ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

近づく義士祭-観音寺の四十七義士墓所

2016年12月04日 04時31分27秒 | Weblog
 
           

 新聞に刃傷松の廊下で傷つけられた吉良上野介に関する史料が見つかったとの記事が出ていました。東本願寺に所蔵されているもので、吉良の傷は浅く、食事も普段通りといったことが記されているというものでした。
 毎年12月14日が近づくと、赤穂義士に関する記事が目立つようになります。加東市でも12月14日には家原観音寺で法要や早籠にちなんだ中学駅伝、剣道大会などが行われ、地元家原の皆さんによる甘酒の接待もあります。

 播州赤穂の義士祭は有名ですが、赤穂藩の領地があった今の加東市や加西市には浅野家、四十七義士とゆかりの深い寺や池などが多く、なかでも加東市家原には浅野家の分家である家原浅野家が明治維新まで続いたこと、また、香華所であった観音寺境内に四十七義士の墓所があること、赤穂藩の家原陣屋に郡代として駐在した四十七義士の吉田忠左衛門ら義士との関わりが深いことから、昭和の始めから義士祭が盛大に行われてきました。
 家原観音寺の四十七義士の墓所は、義士討ち入り、没後150年忌の江戸時代弘化年間に近在民間有志の寄附によって造られたもので、義士を讃え偲ぶ庶民の思いが込められています。東京芝高輪の泉岳寺、赤穂の花岳寺は四十七市の墓所としてよく知られていますが、加東家原の観音寺の四十七義士の墓所は全国に3つしかない四十七義士の墓所なのです。特に家原浅野家の菩提寺であった善龍院の明範の呼びかけで寄附に応じたのは庶民であったこと、その浄財で立派な墓所が造られ、人々がいつまでも義士を偲ぶことができるようにしたことが観音寺の特色だと思います。

 昭和初年、青年団員だった父らの世代が義士祭を行い、義士行列や青年団による駅伝などを行ないました。その伝統が今も義士奉賛会の法要や中学駅伝などに受け継がれています。私もそうでしたが、地元の保育園児らもお参りして線香を手向けます。ぜひ、観音寺にお越し下さい。
 写真は早朝の「観音寺四十七義士の墓所」、「赤岸(赤穂義士がなまったとされる地名)交差点」、「社市街地の幟」です。
 
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