☆☆高岡☆☆ 2013/10/31
昨日の高岡でのライブで一年間続いたDiaryツアーが終わりました。 黒部同様に素敵なお客様でとても
最終回を楽しめました! 地元合唱団の皆さんも清らかなハーモニーで会場を包まれて良い感じでした。
お花やらイロイロな頂き物です。 ありがとうございます! 今高岡駅からバスに乗って富山空港に向かっています。
ちょっと時間があったのでホテルから近い大仏様を見てきました。 私好みの石像を見つけました。
昨日会場にお越しくださった皆さん、地元関係者の皆さん、ありがとうございました!
潤子さん、こんばんは
昨年11月29日の八王子から今年の11月30日の高岡までの一年間、予定のコンサートを完遂の段オメデトウございます。
来月29日から新しいコンセプトでのツァー、楽しみにしていますよぉ~。 お疲れ様でした!
今日は昨夜家人と 「感性の森/A SENSE OF WONDER」 をもう一度観て、あらためて感じたことをお話させてください。
冒頭に出てくるドロシー宛の書簡体で語られる部分は散文詩を聞いているようで素敵でしたねぇ。
カメラは9月のトウヒの混成林を走り、レイチェル・カーソンが愛した海にいたる。
別荘近辺の光景の美しさ、トウヒの林を渡る風、岩に砕ける波の音、カモメの舞う姿を讃えた後こう言っていましたね。
~でも、一番印象深いのはモナーク蝶です。 小さな蝶が次から次へと漂っていく様子は、見えない力に導かれいる
ようでした。 蝶たちは戻ってこないだろうと、私たちは話ましたね。 ほとんどの蝶にとって生命の終わりへの旅立ちだと。
でも、その事実を悲しいとは思わなかったのです。 その光景があまりにも素晴らしかったことに午後になってから気付きました。
なぜなら命のあるものにはみな終わりがあり、それが自然の営みからです。 モナーク蝶の一生は数カ月という単位ですが、
私たち人間の生命は別の尺度で測られます。 その長さは知り得ませんが、考え方は同じです。
測ることの出来ない一生も自然であり不幸なことではありません。 命は有限なのです。
今朝、蝶たちがそのことを教えてくれました。 私は幸福に包まれました。
あなたもそうよね。 いい朝に・・・ありがとう。~
この手紙はレイチェルが癌で死ぬ一年前にドロシーに宛てた手紙だそうですから、感慨深いですね。
モナーク(皇帝)蝶をご存知ですか。 日本にはいなのですね。 初めて知りました。 アサギマダラのように
長距離を移動するようです。 蝶といえば、先日読んだ対談本 「西域をゆく」 はいきなり蝶の話で始まるんですよ。
対談の場所が胡蝶という料亭で、その名にちなみ司馬さんがこう切り出します。
~いったい日本人というのは、いつごろから蝶々というものを美しいと思うようになったのかしら―――と調べてみると、
意外に新しいようですね。 たとえば万葉集などはどうだろうと思って調べたら、胡蝶あるいは蝶々を詠んでいませんね。~と。
この点については流石に井上靖氏も知っていて、日本人が蝶の美しさを認識し始めたのは安土桃山時代からではないか
とのことで意見の一致をみたようです。
それまで蝶は葉を食う害虫という意識があったのでしょうか。 幼虫から変身が気味が悪かったのでしょうか。
それとも蛾も蝶も同類と見たのでしょうか。 日本人の感性って不思議だと思われませんか。
万葉集に一首も詠われていないなんて! トンボやセミは詠まれているのに。
中国では古代から蝶よ花よともてはやされてきたのに。
いずれにしても、あの映画から啓示のようなインスピレーションをもらいました。
潤子さんはどうでしょう。
洗足池で撮ったヒョウモンチョウです。
最終回を楽しめました! 地元合唱団の皆さんも清らかなハーモニーで会場を包まれて良い感じでした。
お花やらイロイロな頂き物です。 ありがとうございます! 今高岡駅からバスに乗って富山空港に向かっています。
ちょっと時間があったのでホテルから近い大仏様を見てきました。 私好みの石像を見つけました。
昨日会場にお越しくださった皆さん、地元関係者の皆さん、ありがとうございました!
潤子さん、こんばんは
昨年11月29日の八王子から今年の11月30日の高岡までの一年間、予定のコンサートを完遂の段オメデトウございます。
来月29日から新しいコンセプトでのツァー、楽しみにしていますよぉ~。 お疲れ様でした!
今日は昨夜家人と 「感性の森/A SENSE OF WONDER」 をもう一度観て、あらためて感じたことをお話させてください。
冒頭に出てくるドロシー宛の書簡体で語られる部分は散文詩を聞いているようで素敵でしたねぇ。
カメラは9月のトウヒの混成林を走り、レイチェル・カーソンが愛した海にいたる。
別荘近辺の光景の美しさ、トウヒの林を渡る風、岩に砕ける波の音、カモメの舞う姿を讃えた後こう言っていましたね。
~でも、一番印象深いのはモナーク蝶です。 小さな蝶が次から次へと漂っていく様子は、見えない力に導かれいる
ようでした。 蝶たちは戻ってこないだろうと、私たちは話ましたね。 ほとんどの蝶にとって生命の終わりへの旅立ちだと。
でも、その事実を悲しいとは思わなかったのです。 その光景があまりにも素晴らしかったことに午後になってから気付きました。
なぜなら命のあるものにはみな終わりがあり、それが自然の営みからです。 モナーク蝶の一生は数カ月という単位ですが、
私たち人間の生命は別の尺度で測られます。 その長さは知り得ませんが、考え方は同じです。
測ることの出来ない一生も自然であり不幸なことではありません。 命は有限なのです。
今朝、蝶たちがそのことを教えてくれました。 私は幸福に包まれました。
あなたもそうよね。 いい朝に・・・ありがとう。~
この手紙はレイチェルが癌で死ぬ一年前にドロシーに宛てた手紙だそうですから、感慨深いですね。
モナーク(皇帝)蝶をご存知ですか。 日本にはいなのですね。 初めて知りました。 アサギマダラのように
長距離を移動するようです。 蝶といえば、先日読んだ対談本 「西域をゆく」 はいきなり蝶の話で始まるんですよ。
対談の場所が胡蝶という料亭で、その名にちなみ司馬さんがこう切り出します。
~いったい日本人というのは、いつごろから蝶々というものを美しいと思うようになったのかしら―――と調べてみると、
意外に新しいようですね。 たとえば万葉集などはどうだろうと思って調べたら、胡蝶あるいは蝶々を詠んでいませんね。~と。
この点については流石に井上靖氏も知っていて、日本人が蝶の美しさを認識し始めたのは安土桃山時代からではないか
とのことで意見の一致をみたようです。
それまで蝶は葉を食う害虫という意識があったのでしょうか。 幼虫から変身が気味が悪かったのでしょうか。
それとも蛾も蝶も同類と見たのでしょうか。 日本人の感性って不思議だと思われませんか。
万葉集に一首も詠われていないなんて! トンボやセミは詠まれているのに。
中国では古代から蝶よ花よともてはやされてきたのに。
いずれにしても、あの映画から啓示のようなインスピレーションをもらいました。
潤子さんはどうでしょう。
洗足池で撮ったヒョウモンチョウです。