hokutoのきまぐれ散歩

ブログも11年目、遂に3900日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『うつけ』と『たわけ』と『あほ』について考える

2024-02-29 05:00:00 | 日記
『改めて日本語を考える』その47。先日、うなぎを食べに行ったのだが、そのお店の名前が『躻(うつけ) 』というお店。まずはこの漢字を見たのも初めてであるし、読み方もわからなかった。

一方で以前に『オタンチンパレオロガス』を取り上げたブログの評判が良かったのでこれに加えるべく罵倒語の続編を調べて見た。まずは『躻(うつけ) 』、国語辞典で調べてみると元の意味は『空っぽ』という意味でこれから転じて『ぼんやりした、または暗愚な人』を指すようである。

よくうつけと言えば織田信長を思い出すが、彼は決してぼんやりした人ではなく、奇矯な振る舞いをする(身分に相応しい格好をしない、父親の葬儀の際あり得ない振る舞いをする)ような意味で使われている。

これに似た言葉に『戯け(たわけ)』がある。辞書には1.ふざけた、馬鹿げた行動をする、2.愚か者、馬鹿者、また人を罵る言葉などとある。由来を調べると『田分け』から来ているというのが有望な説。

子供の人数で田畑を分けると孫の代、ひ孫の代には1人あたりの田畑の広さが狭くなり、家が衰退する、つまり馬鹿げたことのようである。また、この躻も戯けも中部地方(愛知県、岐阜県)の方言に由来するらしい。

これが関西に行くとやたらよく聞くのが『阿呆(あほ)』、国語辞典では愚かであることを指摘する罵倒語とある。さらに行動の愚かさだけでなく、学のなさなども指す。

由来は中国江南地方(現、江蘇省から浙江省あたり)の方言である『阿呆(アータイ)』が日明貿易で京都に伝わったとされる。『呆』はぼんやり、『阿』は親しみを込めた『〜ちゃん』という接頭語、つまり『おばかさん』というやや軽めの意味がある。

関西で言うアホと関東で言うバカではかなりニュアンスが異なる。吉本の芸人で『あほの坂田』と自ら称し、人気のあった坂田利夫さんも『ばかの坂田』では意味が変わってしまう。大阪で『おまえ、アホやなあ』と言われて真に受けて怒るものはいない。『あほんだら』は阿呆太郎が由来という説もあるが、シチュエーションによってまるでちがう表現となる。

さらに『阿呆』がつく言葉も多い。『阿呆らしい』『阿呆づら』『アホウドリ』『阿呆くさい』『アホ毛』『阿呆タレ』『阿呆口』など。何も親しみのある表現である。

歩兵〜日本橋ランチグルメ

2024-02-28 05:00:00 | グルメ
関西風の小さな餃子、大阪では点天、京都ではどんぐりなどが有名だが、東京日本橋でも食べることができる店を発見、早速足を運ぶことにした。

都営浅草線東日本橋駅から歩いて1分のところに古い一戸建てを改装した『歩兵』というお店がある。このお店の発祥は京都祇園、わずか6席の小さなお店が2011年に誕生した。

店に入るとカウンターとテラス席、テラス席といってももちろん天井もあり、雨に降られることはない。



私はカウンターに座り、メニューを見るとやはり餃子がメイン。餃子は2種類あり、ニンニクニラ入りと生姜メインの味付けで私はニンニクニラにする。ほかに鳥の唐揚げ、鳥の甘酢かけ、麻婆豆腐などのセットが980円、餃子のみの定食は餃子8個で780円、16個で1130円、24個で1480円となっている。初めてなので唐揚げとのセットを注文した。



目の前で調理人が鉄板に油を挽き、餃子を並べる。少し経つと水溶き小麦粉を垂らし、ちゃんとハネを作っていく。

待つこと10分、唐揚げ+餃子の定食が到着した。トレイの上には餃子、唐揚げの他にモヤシ入りのスープ、マカロニサラダ、胡瓜の漬物も付いてきた。最初にスープを一口、中華風でスパイシー。



マカロニサラダは底にレタスが敷き詰められ、冷たくたっぷりのマヨネーズで和えられていて箸休めにいい。

ニンニク・ニラ入り餃子は酢醤油がおすすめと言われ、さらにラー油も加えた。まずはそのまま頂くが、ニンニク・ニラの風味は強いが甘味があり、薄い皮とハネがパリッとしていて旨い。さらに酢醤油を付けると極めてあっさり。これなら20個程度なら軽くいけそうである。残念だったのはラー油、胡麻油の香りも辛味も殆ど感じられないつまらない油だった。

特製と書かれた唐揚げ、頂くと単に味の薄いあまり工夫もない唐揚げ。もちろん揚げたてのため、そこそこ旨いが、メリハリのない味付けはやむなく酢醤油を付けて頂く。まあ、これなら旨いけど。



確かに京都では長蛇の列ができる餃子はかなりレベルが高い、しかし、周りを固めるおかずたちが不味くはないが、面白くなかったのが残念。






一方で頂かなかった生姜味の餃子、単体でも味噌ダレを付けても食べて見たかった。次回は餃子ダブル(16個)がいいかも知れない。ご馳走さまでした。

歩兵 東日本橋店
中央区東日本橋2ー1ー8
05055903389

秋葉総本殿 可睡斎のお雛様

2024-02-27 12:35:00 | 日記
昨年、静岡県にドライブに行った際にお邪魔したお寺で飾られていたお雛様。なにしろ32段1200体のお雛様がほぼ天井まで飾られていた。こんな壮観は見たことがありません。どうやって飾ったのだろうと感心してしまいました。






ハート型に飾られていたお雛様も素敵でした。もしお時間があれば行かれるといいですよ。


関東三十六ヶ所霊場巡り①〜第20番深川不動堂

2024-02-27 05:00:00 | 霊場巡り
関東三十六不動霊場巡り①。霊場巡りというと皆思い出すのは四国霊場八十八ヶ所巡り、私はまだ巡ってはいないが、これは退職後の楽しみに取っておいてある。しかし、大阪に赴任していた時にお取引先の方に『こちらにいるうちに西国三十三所霊場巡りはせんとあかんわ』と言われて始めたのが1998年、西国三十三ヶ所巡りは大阪にいるうちに結願。

さらに2002年に東京に戻り、坂東三十三所霊場巡り、秩父三十四所霊場巡りを始め、2004年に遂に日本百観音を結願。それから気がつけば20年が経過していた。

20年の早さに驚くとともに、区切りよくそれではと思い立ち、今回『関東三十六不動霊場』を巡ることにした。不動明王は大日如来の化身とも言われ、人を煩悩より救い出すとも言われている。



まず最初にと選んだのは深川不動尊、正式には成田山東京別院深川不動堂、第20番となっている。



地下鉄東京メトロ門前仲町駅を降りて出口を出ると目の前に入り口の赤い門がある。ここから参道に入ると土産物屋や漬物屋、酒屋など渋い店が並ぶ。



参道の中に永代寺が右手に現れる。このお寺は江戸時代には富岡八幡宮の別当寺として栄えた名刹であった。しかし、明治に入り、廃仏毀釈により廃寺となり、その跡に深川不動堂や深川公園がつくられた。
1896年に旧永代寺塔頭の吉祥院が永代寺の名を引き継いだものである。(ちなみに門前仲町の門前とは永代寺のことである。)
深川不動との関わりは以下の通りである。江戸時代初期に歌舞伎役者市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったことから成田山の不動明王を拝観したいという江戸の人の要望が強くなった。これを受け1703年に永代寺で第一回の出開帳が開かれ、大層な人が集まったのである。その後も江戸時代には12回行われたのだが、廃仏毀釈後永代寺は廃寺になるも不動明王の人気は高く、1878年に成田不動の分霊を祀り、深川不動堂が設けられた。



つまり、成田山の東京出張所のようなものだが、本堂は関東大震災、東京大空襲で2度焼失しており、今の本堂は千葉県印西市の龍腹寺の堂を移築したもの。旧本堂には大きな『お願い不動明王像』が安置されている。



旧本堂でお参りをしてお堂の中に入ると内仏殿1階に『阿の橋』がある。これは梵字の始まりで全てのことの始まりを意味する石橋で真ん中に阿の梵字がライトアップされている。

これを渡ると十二支に合わせた観音様が並び、自分の干支の阿弥陀仏に手を合わせた。新たに作られた壮大な護摩を焚く本堂はまるで舞台のようで圧巻であった。



旧本堂を出ると左側に梵字がたくさん描かれた本堂の外壁を見ることができる。その横に総合案内所も完備されている。



さらに護摩木授与所の隣に御朱印を頂けるところがある。ここで新たに始める関東三十六霊場巡り専用の朱印帳とそれにはるお不動様と童子の御影を求める。



話を聞くと36ヶ所の詳細が書かれたガイドブックもある言われ、もちろん購入した。朱印帳はバインダー式になっていて御朱印の裏に御影を貼っていく方式であった。



最後に手水舎の前を通ると花がたくさん浮いていて花手水(はなちょうず)となっており、これを見て深川不動堂のお参りが完了した。古いお札を納めるところにもお不動様がいらっしゃり、幾体の不動明王像があるのだろうと思う。



これから三十六ヶ所を巡るのだが満願はいつになるのだろうか。それまで健康で行きたいものである。

躻(うつけ) 〜東日本橋ランチグルメ

2024-02-26 05:00:00 | グルメ
今日のランチは少し遠征してみた。と言っても駅で言うと一駅、お隣の東日本橋駅近くまで歩いて行ったのである。この辺りは『横山町』『馬喰町』にも近く、繊維問屋が多く立ち並ぶ地域である。



その中に新たにできた新感覚の鰻丼があると聞いて訪ねてみた。プロデュースをしたのは3年前に人形町駅近くに『駄目な隣人』という人気ラーメン店を作った人物。店の名前も凝っていて、今日お邪魔した店が『躻』。

まあ、殆どの人が見たこともない字だが、『うつけ』と読む。よく大河ドラマなどで織田信長のことを『大うつけ』『大たわけ』などと呼ぶがこれを漢字にするとこうなる。

店は細長く、それに沿ってカウンター、4人席は1階に1つ、あとは2階にあるらしい。店にはラップがBGMにかかっている。注文は最近流行りのQRコード、私もかなり慣れてきた。食べ方は4種類で『うな丼』『鰻の蒸籠蒸し』『ひつまぶし』そして『UTSUKE丼』である。



他の3つはわかるが、4つ目が『海鮮丼』と『うな丼』の融合らしく、これが新感覚のうな丼らしい。少し高い(税前2200円)だが、面白がって注文してみた。

まだ、オープン直後ということもあり、お客は私と2階に上がった2人組のみ。注文が通ったことをお茶を運んできた人に確認。しかし、そこから25分待たされた。まあ、鰻が関西風の焼き立てだからやむを得ないが。

到着した丼はご飯にタレが掛かり、鰻の蒲焼4分の1、さらに帆立貝、生ウニ、小柱、イクラ、蟹の身が乗せてある。

醤油がないのでそのまま頂くが、上に乗ったウニと帆立貝の貝柱が甘くて美味い。ご飯も進む。

さらに蟹の身やイクラなどを食べながら多少ツユのかかったご飯を食べるが、少し甘く香ばしく、美味いのである。
鰻はさらに半分にして齧るが、関西風らしく皮がカリッとしていて身も関東風と比べればしっかり。個人的にはこのパリッとした関西風や博多の有名店、吉塚うなぎを彷彿させ、旨さを感じる。



ご飯も3分の1残して少しタレを足し、ワサビをトッピングした上でお出汁をかけ、出汁茶漬にして頂く。出汁のいい香りと鰻のタレが程よく混ざり、大変美味い。ただ、この美味い鰻が4分の1しか食べられなかったのは心残りであるが。次回はうな丼にしてみたい。ご馳走さまでした。



躻(うつけ)
中央区日本橋横山町1ー4
05055925824

久我山歳時記㉟〜『雨水』を過ぎて

2024-02-25 05:00:00 | 日記
久我山歳時記㉟、立春から2週間で雨水、今年は2月19日であった。雨水とは『空から降るものが雪から雨になり、雪が溶け始めるころ』と言われていて、寒さは衰え始め、春一番が吹き、鶯の鳴き声が聞こえ始める時である。

また、『雨水』は雛人形を出すのにちょうど良いタイミングとも言われている。
今年の春一番は2月15日、しかし、一旦春めいた2月20日には最高気温23.7℃、しかし23日には最高気温4℃とあっという間に真冬に戻る暮らしにくい天候である。



それでも庭を見ても福寿草が黄色い花を付け、遂に2年ぶりにクリスマスローズが白い花を咲かせた。

久我山駅から我が家まで帰る途中に咲いているハナカイドウ(花海棠)は既にもうすぐ満開。



庭の鉢植えの花海棠も蕾からピンクの花びらが覗くまでにはなってきている。




同じく道の途中にあるヒカンザクラ(緋寒桜)もやや濃いめの蕾が色付いてきてもう開花も近くなってきている。



春には真っ白な花を枝いっぱいつけるユキヤナギもよく見ると花が一輪、もう一輪と咲き始めている。



道を歩いていると急に花の香りに気づくのが咲き始めたジンチョウゲ(沈丁花)、花の美しさより香りに先に気づく。



ミモザもまだ咲き始めたばかりだが、小さな黄色い花がたくさんついている。



注意しなければ見過ごしてしまいそうな春もあちらこちらに感じることのできる季節、啓蟄ももう3月5日とあっという間に来てしまいそうである。閏年とはいえ、2月は2日短いのだ。

いっぺこっぺ門前仲町店〜門前仲町ランチグルメ

2024-02-24 05:00:00 | グルメ
門前仲町駅近くでランチタイムとなった。あまり、地の利がなく、居酒屋しか知らないテリトリー。蕎麦屋でもと歩いていたら『とんかつ檍のカレー屋〜いっぺこっぺ』を発見した。

とんかつ檍と言えば蒲田発祥の有名店だが、その名前の由来は鹿児島弁で『たくさんいっぱい』の意味。御馳走になり、いっぺえ食べたみたいタイミングで使うらしい。

店は永代通り沿いにあり、11時40分に入ると半分ほどの入り。1人客は1階カウンター、2人以上は2階に案内している。店に入ると券売機が置いてあり、なかなか難しいが、ランチのカツカレー(1200円)の食券を購入、店の人に渡す。



この店はカツカレーの店と標榜してはいるが、カツライスやカツ丼など一通りのメニューが揃っていて、他にもミックスカツやカキフライなどもある。

なかなか人気があるようで次々にお客さんは来店し、券売機の前に常に人がいる状態が続いている。注文はやはりランチ(1200円)のカツカレーとカツライスが1番多い。

10分ほど待ち、カツカレーが到着した。ライスの上に小ぶりなカツ、隣にキャベツの千切り、カレールーはたっぷりとかかっている。カツにはソースをかけ、さらに福神漬を乗せてから食べ始める。



まずはカツを一口、上からみると小さいが厚みがあり、脂も美味い。なるほど、人気があるのがよくわかる。



千切りキャベツも一緒に食べるが、これもいい。カレーにはちゃんと煮込まれた肉片が結構入っていてスパイシー。いわゆる黄色いうどん粉カレーとは一線を画す美味さ。やっぱりカツカレーはいいね。

もっとカツが薄かったり、カレーがドロドロなものも嫌いではないが、流石に肉もカレーも美味かった。ご馳走さまでした。



いっぺこっぺ 門前仲町店
江東区富岡1ー5ー5
0356219929


都営浅草線スタンプラリー⑤

2024-02-23 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その227。都営浅草線スタンプラリー⑤、浅草橋駅はJR総武線の乗換駅となっている。駅を上がるとすぐ右手に浅草橋が掛かり、橋の横には船宿があり、屋形船が日本橋川に多く係留されている。スタンプには屋形船と花火が描かれている。



花火はこの界隈に花火問屋が多くあり、小売をする店も多く、夏休みには親子連れなども買いに来たりする。



蔵前駅は都営大江戸線への乗換駅である。但し、通路で結ばれている訳ではなく、一度地上に出て、歩いて乗換なければならない。

スタンプのデザインは『厩橋、鳥越神社』である。鳥越神社は歩いて5分程度、創建651年と言われ、1300年以上経つ由緒ある神社である。

また、厩橋は隅田川に架かる川であり、関東大震災後の1929年に再建された三連アーチ橋で長さは151.4mもある。かつては都電16系統(大塚駅前〜錦糸町駅)がこの橋を渡っており、当時厩橋行という車両もよく見かけたものである。



大江戸線のスタンプはこちらも厩橋と隅田川花火大会の様子が描かれている。

都営線の浅草駅は銀座線浅草駅からは少し離れているが、銀座線の1番線からは地下通路経由で乗り換えることは可能。(2番線からも大回りすれば可能ではあるが。)

スタンプは『雷門、花やしき』である。雷門も花やしきも都営浅草線浅草駅からは少し距離があるので要注意。



銀座線浅草駅も雷門がデザインとなっている。



本所吾妻橋駅は『牛嶋神社、スカイツリー』が描かれている。スカイツリーはお隣の押上駅、東武伊勢崎線のとうきょうスカイツリー駅からの方がより近い。



因みにとうきょうスカイツリー駅はたびたび駅名が変更された駅として有名であり、1902年の開業時には『吾嬬橋駅』であったが、東武亀戸線の開業とともに廃止された。しかし、1910年に『浅草駅』として開業、1931年に隅田川を渡る鉄橋が完成、現在の浅草駅が開業するとともに『業平橋駅』に改称、2012年3月に現在の名前に改称している。

終点の押上駅には都営浅草線のスタンプはスタンプ非対象駅のため、置かれていない。東京メトロ半蔵門線にはスタンプがあるが、やはりスカイツリーが図案として使われている。(完)

田中そば店〜新橋ランチグルメ

2024-02-22 05:00:00 | グルメ
外堀通りから少し歩き、虎ノ門砂場を左に曲がり新橋駅方向に曲がる。この通りには先日紹介した貝出汁ラーメンの『虎武』をはじめ、特徴のあるラーメン店が並ぶ。利尻昆布ラーメン、久留米ラーメン、つじ田など次々と店が現れる。その中で『田中そば店』に入ることにした。

入口左に券売機があり、食券を買うのだが、メニューと違い全体像が掴みにくく、時間がかかるのは歳のせいなのであろうか。色々とボタンを押し、最後はメニュー最初の『ネギラーメン』(税込1000円)にすることとした。

店は大きなカウンターがあり、その向かい側が厨房。3人の人がその中、さらに外にも出て押しかけるお客さんの整理をしている。

店は混んでいる上に券売機で詰まるため、かなりの人が外で待っている。



カウンターの前には『こってりもできます。背脂いり。』『特製唐辛子、香唐』などとはってある。これはあっさりしたラーメンが登場するのかと思う。

7、8分でネギラーメンと到着、見た目は澄んだスープにチャーシューが3枚、ネギは青ネギでなく、白ネギを白髪ネギに切ったものである。一見、喜多方ラーメンを連想した。後でサイトを見ると『田中そば』は『田中商店』の別ブランドで私のイメージにピッタリ、正直驚いた。

麺は細麺だが切り口が平たく、スープによく絡む。丼の中にはバラチャーシューが3枚、メンマ、たっぷりの白ネギ。こちらは予め塩ダレで味付けされていて冬だからかネギ独特の辛味はあまり感じることはなかった。
スープは塩トンコツ、全く白濁しておらず、脂は感じるがあっさりとしている。ネギがインパクトとなり、美味い。

少し食べて気になる『香唐』を掛けて味変してみる。スプーン半分をいれてみる。スープは真っ赤となったが、一口飲むと美味い辛さ、しかし、少し経つとガツンとくる。この辺りでやめておいてよかった。

気がつくと全ての席は埋まり、カウンターの後ろにはたくさんの人が椅子に座って席が空くのを待っている。礼儀として少し急ぎ、お冷をごくりと飲み干してお店を跡にした。ご馳走さまでした。
田中そば店
港区西新橋1ー18ー10
0365508766


泉岳寺駅付近の坂④

2024-02-21 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その200。泉岳寺駅付近の坂④、再び伊皿子交差点まで戻り、そのまま二本榎通りをまっすぐ行く。交差点を越えると左側に大きな門が現れるが、これが旧高松宮邸だが、2004年に喜久子妃が亡くなると絶家となる。

高輪皇族邸として宮内庁が管理するが、2019年に天皇明仁が退位し、上皇となった際に仙洞御所の改修が完成するまでの仮住まいとして仙洞仮御所として使われ、2022年に仙洞御所に移られ、今に至っている。

都営アパートの前には大石良雄等自刃跡がある。大石良雄らは討ち入りの後、肥後熊本藩細川氏下屋敷にお預けとなり、1703年2月に邸内で自刃した。ただ、この碑は厳密には細川屋敷から少し離れたところに大正時代に建てられたものである。



この辺りは昔ながらの建物が多い。お寺や医院など風格を感じさせる物が多い。



都営アパートの先を右に曲がり、しばらく歩くと下り坂となる。この坂道が『葭見坂(よしみさか)』、くの字に曲がる短い坂で途中からは半分の道幅となる。



これは坂道から見下ろす白金村の畑地がかつては葦原だったことから付けられた名前である。

葭見坂は最後は左に曲がり、国道1号線にぶつかる。これを左に曲がると左からくる坂道の下に出るが、この坂道が『天神坂』。案内板によると坂の南側に菅原道真の祠があったため、この名前がつけられた』とある。なお、この坂道が葭見坂という説もある。




国道1号線を向かい側に渡ると清正公(覚林寺)の前に出る。加藤清正の位牌や像が置かれていて勝負祈願の寺として信仰を集めている。なお、額には破魔軍とあるが、これを揮毫したのは秩父宮熾仁親王である。



目黒通りを左に曲がり、まっすぐ行く。長くて勾配のきつい上り坂だが、これが『日吉坂』、説明板によると『能役者日吉喜兵衛がそばに住んでいたため、この名前になった』とある。



ほぼ登り切ったあたりで左側に八芳園が現れる。左に曲がると下り坂となるが、これが『桑原坂』である。桑原とは今里村の地名の一つでここからついたものと思われる。



すぐのところに地下鉄南北線白金台駅が現れたのでここから帰ることにした。



この辺りは坂ばかりではなく、江戸時代に付けられた『二本榎』『伊皿子』など面白い名前がかつてあり、今も交差点や通りの名前として残っている由緒のある町であった。