hokutoのきまぐれ散歩

ブログも11年目、遂に3900日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

都営大江戸線スタンプラリー⑨

2024-04-29 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その235。都営地下鉄大江戸線⑨。代々木駅のスタンプには『明治神宮の森、NTTdocomo本社』が描かれている。代々木駅は1906年に甲武鉄道の駅として開業、当初は中央線となる方のみにホームがあった。僅か1週間で甲武鉄道が国有化され、1909年に山手線の駅ともなる。駅に降りてみると分かるが新宿駅が代々木側にホームを伸ばしたため、ホームの端と端は100mほどしか離れていない。学生時代にはよく降りた駅だが、最近は滅多に降りることもないが、意外なほど変わっていない駅である。

大江戸線で新宿付近にあるのは『新宿駅』『都庁前駅』『新宿西口駅』と3つあり、近接している。ただ、新宿駅といってもJR新宿駅からはかなり離れていて京王新線・都営新宿線のホームからさらに南側に行ったところに駅がある。スタンプに天龍寺の鐘楼が描かれているのはそのためである。

新宿線のスタンプは文化服装学院の女神像が描かれている。

東京メトロ丸の内線の新宿駅はシンプルに丸の内線の車両の意匠である。

都庁前駅は都営大江戸線の環状線部と光が丘に向かう線が交わっている。運行はやや変則的で六本木方面から来た車両は光が丘方面に行く。一方、飯田橋方面からくる車両は都庁前が終点で折り返していくのである。



都庁前駅のスタンプには『都庁舎と新宿中央公園の噴水(滝)』が描かれている。新宿中央公園は以前はかなり治安が悪かったが、改修が進み、ホームレスの住居ということはなくなった。



駅のコンコースにはまだ有楽町に庁舎があった当時の都電の駅名表示板が飾られていた。






都営大江戸線スタンプラリー⑧

2024-04-13 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その234。都営大江戸線スタンプラリー⑧。やってきたのが六本木駅、この駅はスタンプラリーにとっては難関駅の一つである。というのもホームから地上に出るまで5分近くかかる日本最深の地点は地下42.3mにも及ぶ。この間、エスカレーター6本を乗り継ぐ必要があり、もちろん日本で最も深い駅になる。



駅から地上に出ると六本木ヒルズ、森タワーやグランドハイアットの高いビルが林立しているのである。

スタンプは『六本木ヒルズ』である。同様に東京メトロ日比谷線のスタンプは『六本木交差点』が描かれている。

お隣は『青山一丁目駅』である。以前に銀座線のブログにも書いたが、青山一丁目という駅名は実に不思議なものである。銀座線の駅が開設されたのは1938年のこと、当時は東京高速鉄道であったのだが、開設された当時の地名は『青山北町一丁目』『青山南町一丁目』であり、ここに青山一丁目という駅を開設した。

その後、1966年の住居表示の際に青山北町一丁目は北青山一丁目、青山南町一丁目は南青山一丁目となった(北青山一丁目にはほかにも赤坂青山六軒町、青山三筋町一丁目・二丁目など。南青山一丁目には麻布新龍土町、赤坂新坂町など。)しかし、青山一丁目という地名にはなったことがない、ミステリアスな事実が残されている。

駅のスタンプは神宮外苑の象徴とも言える絵画館と銀杏並木である。東京メトロ銀座線は絵画館の全景、やはり絵になる建物なのであろう。



国立競技場駅はその名前通り、国立競技場に直結している。元は1958年に開場した国立霞ヶ丘競技場であったが、2020年の東京オリンピックに合わせて2019年11月に竣工した。

駅は2000年4月に新宿から当駅までの延伸により開業。副駅名として『オリンピックスタジアム・東京体育館』が使われている。

スタンプは国立競技場のデザインを使ったものとなっている。JR千駄ヶ谷駅のスタンプもかつては国立競技場が描かれていた。







都営地下鉄大江戸線スタンプラリー⑦

2024-04-07 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その233。都営大江戸線スタンプラリー⑦。大門駅はJR浜松町駅と隣接していて副駅名に浜松町となっている。(同様な例は東京メトロ千代田線明治神宮前駅とJR原宿駅)駅名は駅近くにある増上寺の芝大門に由来している。

1964年に都営浅草線(当時の1号線)が開通した際につけられた名前ではあるが、大江戸線は浜松町駅により近いため仮称の段階では浜松町駅だった。しかし、同じ都営地下鉄で違う名前にする訳にもいかず、大門駅を名乗っている。

スタンプのデザインは『芝大神宮』を浅草線が使っているの対してより海に近い大江戸線は『芝離宮庭園、竹芝桟橋』がえがかれている。



(芝離宮庭園)

赤羽橋駅のスタンプには『芝公園で咲く花、東京タワー』が描かれている。東京で赤羽といえば北区赤羽を指すことが多いが、駅に近い古川は江戸時代に『赤羽川』、赤羽橋〜中の橋あたりを『赤羽河岸』と言っていたことによる。

思い切って『東京タワー駅』にした方がわかりやすかったのではないかと個人的には思っているのであるが。



麻布十番駅は東京メトロ南北線との乗換駅である。先に開通したのは南北線で2000年9月26日、大江戸線が開通したのは2000年12月12日だから2ヶ月半ほど先に南北線が開通した。周囲には以前より歓楽街があったにも関わらず乗り入れる交通手段がバスとタクシーしかなかったエアポケットのような場所であった。


駅のスタンプは南北線が『麻布十番商店街』に対し、大江戸線の方は『宝船、きみちゃん像』である。多分、知っておられる方は少ないかもしれないが、『宝船像』は麻布十番稲荷神社の入口にある石像である。




また、『きみちゃん像』は麻布十番商店街のパティオの上にある石像である。彼女は童謡赤い靴のモデルとされている岩崎きみという9歳で亡くなった薄幸の少女の像であり、子供たちの幸せを祈り、1989年に作られたものである。(以下、次回)






都営大江戸線スタンプラリー⑥

2024-04-01 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その232。都営大江戸線スタンプラリー⑥。勝どき駅は勝鬨橋と晴海トリトンのほぼ中間、清澄通りと晴海通りの交差点地下あたりにある。勝鬨橋とはかなり勇壮な名前であるが、実は日露戦争旅順陥落を記念して築地と月島の間に開設されたのが『勝鬨の渡し』である。



(晴海トリトンからの眺め)

当時は交通量も増えたが、一方で隅田川を通過する船舶も多く、可動橋の建築が1933年に始まった。完成は1940年であるが、橋の上には都電も通っていた。しかし、戦後は晴海通りの交通量がさらに増えたこともあり、1970年11月29日を最後に橋の開閉は行われていない。

勝鬨橋の『閧』は当用漢字にないため、住居表示が行われた際に『どき』として表示した。駅名もこれに倣ってのものである。
スタンプは勝鬨橋と晴海トリトンが描かれている。晴海トリトンは3棟のオフィスビルを中核とした商業並びに住居施設であり、銀座や日本橋からは直通バスも通っていて便利である。
築地市場駅は豊洲に移転する以前の築地中央市場と朝日新聞社に隣接した場所にあり、市場に行くには日比谷線築地駅より至便である。

スタンプに描かれているのは魚市場の風景と波除神社の獅子頭である。波除神社は築地市場からすぐのところにある由緒ある神社。



明暦の大火の後、堤防を作ろうとしても波に持って行かれてしまう。ある日のこと、海上に漂う光るものがあり、これを網で拾い上げると稲荷神社の御神体であった。これを今の位置に社殿を作り、お詣りしたところ、波風が緩やかとなったと言われている。

獅子祭に使われる高さ2mを超える獅子頭が境内に祀られている。

汐留駅はゆりかもめとの乗換駅でJR及び都営地下鉄浅草線、東京メトロ銀座線の新橋駅にも近い。スタンプに描かれているのが、シオサイト。旧国鉄汐留貨物駅跡に作られた13棟のオフィスビル群の総称で日本テレビや電通、松下電工、全日空などが入居している。



駅近くには旧汐留駅(旧新橋停車場)の再現した建物と展示場が作られており、時々企画展なども開催されている。










都営大江戸線スタンプラリー⑤

2024-03-24 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その231。都営大江戸線スタンプラリー⑤。清澄白河駅は東京メトロ半蔵門線との乗り換え駅。



陸上に上がるとすぐ前に清澄庭園があるが、これと東京現代美術館がスタンプに描かれている。東京メトロのスタンプもやはり清澄庭園である。


門前仲町駅は東京メトロ東西線との乗り換え駅である。今年の東京マラソンでは折り返し地点にもなり、富岡八幡宮の門前町である。スタンプの意匠は富岡八幡宮とその境内にある伊能忠敬像である。

伊能忠敬はこの近くに住居があり、また、測量に全国を歩くにあたり、必ず富岡八幡宮にお参りを欠かさなかったことから測量を始めて200年目の平成13年に境内の鳥居近くに像が建てられた。






一方、東京メトロのスタンプは深川不動堂、関東三十六不動尊の一つにも数えられる。深川不動堂は成田山東京別院の位置付けにあるが、元は成田山新勝寺の出開帳が永代寺(廃仏毀釈で廃寺)の境内で行われていた。



深川不動堂と富岡八幡宮の関係は永代寺が富岡八幡宮の別当という位置付けである。

月島駅は東京メトロ有楽町線との乗換駅である。全国的にもんじゃ焼きが有名だが、スタンプももんじゃ焼きと佃煮の店が描かれている。


東京メトロの方は鉄板の上でもんじゃ焼きが焼かれている様子が描かれている。(以下、次回)

都営大江戸線スタンプラリー④

2024-03-16 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その230。都営大江戸線スタンプラリー④、蔵前駅は都営大江戸線と浅草線の乗換駅ではあるが、少し離れていることもあり、地下の通路では乗換ができない。



都営浅草線から乗り換えるために地上に一旦出てしばらく厩橋方向に歩くと駅の入口が出てくる。通りの反対側には以前から気になる本屋さんがある。なぜ気になるのかは写メを見ればひと目でわかるが、大きなビルに挟まれて間違いなく傾いているが、少なくとも5年はこのまま。見ている方が危なくなってしまいそうでつい足が止まる。
ところで都営大江戸線のスタンプは『厩橋と花火』、立派な鉄橋はわざわざ見に行く価値がある。



厩橋

浅草線は『蔵前国技館と蔵前橋』である。

両国駅のスタンプは『東京都江戸東京博物館と大相撲の幟、力士像』である。




駅周辺には日大一高、徳川家康像、復興記念館、安田庭園など見どころが多い。

森下駅は1978年に都営新宿線の駅として開業、2000年に大江戸線開通により乗換駅となった。清澄通りと新大橋通りの交差点に駅がある。大江戸線のスタンプは『深川神明宮と芭蕉像』が描かれている。



深川神明宮

また、新宿線のスタンプには『芭蕉像と新大橋』が描かれている。

この芭蕉像は江東区芭蕉庵史跡公園の隅田川に近いところに置かれているのだが、何と動くのである。



芭蕉像

閉園後の午後5時には隅田川方向に90度回転、さらに午後10時頃には元の方向に戻る。ただ、いずれも閉園後のため、気に留めていないとわからない。これは夜にライトアップをするタイミングで芭蕉像に川を見てもらいたいということから決まったとか。見たい方は隅田川沿いの遊歩道からチェックしてみて下さい。

新大橋


都営大江戸線スタンプラリー②

2024-03-12 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その229。都営大江戸線スタンプラリー②、春日駅の次は本郷三丁目駅。実は春日駅と後楽園駅はほぼ同じところにあるため、実は丸の内線後楽園駅〜本郷三丁目駅と大江戸線春日駅〜本郷三丁目駅はほぼ並行している。丸の内線後楽園駅は地上駅のため、しばらくは高架を走り途中から地下に潜り、春日通りあたりの地下を走る。

(赤が丸の内線、青が大江戸線)

大江戸線の方は文京区役所の地下に駅があり、こちらも春日通りの地下を走る。表からは見えない並行路線である。




本郷三丁目駅のスタンプには『東大赤門、安田講堂、樋口一葉旧宅跡の井戸』が描かれている。

一方、東京メトロ丸の内線のスタンプは『東大赤門』のみといたってシンプルである。

さらに近くにある東京メトロ南北線の東大前駅のスタンプは以前は赤門であったが、本郷三丁目駅と被るからか、現在は『忠犬ハチ公と上野栄三郎博士の銅像』になっている。これは東大前駅が農学部に近い位置にあるからかも知れない。

上野御徒町駅周辺には似たような名前の駅が多くて紛らわしい。新御徒町駅(大江戸線、TX)、御徒町駅(JR)、仲御徒町駅(日比谷線)、上野広小路駅(銀座線)、上野駅(JR)、京成上野駅(京成線)と7駅。このうち上野御徒町駅と通路で結ばれているのが、仲御徒町駅、上野広小路駅、御徒町駅でこの位置関係を熟知している人は少ない。


駅のスタンプは『パンダ、懸垂型モノレール、アメ横、不忍池と弁天堂』とオールスター共演である。

新御徒町駅はTX(つくばエクスプレス)との乗換駅であり、2000年12月に大江戸線が先に開通、続いてTXが開通と比較的新しい駅である。所在地は台東区元浅草1丁目、そばには日本で2番目に古い佐竹商店街、鳥越神社などがある。



開業前の仮駅名では『元浅草』であったが、開業にあたり現行名に変更された。JR御徒町駅から600m、銀座線稲荷町駅から600m、上野駅から800mといずれの駅からも近い。ただ、ほかに目印がないため、この名前となった。



因みに『元浅草』という地名はこの辺りにかつて浅草があったという意味での『元』ではなく、浅草繁華街の西の『元(はじめ)』に由来する。


都営大江戸線スタンプラリー①

2024-03-04 05:00:00 | 鉄道
鉄道シリーズその228。都営地下鉄スタンプシリーズ第2弾、最長路線である大江戸線にチャレンジすることにした。大江戸線は開業が1991年、全通したのが2000年である。全通は平成12年12月12日だから覚えやすい。

地下鉄線の中で最長40.7km、駅数も38とこちらも一番である。さらに環状にはなっているが、山手線や大阪環状線と異なり『数字の6』のような路線。始発が都庁前から環状部分を走り、都庁前駅まで戻ると離れ、光が丘駅まで北西に向かって走っていく。



こうしたイレギュラーな路線のため、スタートをどこにするか悩んだが、取り敢えず飯田橋駅から両国方向を目指すことにした。飯田橋駅にはJRのほか、東京メトロ東西線、有楽町線が通っており、これらを避けるために駅ホームは地下32mのところにある。

スタンプのある駅長室までは地下6階から地下1階まで登ることになる。(もちろんエレベーターを使う)スタンプには東京大神宮と小石川後楽園が図案として描かれている。

東京大神宮は元々は有楽町の大隈重信邸跡に作られた皇大神宮遥拝殿が起源、日比谷大神宮として信仰を集めたが、関東大震災で被災、1928年にこの地に移ったもの。



小石川後楽園は水戸藩上屋敷跡の庭園であり、上屋敷は今の東京ドームあたりである。また、後楽園の名前は水戸光圀の代に朱子学者朱舜水の『士に当たりては天下の憂い先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむなり』から取られている。



また、庭園の円月橋は中国で考えられたアーチ型の石橋であり、写メ以上に実物は造りが素晴らしいものである。

また、東京メトロのスタンプも東京大神宮が描かれている。

春日駅は東京メトロ後楽園駅、都営三田線春日駅との乗り換え駅で文京区役所(文京シビックホール)が真上にある。

スタンプにも描かれているが、1999年と建設後20年以上経つが、今だに東京23区の区役所では最も高い142mある。

他には東京ドームとドームシティ(ラクーア、ホール、アトラクションズなどからなる。)も描かれている。

一方、都営三田線のスタンプには春日局が意匠として載っているが、これは三代将軍家光の乳母であった春日局が幕府より拝領し、お付きの者30人と暮らしたため、この地は春日殿町、現在は文京区春日となっているためである。



また、東京メトロ後楽園駅のスタンプはやはり東京ドームが描かれている。(以下、次回)


都営浅草線スタンプラリー⑤

2024-02-23 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その227。都営浅草線スタンプラリー⑤、浅草橋駅はJR総武線の乗換駅となっている。駅を上がるとすぐ右手に浅草橋が掛かり、橋の横には船宿があり、屋形船が日本橋川に多く係留されている。スタンプには屋形船と花火が描かれている。



花火はこの界隈に花火問屋が多くあり、小売をする店も多く、夏休みには親子連れなども買いに来たりする。



蔵前駅は都営大江戸線への乗換駅である。但し、通路で結ばれている訳ではなく、一度地上に出て、歩いて乗換なければならない。

スタンプのデザインは『厩橋、鳥越神社』である。鳥越神社は歩いて5分程度、創建651年と言われ、1300年以上経つ由緒ある神社である。

また、厩橋は隅田川に架かる川であり、関東大震災後の1929年に再建された三連アーチ橋で長さは151.4mもある。かつては都電16系統(大塚駅前〜錦糸町駅)がこの橋を渡っており、当時厩橋行という車両もよく見かけたものである。



大江戸線のスタンプはこちらも厩橋と隅田川花火大会の様子が描かれている。

都営線の浅草駅は銀座線浅草駅からは少し離れているが、銀座線の1番線からは地下通路経由で乗り換えることは可能。(2番線からも大回りすれば可能ではあるが。)

スタンプは『雷門、花やしき』である。雷門も花やしきも都営浅草線浅草駅からは少し距離があるので要注意。



銀座線浅草駅も雷門がデザインとなっている。



本所吾妻橋駅は『牛嶋神社、スカイツリー』が描かれている。スカイツリーはお隣の押上駅、東武伊勢崎線のとうきょうスカイツリー駅からの方がより近い。



因みにとうきょうスカイツリー駅はたびたび駅名が変更された駅として有名であり、1902年の開業時には『吾嬬橋駅』であったが、東武亀戸線の開業とともに廃止された。しかし、1910年に『浅草駅』として開業、1931年に隅田川を渡る鉄橋が完成、現在の浅草駅が開業するとともに『業平橋駅』に改称、2012年3月に現在の名前に改称している。

終点の押上駅には都営浅草線のスタンプはスタンプ非対象駅のため、置かれていない。東京メトロ半蔵門線にはスタンプがあるが、やはりスカイツリーが図案として使われている。(完)

都営浅草線スタンプラリー④

2024-02-19 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その226。都営浅草線スタンプラリー④。都営地下鉄浅草線日本橋駅の駅名は開業時には『江戸橋』という名前であった。1963年の開業時は東京メトロ銀座線はあったものの、東西線はまだなく、また、銀座線からの地下通路もない日本橋駅とは別個の駅であった。

1967年に東西線が開業すると東西線日本橋駅と江戸橋駅は乗換駅とはなったが、日本橋駅に改名したのは1989年とかなり後のことである。位置的には都営浅草線日本橋駅は昭和通りの地下、銀座線日本橋駅は中央通り地下、東西線はその中間にある。

都営浅草線日本橋駅はA線とB線を結ぶ構内通路がないので誤って乗った際にはいちいち駅員に話し、さらに改札外の通路を歩かなくてはならず、極めて不便である。

スタンプに描かれているのは『日本道路元標、日銀本店』といずれも駅からはかなり離れている。ただ、『江戸橋』自体はもちろん現存するが、地名としての江戸橋は1973年になくなり、今は日本橋となっており、なぜか交差点の名前にのみ残っている。



因みに銀座線日本橋駅のスタンプには『日本橋』が描かれている。

人形町駅は都営浅草線と東京メトロ日比谷線が交差している。スタンプには『人形町名物のからくり時計、下町KING人之助(人形町のマスコット)』が描かれている。

カラクリ時計は人形町通りに2ヶ所設けられていて定時(毎時00分)に中の人形が動くとともには組の木遣を聞くことができる。ただ、機械が古いためか、木遣があまりよく聞き取れないというのが真実だが。


日比谷線のスタンプも『からくり時計』である。人形町にお見えの節はぜひ見て行ってください。

東日本橋駅はJR線馬喰町駅、都営新宿線馬喰横山駅と通路で繋がっている。東日本橋駅のスタンプは『薬研堀不動尊、柳橋』、いずれも風情がある。



薬研堀は七味唐辛子の別名として使われるほど有名だが、1番メジャーなお店は浅草にある。しかし、本家薬研堀にもいまだに七味唐辛子を商う店がある。



柳橋は日本橋川が隅田川と合流する場所に架けられた緑色の可愛らしい橋でかつては周辺が花柳界で賑わった。この名残で橋にはかんざしが埋め込まれていた。

都営新宿線の馬喰横山駅のスタンプは『横山町繊維街と薬研堀不動尊』の意匠である。

JR総武線の馬喰町駅のスタンプはその名前の通り、江戸時代に多くこの辺りにいた『馬喰』つまり馬の商人が描かれている。(以下、次回)