ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和10年2月11日の父の日記から 

2023年02月11日 05時23分42秒 | Weblog
 2月11日は建国記念の日。昭和41年(1966)に祝日として制定されたものです。戦前は紀元節と呼ばれて、新年、天長節、明治節とともに四大祝日の一つでした。敗戦後、占領下にGHQはこうした祝日を否定し、排除されましたが、天長節は天皇誕生日、明治節は文化の日として祝日法(昭和23年)に定められました。昭和27年の講和独立後、紀元節の復活を願う国民の声が高まり、議論が続けられた結果、建国記念の日として、2月11日を祝日とすることが定められました。
 父の日記を開いてみると、2月11日の日記には、紀元節のことが書かれています。昭和10年(1935)の日記には、「豫記」欄に「紀元節参列」「戎祭もちつき」と記入されていました。記録欄には、「紀元節だ。国旗は増田徳治君が掲揚してくれた。八時頃起床。十時の式に参列。閉式後帰りに戎祭の餅つきに行った。夕方迠。」と書いてありました。
 国旗はおそらく青年団が建てた国旗掲揚柱(※現在その支柱石が社交番の脇にある)に掲揚したものでしょう。紀元節の式典は、社小学校の講堂で行われたものと思います。また、戎祭は、2月12日が宵戎、13日が本戎で、佐保神社で行われていました。
 戦後、祝日を定めるときに、アンケートで国民が最も望んだのは紀元節の復活でした。国の起源、始めを祝うということが、日本国の存在の原点であるとの思いが国民の心の中にあったからだと思います。「建国をしのび、国を愛する心を養う」と祝日法に意義が書かれています。2月11日には、そうした思いを持って国旗を掲げ、神武建国から2683年(皇紀)の歴史に思いを馳せたいと思います。

 
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