古都探索日記

奈良や京都の散策日記

”笑刻家”って誰じゃれ?

2011-02-27 20:14:53 | 美術
 私がこの展覧会を知ったのは日経新聞夕刊の文化面でこのように紹介されていた。岩崎さんは30年ほど前から木の仏像を彫り始めたが、慣れてきたところで自分なりの造形を考えダジャレを彫刻にすることを思いついたそうである。第1作は「そんなバナナ」皮をむいたらとうもろこしがでてきた。うけがよいので調子にのって、鬼が板に抱きついて「いた・だきまーす」、猫が氷枕で布団に横たわる「我輩は猫んでいる」と連作していったと述べている。

 画像をクリックしてください。夕刊に載った代表作が見れます。

 上 「リョーマの休日」 竜馬がヴェスパに乗っている。

 中 「はなさんかじじい!」 犬が爺さんにしっぽをつかまれて振り回され、「離さんか、じじい」と悲鳴をあげる。

 下 「サイは投げられた」 柔道家が大きな犀を投げ飛ばす。

 他には背広姿のサラリーマンがのけぞって酒を一気飲みする「上を向いてアルコール」、三日月に裸婦がぶるさがる「月とスッポンポン」など思わず笑ってしまう。

 画像の右上は常設展示されている焼津市の「ギャラリーくすくす」の案内。右下は「月とスッポンポン」の携帯ストラップ

 「寒々とした時代に、人の心をわずかでも温めるなら笑刻家の本望だ」と岩崎さんは結んでいる。たくさんの来場者が楽しんでいた。

ギャラリーくすくすのHPを見る 左をクリックしてください。
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笑刻の世界

2011-02-27 19:34:58 | 美術
 2月27日、岐阜県可児市の文化創造センターにこの展覧会を家内と観にいく。「笑刻」とは「だじゃれ、別名おやじギャグ」の豊かなイメージを木彫にしたもの。焼津市の自転車店主 岩崎祐司さんが20年前から創作されている。笑刻の言葉も岩崎さん本人が名づけた。
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教会音楽フォーラム 9回目(最終) 教会暦

2011-02-20 17:35:36 | 音楽
 2月19日、最後のこのフォーラムに参加。9回目は教会暦について。キリスト教会の年間の行事スケジュールのことで生誕祭(クリスマス)の4週間前の主日(主の日=日曜日)が待降節第1主日(Advent)から始まる。

 吉田先生はその起源と変化発展について重要な主日のために作られた音楽を録音で紹介しながら解説された。要約すると

 聖書の記述を基本にして、ユダヤ教の暦、古代ローマの祭り等が付加して現在のものになった。日本ではクリスマスだけが突出しているが、本場では受難と復活が最も重要な期間でありキリストの復活は約50日間にわたって奉られる。キリストの生涯の他に聖母マリアに因むものや聖ヨハネ(6/24)、大天使ミカエル(9/29)、全ての聖人を記念する日(11/2)などがある。

 画像をクリックしてください。テキストの一部が拡大されます。カトリックとプロテスタント(ルター派)の教会暦の一覧が見れます。カトリックの典礼の入祭唱のグレゴリア聖歌の言葉、エストミーヒー、ロガーテ等がルター派の主日の呼び名になっていることも今日初めて知った(質問しようと思っていたこと)。

 紹介された音楽はバッハをはじめガブリエリ、メシアン他多数。聖人の日のためにつくられた曲としてサッチモが演奏する「聖者の行進」、はじめてジャズが登場。私が一番惹かれたのは聖金曜日(受難日)のためにF.クープランが作曲したエレミアの哀歌「ルソン・ド・テネブレ」。歌手に最近興味をもったフランスのソプラノ、パトリシア・プティボンの名があった。
 今回も2時間半にわたる先生の熱心な講義に感動する。

 今日で最後になりましたが、お疲れ様でした。おかげさまでたくさんの知識が身につきました。ありがとうございました。
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宗教改革と教会音楽

2011-02-17 22:12:37 | 音楽
 コンサート・プログラムの巻頭言から

 今冬、スイスのチューリヒを訪問された鈴木雅明さんはスイスの宗教改革について述べられている。要約すると「スイス宗教改革の祖」とも言うべきフルドリヒ・ツヴィングリ(1474~1521)の牙城大聖堂「グロス・ミュンスター教会」は建物は大きいが内部は簡素このうえなく、それは『聖書のみ』『信仰のみ』の原理を掲げあらゆる聖人画やマリア像を取り払った努力の結果である。さらにツヴィングリは礼拝から音楽を排除してしまった。自身優秀な音楽家であったツヴィングリはその才能ゆえ、何百年に渡り進化し、洗練されたカトリックの音楽に対抗できるものをにわかに創りだすことは不可能であることを悟り、排除する以外方法はなかったのではないか。当時の改革側におけるカトリック教会への敵愾心の強さの例として画像の風刺木版画をあげている。(内容があまりにも過激なのでここでは説明しないが、画像をクリックしてください。)
 しかし、これは単なる「侮辱」ではなくキリスト教の本来の精神に根付く「反転世界」の価値観の例のひとつである。「本来この世はよいものであるが、罪が入りこみ悪くなる。その罪を救うために、高い存在である神の子イエスが低くなって弱い子羊としてこの世に現れ、その子羊が強いサタン、即ち罪と死を滅ぼす。」これが聖書の教えである。
 今回のコンサートのBWV170の第3曲のスコアは4段の譜表で書かれているが、一番下がヴァイオリンとヴィオラ、次にアルト、その上にオルガンの2段となっている。音域的にもオルガンが最も高く、歌とヴァイオリンはずっと低いところに位置している。ほかでは見られないこのことは「反転の価値観」を表している。

 私はキリスト教徒ではないので、以上掲げたことをよく理解できないが、「バッハ・ファンはM.ルターに感謝しなければならない。何故ならば、もし彼が教会から音楽を排除したならばバッハの全作品の70%近く(多分)を占める教会音楽作品を楽しむことができない。」 これが私の結論。


 翌11日、熱海のMOA美術館に寄ってこの時期に公開される光琳の紅白梅図屏風を見る予定にしていたが、降雪のため慌てて朝一番に名古屋に帰る。
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バッハ・コレギウム・ジャパン ライプツィヒ時代1727~29年のカンタータ

2011-02-12 17:41:35 | 音楽
 オペラ・シティにこのコンサートを聴きに行く。BWV174,145,170,149の4曲。BWV170以外はピカンダーの作詞による。個性の強い曲が集められている。どこが個性的かを言うと、

 BWV174 第1曲のシンフォニアは原曲のブランデンブルグ協奏曲の第一楽章にコルノ・ダ・カッチャ2本、オーボエ3本、トッティの弦3部を加え計15声部の豪華さは他に見当たらない。各々の楽器が演じる様はポリフォニーの極致。聴き方によってはデキシーランド・ジャズをおもわせる。2つのアリアもポリフォニーの魅力に満ちている。

 BWV170 アルト独唱のカンタータ。第3曲のアリアでは 2段鍵盤のオルガンによるオブリガートの指示があり、2つの声部のオブリガートが頻雑に交差する。このような例は他には皆無という。鍵盤1段のポジティフオルガンでは不可能なので2台のポジティフが用いられた。華やかにオブリガート・オルガンが活躍する。

 BWV149 第6曲のアルト&テノールのデュエットではファゴットがオブリガートとして大活躍。カーテンコールではファゴット奏者の村上由紀子さんに観衆から最大の拍手が贈られた。

 BWV174のシンフォニアを聴く。 左をクリックしてください。

 BWV149のデュエットを聴く。 左をクリックしてください。

 
 
 
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