「平野歯科通信 温故知新」 大牟田の歯科医師の日記

ドクター平野が歯科医療を変える!

被災地で何が起こっているのか?宗像セミナー参加

2011-05-30 21:50:13 | 日記

昨日宗像ユリックスまで大林京子先生の主催する

セミナー「震災から学ぶ口腔ケアの重要性について」に参加してきました。

大林先生は口腔ケアの重要性を伝えることを長年やられている先生です。

NPO法人宗像介護サービス研究会の代表を務められています。

講師に大分県佐伯市職員の柴田真佑さん

熊本市中央保健福祉センターの歯科医師吉良直子先生

大林京子先生の布陣でした。

最初の柴田さんの講演から気持ちもろとも持っていかれていました。

被災地の惨状はテレビで知っているつもりでしたが計り知れないものがあることを教えられました。

まずその土地に降り立った時の臭いなど知る由もありません。

いままで嗅いだこともないような臭気が充満していたそうです。

海の魚やプランクトンと瓦礫にひとの死体、あらゆる生き物の死骸が腐りつくりだす匂いなど

ボランティアの方々も想像すらできなかったことでしょう。

海水に浸かった家屋はウジもわき住める状態ではないことも想像できます。

ボランティアに行ったひとたちがつぎつぎと心が病んでいくため

心のケアが必要だったことを話されました。

よくテレビではボランティアの人たちが励まされて帰ってくることが報じられていましたが

当然といえば当然なのでしょう。

今現地で生活している人たちは前を向いて生きてきたからこそ生き残った方々なのですから。

しっかり前を向いて生きることの大切さを教えていただきました。

あらゆる方法を駆使して唾液をださせる取り組みをされ、地元の人たちとの交流を

優しくまっすぐ捉えて受け止めた吉良先生の話も伝わるものがありました。

震災の中、免疫力が衰えたことで普段問題にならないはずの

口腔の悪玉細菌叢が肺炎を引き起こしたことをもとに

普段からの口腔ケアが最も大切と説く大林先生の講演にも説得力がありました。

今日本中の人たちが生きることを真剣に考えていることでしょう。

口の大切さもそうですし

日本の崩壊していくあらゆる歪んだ社会構造など

それぞれの立場でみんなが真剣に考えるときだと思うのです。

 

7.30(土)(午後1時45分~午後4時15分)

大牟田で「命の入口セミナー」イベントを開催します。

(詳しくは平野歯科クリニックホームページ1面へ!)

本日のブログにもでてきた柴田 真佑さんも参加されることが決定しました。

多くのみなさまのご参加をこころからお待ちしております。

 

どんな問題提起が必要なのかもこれからじっくり考えていきたいと思います。

 

 


口と足指の親密な関係

2011-05-27 22:41:50 | 日記

口の機能でもっとも崩れやすいのがかみ合わせです。

咬み合わせは簡単に崩れる運命にあります。

その大きな原因は足指にありました。

足が左右に大きくずれた人は50歳すぎると入れ歯になっている人が大変多いのです。

足のズレを知るのに簡単な方法があります。

「休め」の姿勢をしたとき必ず同じ方に構える人はほとんどバランスが崩れてます。

そういう人は要注意です。

自分で出来る手軽な足の健康法は足指を屈伸することです。

そして付け根もみ。

毛先が開いて要らなくなった歯ブラシで爪の甘皮から余分な皮脂まで磨き落としてください。

そしてお顔に塗るクリームをほんのちょっと足に塗ってあげてください。

歯は髪の毛一本も咬み分けることができる精密にできた組織です。

歯のズレは何ミクロンという単位でズレただけで痛みを伴い壊れていきます。

そんなデリケートな器官が足指とつながっているなんて知ってました?

足指のズレなんて何ミリという単位で起こっているのですから大変です。

口も足指も一日のはじめと終わりには大切にお手入れしてあげてください。


原発の真相2

2011-05-24 19:30:19 | 日記

朝日新聞5/
「村八部」にされ助手のまま
 安斎育郎さん 立命館大学名誉教授

 40年生まれ。専門は放射線防護学、平和学。東京大助手を経て86年立命館大教
授。08年から国際平和ミュージアム名誉館長を務める。

 私は1960年にできた東京大工学部原子力工学科の第1期生、15人の1人でした。
国が原子力産業に必要な専門家を育成するため、各分野の研究者を寄せ集めてつ
くった学科で、「原子力村の村民養成機関」というわけです。当然、同期生のほ
とんどは原子力業界に進みましたが、私は学生のころから「原子力の安全が破綻
したらどうなるか」ということに関心があり、1人だけ原子力政策を批判する立
場になりました。
 国が原子力推進のためにつくった学科から「反原発」の人材が出るなど、あっ
てはいけないことです。私は東大で研究者だった17年間、ずっと助手のままでし
た。主任教授が研究室のメンバー全員に「安斎とは口をきくな」と厳命し、私は
後進の教育からも外されました。研究費も回してくれないので、紙と鉛筆だけで
できる研究に絞らざるを得ませんでした。東京電力から一時研修に来ていた人
は、去り際に「安斎さんが原発で何をやろうとしているか、偵察する係でした」
と告白しました。

 私は「村八分」にあったからこそ、原子力村の存在を強く実感できたわけで
す。「私に自由に発言させないこの国の原子力が、安全であるはずはない」と、
直観的に分かりました。
 そもそも、原子力産業は国家の意思なしにはスタートできません。原発は事故
が起こった時の被害総額があまりに大きく、大量の使用済み燃料処理にかかる最
終的なコストもはっきりしない。一般の企業がこんなリスクを背負うことは到底
できず、産業化には「原発をつくる。一定限度以上のリスクは国が肩代わりす
る」という国策が前提となります。
 「国がやる」ということから始まっているから、「やるのがいいのか、悪いの
か」という話には、そもそもならない。「反原発」は即、反国家的行為とされま
す。原子力業界が批判を受けつけない「村社会」になるのは必然だったと思います。
 しかも、「村民」は業界や国だけにとどまらず、原発の建設候補地でもカネを
使って、地元の政治家や住民を原発推進派に仕立てていきました。
 私たち原発を批判する研究者は「せめて事故のリスクを分散させるために、原
発の集中立地はやめよ。原子炉の出力にも制限を設けよ」と言い続けたのです
が、黙殺されました。村の閉鎖性が福島第一原発の事故を悪化させた一因だった
ことは否めません。
 一方で事故後には、これまで原子力利用の推進派だった専門家16人が、事態の
深刻さを率直に認め、政府に提言しました。村全体からみればわずかな人数とは
いえ、それだけ今回の事故が「村民」にも深刻な影響を与えた、ということで
しょう。                     (聞き手・太田啓之)


嬉しい知らせ

2011-05-15 21:31:42 | 日記

友人のにのちゃんが結婚することになった。

大学時代からの縁が今も続いている。

縁というものは不思議だ。

お互いに成長を重ねながらもお互いの距離を常に認知しあえる関係は難しい。

つかず離れず。

ひとはいい経験を積みながら成長していくものだと痛感する。

お相手もよく知る間柄。

みんなで祝福できるのが楽しみだ。