ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和28年の社の地図-三池・役場・社小学校・学校道のようすなど

2022年04月25日 05時50分17秒 | Weblog
 

 昨日に続いて、昭和28年(1953)測量の社町三千分の一の地図を見てみましょう。昨日示した銀座通りの北側にあたる田町通りの辺りです。
 まず、「三池」が大きく目立ちます。今は埋め立てられてありません。そして一帯は「道池」と表示されています。故人となった先輩が「みついけ」と言っていたのが耳に残っていますがまさに「三つ池」だったんですね。今は郵便局やガソリンスタンド、住宅などになっています。また、社環状線が通っていますが当時はありません。その北東に原池、蓮池の2つの池がありますが、この池も今はなく、住宅地や田になっています。
 地図の左に「役場」があります。当時の(旧)社町役場です。この役場の東隣が今の我が家ある所ですが、地図にはまだありません。当時は田圃でした。その役場の西を南北に通っている道が「学校道」で、田町通りから社小学校へ通じる道です。今、私が朝の登校見守りに立っているのが、この役場の角です。役場跡は、今は、社連合区の消防会館・消防団詰所と駐車場になっています。
 地図の北(上)に社小学校があります。当時は木造校舎でした。学校の前(南)を通る環状線はなく、田町通りからの「学校道」と西(左)の家原からの道があるだけです。
 「学校道」には役場から学校までの間に、有隣女学校、少し東入って八志路幼稚園、天理教社教会などがありました。今は3つともありません。駐車場や集合住宅、宅地などに変わっています。
 変わらないのは、三池の堤の東の法蓮寺と百旗墓地、三池の東の若ケ谷池、学校の前の上ノ池でしょうか。地図をもって変化を確かめながら歩いてみたいねすね。
 
コメント
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