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陽明文庫 虎山荘2 虎山荘(福王子・広沢池散策3)
写真は、庭園
玄関に大きな“虎山荘”の表札があります。
“虎山”は近衛文麿の号です。
大きく3棟からなり、客殿、その奥に主屋、そして主屋の右手に寝所や書斎のようなプライベートな空間の棟がL字型に並びます。
玄関左手に客殿の前庭が垣間見え、右手には奥のお茶室に続く露地庭園があります。
玄関を入った右前方に中央の廊下があります。
この廊下の左に大広間があります。
床の間、書院、欄間も派手ではないですが、よく見れば細かな意匠の変化がたくさん付けてあります。
窓の桟も中央ではなくやや上にずらしてあり、視界の邪魔にならないように工夫されています。
その広い窓からは庭園が一望できます。
庭園は紅葉などを背景に、植え込みが複数、石組みが少しあるだけの比較的アッサリとした庭園です。
廊下をさらに進むと、突き当り右手に茶室の滴庵があります。
3畳台目で、掛け込み天井(斜めの天井)、網代の天井、手前座の1番低い天井と、典型的な配置です。
躙口もありますが、廊下と接続していますので、内部からも入れます。
この廊下の左手は1段下がり、左クランクで廊下が続き、隣の主屋につながります。
主屋には10畳ほどの広間があり、大きな床の間に横山大観の掛け軸がありました。
ここから見る客殿側の庭園もきれいです。
床の間の横には大きめで三角形の棚があり、その下が下地窓になっているのが印象的でした。
さらに右手の廊下を進むと、最奥の寝所などのある棟です。
2部屋あり、手前は水屋のあるお茶室風の6畳程の間で、恐らく書斎のように使うのでしょう。奥は10畳ほどの寝所です。
ここの鴨居は数寄屋建築にしては高めに造ってあります。
それは設計者である長谷部鋭吉が、身長が6尺(180cm)程もあった、近衛文麿に配慮したからだそうです。
コメント ( 7 ) | Trackback ( )
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>近衛文麿って後陽成天皇の子孫
五摂家筆頭は知っていましたが、そうなんですか。
また本年もいろいろと教えてくださいね。
私の記憶が曖昧な上、只今、書庫からも遥か遠く(笑)なので、確認出来ないのが残念ですが、つまり後水尾天皇と兄弟になるのですね?
あの時代は、面白いですよね。八条宮家が桂離宮を整備したり、後水尾天皇が修学院離宮を整備したりと…
あまり聞き慣れないかもしれませんが、桃山文化と元禄文化の間の“寛永文化”という京都の宮廷や文化人を中心とした文化が花開きますね。その空気を感じた一人ですからね、興味が湧きます。
一昨年だったと思いますが、「後水尾天皇」という本が中公文庫から出ています。出版社を変えての再々版で、学史的にも重要ですが、とても面白い本です。興味があったら在庫切れになる前にチェックして下さい。
京都検定が終わったせいか、歴史への興味は小休止状態ですが、いずれまた興味が戻ると思われます。
その際にはそちらの知識(天皇関係)も掘り下げようと思います。
このコメントのやり取りを見て参加したかったのですが、無駄に我慢してしまいましたw が、しかし、やはり気になり続けたのでコメントを残すことに…
>>後陽成天皇の皇子が養子
いわゆる「皇別摂家」というやつです。
ご指摘の通り、近衛文麿[日中戦争開始時の内閣総理大臣]は後陽成天皇の子孫です。この血統を継ぐ公家はたくさんいます。有名なのは西園寺公望[最後の元老・清風荘でおなじみ]、、、となると徳大寺家[清家家・竜安寺前身は徳大寺家別荘]つながりで住友家[財閥・住友有芳園でおなじみ]もそうなります(家系図参照)。
後陽成天皇の子には、近衛信尋のほかに一条昭良なんかもいます。この二人そして、後水尾天皇に共通することは母親が近衛前久の娘中和門院前子であるということです。この血縁関係からみるに摂家の養子の対象とするのにこれほど最適な人物はいません。
3人は別々の家に分かれましたが同母兄弟につき仲もよろしいです。
ちなみに、その後、一条昭良の血統は絶え、九条家[御苑の南・拾翠亭及び九条池でおなじみ]から養子をもらって存続させています(一条からの枝別れ、醍醐家[清家家]としての血統は残ります)。
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中和門院の話を出したのにもわけがあります。しかし、話は急展開しますw(カーブにつき曲がりきれなければ大事故です)
この人は『関白』豊臣秀吉(前久養子)が猶子として入内させた女性で、ここからは妄想ですが聚楽第(出てきました!)行幸と二条城行幸に付き添っている生き証人だと考えられます(二条城については記録あり)。
聚楽第の時は天皇の女御として、二条城の時は天皇の母[官位は准三宮]として行っているはずなんですよ。
他に、もてなされる側として、この二大イベントに参加できる人は思いつかないです。なにしろ、両者は30年近く離れてますから。
ちなみに、何かと宇治近辺[平等院、宇治山荘]にゆかりの深い近衛家ですが、宇治の北、萬福寺(黄檗宗)は元は中和門院の別荘『大和田殿』があったところです。
これ以上はやめます。
本題とずれ過ぎましたw カーブは思った以上に直角でした汗 御三方すいません。