歌手・山本潤子さんのオフィシャルブログを読んで

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足跡を訪ねて北上川へ

2018-11-01 20:51:00 | 日記
潤子さん、こんばんは お久しぶりです。 お元気でお過ごしでしょうか。
25日の午前3時に自宅を出て、かって潤子さんがソロでコンサートされた宮城県の登米市と
岩手県の北上市、花巻市へ車で行ってきました。 当該コンサートに参加したわけではないけど、
ブログにアップされた写真に旅情を誘われたというか、北への旅愁を感じたのでしょうね。
いつか訪ねてみたいと思っていましたから。 ということで遅れましたが貴ブログをお借りしながら
写真を添えてご報告します。


2013/08/24
音楽のある東北
登米尋常小学校でのライブは無事に終了出来ました。 国の重要文化財になった古い小学校は
歴史資料館として現在は運営されています。 二年前の震災では建物が傾いたり、歴史的に価値
のある窓硝子の殆どが割れてしまったり、壁がはがれたりしてしたそうですが、土台がしっかりと
作られているので倒壊は免れました・・・と校舎を案内してくださった館長さんが話されていました。
今校舎は修復真っ最中です。 お越しくださった皆さんとお世話になったスタッフの方々に感謝です!
登米は美味しいお米の産地ですよ。是非お試しください。私も勿論ゲットします。 コメントで紹介して
くださった登米のB級グルメ・お麩丼をスタッフが食べて絶賛していました。 ライブ終了後、郡山に
移動。 今日はここ郡山のラスト・ワルツでライブしま〜す! 沢山のお越しを!



1888年(明治28年)に創建された登米尋常小学校に10時に到着。今回は中を見学できました。
二階の校長室から現在の登米小学校が見えるのですね。震災で割れたガラス窓も修復され
ていて、ガラス越しに白い校舎が歪んで見えますが、この部分は割れなかったのでしょうか。
そうであれば震災の証しを窓にとどめていることになり、震災から7年をむかえようとしている
今、校長室前のバルコニーから中庭を眺めると、5年前の野外コンサートが目にうかびます。
>登米は美味しいお米の産地ですよ。
お米の名産地だったなんて知りませんでした。 ”ひとめぼれ”が宮城県のブランド米である
ことは知っていたのですが。 帰宅したらNHKテレビで”JAみやぎ登米”から海外に米を出荷
する映像が流れていてJA単位では輸出額は断トツの一位だとか。
   
潤子さん、登米が東北の明治村と呼ばれているのご存知でしたか。旧登米尋常小学校から
徒歩10分足らずにある警察資料館を見学。 明治22年の創建で昭和43年まで登米警察署と
して使われていたそうです。 構内には火の見櫓があり警察官が消防活動をしていたとか。
入館するとホールに初期に導入された白バイとパトロールカーの展示があって、係の女性が
フレンドリーに乗車を勧めてくれてうれしかった。
   警察資料館       留置場       取調室     摩耗した階段の縁
   
帰り際に先の女性が「昼食はお済ですか」と声を掛けてくれて、ぼくはどこか紹介してくれる
のかなと思ったけど、入館してきた客が彼女に話はじめてしまったので、返事をすることなく
出てきてしまいました。北上川に向かって歩きながら潤子さん紹介の >登米のB級グルメ・
お麩丼をスタッフが食べて絶賛していました。
の店を教えてくれるつもりだったのかなとか、
「お食事まだでしたら一時間休憩がとれますのでご案内しましょうか」と言ってくれたのかもと、
後ろ髪を引かれるように歩くこと3分で北上川の土手に上がる階段に到着。そこには300年の
歴史を持つ「割烹・清川」があるではありませんか。メインは北上川の鰻料理。

あの女性はぼくの人品骨柄をみてこの店を紹介したかったのかもしれません。 でもこういう
店で一人で食事をするのは侘しいし、ドライブなので酒も飲めないからパス。 階段を上れば
左手が上流で登米大橋が、右手が下流で川面は太陽を映しています。 芭蕉翁一宿之跡と
記された石碑が大橋の近くにあり傍に説明書きがありました。329年前の6月27日芭蕉は平泉
へ赴く途中ここで一泊して次の宿泊地一関を目指します。 北上川沿いに西行の足跡を辿って
いるのでしょうね。
   
登米大橋から北上川沿いにしばらく走ってから、国道4号線(奥州街道)に出て西行や芭蕉が
目指した柳之御所(藤原氏の居館跡)に到着。 中尊寺や毛越寺は何回か来たけどここは初
めて! 周囲には濠がめぐらされており、北上川の土手から展望すると重要な建物があった
場所に木柱が立っています。芭蕉は登米を経って2日後の6月29日に平泉の高館での義経
一行の終焉に想いを馳せ~夏草や 兵どもが 夢の跡~という名句を残しますね。そして車は
奥州街道を50km走行して、潤子さんが2011年11月4日に宿泊したホテルシティプラザ北上を
目指します。
  

2011/11/05
北上川
ホテルの窓から朝の北上川。 うすーく靄がかかって綺麗です。 静かな静かな朝。 昨夜は
岩手日報主催の毎年行われているイベントのお仕事でした。 素晴らしいホールでしたよ!
メディアでは放送出来ない震災時の悲惨な話を打ち上げの席で沢山聞き、胸が痛みます。
でも何の力にもなれないもどかしさだけが残りました。



16:30に目的のホテルに無事チェックイン、七年越しの想いがかないました。七年越し?・・・
>ホテルの窓から朝の北上川。 うすーく靄がかかって綺麗です。 静かな静かな朝。
7年前ブログにアップされた北上川の写真を拝見して、同じ場所から朝の北上川を見てみたい
と思っていました。8階の部屋から夕暮れの北上川を撮ってから車で写真①の左奥の橋を渡り
②北上夜曲の歌碑の駐車場に車を停め展勝地公園を逍遥。ホテルの窓から見えた並木は桜
で、「みちのく三大桜名所」の一つだったのですね。③並木路を引き返すとホテルの部屋に灯り
がいくつか。「たそがれ街にせまれば あかりがともるよ窓に」ではじまる赤い鳥の歌が耳によ
みがえり、ここに来て本当によかった! と思いましたよ。④朝、潤子さんと同じ景色を拝めたし。
6時過ぎにホテルを出発、北上市の詩歌文学記念館の庭を散策してから隣の花巻市に向けて
奥州街道を12km北上します。
①夕暮れの北上川   ②北上夜曲の歌碑   ③日没直後のホテル ④僕の静かな静かな朝
   
(注)帰ってから写真を見比べてみると潤子さんの部屋は最上階だったことが分かりました。
ぼくはその下の8階でしたが北上川の川幅がぼくの方が少し狭いようです。
 
2013/03/01
花巻
今日は秘密のお仕事で花巻に向かっています。
今仙台駅に到着。
後一時間くらいかな。旅のお供はイタリア家族。

 

>今日は秘密のお仕事で花巻に向かっています。
2年前の北上と同じ岩手日報主催のイベント関連のお仕事でしたね。花巻といえば知る人ぞ
知る宮沢賢治生誕の地ですが、前夜は暖かったのに翌朝は猛吹雪だったそうで。 ちなみに
イベントが開催された花巻市文化会館前の広い公園は賢治が教師をしていた花巻農学校跡
につくられた公園で、賢治が愛したぎんどろの木が植えられています。

7時30分にJR花巻駅の駐車場に到着。駅の待合室を兼ねた立ち食いでかき揚げ蕎麦の朝食。
駅の観光案内所はまだ閉まっているので、脇にまわり①2両編成で入線してくる東北本線の
車両とぼくの影を記念に撮りました。 ここで50代の男性に話かけられます。「観光ですか?」
「ええ、東京から車で来ました」。 ぼくと同じような身なりの彼は駅で知り合いと待ち合わせを
していたところ、急にこれなくなったそうで、どうしようかと思案の様子。聞けば地元の方で知人
を案内するつもりだったのでしょうか。 「車ならイギリス海岸はどうですか。支流で鮭の遡上が
見れるから。イトーヨーカドーを過ぎたところに案内板が立っていますよ」とススメてくれます。

②イトーヨーカドーなんて分からなかったけど、ナビに出ていたイギリス海岸という文字に向け
て車を誘導するすると、小さな川を渡ったところでイギリス海岸駐車場の看板を発見。「海岸と
言ったって、単なる川なんですがね」と、彼が苦笑していた海岸を写真に撮りました。それから、
③鮭の遡上が見られるという先刻渡った北上川の支流瀬川に下りてみると、渡り石の手前の
深みに鮭を発見! 頭やヒレの周辺が白くなっていたから繁殖行為の終わった鮭でしょうか。
水面から顔をあげると対岸の護岸壁の上から男性が手招きしているのです。周囲を見渡して
もぼくだけだし、なんだろうと思いましたよ。階段を下りてくるところで彼だと分かりました。

渡り石を飛ぶように渡って来て、「駐車場が二つあるから心配でね。本寸法のイギリス海岸は
こっちだから」と来た方向を指すと、誘うように飛び石伝いに川を渡るのです。ぼくは中ほどで
足が竦んでしまったけど、落ちればずぶ濡れになるだけと開き直って渡ることができました。
④渡り石の向こうは瀬になって北上川に注ぎます。渡り石下の浅瀬で鮭を数匹目撃、写真を
撮ろうと近づくと深みに隠れてしまうので、背を屈めて撮った一枚でした。
「いい時季に来られましたね」と語りかける彼に
「いやぁー遡上する鮭をこんな近くで見るなんて初めてですよ。冥途の土産というか・・・」と
駅から15分歩いて来てくれた彼に応えるぼく。 何か絵になっていませんか。
まぁ、本寸法のイギリス海岸は見ることはできなかったけど、毎年賢治の命日には北上川の
ダムの放水を調整して出現を期しているようです。
①JR花巻駅の朝     ②イギリス海岸    ③瀬川の渡り石  ④200km遡上した鮭
    

そんな行きがかりあって、彼が案内してくれたのは賢治が2年勤めた花巻農学校の教職を辞
めて羅須地人協会という私塾を始めた跡地でした。私塾だった建物は県立花巻農業高校へ
移築されているそうです。落ち葉を掃き清めていた二人の婦人に「おはようございます」と
挨拶してから、彼は④の前に立つと、賢治が畑仕事をしているときは、このように書かれた
札が玄関に吊るしてあったと説明してくれました。 そして⑤が展望される場所から
「ほら、赤い花が見えるでしょう。 あの辺が畑だったそうですよ」 と指を向けるけど
赤い花は視認できませんでした。⑥さらに高村光太郎の書で「雨にも負けず」の詩碑が畑を
見下ろすように、北上川に語りかけるように、その向こうの山並みに祈るように建っている
のです。この地で詩作されたのか定かでないけど、毎年賢治の命日にここでイベントが開催
されることに納得!

「農業に生きよ」と花巻農学校で2年間教鞭をとった賢治は「金持ちのお坊ちゃん先生にそう
いわれてもなぁ」と陰でいう人があったのでしょうか? 退職後ここにあった宮沢家の別宅に
独居して、自給自足の生活を始めたようで、宮澤賢治の愛好家には聖地なのでしょうね。
⑤下ノ畑ニ居リマス  ⑥下の畑と川と山並  ⑦雨にも負けずの詩碑
  

案内してくれた彼をホームセンターで降ろして、指示された道を宮沢賢治記念館へ向かいます。
⑧宮沢賢治記念館門 ⑨よだかの星・彫刻碑
 
見学中にある展示を見て潤子さんのブログが頭に浮かびました。

2014/05/02
オキナグサ
我が家のたった一本だけ咲いてくれたオキナグサは花が散り、そろそろ白髪のような種が伸び
始めるところです。 家の近くのオキナグサは一株に沢山の花が咲き、毎日散歩途中に見るの
を楽しみに来ました。 オキナグサの花は咲きはじめは俯いた美しい姿ですが、花が終わる頃
になると俯いていた花が段々太陽に向かって顔を上げてピンと背筋を伸ばすようになります。
そして花びらを散らします。 その様が私にはある啓示のように感じるのです。


>その様が私にはある啓示のように感じるのです。を拝見して、宮沢賢治の 「うずのしゅげ」
という童話をご存知なのだなと思い翌日自分のブログの標題 「オキナグサ(うずのしゅげ)
で賢治の童話を引用しておきましたが、覚えておられるでしょうか。ブログでのやり取りを思
い出したら万感胸に迫るものがあって、これでいい東京へ帰ろうと思いましたよ。
ということ今日の一曲はなしということで。 ではまたいつか…

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