古都探索日記

奈良や京都の散策日記

メンデルスゾーンの宗教音楽 Ⅱ

2024-02-22 15:42:54 | 音楽
 2月21日、朝日カルチャーセンターにて受講。講師は吉田文先生。内容を要約。

 2回目からはメンデルスゾーン自身の作品がテーマ。宗教作品は3つのピリオドに分けられる。
 1.1836年(27歳)まで 初期の主教作品からオラトリオ「パウルス」1836年まで
 2.1837年から1841年 詩編からLobgesang
 3.1841年以降
 今回は1期目がテーマ。

 メンデルスゾーンの宗教作品に影響を与えた人物は二人いる。初めはヨハン・ネポムク・シェルブル(1789-1837) 13歳の時に知り合って友好関係を結び合唱曲などの指導を受ける。二人目はパリで当時の大作曲家ケルビーニと知り合い、作曲家としての才能を評価してもらう。またキリエの作曲を勧められ、ケルビーニのニ短調ミサとモーツァルトのレクイエムのキリエを念頭に作曲。キリエ(1825年)とモテットVeni Domine を視聴。

 メンデルスゾーン自身は印刷していないがコラールカンタータを8曲が残っている。歌いやすいアマチュア向けの作品でオルガンが重用されている。「イエスよ、私の喜びよ」(1828)、「ただ神にのみ依り頼む者は」の二曲を視聴。
 
 「パウルス」について 1829年にベルリンでマタイ受難曲を復活上演したあと、1831年にシェルブルからオラトリオの作曲を依頼されるが多忙なため6年後に完成。シェルブルのコンサートには間に合わず、1836年トーンハレの音楽祭で初演。内容はサウルスからパウロまでの経歴が2部にわかれて描写される。パウルスの人格より使徒行伝の描写に重点が置かれる。メンデルスゾーンはユダヤ系であるが洗礼を受けたキリスト教徒であり両者の対立より融和を願う。シューマンは批評の中でこの作品をプロテスタント・コンサートオラトリオと呼ぶ。教会ではなくホールで演奏された。

 バッハのマタイ受難曲を意識して作られている。相違点は語り手やアリアより合唱が重用されている。マタイ受難曲ではキリストの言葉はバスであるがソプラノが使われている。語り手は同じくテノールによる。数曲を視聴。

 画像はテキストとパウルスの対訳の1頁目。

 大変興味深い内容でした。ありがとうございました。





 

 
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ラムラック

2024-02-20 11:26:13 | 食事 名古屋市内&近郊
 2月17日、家内と栄のアウトバックステーキハウスにてランチ。

 いつものようにラムラック、小海老のシーザーサラダ、赤ワイン。
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プロファイラー バッハ

2024-02-16 19:17:30 | 音楽
 2月15日、NHKBSのこの番組を見る。バッハの波乱に満ちた生涯がテーマ。

 司会は岡田准一、ゲストは鈴木優人(バツハ・コレギウムジャパン)とタレント二人。バッハの生誕から最期までを紹介。バッハファンだったら誰でも知っている内容で期待外れ。
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中華ランチ

2024-02-14 09:33:04 | 食事 名古屋市内&近郊
 2月11日、家内と滝の水の上海湯包小館にてランチ。

 家内は醤油ラーメン、ミニチャーハンが付く。わたしは海老炒飯と油淋鶏のセット。
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メンデルスゾーンの宗教音楽 Ⅰ

2024-02-09 12:56:16 | 音楽
 2月7日、朝日カルチャーセンターにて受講。講師は吉田文先生。

 フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1809-1847)がバッハのマタイ受難曲を復活させたことは有名であるが、今回はそれがテーマ。講義内容内容を要約。

 1829年3月、ベルリンで第一回が催され、1841年4月4日ライプツィヒの聖トマス教会までドイツの各地で計7か所で演じられた。1835年秋フェリックスはライプツィヒ・ゲヴァンドハウス管弦楽団の音楽監督に就任している。

 メンデルスゾーンにバッハの影響を与えた人物として、血のつながった3人の女性があげられる。まず母親のレア、子供達に音楽の新しい演奏に尽力。つぎにフェリックスの祖母のベラ・ソロモン、バッハの弟子のキルンベルガーの弟子。優れたピアニストでありバッハ愛好家。3人目は大叔母のサラ・レヴィ、ベラ・ソロモンの妹、バッハの長男フリーデマンにチェンバロを師事また次男エマヌエルを支援した。教師はサラが推薦したカール・フリードリッヒ・ツェルター(1758-1832)、バッハとヘンデルを重要視していた。フェリックスは幼少期からバッハに親しんでいたと思われる。

 1829年4月17日のベルリンでの第一回目の復活演奏について:1824年に祖母からマタイ受難曲(1736年の後期稿)のスコアを贈られたフェリックスは研究して、アリア等を省略、内容を聖書の記述に集中した形にまとめる。指揮はツェルター。

 1841年4月4日のライプツィヒでの演奏について:ベルリン版の形をおよそ保ちながら、いくつか変更を加えた。通奏低音は2台のチェロと1台のコントラバス。オルガンの導入。当時、バッハ時代の古楽器は消失しているのでオーボエ・ダモーレ、コルノ・ダカッチャ等はクラリネットやバセットホルンで代用。 

 最後にメンデルスゾーン版とオリジナル版(古楽器)の演奏を数曲(第一曲の合唱、終曲など)を聴き較べたが、思いのほか違和感は感じられなかった。

 普通ではなかなか取得できない貴重な知識を得ることができました。ありがとうございました。
 
 
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