hokutoのきまぐれ散歩

ブログも11年目、遂に3900日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

大和屋半蔵にて鯖みりんをいただく〜赤坂ランチグルメ

2021-08-31 05:00:00 | グルメ
今日のランチはどうしよう?と悩みながら溜池あたりを歩いていた。昨日は蕎麦だったし、一昨日はザンギ、こういう日はやはり魚かな?などと考えていた。



赤坂の巨大なビルの一階でまさにそれにぴったりする店を発見。何しろ干物だけでも『鯖の文化干し定食』『とろ鯖の味噌漬け定食』『とろ鰊定食』『サーモンハラス定食』『銀鮭粕漬け定食』『ホッケ開き定食』などなんと14種類。

最高値は『のどぐろ開き定食』(1900円)だが、普通の魚は1000円程度。この『大和屋半蔵』はかなりすごい。
店内はかなりの人だが、若い人が多いせいか、数少ない魚以外のメニューであるカキフライと鶏の山賊焼きも人気がある。私の選択は『鯖みりん定食』(税込924円)である。

待つことしばし、頭もついた鯖の半身がこんがりと焼いて登場。見た目からも脂が乗っているのがよくわかる。まずは皮を剥いで身を一口。脂が堪らない、その分やや味は薄めではあるが。

大根おろしに醤油を落として鯖の身と共にいただく。味噌汁は大ぶりのお椀にたっぷり。魚、大根おろし、味噌汁、ご飯、沢庵というシンプルな取り合わせだが、これで十分。


ご飯は普通盛りでも十分なほどある。シンプルな味を楽しみながら大都会の巨大なビルの一階で食べていることを忘れさせるランチとなった。最後にこんがり焼けた鯖の皮をむしゃむしゃくしゃ。魚のコゲには発癌性などという人もいるが、焼きたての魚の皮、揚げたてのエビの頭と尾、これを食べないとかなり損をしていると思うのである。

やはり私を含めて日本人は魚好きばかりではないかと思いました。ご馳走さまでした。

大和屋半蔵
港区赤坂5ー3ー1赤坂Bizタワー1階
0364355399

上毛電気鉄道(西桐生〜赤城)に乗って

2021-08-30 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その304。上毛電気鉄道は西桐生〜中央前橋の25.4kmを走るローカル私鉄である。ただ、この鉄道はかなり変わっている。まずは途中駅の赤城駅以外なら他社線と接続していない、しかし、徒歩圏内には接続できる路線が多くあることである。赤城駅で東武鉄道桐生線に接続、ここから浅草駅まで特急りょうもう号が結んでいる。

しかし、始発駅の中央前橋駅からはJR前橋駅まで1km、終点の西桐生駅からJR桐生駅までは5分ほど、さらに桐生球場前駅はわたらせ渓谷鉄道運動公園駅から徒歩5分程度と微妙な距離にある。

(赤が両毛線、黄が上毛電気鉄道)

西桐生〜中央前橋は25.4kmで52分に対し、桐生〜前橋は29.0kmと伊勢崎経由のため迂回しているが、乗車時間は33分と圧倒的に両毛線の方が早いのである。




西桐生駅は1928年11月開業で駅舎はマンサード屋根の洋風建築だが、内部は宿直室で和風の畳部屋と三和土の土間と和洋折衷になっていて、国の登録有形文化財となっている。



この懐かしい駅舎が好きで桐生に来る度に立ち寄っている。建物だけでなく、改札口や高い天井、今回気づいたのだが駅前のトイレまでマンサード屋根になっていた。

先程、上毛電気鉄道は遅いと書いたが、桐生から東京方面に向かう場合、小山周りで新幹線を使うと1時間50分、高崎周りでは2時間10分掛かるのに対し、西桐生〜赤城〜浅草では1時間9分とりょうもう号を使うほうが早いのである。



便利なことに西桐生駅でも赤城駅経由でりょうもう号の指定席券も購入することができる。もちろん機械が発券するわけではなく、特に特急券は今時珍しい硬券が購入できる。さらに日中は毎時43分(一部46分)が特急に連絡しているので便利である。



窓口の女性に発券をしてもらい1443の中央前橋行きに乗車した。車両は京王電鉄3000系を改造した700系。井の頭線に使われている車両の1号車と5号車を繋げ、塗色を変えて使われている。



今回利用したのはピンク色の車両で1966年東急車両製造、1999年京王重機で改造したもの。もう55年も活躍している強者である。



しばらくは住宅街を走るがやがて高架になり、丸山下駅に到着。かなり山が近く感じる。

富士山下(ふじやました)駅はその名前の通り、駅のすぐ横に標高160mの富士山があり、山頂には浅間神社が祀られている。



天王宿駅、桐生球場前駅と続くが、桐生球場前駅は上毛電気鉄道では珍しい2006年に作られた新しい駅であり、わたらせ渓谷鉄道運動公園駅まで徒歩5分のところにある。

その次が赤城駅で東武鉄道と共用となっている。隣のホームにはりょうもう号が停まっていて乗換も実に便利だが、乗換た人は私を含めて3人であった。



もう少し余裕があれば中央前橋駅まで行きたいところであるが、本日はここから北千住駅経由で自宅に戻りました。




北海道厚岸 COREDO室町店〜日本橋ランチグルメ

2021-08-29 05:00:00 | グルメ
室町COREDO2の1階に北海道・厚岸町のレストラン『牡蠣場 北海道厚岸』という店がある。もちろん、かき料理が名物なのだが、夏でもカキフライを食べることができる。



たまにはガッツリランチと入店、ランチメニューはカキフライ定食、カキフライとザンギの定食、海鮮丼(カキフライ2個付)、鮭とイクラのはらこめしの4種類。悩んでカキフライとザンギの定食(税込1000円)にした。




店は狭いこともあるが、続々とお客さんが入店、かなり混んでいる。割りに早く注文品が到着した。

カキフライ2個、大きなザンギ3個、ちゃんとタルタルソースも付いていて、ご飯とすまし汁。ご飯も器が大きい。店の人はこのカキフライは是非備え付けの『かき塩』で食べて頂ければとのアドバイス。

忠告に従い、牡蠣塩を貝殻に取って付けて一口。昆布と牡蠣の旨味が効いた塩で頂くと甘み、旨味がよくわかる。熱いため何口かで頂くが、これはいい。ただ、おかずとして食べるよりツマミとした方がいいみたいであるが。


ザンギは醤油味が染みていて、カリカリに揚げてある。もちろん揚げたてでご飯が進んで困るくらいである。



厚岸町は釧路〜根室にある漁師の町で私は一度行ったことがあるが、東京からはかなり行きにくいところの一つ。『厚岸町』と書いて何人の人が『あっけしちょう』とよめるだろうか。まあ、東京との接点は冬の駅弁大会くらいしかないのだから仕方ないけど。

私はふるさと納税の恩恵も含めて、音威子府の蕎麦、利尻島のウニ、豊浦町の毛蟹となかなかお目にかかれない北の海の幸を頂く機会が多い。さらに厚岸の牡蠣もそのレベルで美味かった。ご馳走さまでした。

北海道厚岸 COREDO室町店
COREDO室町2 一階
0362623144

桐生『重伝建エリア』をめぐる②

2021-08-28 05:00:00 | 旅行
前回に引き続き桐生市新町、一般的には『重伝建エリア』と言われる街並みを歩く。うなぎ屋さん、矢野本店の少し先には旧書上商店(かきあげしょうてん)の建物。
(旧書上商店)
書上商店は書上文左衛門の経営する桐生を代表する買継商(産地にいる商人で生産者から集荷した商品を仕入問屋に売る仲買的な商人)12代目の昭和初期には店員も100人を超え、隆盛を極めた。今は花屋さんになっている。また、すぐ横には『坂口安吾千日往還の碑』が建てられている。

(玉上薬局)

(大風呂敷)

その向かいあたりには玉上薬局、書上商店の並びには大風呂敷という風呂敷専門店がある。この店は元書上酒店であった。

(平田邸)


(無鄰館)、


少し歩いて通りの反対側に見えてきたのが平田邸(明治33年築)、こちら側は無鄰館、旧北川織物工場(大正5年頃築)と並んでいる。

(早川織物)

さらに歩くと早川織物、隣が一の湯という銭湯。かつては女工さんたちのお風呂として親しまれた。こちらは現役である。

(一の湯)

こうして歩いていくと突き当たりに桐生天満宮が見えてくる。1591年に現在の地に移されたと言われている。結構長い参道を歩いていくと太宰府のように3つはないが、太鼓橋が出てくる。可愛らしいが危険なのか、通行はできないのだが。

(桐生天満宮)

天満宮の参道入口まで戻り左折をする。次の角にあるのが、『四辻の斎嘉(旧斎嘉織物)』である。急いでいたため中には入らなかったが、地元有志が買取り、補修工事をして観光拠点として公開しているもので庭からの眺めもいいとか。

(四辻の斎嘉)


(旧金芳織物工場)

その斜め前にあるのが旧金芳織物工場、煉瓦造りの鋸屋根工場。大正8年築、事務所は昭和6年築である。工場は改装されて『レンガ』というベーカリーレストランとして営業中。中ではピアノの生演奏もあり、散歩の最後としてゆっくりアイスコーヒーを頂くことができた。



時間をかけて横の通りまで歩くとまだまだ見どころはあるが、降りしきる雨が強くなったので今回はこれにて終了した。


紅葉川〜日本橋ランチグルメ

2021-08-27 05:00:00 | グルメ
猛暑の後に梅雨寒がきてまた暑くなるとなんも疲れそうな日々、仕事で区役所に行った帰り、コミニュティバスを降りる時また雨模様。近くの蕎麦屋さんに入ることにした。

三越本店の向かいにある大きな看板が目印の『紅葉川』である。以前から知ってはいたが、蕎麦屋さんの中では高級な部類に入る。外にメニューがあり、もちろん、もり・かけはあるが、それ以外はほぼ1000円超えでたぬきやきつねなどというお手頃メニューはない。



今日は涼しいうちにと温かい天ぷらそば(花、1450円)にする。実は3種類あり、これが一番廉価なのである。

注文をすると上の天ぷらそばは天ぷら別盛らしく、(花)でも別盛もできますが、ときかれ、別盛にしてもらう。

紅葉川さんは鴨せいろ発祥の店らしく、このオーダーが多い。夜もコロナ禍がなければ鴨鍋なども出すらしいが、値段もかなり張る。メニューを見ているとすぐに天ぷらそば登場。

お盆の上にはかけ蕎麦、天ぷら盛、振りネギが乗ってきた。天ぷらは海老×2、かぼちゃ、ししとう、ナスと豪華版。

まずはネギを振り、七味を振ってかけ蕎麦で頂く。丼が大きく、その分、蕎麦もツユもたっぷりと入っているのが嬉しい。蕎麦もコシがあり、ツユも江戸風にしてはやや甘め、私好みである。

野菜の天ぷらを一つずつツユの中に入れて蕎麦と共に頂くが揚げたての天ぷらをツユに浸して少ししっとりさせたり、僅かにしか浸けずに食べたりと色々と変化を付ける的な贅沢も楽しむこともできる。勿論、かぼちゃの天ぷらのように、そのままカリッとした食感を楽しむのもいい。

お楽しみは海老、しかも2本。カラッと揚がっていて味が甘い。尻尾の先も三角に切ってあり、尻尾までカリカリ、当然頂いてしまった。この天ぷら蕎麦は少々値段は張るが、かなり美味い蕎麦であった。



コロナ禍の中でもお客さんは絶えない、さすがに大正6年創業の老舗。ご馳走さまでした。
紅葉川
中央区日本橋室町1ー2ー4
0332792003

東京の街をぷらっと①〜人形町1丁目

2021-08-26 05:00:00 | 日記
『東京の街をぶらっと』その1。このブログも始めて8年以上になり、まもなく3000回を迎える。このタイミングで原点の『街ブラ』を久しぶりにしてみようと思う。世の中は第4回目の緊急事態宣言の真っ只中、ロードマップも示さず緊急事態と騒がれても気が抜けている。但し、ブログを書くために新しい街を歩く気が持てない中、まずは近場の人形町1丁目からスタートした。



日本橋小学校が起点。古めかしい太田寿司の横の路地を歩く。ここは最も人形町で風情がある路地、よし梅はなれ、きく家、いわ瀬、高はし、川清など料亭が並ぶ。そのうちの一軒のよし梅はなれの前には『道祖神』の石像。鉢植えなどとともに雰囲気を醸し出している。

路地を抜け右に曲がると郵便局、そのお隣の歯科医院には何故か『フクロウのブロンズ像』。知恵のシンボルであるフクロウなのであろうか。

人形町には喫茶店が多い。向田邦子が愛した大正8年創業の喫茶去快生軒をはじめ、この周辺にいくつも看板を見ることができる。そのうちの1軒が喫茶レモン。

その看板は『ドクターペッパー』のビンが描かれている。いや、懐かしい。カレーライスは500円で食べることができる。



左に曲がると老舗料理店の数々、甘酒横丁の信号から喫茶去快生軒(創業1919年)、洋食の来福亭(同、1904年)、鳥料理の玉ひで(同.1760年)、洋食の小春軒(同、1912年)と東京でこれだけ老舗が並ぶところは中々ない。



老舗ではないが『谷崎』というレストラン、ここは谷崎潤一郎の生誕の地である。石のレリーフには『1886ー1965』と刻まれている。



次の交差点には『クジラ』の石像、以前は背中から潮を吹くように水が出ていたが、今は出ていない。この像がなぜ置かれているかを書いた『クジラと海と人形町』という説明書もある。人形町には芝居小屋が並び、そこで使う人形を作る人形師も多く住んでいた。文楽の人形を操る際に微妙な動きを出すクジラのヒゲが必要であり、その縁でここにクジラの像を設置した、という内容である。

像の向かいには魚の味噌漬・粕漬で有名な『魚久』本店があり、ランチを食べることもできる。右に曲がるとスタート地点の日本橋小学校に戻るのだが、日本橋小学校は明治初期に西郷隆盛の屋敷があった場所、それを示す説明板もある。

わずかな距離を歩くだけでこれだけのものを見ることができる町、それが人形町である。

マイヨール〜八丁堀ランチグルメ

2021-08-25 05:00:00 | グルメ
宝町駅と八丁堀駅の間あたりで仕事をして時計を見ると11時45分、これはランチの店を探さないととウロウロ。というのもコロナ禍の上にお盆で店がやっていないかである。



途中、がんぎという蕎麦屋を見つけるも完全立ち食いで諦め、亀島橋を渡っている際に川岸にあるスパゲティの店を発見。店の名前は『Mayol』、後で調べると映画『グランブルー』で有名なジャック・マイヨールから命名したとのこと。

店に入ってメニューがグランドで81、冬季限定が5、合計86もある。悩むことしばし、しかし他のお客様は入ってくるなり注文をしている。お店の人に『今日はあさりの入荷が無いのでアサリはできません』と言われる。周りはタラコなど和風が人気のため、私も『タラコとウニ』(1100円)にしてみる。また、100円増しの大盛りはとりあえずやめた。

待つことしばし、5、6分でよくソースと混ぜられたパスタ登場。海苔がかかっている。まずは一口、ソースがよく絡んだモチモチ、ねっとりしていて美味い。麺ももちろん美味いがソースが絶妙。途中、タバスコで味に変化をつけるも、やはりそのままの方がうまい気がする。

最後はソースをスプーンでこそげてパスタと共に。これは大変美味かった。量も私にはちょうどくらい。あさりやミート、カレーなど色々あるのでぜひまた来てみたい店である。

マイヨール
中央区八丁堀2ー30ー18
0335550982

桐生の『重伝建エリア』をめぐる①

2021-08-24 05:00:00 | 旅行
JR両毛線足利駅から3つ目の桐生駅で下車。山前駅、小俣駅は栃木県だが、桐生市からは群馬県。桐生市はかつては絹を中心とした織物や生糸の集散地として栄えた町で、未だに古い洋館や懐かしい商家、煉瓦造りの工場が点在している。
(西桐生駅)


(重伝建地区の地図)
桐生駅は1985年築の駅舎だが、両毛線は何しろ1時間に1〜2本しか来ないこともあり、広い駅ががらんとしている。駅前も妙に広いが止まっているタクシーも少なく、市街地を回るおりひめバスのバス停以外には人はいない。

上毛電気鉄道西桐生駅までは歩いて5分もかからない。西桐生駅まで歩き懐かしい駅舎を見た後、古くからの建物が立ち並ぶ本町通りを目指す。

(桐生市教育委員会)

(織物会館旧館)

その途中には桐生市教育委員会(元、水道事務所)や織物会館旧館といった国の登録有形文化財も立ち並ぶ。他に懐かしい雰囲気の蕎麦屋もある。



本町通りに出て左折、このあたりは現役の飲食関連の建物が多いが、明治35年に建てられた新道開設記念碑がまず目に飛び込む。

(桐生信用金庫)
 
(泉新)
新しいがレトロな桐生信用金庫の建物を越えると天保年間創業の鰻屋『泉新』が現れる。ただ、建物は1898年に大火があり、一旦は焼失したものの、立て直されたもので明治の建物であろう。

(旧矢野商店)

本町2丁目に入るところに『矢野商店』(有鄰館)という酒屋がある。店舗は大正5年、蔵は明治中期ももので看板のキリンビールは左から描かれているため、戦後の物と思われる。お隣の倉庫も煉瓦造りの立派な物、かつての栄光が感じられる。
(有鄰館)
因みにこの倉庫は桐生市に寄付されていて今はイベントスペースとして使われている。(以下、次回)

スポーツの切手②〜野球・ソフトボール編

2021-08-23 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その88。オリンピック閉会後早くも1週間、スポーツに関する日本切手についての第二弾、いずれも日本が金メダルに輝いた『野球』『ソフトボール』の切手について書いてみた。

まずは野球だが、初めて記念切手の意匠として用いられたのは1948年10月発行の第3回国体切手である。当時は4種類の切手が発行され、野球、陸上競技(ランナー)、走り高跳び、自転車が採用された。

1968年8月に高校野球50周年記念の2種類の切手が連刷で発売。15円切手で1枚は50周年を表す人文字、もう一枚は真紅の優勝旗と投手であった。

1978年10月には第33回国体切手として軟式野球のバッターとキャッチャーのデザインの切手が発行された。

さらに1979年8月には都市対抗野球50回記念切手が発行されたが、デザインは野球ボールの上にバッター、野球ボールには黒獅子が描かれている。黒獅子は都市対抗野球の優勝旗にもあるマークである。

ここまでは全てアマチュア野球の切手ばかりだったが、1984年11月には日本プロ野球50周年を記念した60円切手が3種類発行された。うち2種類は昔ながらのユニフォーム姿の投手と打者。実はこの切手は読売新聞が王貞治と正力松太郎の2人をデザインとし、巨人軍50周年で発行を目論んだもの。ただ、当時の郵政省はプロ野球全体でないとと難色を示し、沢村栄治を彷彿させる投手、景浦将(戦前の阪神の主力打者)を彷彿させる打者になり、もう1種類はプロ野球創設に貢献した正力松太郎の切手発行に落ち着いたもの。

2018年6月には第100回全国高等学校野球選手権記念大会の切手が82円×10枚の形で発行された。

一方、ソフトボールは1962年10月の第17回国体切手として射撃とともに発行されている。

最も新しいのは野球・ソフトボール共に今回の東京オリンピック2020記念切手は2021年6月23日に20種目のうちの2枚として発行されている。(フレーム切手は含めていません)

菊屋本店〜足利市ランチグルメ

2021-08-22 05:00:00 | グルメ
足利学校見学の後、昼時になったのでランチの店を探す。あまり店は多くないが、グルメサイトで鑁阿寺門前に蕎麦屋を発見、結果大回りして店にたどり着く。

店の名は『菊屋本店』、創業は明治3年と150年以上の歴史を持つ老舗である。店に入ると天井が高く、広々とした店内。まだ少し早いこともあって6人ほど入るボックス席を1人で占領する。

韃靼そばをはじめ、メニューは豊富でランチタイムにはお得なセットもある。その中で『名物ソースカツ丼+半そば』(1250円)をチョイスした。

すぐに揚げ物が油に入る音がする。メニューには天ぷらは揚げたてを提供しますので熱いうちに塩でお召し上がりください、と注意書きがあるほど。

7、8分で注文のセットは到着。まずはもりそばからいただく。目の前にそばの実を引く臼があるが、引き立てを打っただろう角のたつ蕎麦はコシもあり、風味もいい。

正直、完成度の高さに驚く。そばつゆも辛からず、甘からず、カツオの香りのする旨味たっぷりの味。



蕎麦を食べ終わる頃を見計らって蕎麦湯のサービス。続いてソースカツ丼に移る。丸い形のヒレカツが2枚、キャベツの千切りの上に乗っている。カツはもちろん揚げたて、甘めのタレはご飯がすすむ。
肉は柔らかく、簡単に噛み切ることができる。流石に蕎麦とセットは少し量が多かった。

しかし、両毛線の次の列車は13分後、慌ててお勘定をして店を出た。そう言えば以前、佐野ラーメンを食べた時も両毛線に乗り遅れそうになり、汗まみれで佐野駅まで死ぬ思いで走り、何とか間に合ったことを思い出した。もちろん、今回もちゃんと予定の電車には乗れたのだが、かなりくたびれた。
とにかく、蕎麦とソースカツ丼はご馳走さまでした。

菊屋本店
足利市家富町2317
0284412816