正々堂々と「公共事業の雇用創出効果」を論ぜよ―人のためにこそコンクリートを | |
藤井聡 | |
日刊建設工業新聞社 |
日曜日。よさこい祭りに参加している「北川村のかしまし娘」たちの応援に出かける朝。
眼前で流れるTVプログラム『新報道2001』。公共事業をテーマに扱っていた故に、TVの前から離れられなくなってしまった私。
出演者のひとり、藤井聡さんの奮闘(ほとんど発言機会を与えられなかったが)を応援しつつ、そういえば、と当ブログのバックナンバーを紐解いてみた。
自分の意見ながら、同意したので再掲する。
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2011年1月26日
『公共事業悪玉論はそうした誑(たぶら)かしとしての「市場の声」のみごとな代表例である(西部邁)』
・・・・・・新世紀に入って、とりわけここ数年間、市場競争を自由放任するという無政策の大失態が、アメリカをはじめとして各国で赤裸に露呈されているにもかかわらず、国家のリフォーム(改革)の眼目は依然として政府批判におかれているといってさしつかえない。そして政府批判の照準に公共事業がぴたりと合されていたままなのである。
政治にあって「世論の声を聞け」という文句が金科となっているのと軌を一にして、経済にあっては「市場の声を聞け」という標語が玉条となっている。しかし、これは「デマ」なのだ、虚語なのだ。デマとはデマゴギー(民衆扇動)のデマのことであるから、つまりはデモクラシー(民衆政治)のデモと同じく、「民衆的」ということである。そこに現代社会の世論がいかに「虚語による扇動」によって誑(たぶら)かされやすいかが、よく示されている。公共事業悪玉論はそうした誑(たぶら)かしとしての「市場の声」のみごとな代表例である。(西部邁、P.220)
ここで、私たち公共建設工事に携わる人間が気をつけなければいけないことは、立場を変えたときに、「誑(たぶら)かされやすい現代社会の世論」の構成者となっていないかどうかという、自問があるか否か、言い換えれば自分自身を疑ってかかれるかどうかではないだろうか。
他人のせいにして被害者ヅラしたって問題は何も解決しない、ということを、少なくとも私は、わざと事のように格好つけて言いたい。
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それにしてもくだんのTVプログラムでの藤井さん。
「公共事業悪玉論というスローガンが持つ思考停止状態」から脱して、理性的な議論をしようと説く落ち着いた語り口が、今まで私が持っていた彼についてのイメージを覆し、やたら好ましく思えたのでした。
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