歌手・山本潤子さんのオフィシャルブログを読んで

写真付きで、コメント、メッセージ、随想等を記す

ブラックムーンに寄せて

2019-08-30 11:26:21 | 日記
潤子さん、こんにちは 
今日は8月30日、この時季になると昨年もお話したように、 2012/08/31 22:14 に潤子さんがご自宅から
撮ったブルームーンの写真と、添えられた 【Blue Moon】 という楽曲を思い出すのです。 1935年公開の
ミュージカル映画のナンバーで、作詞はロレンツ・ハート、作曲はリチャード・ロジャースでしたね。
ブルームーンとは、ひと月に2度満月が巡ってくる2番目の満月のことでした。 作詞のロレンツ・ハートは
観るチャンスの少ない 「Blue Moon」 を奇跡を予感させるメタファーとして使っていて、ぼくはアップされた
ブルームーンに、ブロードウェイミュージカル 「The New Moon」 からオスカー・ハマーシュタイン2世作詞、
シグマンド・ロンバーグ作曲の 【Lover come back to me】 で応えました。 (どうして?・・・)

それは「満月」に対しては真逆の「新月」で返すのがスマートのような気がしたのです。 「The New Moon」
の邦題は「新月」でしょうから。 月は29.5日に1度、満月(full moon)や新月(new moon )になります。
新月の時は太陽、月、地球の順で一直線上に並ぶので月は見えないのに、「The New Moon」の劇中歌 
恋人よ我に帰れ/Lover come back to me】 はこう歌います。
The sky was blue
And high above
The moon was new
And so was love
This eager heart of mine was singing
Lover where can you be

”The moon was new” は ”new moon(新月)" のことではなく、新月より2日後の三日月を指しているようです。
新月の翌日の二日月はほとんど見ることができず、三日月が最初に見える月で、つまり ”The moon is new”。
別名を眉月(まゆづき、びげつ)ともいい、今月は8月1日が新月で3日が三日月でした。 この眉月を信濃川の
河川敷で目にしたのです。 ①まさに ”The sky was blue” ”And high above” ”The moon is new” でしたよ。
そして、②長岡花火大会の劈頭を飾る白菊が打ち上げられた時、高度はグッと下り、大輪の左下に映り込ん
でいて、沈みゆく眉月になぜか③ハイファイセットのアルバム 「Eyebrow」 が思い出されるのでした。  
  

加えて今日30日は新月。 ひと月に新月が2度あるとき、2度目をブラックムーンと呼ぶそうで、ブルームーンと
同じ理屈ですね。 ちなみに前回のそれは2016年10月31日。 古来から新月に願い事をすると叶うという迷信
があったようです。 だから 「The New Moon」 といったブロードウェイミュージカルの題名にもなったのかな?
いずれにしても今日は数年に一度の霊験あらたかなブラックムーン、願い事はありませんか。 あなたはどう
なの?・・・と、問われれば、「あの素晴らしい日々をもう一度」 と答えるでしょうね。 (例えば?・・・)

2012/08/31/22:07 に発信された
ブルームーン
夜空を見て!


http://www.youtube.com/watch?v=SWddzmJgKT8&feature=fvsr
に感動して、【Blue Moon】 の歌詞を確認する過程で、ローレンツ・ハート作詞、リチャード・ロジャース作曲の
ミュージカルナンバーだと分かりました。 ぼくにはローレンツ・ハート?・・・だったけど詞が素晴らしいことは
理解できました。 その2週間後にブログで紹介された小林信彦さんの 「映画が目にしみる」 を読んで、彼が
超有名人だったことを知り、次のように投稿しています

154頁の「日本未公開のミュージカル映画」で、先日ここで潤子さんが紹介された
【ブルームーン/Blue Moon】の作詞・作曲者を絶賛していましたね。
~ロジャース&ハートといえば、これはもう、ミュージカル史上に残る超有名なコンビである。
多くのミュージカルを作り、ヒット曲を残した。 ローレンツ・ハートは48歳で早く死ぬのだが、
都会的センス、韻の踏み方の見事さはズバ抜けていた。

ということで、今日の一曲は1937年に上演されたミュージカルから小林信彦さん絶賛の名コンビが作詞作曲した
Where or When】 をFrank Sinatra and Friendsでお届けします。 Friends?・・・ ロレッタ・リン、トニー・ベネット、
ナタリー・コール、ディーン・マーティン、レスリー・アガムズ 、ジョン・デンバー、ロバート・メリル。

It seems we stood an’ talked like this before ボクたち以前にもこんなふうに
We looked at each other in the same way then 見つめあって語り合っていたことがあるよね?
But I can’t remember where or when でも、いつ、どこでだったか思い出せない

The clothes you’re wearing その服を着ている君を、
Are the clothes you wore 前にも見たことあるような気がする
The smile you were smiling その微笑もとても懐かしく思うのに 
You were smiling then
But I can’t remember where or when  いつ、どこで見たのかわからない

Some things that happened for the first time 何もかも、実は初めてのできごとなのに
They seem to be happening again ずっと前にも同じ事があったような気がするんだ
And so it seems that we have met before ボクたちはきっと 会ったことがあって、
Laughed before and loved before 同じように笑いあって、愛し合ったことがあるんだと思うんだけど...
But who knows where or when? でも、いつどこでだったかは 思い出せないや

作詞と作曲は二人の共作なんだけど、軽妙で都会的センスが感じられます。 画像のロレッタ・リンの場面
では、ラジオで潤子さんが彼女をお気に入りだと知って 【炭鉱夫の娘/Coal Miner's Daughter】 をお届けし
たら
、翌日折り返すように
ロレッタ・リンの炭鉱夫の娘?は大好きな曲です。 ロレッタ・リンの伝記映画、歌えロレッタ!ご存知?
良い映画だから観てくださいね。
~と応えて頂き、文字から音声が聞こえてきたことを思い出しました。
音声といえば、第二次世界大戦時の北アフリカを舞台に、戦争で傷を負った男と、人妻との不倫を描いた
1996年公開のアメリカ映画 「イングリッシュ・ペイシェント」 に出てくるシェファードホテルでのダンスシーン
に名コンビの 【Where or When】 が流れていたことを思い出します。 ジャズバンドの演奏なんだけど、
物語が進展するこの場面は、もうこの曲しかないという感じで、これも名曲の由縁なのでしょうか。
ないはずのボーカル(音声)が聞こえてくるような気がするというか、心の中で歌っているんですね。

そして画像のタイトル”Frank Sinatra and Friends”を見ると、潤子さんが 2013/07/02 に紹介してくれた画像
Chet Atkins And Friends」 を思い出すのです。 ぼくは自ブログに「I Still Can't Say Goodbye」という標題で
次のように書きました。
潤子さん、ご案内のライブ画像凄くよかったですよ~! 
とくに最後にチェット・アトキンスがソロで歌った 【I Still Can't Say Goodbye】 は目頭が熱くなりました。
ぼくは初めて聴きましたが、飾らない素朴な詞でも、綺麗に韻を踏んでいて父親への想いが
ストレートに伝わってきますね。 琴線を揺さぶるってこの様な歌をいうのでしょうか。
この歌を知ることができて本当によかったですよ。 ありがとうございます。


そうしたら翌日、ブログに 「チェット・アトキンス」 とういう表題を立てて、次のように応えてくれましたね。
昨日アップしたチェットアトキンスとフレンズの画像は本当に素晴らしかったです。
特にチェット・アトキンスさんが最後に歌われた歌は心に染み入り、感動しました。
聴いているお客様やバンドのメンバーも泣いてましたね。
歌は上手い下手じゃない、心に届く歌が本物の歌なんだと痛切に感じたしだいです。
今日は美容院に行きま~す。

涙が出るほどうれしかったですよ。 (どうして?・・・)

その三か月前から事情があって貴ブログへの直接投稿を止めて、「歌手・山本潤子さんのオフィシャルブログ
を読んで」 という自分のブログを立ち上げ、間接投稿の形式をとっていたので、読んでいてくれたんだ!と。
そして、貴ブログの掉尾を飾るのは 2015/01/24の 【小綱代の森2】 でしたね。 その締めくくりのコメントは
みさきまぐろきっぷは電車バス代、マグロ食事代、レジャー施設利用代を含めて品川駅から3060円!です。
これもうれしかったですよ。 ぼくに言ってくれているようで。 時の経過が最終ブログだったことを告げているけど、
今にして思えば、貴ブログに ”I Still Can't Say Goodbye” なぼくへの労いのことばとして受けとめるべきだった
のかもしれません。

今、これを書いていると小田和正さんが山本潤子さんのために作った 「歌を捧げて」 のこの詞が浮かびます。
    ずっとどこまでも あの日々たちは
    続いていくんだと 思っていた
    夢いつの日か 消えていっても
    あなたはいつまでも 心の中

追伸:小田和正さんが監督した映画 「いつか どこかで」 をご覧になりましたか。 これに英題を付けるとすれば
「Someday or Somewhere」 になるのでしょうか。 いずれにしても由無し事(よしなしごと)を徒然(つれづれ)
なるままに書き散らかして申し訳ありません。 数年に一度のブラックムーンに免じてお許しください。

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曾祖父の地 長岡に遊ぶ

2019-08-14 23:06:26 | 日記
潤子さん、こんばんは 残暑は名ばかりの酷暑が続いていますが、お元気でお過ごしでしょうか。 8月3日に長岡の
花火を見に行ったので写真でご報告します。 この時季に開催されていた二子玉川の花火大会は10月の第一土曜
日になったようですね。 2012/08/18のこんな貴ブログを思い出します。
花火大会
今、多摩川の花火大会開催中。
ドンドン!とお腹に響く音が鳴り響きます。
家から少し離れた高台の駐車場に行きました。
右と左に花火が見えます。
昨年は震災で自粛したのか・・・今年の花火はいつもより多く上がっていま~す!!
タマヤ~!


それに応えたぼくの投稿も。
>タマヤ~!
もし僕の推量が当たっているなら、今夜マルヤ~!と叫んでやるべきでした。
先代の柴犬は「マル」、現役は「マリ」。
よく多摩川に連れていきました。


花火大会は1945年8月1日の長岡大空襲で犠牲になった1,488人の方々への追悼の念を込めた三発の白菊の大輪
で始まります。閃光は網膜に焼き付き、やや遅れて号砲が弔砲・弔銃(Three-volley salute)のように降って来ると、
追いかけるように橋からその木霊が届くのです。一発目に両親を、二発目は柴犬マル、三発目は「ピーター・ポール
&マリのマリちゃん、可愛い~!!ですね。 可愛くてたまりません。」 と言っていただいた柴犬マリを思い浮かべま
した。 でも2時間は長かったです。 二子玉川の1時間くらいがいいですね。
 信濃川の河川敷  大輪の白菊でスタート
    

当日は5時半に家を車で出発、小千谷市の「錦鯉の里」を見学した後、長岡市の旧山古志村へ闘牛を見物にでかけ
ました。山古志村の”山古志”は”山越”に由来するのかと思えるほど山の中。山に隧道(トンネル)を通して、長岡市
への距離を短縮した田中角栄元総理の政治団体「越山会」は、この里山が発祥の地かもしれません。 2004年10月
23日に発生した新潟県中越地震により甚大な被害を受け、ヘリで長岡市へ避難する住民の姿をテレビで報じていた
が、牛等の家畜やペットはどうなったのか、記憶にありません。

闘牛は現在日本では次の六ケ所で開催されます。 岩手県山形村、新潟県長岡市の山古志地区、愛媛県宇和島市、
島根県隠岐、鹿児島県徳之島、沖縄県うるま市。 このうち長岡市山古志地区だけが、国の重要無形民俗文化財に
指定されているのはどうしてでしょうか。 曰く、古来の動物競技習俗の形がそのまま残っており、興行化せず村民の
生活にとけこみ、一郡一村の山古志の箱庭のような美しい村郷に、伝統的な姿で今に伝えられているとか。闘いに
白黒をつけないところは、聖徳太子の教え「和を以て尊しと為す」を具現化しているのかも。
   

花火大会が終わって、信濃川沿いの道を北上、11時過ぎに新潟県西蒲原郡弥彦村の温泉宿に到着。 翌日は標高
634mの弥彦山からの眺望を楽しみました。 弥彦山は全体が弥彦神社の神域になっているので先ずは神社に参拝。
頂上まで90分の登山道へ通じる径は、「万葉の道」 と名づけられ、「万葉集」 に歌われている植物のうち、弥彦山に
自生しているもの60余種が集められて植物観察道になっています。 嬉しかったのは万葉歌人・額田王が近江路の
蒲生野で、~茜(あかね)さす、紫野(むらさきの)行き、標野(しめの)行き、 野守(のもり)は見ずや、君が袖振る~と、
詠んだ茜を目にしたことに尽きます。 どうして?・・・

それは2016/05/16の標題【近江路・雪野山をゆく】でレポートしたように、白洲正子さんが額田王がこの歌を詠んだ
のは此処だという場所に行った事があるからです。 山頂に至ると眼下に佐渡島が視野一杯に広がり、指呼の間と
いった感じでした。 背後は越後平野が一望できます。
    

長岡市の寺泊漁港近くの魚市場で昼食後、長岡市の朱鷺分散飼育場を見学してから帰路につきました。 そこで朱鷺
の学名が「Nipponia nippon」であることを知りました。1835年オランダの医師シーボルトが標本を日本から学界へ送っ
たそうです。 日本の朱鷺が絶滅したのは19世紀後半、欧米で女性の羽飾り帽子が爆発的に流行したのが原因で、
淡い中間色の朱鷺色が女性の心を虜にしたとすれば、絶滅にはシーボルトもかかわっているのかもしれませんね。
ちなみに万葉集では「桃花鳥」と記されています。
  

ということで、長岡市への小旅行、楽しかったです。曾祖父が生まれ育った国だからでしょうか。 備忘として
長岡関連のことを投稿したブログの標題を時系列に列記しておきます。
2011/10/16【新幹線車中】 2013/02/11【新潟県人】 2013/05/17【会津武士道】 2013/08/05【ターシャテューダー
2014/01/13【墓参り】 2014/02/02【長岡に寄り道】 2014/04/08【小さな花】 2013/05/17【会津若松のライブに寄せて

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