敬老手帳を手にしているとどうしても自分に寿命を考えてしまう。あと何年健康に過ごせるだろうか? 死ぬまで健康でありたい。誰でも願うことである。かと言って健康のために方策に走る健康オタクにはなりたくない。「健康のためならば死んでもいい」というパラドックスに嵌りたくない。ボランティアのような奉仕活動もだめだ。このまま勝手気儘に遊んでいたい。「遊びにふける不良老年」なんと幸せな言葉だろう! 「遊び上手のお洒落なチョイワル爺々」例えば晩年の寅さんなんかがカッコイイ。これからの目標にしよう。
そして遊び疲れて、上等なワインなど飲みつつバッハを聴きながら眠るように静かに天に召される(または地獄に堕ちる)。これが私の夢見る「自分の最期」である。
終わりに今日のテーマにふさわしいバッハの教会カンタータを2曲紹介。下の各々をクリックしてください。
BWV156 わが片足は墓にありて(Ich steh mit einem Fuß im Grabe)
BWV161 来たれ、甘い死の時よ(Komm,du süße Todesstunde)
BWV156はこのブログに何度も登場。BWV161はヴァイマール時代(バッハ31歳)の作品。
そして遊び疲れて、上等なワインなど飲みつつバッハを聴きながら眠るように静かに天に召される(または地獄に堕ちる)。これが私の夢見る「自分の最期」である。
終わりに今日のテーマにふさわしいバッハの教会カンタータを2曲紹介。下の各々をクリックしてください。
BWV156 わが片足は墓にありて(Ich steh mit einem Fuß im Grabe)
BWV161 来たれ、甘い死の時よ(Komm,du süße Todesstunde)
BWV156はこのブログに何度も登場。BWV161はヴァイマール時代(バッハ31歳)の作品。