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アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

2月13日(土)から始まった「アドラー・カウンセラー養成講座」の合間を縫ってこのブログを書き始めています。

終わればいいのですが、どこまで書けるか?

H.オーグラー著『アドラー心理学入門』シリーズ、今回は第15回目です。

これからしばらくは、H.オーグラー著『アドラー心理学入門』を読み解きながら、ライフ・タスク(人生の課題)― 仕事・交友・愛 ― に相当する「3つの人生問題」としての社会的関心(実は「共同体感覚」)、職業、恋愛と結婚について論じていくことにします。

「社会的関心」は、英語だと“social interest”ですからこの訳語でいいのですが、実態は、「共同体感覚」のことなので、ここしばらくは「共同体感覚」として解説していくことにします。

この章では冒頭、「個人心理学は、人間を観察するに際して、人間を孤立したものとしては見ないで、いつも世界と関連させて見ている。もっぱら環境に対する彼/彼女の態度の中に、人は、自己を表すからである」とし、誰もが答えなければならない3つの人生の大問題 ― 共同体感覚、職業、恋愛と結婚 ― を解決する仕方から最もその人を理解できることができる、と説きます。

さて、この本では、「共同体感覚」に関して重要なメッセージを残していますので、文章の順番を無視して、読む人が「共同体感覚」について咀嚼できるように、私なりに順番をアレンジしてお伝えします。

ポイントは、(1)アドラーの言う共同体とは何か、(2)アドラーの「共同体感覚」の言及、(3)「共同体感覚」の育成、の3つです。

このことによって、「共同体感覚」があまり理解できていなかった人には、福音になりますよ。

(1)アドラーの言う共同体とは何か

この本では、アドラーが意味していた共同体は、存在している共同体という意味ではなく、理想的な共同体として捉えていたことを明らかにし、『人生の意味』(邦訳は『生きる意味を求めて』、アルテ)から次の引用をしています。

生きる意味を求めて―アドラー・セレクション
アルフレッド アドラー
アルテ

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「人間のからだと心の完全な発達は、我々がそこに到達し、それを維持しようと努力している理想的共同体に構造に自分を適応させるときに、最もよく保証されることを示した」

アドラー心理学の目標を社会適応と受け止める人たちがいますが、それは短絡的です。
アドラーが目指したのは、現実の共同体ではなく、人類の理想を反映する理想の共同体への適応なのです。


(2)アドラーの「共同体感覚」の言及

アドラーが一番初めに「共同体感覚」に言及していたのは、第一次世界大戦前に書いた『治療と教育』という著書でした。

しかし、アドラーが1916年から1918年までオーストリア軍の軍医として従軍したアドラーは、この戦争から深刻な影響を受け、以前に出版し、戦後の1919年に第2版を出した『神経質性格について』の序文でつぎのように共同体感覚の重要性を力説しました。

「戦争は、この書物の(初版と第2版の)2つの版の間に行われた。戦争とその恐るべき結果、力への欲求と威光政策とによってむしばまれた、現代の、神経症的で病的な文明が示す、最もすさまじい集団神経症。現代の出来事の恐ろしいなりゆきは、この書物の単純な思考の流れを確証するものである。

戦争の正体は、広く解放された力への意志 ― それは、人類に不滅の共同体感覚を抑圧したり、悪用したりする ― の、悪魔的な仕事であることが明らかである」


アドラーの従軍体験が彼を共同体感覚へと駆り立てたのが、彼自身の序文によって明らかです。


(3)「共同体感覚」の育成

共同体感覚の育成には、母親の役割が重要です。そして、母親は、子どもの関心を家族から人類一般へと広げでいかねばならないことを、次のようにこの本では、書かれています。

「子どもに共同体感覚を目覚めさせることや、それを発達させたり抑圧したりすることは、母親にもってこいの仕事である」

「母親は、子どもに協力することを教える。彼女は、子どもの関心を、父親へ、きょうだいへ、国家へ、そして人類一般へ広げねばならない」

共同体感覚が未発達で、自分自身や自分の興味ばかり考えている人々は、「つねに共同体の落伍者や妨害者になるだろう。犯罪者や神経症者などの抱いている共同体感覚がきわめて狭いものにすぎないことは、我々が再々見てきたところである」とも書いています。

最後に、アドラーの有名な言葉を紹介します。この言葉が独り歩きしている気配がありますが。

「たった一人の人間を抱擁するよりも、全世界を抱擁するほうが容易である」

この言葉は、社会的な関心があっても、その広がりが家族の範囲に限られている人々、また、公共の慈善のために大いに尽くしながら、個人には関心を持たない人々をアドラーが警告した言葉です。
耳が痛い人がいるかな?


<お目休めコーナー> 萩・旧湯川家屋敷にて


(障子に反射した花模様にご注目)



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