックの子孫だ」という誇り、わかるような気がします。

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