歌手・山本潤子さんのオフィシャルブログを読んで

写真付きで、コメント、メッセージ、随想等を記す

読書と思い出

2023-10-22 10:43:42 | 日記
潤子さん、こんばんは。10歳になる柴犬を自転車に乗せて洗足池へ行ってきました。洗足池図書館に自転車
を置き池畔を一周りして犬の散歩。帰りは図書館によって本を借りるような日々が続いています。柴犬を待
たせているのでせかされるようにエッセイの書棚から北杜夫著「マンボウ最後の家族旅行」と「茨木のり子
の献立表」をゲットしたのです。
 
北杜夫さんの著作に手が伸びたのは、かって貴ブログで紹介された「芥川家の人びと」やエッセイに関して
「楡家の人びと」や「どくとるマンボウ航海記」で投稿したことや、娘の斎藤由香さんのエッセイを愛読し
ていたからかもしれません。内容は大腿骨の骨折から復帰する過程のリハビリの苦しさとリハビリを兼ねて
由香さんがアレンジする家族旅行の煩わしさを綴ったもの。ただ、上高地へ誘われたときは「行く!、行く!」
というか「我が意を得たり」とばかり御歳83才の北杜夫さんはうれしかったようです。旧制松本高校出身
の氏は「山の人」であり「昆虫の人」でありますから、上高地は曾遊の地というより自家の庭のような感じ
だったかもしれませんね。ぼくがとりわけ嬉しかったのは次の箇所でした。

元「ハイファイセット」の山本潤子さんが木梨平でコンサートをやっていて、それも聞きにいった。
人びとは梓川を背にしたステージの前にシートを敷いて或いは樹の根元に座ったり横になったりして歌を
楽しんでいた。背景には穂高連峰や梓川の柳の新緑が見事であった。


そして2010-6-11の上高地ビジターセンター通信は当日の様子を写真を添えて次のように伝えています。
毎年雨が心配される音楽祭ですが、今年は好天に恵まれました。気温20℃を越えて汗ばむ陽気の中、小梨平に
設置されたステージ周辺にはたくさんの人々が集まり、更に熱気はムンムン・・・。
そして午後1時の開演とともに現われたのは山本潤子さん。元ハイファイセットの美声の持ち主です。画像は
あしびきコーラスの皆さんとの共演。ホトトギスやメボソムシクイが共に唄う、素敵な音楽祭となりました。


ぼくが音楽監督だったら、地元の”あしびきコーラス”との合唱は「翼をください」、「エーデルワイス」、
「少年時代」だけど。どうなんだろう。いずれにしても氏がこの場にいたことを考えると何かほっこり
するものがあります。翌年の10月24日に84歳の生涯を閉じますから。ということで北杜夫さん
さんを偲び、「上高地音楽祭」での潤子さんの歌唱をプロぐに添えます。この「第26回上高地音楽祭」
の模様は6月26日に信越放送、7月3日テレビ埼玉、7月4日テレビ神奈川、7月7日に千葉テレビ
で放映されたようですね。

「茨木のり子の献立表」を選んだのは一にも二にも潤子さんのブログで紹介された「向田邦子の手料理」
という本に機縁を感じたからです。没後30年を期しての出版でしたね。茨木のり子さんは2006年2月
17日に79歳で亡くなっていますから、この本は没後11年後に出版されたようです。

出版社の編集者は買い物に出かける前に自宅前でとった写真と版元から送られたキッチンの暖簾を背に
した写真を添えて次のように記しています。
茨木のり子には、詩人としての顔と、家庭人としての顔がある。
昭和二十年四(1949)、二十三歳で結婚してから
五十代に至るまでの日記に目を通すと、
創作に励みながら、毎日の生活にていねいに気を配る姿が、
簡潔なことばのなかから浮かび上がってってくる。
生活の中心は家事であり、ご飯の支度である。
その日の献立を考え、買い物をして料理する。
医師であったY(夫・三浦安信)との食事。
Yの喜ぶ姿。詩人のグループや友人、知人を招いての食事会。
茨城のり子の詩は、そうした日々の営みが結晶したものである。
ファイルに残された手書きレシピやスクラップ帳、
日々欠かさず綴られた日記の記述などとともに、
茨木のり子の食卓を再現してみる。

 

追伸:そういえば潤子さんの後追いで「茨木のり子展」を世田谷文学館へ見にいったことがありました。
2014-6-1。あの日も1歳になる柴犬が自転車の籠で待っていたことを思い出します。そしてコンサート
での朗読「わたしの一番きれいだったとき」と、ピート・シガー作曲【When I was most beatiful
の歌唱もわすれられません。
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