放浪のページ別冊ブログ

キャンプ・ツーリングに林道ツーリング。スキーや食べ歩きも。ホームページや巡礼と芸術の別ブログもあります。左下のリンクで。

昔の広告はタイムマシーン・自転車編

2020年06月29日 18時23分01秒 | サイクリング


ロードレーサーのチューブラー・タイヤが古くなったので買いにゆくことにした。行ったのはY´sRoad池袋店だ。しかし、スポーツ・サイクルの専門店なのにチューブラー・タイヤの在庫はないとのこと。これには驚いてしまった。チューブラーって人気がないんだね。

そこでおなじ池袋にあるY´sRoadのチャーリー店にゆくと、ここには一種類だけチューブラー・タイヤがあった。ソーヨーのチューブラーだ。これを買うことにしたが、時代は変わった。時代も変化したが店も大変化している。今はたくさんの店があるY´sRoadだが、昔は一店舗からはじまったのだ。



これは1974年12月号のサイクルスポーツ誌の広告だ。広告をだしているショップは、山とサイクリストの店、サイクル・メイト・ヨシダ。埼玉県志木市にあったサイクル・ショップである。ここが発展して現在のY´Roadになったのだ。



サイクル・メイト・ヨシダは格安で自転車の部品や用品を売っていたので、私もよく利用した。上は1976年12月号の広告。コルナゴをあつかっていて、自転車のオーダーもはじめている。ブランド名はアンタレスだ。



こちらは在庫が圧倒的だったフレンド商会の広告。ここはまだ営業中だ。



私も愛用しているフレーム・ビルダー、トーエイの広告。昔の道はきびしくて険しい。写真ページの広告は格がちかう。



右は両国のいちかわ、左は横浜にあったシマダ。シマダの店主はヨーロッパに古いディレイラーのデッド・ストックを買い付けにいったときがあって、見にいったことがある。1980年頃にクラシック・パーツが流行ったのだ。あこがれのシクロ・ランドナーは、トーエイのフレームのオーダーとセット販売でとても手がでなかった。サンプレックスのタケノコ・ディレイラーが30000円であって、買わなかったのだが、今思えばそれだけでも手に入れておけばよかったとお思う。いちかわ、シマダはまだあるのだろうか。当時の店主は高齢になっているだろうから、どうだろうか。

私もいくつかのデッド・ストックのコレクションをもっている。それはいつか紹介したいと思う。昔の雑誌の広告もタイム・マシーンだ。
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リム・セメント

2020年06月23日 17時29分15秒 | サイクリング


私のロード・レーサーはチューブラー・タイヤを使用している。チューブラー・タイヤはチューブをタイヤで包み込んだ構造になっていて、その形状から丸タイヤともよばれていた。



現代のロード・バイクはほとんどチューブの入ったふつうのタイヤ、クリンチャー・タイヤを装備しているが、私がロード・レーサーを組んだ30年前は、チューブラーにするのが当たり前だったのである。

丸タイヤをリムにとりつけるのには、専用の接着剤が必要で、それがリム・セメントと呼ばれるものである。そのリム・セメントを近くのショップに買いにいった。私が何十年も通っていたショップは、店主の高齢化によってなくなってしまったので、ネットでしらべてはじめての店にいってみたのだ。

店内にはいって若い店員さんにリム・セメントがほしいと言うと、その店員さんは年上のやはり若い店員さんにリム・セメントのことを聞いている。もしかしてリム・セメントを知らないの? 年上の店員さんは、リム・セメントの在庫はなく、取り寄せになると言う。そして今は、リム・テープを使うのが一般的なのだと説明をうけた。

若い店員さんにリム・テープを見せてもらうことにしたら、ベテランのメカニックがでてきて、リム・セメントはここにあります、と教えてくれた。もとから店頭にならんでいたのである。それを2人の店員が知らなかったのだ。それだけ売れないのだろう。リム・セメントってもしかしてら死語になっていたのかも。

リム・テープのほうがあつかいやすいのかもしれないが、私は使い慣れたリム・セメントをえらぶね。
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2020高輪ゲートウェイ・サイクリング

2020年06月18日 17時52分35秒 | サイクリング


ひさしぶりにロード・レーサーで走りたくなった。どこにゆこうかと考えて、上り坂のないルートを選んだ結果、山手線の新駅、高輪ゲートウェイ駅を見にゆくことにした。



まず立ち寄ったのは神田明神だ。新型コロナ・ウィルスの緊急宣言は解除されたが、いつもより人出は少なかった。



神田駅にも寄ってみた。



この商店街のよい雰囲気に誘いこまれたのである。



ビルの中をぬけてゆく。



東京駅の横をゆき品川にむかう。今日は高輪ゲートウェイ駅を見て、川崎大師までゆきたいと思っていた。



高輪ゲートウェイ駅に到着した。



モダンなデザインの駅舎だ。しかし高輪ゲートウェイ駅よりも、高輪駅のほうがよかったと思うのは私だけではないだろう。



駅は開業しているが、駅前は整備中で入れない。



人通りも少なくてガランとしていた。



山手線に高輪ゲートウェイ駅の前に新設された、西日暮里駅ができたのは40年くらい前だろうか(1971年だ)。あのときは何故こんなところに新駅をつくるのだろうかと疑問に思ったものだ。日暮里と田端の駅間は短いし、西日暮里はにぎやかなところでもないので。それにくらべれば高輪ゲートウェイ駅の新設は妥当だと思われた。



品川をすぎて八ツ山橋にさしかかった。川崎まで10キロとでている。しかし橋の坂でも足にきてしまっているので、ここで引き返すことにした。



四十七士の墓のある泉岳寺に立ち寄った。



四十七士の墓。



義士の墓の入口の門。ここで羽田から来たと言う80代のクロスバイクの方と話をした。その方は健康のために自転車にのっているとのこと。羽田からここまで10キロくらいだろうか。その方は私に何キロくらい走ってきたのかと聞くので、30キロくらいと答えたのだった。



本堂。この後、魚籃坂でラーメンをたべようと思ったのだが、道をまちがえてしまい、バテバテとなって帰宅した。
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2020秩父ツーリング

2020年06月13日 14時32分43秒 | ツーリング関東


首都圏の緊急事態宣言が解除されたので、バイクでツーリングにゆくことにした。今年はスキー・シーズンが新型コロナ・ウィルスのために途中で強制終了されてしまい、その後は自粛期間となったので、これが数ヶ月ぶりの外出である。目的地は走りなれた秩父とした。



地図も持たずに走りだしたが、まず顔降峠に立ち寄った。以前から何度も自転車で通っているところだが、バイクで走っても、かなりの急坂がつづく。あらためてきびしいルートだと感じる。DRの先に見える茶屋をいつも利用したが、この日もサイクリストが何人かいて、食事をしていた。そのうちランドナーでも来たいとおもう。バテバテになるのを覚悟してである。



道の駅、あしがくぼ、で休憩する。ここはバイク・マニアが集まるところのようだが、私がついたときにはピカピカのヤマハTX650が1台いただけで、ほかにたくさんいたバイクは現行モデルばかりだった。



目的地は決めていなかったが、橋立鍾乳洞にある、秩父霊場の二十八番札所、橋立堂を折り返し地点とした。橋立堂は岩の絶壁の下にたっている観音堂だ。ご本尊は秩父でここだけの馬頭観音様である。



岩の崖の下に橋立堂はたっている。岩肌には鳥がいるようでカメラマンが望遠レンズをかまえていた。バイクの後ろにあるのは食堂で、この日は休みだった。



食事は秩父のデパート、矢尾百貨店にある株主優待のつかえるレストランでしたいと思っていた。はじめて矢尾百貨店にいってみると、昭和から時間が止まったようなレトロな百貨店だった。



上階にあるヴィア・ホールディングスの運営するカプチーナにはいる。



ここには他のカプチーナにはない、秩父名物の豚味噌丼やわらじかつ丼、そばがある。その中から豚味噌丼の大盛り1100円をチョイスした。



大盛りにすると肉が2倍になる。ボリュームもあり、手堅い味つけの男飯だった。ランチはドリンク・バーがサービスなのもよし。つぎはわらじかつ丼にしてみたい。



食後はデパートの中をじっくりと見た。品揃えは独特だ。夫人の和装礼服が充実している。結納品や神棚もある。生地などの手芸コーナーもあるが、信じられないくらいに時代がかった屋上遊園地があった。



その遊園地にゆくと、バイキンマンカーの横にお巡りさんがたっている。武甲山を背景にしているが、何十年前からここにいるのだろうか。



ちょび髭のお巡りさんだ。よく見ると、意外と若い。



食事と矢尾百貨店を楽しんだ後は秩父神社にやってきた。境内では茅の輪くぐりをやっていた。



秩父神社の参道はよい雰囲気なので歩いてみた。



すると、絶メシロードという車中泊のドラマにでてきた、パリー食堂がある。ここも超絶レトロだ。



店の前のサンプルもよい感じだった。



秩父神社の参道の近くには札所十五番の少林寺がある。



ここにも立ち寄らせていただいた。



秩父神社のまわりを歩いていると秩父鉄道の秩父駅にでた。西武秩父駅には何度もいっているが、ここははじめてだった。

帰りは長瀞まわりにしようかと思ったら、定峰峠の看板がでている。このルートをとるが、通行止めだ。そこで看板にしたがって札所一番の四萬部寺(しまぶじ)の横をゆくと、東秩父方面と案内があるのですすむと、山の中の細い舗装林道に迷い込んでしまった。

天空のポピーの横をとおり、高原牧場方向にゆくが、越えた峠は粥新田峠だったろうか。結局牧場には行けないとあるので、長瀞にくだって帰宅した。
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昔の雑誌はタイムマシーン・自転車編

2020年06月02日 18時39分41秒 | サイクリング


新型コロナ・ウィルスの自粛期間中に、2019年の北海道トランポ林道ツーリングのホーム・ページ版のレポートを作成していたが、昔の雑誌も読み返していた。上の画像は1975年のサイクルスポーツ誌だ。7月号と8月号なので、表紙はキャンピング車となっている。キャンプ・ツーリングや北海道、沖縄の紹介記事などがあり、何度もむさぼるように読んだものだ。

1970年代はサイクルスポーツ誌、その後はニューサイクリング誌を愛読していた。



当時は小旅行車、ツアー車とよばれたランドナーの全盛時代だった。100台スポーツ車がいれば95台はランドナーだったものだ。今のロード・バイクばかりの時代とは風景がことなる。

私のランドナーはフレーム変更などで何度か変遷したが、やかで最終的な形に落ち着いた。当時つかえるお金をすべて投入して、憧れの自転車を組んだのだ。それが今も手元にある、ピンクのトーエイ・ランドナーだ。その愛車に久しぶりに乗ってみた。自転車にまたがるとすぐにしっくりと体になじむ。40年も所有しているのだから当たり前だ。この自転車で1981年に北海道もはしった。

昔のサイスポ誌はメカの記事、ツーレポ、イラストに写真と盛りだくさんだ。そしてたくさんある広告も、自転車店の手書きのものが多くて味がある。そんな古い雑誌を見ていると昔にもどってしまう。
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