goo

瑞雲院


写真は、本堂前庭

戦国武将、小早川秀秋をお祀りしています。
かつてここに日蓮宗の京都の総本山の1つである本圀寺がここにあり(現在は山科)、真如院などと共に、その本圀寺の塔頭でした。

事前に電話で予約しておくと拝観が可能です。
御住職様、奥さま共に非常に気さくな方です。
拝観料は志納です。
 
場所は、堀川五条。
堀川五条の北西にブックオフがあるので、この西角の道(岩上通)を北上します。
約70m進んだ右手に瑞雲院の表門があります。

表門を入ると正面に本堂、右手に墓地、左手奥に庫裏の玄関があります。
この玄関前の前庭に、見事な五色散り椿があります。
3月中旬には見事な花が咲きます。

さて玄関から入り奥の書院で御住職から沿革の説明を拝聴した後、玄関右手の本堂に進みます。
本堂の手前の一室に、小早川秀秋像があります。
秀秋が亡くなった直後に製作されたものだそうで、これを至近距離で見ることが出来ます。
隣には虎の杉戸絵がありました。
そして本堂です。
本堂には本尊の日蓮上人像がお祀りされており、内陣奥にまで入れて頂けます。
そして本堂の縁の天井は伏見城の血天井だったそうですが、今では非常に分かりにくいです。
本堂の前庭は枯山水庭園になっています。
左手奥が堀川五条の交差点で、あの大きな歩道橋が見えます。

墓地の中には小早川秀秋のお墓があります。

マイナー散策の索引 

「京都のおすすめ」の総合索引へ

コメント ( 10 ) | Trackback ( )
« MENSA(メンサ... 紅葉の仙洞御所 »
 
コメント
 
 
 
奇しくも? (maybe)
2013-09-08 10:12:31
攻めた側と守った側が同居してるのですね。
 
 
 
百石さん (嵯峨の人)
2013-09-08 13:28:50
小早川秀秋の菩提寺なんですね。是非行ってみたいと思い本編を待ってました。(笑)

拝観予約に何人以上の人数制限みたいなものが、無いようなので、こんど電話して行ってみます。

写真も自由に撮れそうなので・・・。(笑)
 
 
 
旅のご相談 (柚月)
2013-09-08 14:06:18
初めまして。いつも楽しく拝見しています。
まだ先のことですが、予定を決めなければならず。 どうか助けて下さい。

候補日程11月6日12:00~11月8日17:30 U+A0宿泊は京都駅付近。

行きたい所は特別公開しているお寺。
橋寺、興聖寺、恵心院、清浄華院、浄福寺、廬山寺、慈受院、妙法院、永明院、西念寺、真珠庵。
あと金戒光明寺山門には絶対行きたいです。
夜間のライトアップをしているお寺があれば行ってみたいです。

お土産を頼まれていて、宇治神社、白峯神宮、岡崎神社にもできれば立ち寄りたいです。

この日程で全部行くことは可能ですか?
それと効率よくまわれるルートを教えて下さい。お昼ごはんは食べなくていいです(笑)
よろしくお願いいたします。
 
 
 
柚月さま (amadeus)
2013-09-08 20:18:59
今日も疲れ果てているので、コメントへのお返事が行き届きません。

スイマセン。

さて柚月さま、初めまして。

御用件は承りました。

お返事は数日お待ちください。

2日半あるので、何とかなると思います。
 
 
 
血天井 (2級のほう)
2013-09-10 17:34:57
伏見城の血天井は、あちこちにありますね。養源院、源光庵、正伝寺、宝泉院あたりが有名ですが、ここにもあったとは。それにしても、供養のためとはいえ、ちょっと理解できないですね。自分の家の天井が血天井だと眠れなさそうです。
 
 
 
Unknown (toshika)
2024-04-21 19:09:22
瑞雲院の住職様に拝観をお願いしましたが
お断りされました。
「いろいろありまして……」との事。
小早川秀秋公をお参りしたかったの
ですが、残念です。
先日は、福岡の名島城跡も行ってきました。若くして亡くなった、秀秋公を
偲びたかったです。
 
 
 
toshikaさま (amadeus)
2024-04-22 07:32:09
おはようございます。

この件、同じことをアマ会の方も言っておられました。

まあいろんな方がおられます。
こういうこともあるので、このブログの広報活動は一切していないのです。
 
 
 
Unknown (toshika)
2024-04-22 14:51:45
amadeus様。
御丁寧にありがとうございました🙇。
秀秋公を思う気持ちに変わりは
ありせんが、参拝は諦めます。
お寺へ行き、外から手を合わせて
こようかと、考えてます。
感謝です。
 
 
 
toshikaさま (amadeus)
2024-04-22 15:51:33
実は僕もかなりの「戦国好き」なので、ソッチ方面からのコメントしますw

小早川秀秋も安易に「裏切り者の代名詞」として言われがちですが、もちろんそんなことはないんでしょうね。

秀頼の誕生で豊臣家から押し出され。
引き取られた小早川隆景もいなくなって。
権力者の傘下で育ったため、若い頃から大封を得て。
そんな環境なんで、誰の目も気にせずに自由に振舞えた時代ってなかったのかもしれない。

怒られて転封されたのを、家康の計らいでもとに戻してもらったのに、家康の味方したら裏切り者扱いですもんね。
最終的は「敵地」を押し付けられて、早逝って。

何のしがらみもなく自由に育つ方がいいのかなって、思いますね。
 
 
 
Unknown (toshika)
2024-04-23 06:51:37
amadeus様。
いろいろありがとうございました。

本当に、悲運の武将でした。私
気持ちも、すっきり致しました。。🙇
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。