hokutoのきまぐれ散歩

ブログも11年目、遂に3900日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『大正、昭和の建築物を訪ねて』築地編②

2020-05-30 05:00:00 | 日記


『大正・昭和の建築物を訪ねて』その6。築地6・7丁目②、前回の長屋の先を左に曲がるとまたまた看板建築がある。

その隣は『築地食品販売』というお店で創業は安政3年(1856年)だから160年以上前。銅板、木造、モルタルと3棟が並んでいる。

少し歩くと途中で築地7丁目となるが、公園の手前の角地に銅板貼りの『湯浅屋』という海産物を商う店。この建物は戸袋がないため、一層緑青の鮮やかな色が目に飛び込んでくる。



お隣の看板建築の家も銅板貼りだったが今は建て直して普通の住宅になっている。



角を曲がると次の路地に『大宗旅館』という2階建の昔ながらの旅館が現れた。こちらも昭和4年頃の建物で現在も宿泊することができる。武家屋敷風の建物の前には植栽があり、こんな旅館が築地にあるとはと驚かされる。ネット情報は色々あるがかなりマスコミ露出はしていたらしく、タモリ倶楽部や旅猿などにも取り上げられている。隣がアパホテルというのも面白い。



この付近をぶらつくと再び銅板貼りの『中央食品』という建物が出てきた。水産物関係のお店らしいが、現在は正面のみが銅板貼りで横から見ると普通の家屋のように見える。

他にも元々はおでん屋さんを営業していた銅板貼りの家屋、家紋が入るなど豪華な造り。



しかし、エアコンもつけられ、雨戸入れにライトが設置されるなどかなり改造されていたが、さらに取り外され、放置状態。この建物は残念ながら取り壊されてしまうかもしれない。

このお隣が『渡辺商店』、年季の入った二階建ての木造家屋である。鶏卵や鶏肉などを扱う店で業務用の出汁巻の小売もやっているらしい。

路地を挟んでこちらは居住用であるが、渡辺商店とそっくりな木造家屋がもう一軒。震災復興住宅として同じ規格の家が並んで建てられていたようでこの通り沿いはタイムスリップしたかのようである。(以下、次回)



米どころ 穂(みのり)〜人形町ランチグルメ

2020-05-29 05:00:00 | グルメ


4月事務所のそばにおにぎり屋さんがオープン。しかし、コロナの緊急事態宣言が直後に発出され、テイクアウトのみの営業であった。店は神戸に本社がある米穀問屋神明の入るビルの1階、関係は知らないが多分関係があるのだろう。

ようやく収束に向かう中、先週くらいから店内で定食が食べれるようになったため、早速訪問。定食は1種類、その日のおにぎりとお好みのおにぎりの計2つ、味噌汁、おかずが2品。

今日のおかずは①インゲンと鶏肉の炒め物、きんぴら、切り干し大根、②カジキマグロのステーキカツ、鶏の天ぷらで①②から1つずつチョイス。私はおかかにぎり、カジキマグロ、インゲンを選ぶ。

番号札を持ち、席についてお茶を飲みながら待つ。すると係りの人が持ってきてくれるシステム。これで700円はお値打ち価格。

まずは金ゴマおにぎりから食べるが中々の大きさ、炊き立てのご飯にたっぷりのゴマ、香ばしく素材そのものが大変美味い。さらに気に入ったのはワカメと油揚の白味噌仕立ての味噌汁、じんわり甘めの味噌がいい。

おかずもピリ辛のインゲンと鶏肉の炒め物、マヨネーズを添えたカジキマグロのフライも鶏肉を思わせるボリューム。



次におかかにぎりをほうばるが、こちらはやや甘めの味付けのおかかと海苔が鼻をくすぐる。大きめのおにぎりは私には2つでちょうどいい。さらにほうじ茶まで旨く、堪能できました。店の人も感じがよく、オススメです。ご馳走さまでした。

米どころ 穂(みのり)
中央区日本橋小網町16ー14
0368922702


『大正、昭和の建築物を訪ねて』築地編①

2020-05-28 05:00:00 | 日記


『大正・昭和の建築物を訪ねて』その5。今回は歴史的建物の多い築地6丁目・7丁目を歩いてみた。東京メトロ築地駅をあがると見えてくるのが築地本願寺である。



浄土真宗本願寺派の別院として1617年に創建されたが、関東大震災で焼失、現在の建物は昭和9年に再興されたもの。古代インド・アジア仏教様式を取り入れたエキゾチックな建物である。北翼と南翼にはインド式ストーバ風の塔屋があり、北は鐘楼、南は鼓楼となっている。

そのまままっすぐ行き晴海通りとの交差点角にあるのが『金子さん』というお宅。数寄屋造で庭木も配され、昔ながらの景観を保っている。



晴海通りを左に曲がり、かつて築地川にかかっていた門跡橋の親柱を見ながら、次の道を左に曲がる。



さらに次の道を右に曲がると見事に緑青色になった看板造りの家屋『ササヤ』が現れた。角地に立地し、現在も家屋・店(鮮魚店)として使われている。中央区HPによると昭和3年の建物らしい。

道の反対側には通りに面して数寄屋造の古い家屋、樋にも銅板が貼られている。手前の木造建築物は『乾電気』。



さらに3軒の木造の長屋が続くがこれは昭和7年までに帝都復興に伴い建築された建物群である。保存状態も極めていい。



その並びには銅板で表を貼った3階建の長屋が現存している。銅板を貼っているのは3軒だが、その先もずっーとモルタル造りの長屋が続く風景は壮観である。(以下、次回)



喜多村〜日本橋ランチグルメ

2020-05-27 05:00:00 | グルメ


緊急事態宣言のおかげでやっていない店がまだまだ結構ある。ランチに少し歩いて店を探すがようやく探し当てても残念ながら4月より休業などよくある。今日も雨の中、傘をさして歩いたがやっぱりやっていなかった。やむなく周囲を探すが、今度は大混雑。

こんなところにいたら本末転倒と思い、裏路地にいくとひっそりやっていたとんかつ店を発見。やや我慢していたとんかつだが、そんなことも言っていられず入店。店の名前は『喜多村』、おばあさん1人が切り盛りしている。 

メニューは色々あるが、やっぱり『ランチロースカツ定食』(1050円税込)を選択。
私のすぐ後に3人組がきたが、彼らも同じ選択、まあやっぱりね。店は昭和レトロ、感染対策でアルコール消毒などしているが、多数来店したら無理かも。

おばあさんはテキパキと冷蔵庫から肉を出し、油の入った鍋に入れ、刻んだキャベツを皿に盛る。揚がった肉を包丁で切り、ご飯をよそい、配膳。次に味噌汁、沢庵も同じように出してくれる。

揚げたてのとんかつを食べようとするとドレッシングと聞かれて、ゴマドレを貰う。最初にキャベツを一口、さらにたっぷりとソースと辛子を付けてカツを食べる。やはり王道ランチ、美味いね。厚い肉ではないが、私にはちょうどいい。筋を叩いて柔らかく、下味の胡椒が効いている。

私はロースカツを食べる時にはやはり右から2切れ目からと決めていて、だんだん真ん中、最後にはじの脂の多いところを頂くことにしている。この手順だと満足度が高くなるからである。

キャベツもたくさんあり、ご飯はかなり多いため、一口残したが後は完食。路地裏に名店あり、ご馳走様でした。

喜多村
中央区日本橋蛎殻町1ー28ー7
0336664782


『大正・昭和の建築物を訪ねて』日本橋兜町編

2020-05-26 05:00:00 | 日記


『大正・昭和の建築物を訪ねて』その4。今回はさらにお隣の兜町を歩いてみた。コロナウィルスの関係で近間ばかり歩いているが、証券会社の町である兜町にもまだ古い建物は残されている。


証券取引所そのものは1988年に建て替えられたものでそれ以前の旧取引所ビル(市場館1927年、本館1931年)は現存しない。




ただ、取引所ビルと日本橋川に挟まれた日証館は1928年築のオフィスビルで半円アーチの重厚な建物である。ここにはもともと渋沢栄一の住居があったが、関東大震災で焼失、その後に建てられた。




中小証券や業界紙などがかつてのテナントであったが、現在は証券会社は皆無で日本橋公証人役場、平和不動産のほか弁護士・会計士事務所、健康保険組合などが多い。




証券取引所に沿って歩いていき、右に曲がると石造の建物が2軒、手前が山ニ証券。会社自体は明治創業だが、この建物は昭和11年。スパニッシュ風のオフィス建築で1階は石張り、2階以上はタイル張り、円窓や飾りのあるアーチ窓などがある。


こじんまりしているが、綺麗な建物である。因みに日証館同様、建築は清水組(清水建設の前身)である。




その奥がフィリップ証券。元は成瀬証券の本店だったが、2011年にフィリップフィナンシャルと合併している。昭和10年築の白い石造りの建物は装飾は簡素で金融機関らしいがっしりとした質実剛健と言ってもいい建物。建築家は京都中央信金丸太町支店(元第一銀行)と同じ西村好時である。
実は現在では兜町に残る証券会社の本店は紹介した山ニ、フィリップのほかは三田証券、山和証券、共和証券の5社しかない。


最後にかつて証券マンが愛用し、特に相場の上昇を願って通った創業70年の鰻屋『松よし』だが、2018年末にひっそりとのれんを下ろした。その建物も半分だけ残されているが、かつて栄えた飲食店も減ってしまっていた。


お家で吉祥寺グルメ

2020-05-25 05:00:00 | グルメ


緊急事態宣言の解除も間近に感じられるようにはなったが、なかなか外で夕食も取りにくいと思い切って吉祥寺の馴染みのお店からテイクアウトをしてスペシャルディナーを楽しむことにした。

まずは前菜から。これは中通りにあるハーベストのオードブル盛り合わせ(2人前、2800円)にしてみた。10種の中身は真ん中が『にんじんとじゃこの山椒サラダ』、いわゆるラぺである。あとは写真の上から左回りに『かぼちゃのマリネ』『タコと水なすのマリネ』『茹で羊タンとサルサヴェルデ』『生ハムのカプレーゼ』『そら豆のオムレツ』『オリーブの肉詰めフライ』『ローストビーフの茗荷ピクルス』『サバとじゃが芋のサラダ』『バイ貝と里芋のバーニャカウダ』となる。

いずれもよく工夫されたり、普通この使い方は考えもつかなかったりする調理法である。

私の好みはオリーブの肉詰めフライ、オリーブの風味と肉肉しい味付けがワインを誘う。さらにバイ貝と里芋のバーニャカウダサラダ、里芋がこんなにバーニャカウダソースと合うとは、新たな発見が嬉しい。

次に東急裏の名店、ピッコロモンドの『牛肉のシチューとマッシュポテトのオーブン焼き』(1000円)。オードブルは魚介中心だったため、ボリュームのあるメニューを選択。

煮込み料理を得意とするシェフが作ったシチューの旨さとマッシュポテト、さらにパン粉を乗せて焼いたカリッとする食感がうまく融合されていて大満足。

締めはパスタ。これはハーベスト一押しの『レモンと魚醤とカラスミのパスタ』。100gのパスタを茹で、ソースに絡めて、最後にカラスミパウダーを振って完成。

私はさらに追いレモンを絞ったが、爽やかな味付けはお店で食べるのと遜色なし。これに白ワイン1本。

デザートはかつて吉祥寺では名を馳せた洋食屋シャポールージュのオレンジババロアが特別に復活したと聞いて『maru』で購入。1つ300円だが、爽やかな酸っぱさのあるオレンジソースと甘いババロアのコントラスト。

贅沢を言うとオレンジソースがもう少し欲しかったけど、懐かしさ一杯。吉祥寺の実力をおもいしらされたディナーとなった。


アベノマスクを考える

2020-05-24 05:00:00 | 日記


いわゆる『アベノマスク』が我が家にも配達された。中身についてはかなり報道されているからあまり触れないが、小学校の頃に給食当番が使っていたような布製のマスクが2枚。



安倍政権は最近この話題にあまり触れないようにしていたみたいだが、20日に菅官房長官が『18日の時点で13都道府県において1450万枚の配布が完了した。』と発言した。その際に『最近マスクが東京などに届き始めてから店頭の品薄状況も徐々に改善され、価格も反転したので非常に効果があった』という世間知らずというか、実態を知らないというか、びっくりする発言があった。

『アベノマスク』が配られたからマスクの価格が下がった訳ではないし、第一あのマスクをして街を歩く人を見たことがない。

それはさておき、以前から疑問に思っていたのがマスクの配布方法。今回届けられたマスクをよくみると『後納郵便、タウンプラス』とある。これを調べてみると郵便局の配送方法の一つで『指定した地域の配送可能な箇所に荷物を届けるシステム。新規顧客獲得やエリアを絞ったアプローチに有効』とある。特徴は宛名の記載がいらないことで第1種郵便物ならば定型で1通から84円で配送できるのである。この価格はたとえ1000通でも10万通でも変わらない。確かに全国規模でやるのならば日本郵便を使うしかないのだろうが、他のポスティングなどと比較すると高コストのような気もする。

さらに、このシステムは宛名がないため、何軒か家を持つ家庭は家の数というか、ポストの数だけ送られてしまうし、さらにらオフィスにもちゃんと届けられてしまうのだ。たぶん、総理官邸や厚生労働省にも着いている筈なのだが。家族が多くて、足りないところがある一方で住んでいる人がいないところにも全て2枚ずつというのもいかにも芸がない。

さらに配り始めて2か月近くなってまだ1450万枚は総枚数の1億3千万からすると1割。何だかなあと言いたくなります。

シランが咲く庭

2020-05-23 05:00:00 | 日記


シランの花が庭を華やかにしてくれる季節になってきた。シランは漢字で書くと『紫蘭』となる通り、紫色をした花が一般的で地下球(偽球茎)が張り巡らされ、そこから毎年ササのような葉茎を伸ばす。花が咲くのが5〜6月で他の蘭とは異なり、比較的簡単に栽培することができる。



我が家も紫色のシランは地植えしており、いつのまにか葉茎を出して少しずつ増えていく。それほど日当たりが良くなくてもちゃんと花を付けてくれるのである。

また、白い花をつけるシランは植木鉢に植えてあり、こちらも毎年葉茎を出す。不思議なことになぜか植木鉢の淵に沿って葉茎を出し、真ん中には生えてこないのである。



また、通勤路から見える家の庭にも一列に紫色の花が咲き誇る。我が家の庭のシランは中々これだけの花は付かない。



我が庭にはシランが終わるとクレマチスやムラサキツユクサ、さらに紫陽花、桔梗と私の好きな紫色の花が次々と咲く季節がやって来る。




浹(あまね)〜人形町ランチグルメ

2020-05-22 05:00:00 | グルメ


5月中旬になり、30°C近い日もあるかと思うと肌寒い日もある。今日は朝から雨模様のため、気温も低い。中々温かい蕎麦も食べなくなくなるなあと思い、事務所の近くにある京都鴨そば専門店の『浹(あまね)』にお邪魔した。

この店も例外なくテイクアウトにも力を入れているが、やはり蕎麦メインということもあり、来店客中心。ただ、ここの蕎麦は定評があることから、お客様の入りも悪くない。冷やしもあるが、鴨そば(1100円)にかやくご飯一口(200円)を付ける。



カウンターは一つ飛ばしになっていて、消毒薬も黒七味や山椒と並んで置いてある。5分程度で鴨そばは運ばれてくる。山椒を多目に振り、蕎麦つゆから一口。

滋味溢れる鴨の出汁がよく効いていて山椒の香りも加わり、美味いと叫びたくなる。蕎麦は石臼引きでかけ蕎麦にしてもコシがあり、賀茂ネギと共に啜る。やはりレベルが高い。



一口のかやくご飯もしっかりとした味付けで添えられた柴漬けもいい。ゆっくりと時間をかけて鴨の脂の旨さを味わう。梅雨に入ると汗を掻きそうだが、まだギリギリ大丈夫。



その後も来店客は多く、ご繁盛であった。ご馳走さまでした。


中央区日本橋小舟町4ー10
0362062853





『大正・昭和の建築物を訪ねて』小網町編

2020-05-21 05:00:00 | 日記


『大正・昭和の建築物を訪ねて』その3。今回は人形町のお隣、日本橋小網町周辺で探してみた。日本橋小網町は日本橋七福神の一つである小網神社を中心とした人口1319人のこじんまりした町。




日本橋川に近いこともあり、江戸時代は白魚を献上する特権を得た漁師が住んでおり、彼らが網を干したことから名前がついた。その後は関東大震災で破壊されるまでは白壁の倉庫立ち並んでいた。

その一方でバーを兼ねた西洋料理店できるメイソン鴻乃巣の創業の地であり、木下杢太郎をはじめ、志賀直哉、芥川龍之介などの若い文化人が集う場所でもあった。そのほど近くにあるのが『桃乳舎』で創業は明治22年、当初は牛乳販売店であった。


その後ミルクホールの先駆けとなり、今の建物は昭和8年に作られたもの。現在も洋食ランチ食堂として営業中。建物に飾りとしてつけられている『桃』が可愛らしい。現在は1階のみを使っているが、昼時はサラリーマンに人気で混み合っている。(現在は休業中)

その近くにあるのが看板建築ねの三軒長屋なのだが、これが少し 変わっている。というのは一番右の建物のみが銅板が貼ってあり、残り2軒はモルタル造り。

左側の店は先日までは焼き鳥屋、真ん中はラーメン屋だったが、ラーメン屋は移転、焼き鳥屋も閉店しており、また右側の銅板貼りの1軒は住居として利用されている。店が2軒ともやっておらず、存続が気になるところ。



さらに少し歩くと『喜代川』という老舗鰻屋が出てくる。私は中々敷居が高くて入ったことはない。昭和2年に造られた数寄屋造りの店舗は登録有形文化財にも指定されていて風情がある。創業はさらに古く明治7年、一度一番安いうな丼でも食べに行ってみることにしたい。