hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

富士見ヶ丘検車区見学

2014-03-31 06:45:41 | 日記

鉄道シリーズ その54。京王電鉄富士見ヶ丘検車区公開イベントが3月29日に開催された。このイベントは年に一回春の桜の頃に行なわれるが、京王電鉄のHPにも乗っておらず、今回も偶然、花見に旧NHKグラウンドに向かう途中で気付き見に行ったもの。

ちょうど井の頭線の特別ラッピング車のレインボー(12.10~限定期間だったが、好評で延長中)に親子連れなどを載せて構内を走り、車両の洗浄などを見せてくれるイベントが行なわれていた。


検車区の前の桜は5分咲きだったが、中のサクラはまだ蕾。それでも親子連れなどで賑わっている。ミニ汽車や模型の運転などには長い列。線路の切断や架線補修の車にのせてくれるコーナーもある。京王グッズの販売も行なわれており、こちらも人が多く集まっていた。

工場の中には車両の上の部分を持ち上げ、台車と離し、検査する行程なども見ることができ、小生は工場に入るのは3回目だが、楽しかった。


その後の花見も天候に恵まれ、ところどころ咲く花の下で弁当を食べ、ビールを飲み春を実感。いい気分。


でめ金~新宿グルメ

2014-03-30 08:48:12 | グルメ

銀行の同期入社のY君と新入行員だった頃に良く行った新宿南口の串揚げ『でめ金』(本当は金が3つ)に行く。この店はもう40年と周囲には数少ない老舗。他にはインドカレーの『ボンベイ』、南欧ビストロの『ル・クプシュー』、ステーキの『パンドラ』などは32年前からあるが、意外に居酒屋は少ない。

いつも通りお任せで揚げてもらう。まずは生ビールで乾杯、1串目は『紫蘇巻きエビ』、塩でさっぱり。次は『牛ロース』定番ながらやはりソースの味がいい。

さらに『カキ』、もうすぐRが付かなくなることを思い出し、半分は塩で残りはソースで、汁が美味い。次は『車エビ』、頭から食べるが、味噌が美味い。

ついで、『ジャガイモ』ベーコン巻きで塩加減が抜群、『椎茸』裏にエビのすり身が塗ってあり、マヨネーズとその上のパセリがよく合う。


さらに名物『豚巻きアスパラ』これだけ大きく柔らかいアスパラはどこで売っているのか。『手羽先』『フグ』と続く。この辺りであと食べた串の内容の記憶がなくなるが、ビール3杯、ハイボール1杯これだけで1時間と早食い。腹一杯になるのが早いのは経済的なのか、嘆くべきなのか。

最後に昔同様、パインを縦に8等分したものがデザート。この店の串揚げは衣が硬いと言う人もいるが、小生はその香ばしさが好きである。
でめ金
新宿区西新宿1ー15ー9
0333461508

富士山の切手

2014-03-29 00:13:58 | 日記

切手シリーズ、その16。今までに切手の図案になったものとして『前島密』『日の丸』『君が代』『皇族・総理大臣』『機関車』などを触れてきたが、やはり日本の象徴『富士山』を触れない訳にはいかない。

流石に日本の象徴だけあって普通切手では1922年発行の富士鹿切手が最初である。これは幾つかの例外(高額切手の神功皇后、海外郵便用の鳥切手など)を除くと模様以外が初めて使われた具象的な切手で、名前の通り、富士山と鹿、菊の紋章を配した図案で3種類(4、8、20銭)ずつ色を変えながら1937年迄15年間発行された。(1937年4月の4版のみ2種類)

さらに1922年発行の風景切手の2銭にも富士山が描かれている。

次に第1次昭和切手(1940年2月)『富士山と桜』の20銭、第2次昭和切手(1944年3月)『富士山と桜』の20銭、第3次昭和切手(1945~1946)に同じ図案の10、20銭が使われた。第1次新昭和切手(1946年)に『北斎の富士山』の1円がある。

一方、記念切手は先ほどの北斎の富士山の切手を使った小型シート(1947年11月)が最初。

ついで1959年7月の自然公園の日制定記念に『本栖湖からの富士山』が使われている。この切手は新しく導入された印刷機を使い、『ザンメル凹版』で初めて印刷されたなかなかいい仕上がりの切手である。(通常、凹版印刷は色の数だけ版がいるが、ザンメル凹版は多色を一つの版で印刷できる技法)

1965年3月には富士山レーダー設置記念の切手(10円)が、出されている。

そして1967年国際観光年の記念切手として発行された横山大観の『霊峰不二』(50円)も中々の傑作で小生はこれを上回る富士山の切手はなかなかないと考えている。

その後も例えば1986年の東京サミットの切手に安田靫彦の『黎明富士』、1991年の国際地震サミットの切手に葛飾北斎の『赤富士』が使われたりはしている。

いずれをとっても流石に日本の象徴で絵になる山である。
(第一次国立公園シリーズは前に扱ったので割愛した。)

嘉門 ~神保町グルメ

2014-03-28 06:27:02 | グルメ

飲み友達のT君お勧めの神保町にある『嘉門』で一杯。この店は専大前の交差点そばの信金の裏にひっそりある居酒屋でカウンターとテーブル一つのコンパクトな店構え。

中に入ると今日初の客らしく、ひっそり。カウンター端に陣取り、おまかせ料理を待つ。(料理はおきまり4500円のみ、ビール700円、酒600円)

最初は生ビールで乾杯、あては『ホタテ貝柱醤油漬け』、大きなホタテの生を醤油漬けにして山椒の実を添えたもの。何気ないつまみだが、山椒が効いて美味い。

次は『ミンク鯨の刺身』、生姜醤油で食べると懐かしく、美味い。この辺りで日本酒に。酒はお任せだが、最初は『屋守』(東京)。さっぱり味でいい感じ。


次に『子持ちワカサギ(琵琶湖産)の天麩羅』、揚げたてに抹茶塩で食べるが、癖がなく軽い。

次は『宮古島産ワラビの胡麻和え』、塩と砂糖、スリたての白胡麻が何とも言えない調和をしていて、ネットリとしたワラビとサラッとした和え衣のバランスが心地いい。知らないお客様は『きなこ』和えという人もいる位香ばしく、サラッとしている。

酒も二杯目『越後で候』(新潟県)、八海山の生原酒で19度あるが、意外に飲みやすい。次のアテは『アサリの酒蒸し』、食べても調味料が想像つかず、ご主人に聞くと『オイスターソースと唐辛子』との答え。なるほど、未体験な味。汁まで飲み干す旨さである。

酒は三杯目『新政六號黒ラベル』(秋田県)、これは当たり前に美味い。アテは『塩雲丹半熟玉子添え』、雲丹はあまり塩が強くなく、半熟玉子を崩し、一緒に供せられるパンと食べる。塩雲丹の塩加減が良く、兎に角、酒に合う。


酒は四杯目、『陸奥八仙』(青森県)。つまみは『鱈の白子ポン酢』、鱈の白子も今年の名残だが、外れない旨さ。

さらに追加サービスでマグロの黒胡麻和え。最初は魚が何かすら分からない一品。これも食べてみないと分からない味。

仙台で長く居酒屋をやっていたご主人の腕が炸裂、普通の素材をあれだけ上手く調理する腕に感服。最後はくたびれたとカウンターの向かいに座り、つまみの作り方などのおしゃべりするのも最高のつまみである。小生の貧弱なボキャブラではとてもあらわしきれない見事なあての連続に感服。次は連休明けに琉球竹の筍を鯛味噌で食べにおいでという話を聞き、次は5月と心に決めた。いや、久しぶりに楽しい酒場である。

嘉門
千代田区神田神保町3ー1ー19
0332883960

地下鉄有楽町線

2014-03-27 06:42:40 | 日記

鉄道シリーズ その53。今回は地下鉄有楽町線。1974年10月30日、この日のことは今もよく覚えている。当時、小生は文京区大塚2丁目に住んでおり、最寄の駅は地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅だったが、歩くと10分以上かかり、不便さを感じていた。


また、少し前までは都電や都バスの路線が近くを走っていたが、都電20系統(江戸川橋~須田町)は1971年に廃止、都バスも新橋~豊島園、常盤台教会~東京駅北口もこのあたりで廃止され、より不便になっていた。そこに今日の主役の地下鉄有楽町線が池袋~護国寺~銀座一丁目で開通したのである。


当時、高校生だったため、学校を終えて早速試乗し、池袋駅や市ヶ谷駅、江戸川橋駅などの記念切符を、買い集めに走った。家から改札口まで歩いて5分、これは画期的であり、初めて当時導入された7000系に乗って、神楽坂や麹町に行ったのもこの開通がきっかけであった。

地下鉄の新線の名前を公募していて、親父が外堀線と投票したことを後で聞いた。トップは麹町線であったが、有楽町線・有楽線の合計得票が多く、加えて『麹町』が字が難しく読みにくいという理由から有楽町線と決まるという余り冴えない結果だった。また、小生も有楽町の名前に使うのは冴えないなあと感じたものである。

有楽町線はその後1980年に銀座一丁目~新富町、1983年に営団成増~池袋、小竹向原~新桜台(西武有楽町線)開通、1985年に営団成増~和光市開通及び東武東上線との相互乗り入れ、1988年新富町~新木場開業により全線開通、1998年新桜台~練馬開通と西武池袋線との相互乗り入れ開始と当初から14年かけて今の形となった。(副都心線は後日)


当初は丸ノ内線のバイパスとして開業し、相互乗り入れ前はあまり混雑もしなかったが、今はラッシュ時は丸ノ内線以上に通勤の足として益々活躍している。

仏像・寺の切手~普通切手編

2014-03-26 06:43:08 | 日記

🔴切手シリーズ その15。日本の切手には皇族の関係からか、廃仏毀釈が色濃く文化に残ったのか、神社は古くから図案に使われてきたが、仏像・寺は意外に使われ始めたのはまだ新しい。今日は普通切手に描かれた仏像やお寺について調べて見た。

仏像を図案にした最初の切手は1939年7月発行の第一次昭和切手(普通切手)1円の鎌倉大仏である。因みに神社は同じシリーズで明治神宮(8銭)、日光東照宮(10銭)、春日大社(14銭)、厳島神社(30銭)と多く、寺は法隆寺(25銭)、金閣寺(50銭)だけである。

戦後は第一次動植物国宝切手(1951年~)で 石山寺多宝塔(80銭)、法隆寺観音菩薩壁画(10円)、平等院鳳凰堂(24円)、中宮寺弥勒菩薩像(50円)と増加した。さらに第二次動植物国宝切手(1952年~)では中尊寺金色堂(20円)、第三次動植物国宝切手で鎌倉円覚寺舎利殿(30円)。


新動植物国宝切手(1966年)では延暦寺根本中堂(60円)、東大寺大仏殿の灯篭に描かれている音声菩薩(200円)。

同(1967年)では平等院鳳凰堂の棟飾りの鳳凰(150円)、東大寺金剛力士像(500円)、同(1972年)では興福寺の仏頭(300円)、興福寺の天灯鬼(400円)、新薬師寺の十二神将のバサラ大将(500円)、同(1976年)では薬師寺の聖観音菩薩(350円)、同(1980年)では中尊寺一字金輪像(260円)、金剛峰寺の恵喜童子像(300円)、東大寺の広目天像(310円)とかなり増加した。

この中で小生がもっとも好きなのは新薬師寺のバサラ大将だが、グリーン一色というのはやや残念な気がした。

しかし、平成に入ると動植物が図案なることに変わり、その後一部前のデザインを変えたものが使われたケースはあるが、新デザインは全く使われておらず残念である。(記念切手は国宝シリーズをはじめ多数あるため、再度別の機会に扱いたい。)

地下鉄日比谷線

2014-03-24 14:24:38 | 日記

鉄道シリーズ その52。今日の話は地下鉄日比谷線。開業は1961年に南千住~仲御徒町3.7km、全身銀色の3000系が走った。その翌年には北千住~人形町まで、1963年には人形町~東銀座、1964年8月には北千住~中目黒の全線が開業した。

開業時には東急東横線日吉駅まで直通運転を開始した。さらに1966年には東武伊勢崎線北春日部駅まで直通運転を開始し、ほぼ今の運行状況になった。

この線が相互乗り入れを始めた頃は東武伊勢崎線は浅草駅までは来ていたものの、浅草駅の乗り換えが不便だったため、沿線開発がなかなか進まなかった。しかし、日比谷線開業以降は地価がもともと安かったこともあり、一気に沿線開発が進み、従来の6両では足りなくなり、8両にしたというエピソードもある。

この路線は相互乗り入れする東横線も東武伊勢崎線も全て各駅停車の運行となっており、不思議に思っていた。これは元来日比谷線の混雑解消のため、半蔵門線を開業したが、なかなか効果が現れなかった。このため、半蔵門線の運行本数を増やすと共に、半蔵門線では東武伊勢崎線の優等列車を乗り入れする策を取り、効果を出した結果とのことである。

日比谷線は今の仕事場の人形町から各所に行く時によく使うが、便利な反面、地上出口が兎に角わかりにくい。人形町駅だけをとって見ても、人形町交差点側に降りないと都営浅草線には乗り換えられないし、エレベーターだけで階段がない出口もある。なかなかやり直しが効かないのが地下鉄だが、古い駅の構造には問題も多い気がする。


春の花

2014-03-24 06:41:06 | 日記

花というとすぐ梅と桜を思い浮かべるが、3月も20日を過ぎると色々な花が見られるようになる。家の周辺に多いのが、ハクモクレン。白い蕾も大きくなり、あの良い香りを薫らせながら、咲くのは時間の問題。

ここ数日で急に咲き始めたのが、ハナカイドウ。中国原産で漢字では『花海棠』と書く。色は濃い桃色で花は下向きに咲く。


他にはユキヤナギ、これは文字の通り雪が積もるような花が咲くことに名が起因している。アスパラガスも新芽が出て、黄緑色の葉が出て来て美しい。一方、なかなか咲かなかったツバキもようやく赤い花を付けている。


来週には桜、それから10日でハナミズキ、いよいよ春本番である。

上野散歩

2014-03-23 00:16:02 | 日記

陽気もよくなって来たので外出する。行き先は上野、まずは西郷隆盛像を目指す。上野について昼飯を食べた後、京成上野駅方向に向かうとすぐ右手に西郷隆盛像が見えるはずだったが、今は聚楽の大きな建物の裏になっている。階段を登るともう花見用の提灯がぶら下がり、すっかり花見モード。西郷隆盛像は青空のなかで犬のツンを連れてどっかり立っている。

すぐ裏には彰義隊の墓もある。明治になった頃、この辺りが戦場になったことを彷彿させる。

すぐ横には清水観音堂。これは秀忠の命を受けて天海が寛永寺を創設した際に、京都の建物を模して作らせた。確かにしたから見ると小さいながら舞台になっている。歌川広重の江戸名所百景にある月の松が再現されていて人気がある。


そこから動物園に向かうとこの辺りが花見の会場の中心。本物のソメイヨシノはまだだが、ダイヒカンザクラが綺麗に花を付け一足早く花見の気分を盛り上げ、鳥たちが蜜を吸っている。


さらに行くと上野大仏、江戸時代に作られた6mの大仏だったが、地震や火事で4回倒壊、最後は関東大震災であたまがおち、その後戦争の金属供出で顔面以外は無くなり、1972年に残った顔面部をレリーフとして安置したもの。受験生には『もうこれ以上落ちない』として人気がある。他に薬師如来三尊もある。


そして、芸大美術館に到着。『観音の里の祈りとくらし展』に行くが、意外に若い人が多い。

小生も昨年4月に石道寺や己高閣など長浜市の仏様を見に行ったことを思い出し、足を運ぶ。今回は18像が展示され、特に日吉神社の千手観音や菅山寺の十一面観音など有名な像も出ている。


館内で流されているビデオにも触れられていたが、生活の一部を観音様と共有し、暮らしに根ざした心の拠り所になる、ある意味奈良や京都の近寄りがたい仏様と違う身近な仏様を感じることができた。
晴れた日の上野散歩、桜もいいけど美術館もいいもの。これから開かれる法隆寺展も楽しみである。


スンガリー新宿西口店~新宿グルメ

2014-03-22 08:03:52 | グルメ

新宿に加藤登紀子の両親が経営していたロシア料理店があることは以前から知っていたが、かなり美味しいとの評判を聞いて何回か予約をトライした。しかし、なかなか予約が取れず、諦めかけていたが、今日西口店に電話するとカウンターならばと言うことで行って見た。

店は古ぼけたと言うと怒られそうだが、歴史のあるスバルビルの地下1階にある。店の名前は『スンガリー』新宿西口店、店のなかはカウンターに3席、他にテーブルが6つ、計30人程度の小さなこぎれいなお店。中は家族連れで6時には満員、4時からやっているとのこと。ちなみにスンガリーは川の名前らしい。

ロシア料理は久々だが、あまりコースは好きでないため、アラカルトでお願いする。まずはレーベンブロイで乾杯。最初にハム、塩漬けタンなど『冷菜盛り合わせ』と『ピロシキ』。冷菜盛り合わせはふんだんに乗っていて、タンとサラミが美味い。ピロシキは小ぶりだが、中身が多く、揚げてあるが、東口店では『焼き』もあるとのこと。

次に『ボルシチ』これはあっさりしているが、味は複雑、角切りの肉と野菜がいい味をだしている。

次いで『エビの串焼き』バターとニンニクなどの香辛料でカリッと焼いてあり、単純だが、中々。『ツボ入りクリームシチュー(グリビー・ヴ・スミターニェ)』小さいがマッシュルームとホワイトアスパラの味がクリームにあい、濃厚なスープと言うよりクリームソースの感じ。ただ、小さいと甘くみると腹にたまるからご注意。

ここでグルジアワインの赤をデキャンターでお願いする。店の人が旨味がつよいが、さほど濃厚でなく、飲みやすいと言っていたが、そのとおり。
『シシャリーク』羊の串焼きだが、脂が全くない割りにしっとり、トンカツソース風のソースとロシア独特の緑の辛いもの(名前は忘れた)を付けて食べる。ここで『やっぱりウォッカだね‼︎』とルースキースタンダードを飲むが、シベリアの軟水を使い柔らかく飲みやすい。小生はいつも思うが、ウォッカは無味無臭ではなく、旨みも味もある。特に冷凍庫に入れるとうまくなる。


最後に加藤登紀子も好きな『ロシア風水餃子』を注文。ひき肉ともちっとした皮の相性がよく、レモンとバターのソースがいい。最後に店特製のコーヒーが漬けてあるウォッカをトロッといただき、ご馳走様。うまかった。

スンガリー新宿西口店
0333435047