古都探索日記

奈良や京都の散策日記

教会音楽への扉 第3回

2018-07-05 09:59:26 | 音楽
 7月4日、朝日カルチャーセンターにて受講。講師は吉田文先生。

 今回のテーマはルネッサンス時代のフランドル楽派。1450年から1600年までヨーロッパ各地で活躍したのはフランドル又はネーデルランド出身の音楽家たちである。歴史的背景にはローマ教会の混乱による教皇の相対的な権力の低下がある。音楽にかまっていられなくなったことにある。吉田先生は5世代に分けて説明された。簡単にまとめると、

 世代①にはギョーム・デュファイ(1400-1474)とジル・バンショァ(1400-1460)。コラールの旋律をミサ曲とモテットに繰り返して使う定旋律の手法が生まれる。そして定旋律にはグレゴリオ聖歌だけでなく俗謡も取り入れるようになった。画像の左頁上は俗謡の「武器を持った人」、下はその旋律を定旋律に用いたデュファイのキリエ。

 世代③にジョスカン・デュプレ(1450-1505)が現れ頂点を成す。画像右頁はデュプレの4声のキリエ。このように複数の旋律が絡み合うのはフランス様式、それに対しソプラノに主旋律が置かれ低音部は和音を演じるのがイタリア様式。

 1501年にイタリアのベルトリッチにより楽譜印刷が開始され教会音楽の発展に寄与した。またフランドル楽派の時代に和声の多様化、言葉の表現の重要視、長・短調の芽生え、絵画的な表現などの技法が発達した。

 ヨーロッパ各地に赴任して現地の音楽と交じることにより教会音楽全体の多様化と現地の音楽家の進歩にも寄与した。イタリアではジョヴァンニ・パレストリーナ(1525-1594)が世代⑤に現れイタリア音楽が復権した。パレストリーナはトリデント公会議で推奨された。

 一方、島国のイギリスでは国教会の成立、国力の充実などから独自の文化が発展、シェークスピアの時代にTタリス、Wバード、Jダウランド、Oギボンズなどが輩出。

 次回はベネツィア楽派とドイツのプロテスタント音楽について。いよいよバッハに近づいたきた。興味深いレクチャーありがとうございました。

 
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