岩倉高等学校 放送部

東京都台東区上野にある岩倉高等学校・放送部のブログです(創部1958年)

感謝と敬意

2020年05月30日 | 活動

昨日の昼、航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」がコロナウィルスに対応する医療従事者の人たちに対する感謝と敬意を示すために都心上空を飛行しました。

前日までそんなことをするのを知らなかったのですが、朝FB友人からその飛行ルートを聞き・・・「あれ?もしかしてうちの学校の真上を2回通過する!」ということに気づきました。となると、仕事に支障が(校内多忙を極めています)あるかどうか。うまい具合に昼のちょうどよい時間だったので、失礼ながらそこまで期待せず屋上へ。


少し分かりづらいのですが、まずは上野公園側(上野駅側)から本校に向けて直進。(白い煙の立ち始め)


ジェット音が少しずれてくるのはそのスピードのせいなのですね。まさしく真上を通過!結構衝撃的な風景ですよ、これは。


スカイツリー方向へ向かいます。(後で都立墨東病院方向だったことを知りますが)そして旋回。
動画も撮ってみたので写真はこの程度しかないのですが、この後折り返して本校を横切って東京駅方面に向かっていました。

コロナ第2波の問題がクローズアップされてきましたが、もう一人ひとりが今できることすべきことを粛々と進めていくしかないのだ思います。恐らくどんなことになっても、医療従事者の人に限らず物流、運輸等々止めることのできない役割の人たちは動き続けます。そういった意味で、「感謝と敬意」という言葉は良い言葉ですね。

大抵人は「感謝」で終わってしまうのですね。そこに「敬意」という言葉が加わることに意味があるのです。以前JR東海の新幹線鉄道事業本部に勤務している卒業生の関係で現場を拝見する機会がありました。そこで感じた日本の新幹線システム、さらにそこで動いている人たちに対しての気持ち。それは毎日毎日普通が当たり前であることを維持してくれてありがとうということともに、何となく湧き上がる「これは結構凄いことなのだ」という感情でした。そんなことを思い起こした昼休みでした。


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徐々に徐々に

2020年05月28日 | 行事

実に久しぶりに(2か月ぶり?)に上野公園に足を踏み入れました。最後は多分3月27日。桜の開花が例年より早く、もう満開だなぁなんて歩いていたら新型コロナの影響でその日の夕方に立入禁止になったことを思い出しました。




もうすっかり深い緑。朝ということもありますが、人はまだまだ少ないです。

週明けようやく分散とは言うものの、登校開始。第2波とか第3波といった言葉を聞くようになりましたが、とにかく様々な事に留意して徐々に徐々にと行くしかありません。部室はほぼ3か月間じっくり熟成(?)されていますが、何か変なものが住み着いていたわけでもなく変化はありません。


書類関係を少し整える必要はありそうですが、しばらくはストップ。いわゆる「3密」部室なので一気に全員集合というのはすぐには無理です。

予定されているオリエンテーション後の授業は、登校日と自宅学習日が交互にやってくるという具合。自宅学習日は配信されるオンライン授業になるのですが、各先生方が校内wifi環境の中で生中継授業をやる必要があります。登校日の生徒で通常教室はすべて埋まっているので(生徒が半分でも教室は倍使用)、校内のいたるところを使います。


で・・・放送部室ってwifiすごく具合よく拾えるのです。なおかつ、ホワイトボードもある。オンライン授業をする場所としてホットスポットになりそうな予感。〇〇先生の授業・・・もしかして部室から?といったことがあるかも。ちなみに私は使う気、満々です。

 

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そろそろ答えを その3

2020年05月21日 | 活動

コロナの感染者数も大分減少してきました。しかし、早々簡単にあの日常が戻ってくるわけにはいきません。早く登校する学校が再開できると、と焦ることは禁物なのでしょう。ですから、仮にその日がやってきても当面は色々な制限の中で静かに少しずつの日常を重ねていくしかないありません。

現在全先生方で5つのチームを作って交代で登校して仕事をしています。本日は私の当番日。プロ野球の先発ピッチャーみたいなローテーション。自宅で肩を作って待つ感じ。(もちろん在宅で色々なことをしてはいます)


部室は、当たり前ですが3月25日からまるで変化なし。あえて挙げるならば、2年Sさんが自宅から持ってきてくれた消臭ビーズがそろそろなくなってきたことと、前回言った3年L特用プレゼントの発掘くらい。


時間が止まったような空間ですが、この長い期間に各部員が色々なことを考えることができたのならまた違う空間になるかもしれません。例えば、何かを作り上げていく時に時間や手間などの理由から「できる、できない」という視点で行動していたことから、自分の本当の心の「やりたい、やりたくない」に変わる。

多くの人が経験したことのない現在のこの時間の中で、自分の生活の仕方や世界の望ましい姿を差こそあれ考えざるを得なくなっています。恐らくそこで突き詰められる基準は、「私」と「みんな」とがどのようにつながることがふさわしいのかということです。結局そのことの答えは、見通せない未来を頑張って想像して「Someday」(随分古いですが佐野元春)という「やりたい」気持ちで生きていくということだと考えています。

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そろそろ答えを その2

2020年05月19日 | 活動

コロナの拡大で今年は様々な高校全国大会が次々になくなっていきます。インターハイは中止になり、高校運動部の生徒たちは成果を示す場はなく、明日予定では高野連からも夏の甲子園大会について何らかの発表があるようです。

高校放送部の甲子園と呼ばれるNHK杯もなくなりました。オリンピック開催により長らく会場であった渋谷のNHKホールではなく、兵庫県立芸術文化センターを目指す大会。東京の今年の3年生は、今までとは少し違う意気込みで臨むNコンだったに違いありません。

学校再開も延期延期を繰り返し、ここのところ失うことばかりと思うのもやむを得ません。そんな中での「こうち総文」(全国高等学校総合文化祭)のウェブ開催。文化部高校生が発表し、競い合う場を確保してくれたことは評価されなくてはなりません。実際に高知県に予定されていた約2万人の高校生が集うことは叶いませんが、どんな形であれ開催されるという事実は多くの人に響くことです。

今回の高知実行委員の生徒が高知新聞の取材に「逆にチャンスととらえ、ウェブを使うことで今まで以上に高知の魅力をアピールしたい」と答えています。何かを失ったと思った時に次にすべきことはその代りに何を手にしようかと思うことなのだと思います。そして肝心なのはそれをすぐ行うことなのです。

来月早々には、各部門の実施方法について具体的な方法が示されることになっています。聞くところによると部門によってはそう簡単ではない問題も山積みのようですが、何とか知恵を出し合いたいものです。そろそろ導き出したい答えは、失った時の嘆きではなく次の手を考え行動に起すことにある。そんな気がします。


ところで、来年度の和歌山大会のホームページがすでに用意されています。予選は秋に行われる高文祭。今年の秋がどんな秋になるのかは、そんな答えの導き方次第なのでしょう。

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そろそろ答えを その1

2020年05月17日 | 活動

部員に最後に会ったのは3月25日。会えずにそろそろ2か月が経ちます。途中ZOOMを利用した部会をしましたが、もっぱらClassiの校内グループを利用した文字のやりとり。双方向ではなく、一方方向にならざるを得ません。

その間に学年が変わり、NHK杯の中止、総文祭のWeb開催など日々刻々と変わる状況の中で登校できないということだけ引き続いています。そんな中ではありますが、先日から教員は交代での校内勤務がスタートしました。実に1か月ぶり(30数年の教員人生初!)に私も登校しました。


放送部室に変化は・・・当たり前ですが恐ろしいほどまるでありません。ただ1つだけ、衝撃的な事。それは3月25日に3年L特3人に渡そうと思っていた物がそのまま置かれたままであったこと。


あの日はとにかくひたすらバタバタしていて忘れてしまったのです。というか、そのことさえ忘れておりました。ということで、何と先週そのことに気づきました。


そして、さらに衝撃的な事・・・消費期限。やはりみんなの顧問は持っている、ということにしておいてください。

さて、出だしから本題から逸れてしまったのですが、これだけ通常の学校のない時間経過の中で何をすべきか、そして何ができるかということの答えをまとめてもいい頃になってきたのかなということを書きます。色々なメディアから「意志の強さ」とか「動機」みたいなものが、学校から離された生徒(さすがに児童ではないかも)に求められているように感じますが、私はちょっと違うな派(?)です。

それは間違いということではなく、足りないというか、その結果というか、少し下の位置にあります。こんな状況の中で求められているものはずばり「情熱」なんだと思うのです。「情熱」には無理がありません。簡単に言えば、「情熱」は好きなことからくるはずなのでとても幸せで自然体です。

しかし、勉強にそんな「情熱」なんか湧くわけがない、規則正しい生活をすべきということに「情熱」の感情はありえないなどと思うでしょう。例えばこんな風にすると良いのではないでしょうか。ある難しいことを解決するために勉強するのは気乗りがしないから、その手前のもっと簡単な方法(ネット大いに結構)を探してみてヒントを手に入れることに精を出す。

私の経験なので40年以上も前の昔話ですが、高校世界史で行き詰った時にたまたま捨てずにとっておいた「まんが世界史」(学研?)だけをひたすら読んだときは多分そんな感情だったのかなと思います。もし今だったらYouTubeまみれでもいいのかなとも感じます。

こうしなさいと言われることの少ない時間経過の中で、柔軟になって自然体で色々な答えをそろそろ出すタイミングになってきました。タイトルの「そろそろ答えを」の意味はそんなところです。次回は、その2です。

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