遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『警視庁情報官 ハニートラップ』 濱 嘉之  講談社文庫

2020-10-10 13:15:17 | レビュー
 表紙の折り込み部分に記された著者のプロフィールによると、著者は2007年に『警視庁情報官』で作家デビューした。本書はその第2作になる。2009(平成21)年4月に単行本が刊行され、2011年4月に文庫本化されている。

 黒田純一は平成19年秋に小笠原の警察署長として着任する。1年半の勤務が予定されていたが、赴任して10ヵ月近くなった7月中旬に、宮本警視総監が巡視という名目で黒田と面談するために父島に海上自衛隊の救難飛行艇で飛来した。それは黒田と直談判するためだった。黒田を室長として情報室を再結成するという。なぜか? 黒田は、情報室勤務時代に何度かメモで報告していたことから宮本警視総監に己の推測を述べた。イージス艦関連の情報漏洩問題が喫緊の課題になっていることを言い当てたのだ。プロローグはこんな場面から始まる。

 平成20年夏、「警視庁総務部企画課情報室 室長」の職名で、黒田純一は情報室の再構築を始める。まずは人事の協力を得て人材探しを行い、異動発令をすることから。どういう観点を基準にして人選していくかという描写は興味深い。
 警視庁本部11階の元の情報室が再び稼働し、また都内の5ヵ所の民間ビルのワンフロアーが分室となる。黒田にとっての活動拠点ができる。
 捜査事案は、国家機密の漏洩にかかる外事事件捜査と知能犯事件捜査が複合していた。この情報漏洩には警察、防衛双方が関わっている疑いが強いと考えられていた。黒田はいくつかの情報漏洩パターンの推理から始める。一方で、人選した部下に対して、研修の最後に「防衛省および警察による機密漏洩事件、および中国大使館関係者による教唆、強要」と題して、当面捜査すべき事件についての捜査会議を1週間かけて行った。
 そして、いよいよ情報室が動き始める。

 黒田が動き始めると、海外の情報機関も注目を始めた。モサドのクロアッハは黒田に中国の公安が君を追っているようだと忠告した。また、小笠原警察の次長からは、島民に黒田のことを聞き回ってる中国人4人組がいると電話連絡を受けた。

 黒田は3つの漏洩ルートを想定して、10年近い過去に遡った捜査にそれぞれ適任と考える部下を割り振って行く。まず1章で1ルートについて、情報漏洩関係者の立場、姿と行動が描写されていく。

 第2章 防衛省ルート 平成11年
  防衛省技術研究本部(技本)の内部研究チームの一つ、艦艇装備研究所は、かつて第一研究所と呼ばれた。第一研究所主任研究員、藤田幸雄が関係していた。藤田は取引先の「菱井重工」の永田課長から接待を受け、中国への三泊四日の旅行に誘われて、それに便乗する。それは、藤田が中国でのハニートラップに陥り、情報漏洩者に転落していく始まりだった。中国への小旅行のプロセスに仕組まれた罠が自然な感じで受けとめられて、興味深い。
 このルートの捜査に黒田は、公安講習の中でも外事成績に優秀で武器や戦艦等に並外れて通じている2名の警部補を捜査担当者にした。

 第3章 警察ルート  平成11年
  大坂府内の中国人マフィアと呼ばれている集団を調査する大阪府警警備部外事課警部補の青木光男が情報漏洩者になる顛末が描かれていく。青木の息子は小学校3年生になったとき難病認定され、中学2年で亡くなる。四十九日法要後、菩提寺の墓に納骨を済ませた。次の日曜日に青木は一人で墓参りに行く。その折り、葬儀の時に火葬場で認めた美貌の女性に声をかけられた。青木の息子とは小学校5年時代に同級生で、3年前に亡くなったのだと言う。その女性は黒澤冴子と名乗った。それから、2週間後、青木が調査のために菱井重工大阪支社ビルのロビーに居るとき、再び黒澤冴子に声を声をかけられる。それが契機となり、青木は彼女の罠に陥っていく。青木もまたハニートラップにとらわれてしまう。それは事件に対する入口に過ぎなかった。青木が追う事件は広がりと重要性を帯びていく。青木が己のミスを上司の歳若きキャリア、西田に報告した事から、その事件に関すして警察組織内部の関わりかたが徐々に上層部や関連部署に及んでいく。
  黒田はこのルートの解明には、公安総務課の第八担当者を採用した。

 第4章 政治家ルート 平成13年
  防衛庁キャリアの関本功は防衛大学校副校長で退任すると元制服組の民間研究室に入る。関本は民政党衆議院議員の鶴田静雄の事務所を国会内の情報収集の拠点とした。鶴田は関本を重用し、参議院選挙に比例区からの出馬を促す。関本は落選するが、個人票で10万票を越える得票により、防衛産業の国内大手企業とのパイプを作ることができた。鶴田には黒岩英五郎という国家の基幹産業から「ピンハネ」を重ねるフィクサー的存在で「鶴田の財布」の役割を果たす男がいた。黒岩は軍需産業分野の技術を中国に合法的に輸出することを考え始める。黒岩は関本から藤田幸雄を紹介される。藤田を介して、黒岩は菱井重工の幹部や船舶関連商社「四海産業」の山田孝市との面識を深めていく。四海産業代表取締役の山田は裏の社会にもよく通じた男で、鶴田の公設第二秘書、大橋裕一郎を協力させ見返りの報酬を与えることでうまく取り込んで行く。、
  この政治家ルートの捜査に、黒田は内閣情報調査室経験者を採用した。

 第5章 黒田の情報 平成12年
  黒田は父島で宮本警視総監に情報漏洩についての己の推測を述べた。それは黒田が企画課に異動した平成12年ごろから、対中国情報漏洩疑惑を中国大使館筋からの情報で認知していたからである。この時、黒田が情報を入手した経緯が描き出されていく。
  それが、捜査を指揮する背景となっていく。

 第6章 事件捜査  平成20年
  そして、いよいよ3つの情報漏洩ルートのそれぞれの担当者の捜査活動の成果が捜査資料として集積されされていく。また、この事件捜査のために黒田が築いた8人1チームの捜査体制を形成する。この方式がまず興味深い。黒田は情報はいつでも使える状態にあってはじめて活きるという思いから、自ら尽力して情報検索システムを築き上げていた。それがこの事件捜査でパワーを発揮し始める。併せて、黒田がこの情報室の捜査体制をどのように運用していくかも描き込まれていく。
  さまざまな経緯でのエピソードを交えながら事件捜査のプロセスが描き込まれていく。情報管理室は、黒田が想定した情報漏洩ルートについて担当者が捜査を進めるとともに、これまでに各部署の視点で独立的分散的に調査・捜査された諸資料を整理・分析・集約する。各種情報の集約から、情報漏洩に関わるルートが次第に明らかになり、事件概要の相関図が出来上がって行く。そしてターゲットを絞り込み、主犯を決めたチャート図が作られていく。
  黒田は捜査方針を絞り込み、警視庁の各部署が連携し強制捜査に乗りだすための要になる。強制捜査のXデーを決めるのだ。
  この最終章が上掲の想定情報漏洩ルートの関わり合いの謎解きをしていくプロセスとなり、このストーリーの読ませどころとなっていく。

 事件は解決するが、さらにそこにはもう一つのハニートラップが潜んでいた。この意外性がもう一つのおもしろさであり、またハニートラップの怖さなのかもしれない。

 著者は黒田の優れた点の一つを「職業人として組織から評価される最大のところは、部下を育てる姿勢を常に持って、その努力を惜しまないところにあった」とする。この側面がこのストーリーを楽しませる要素にもなっている。

 最後に、黒田が部下の内田に名刺管理の重要さについて語る言葉をご紹介しておこう。「情報管理ってのは組織上のさまざまなデータもそうだが、個人情報の管理がいちばん重要なんだよ。特に情報を活かす立場にある者は情報内容も当然ながら、一個人とその関係者の関係までキチンと把握管理しておくことが大事なんだ。そこを押さえておけば、管理だけでなく分析もその先の予見性も見えてくる」(p324-325)
 黒田式の名刺管理の実例を示した後で、黒田が語る言葉だ。読者にとっても、頭にガツンと感じる人がいるのではないか。私はガツン!だった。そこまでの管理をしたことがなかった・・・・・・。参考とすべき、部下指導エピソードとして織り込まれている。

 もう一つ、警視庁における情報管理の統合化の話が、ストーリーの一環として出てくる。情報の統合化がどういうことかがイメージできてわかりやすい。それは、情報の統合システム管理の利用者側の利点がわかるとともに恐ろしさもわかるということである。

 ご一読ありがとうございます。

本書の描写から広がった関心の波紋として、キーワードでネット検索してみて得た情報を一覧にしておきたい。
橋本元首相、新聞記者ら 中国ハニートラップにハマった人々:「NEWSポストセブン」
「中国に甘い政治家・官僚」はハニートラップにかかってる。:「トップ防災『一期一会』」
“技術流出”に関する経済レポート一覧:119本  :「keizai report.com」
営業秘密の流出が多発、管理体制の整備を(中国) :「JETRO」
刑事に関する共助に関する日本国と中華人民共和国との間の条約  :「外務省」
   (略称:日・中刑事共助条約)
日中刑事共助条約の署名について  :「外務省」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『警視庁情報官 シークレット・オフィサー』   講談社文庫
『電光石火 内閣官房長官・小山内和博』  文春文庫
『警視庁公安部・青山望 最恐組織』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 爆裂通貨』 文春文庫
『一網打尽 警視庁公安部・青山望』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 国家簒奪』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 聖域侵犯』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 頂上決戦』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 巨悪利権』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 濁流資金』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 機密漏洩』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 報復連鎖』 文春文庫
『政界汚染 警視庁公安部・青山望』 文春文庫
『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』 文春文庫