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迷歩録   へつらう

2017-06-14 13:52:52 | 日記
 <strong> 空梅雨に  渇きお辞儀や  なすきゅうり  朝の山水  喜び踊る


                                 ひのひら  ろくべえ



   「へつらう」とは、人の気に入るようにふるまう。こびる。おもねく。追従する。(広辞苑)とある。つまり今風に言えば

   ごまをするという事であろう。

    しかし、このコミュニケーションは、すぐに破綻をするか、相手に飽きられてしまい、関係性が途切れてしまう可能性が

   大きい。「へつらう」とも時には必要な時もなくはないが、継続して行うコミュニケーションではない。人は相手が自分を

   どのように捉えているかという事に敏感である。この敏感さを無視した「へつらう」行為は、そのことが解った時点で終息

   向かうか、表面上は相手をしているように見えるが、内心は小ばかにするなどの態度をとることが多い。

    「へつらう」ことでしかコミュニケーションができないものもいる。しかしこのような者は信頼されるという経験に乏し

   く、信頼された経験不足から、「へつらう」ことでしか、他者との関係をつくりだせない弱さを持っているのではないだろ

   うか。

    特に問題は「へつらう」側の問題ではなく、「へつらう」を受ける方の問題が大きいのではないだろうか。「へつらう」

   ことを増長させるのは、受け手の方である。つまりごまをすられて、自分の人間性を誤解したり、「へつらう」人ばかりを

   かわいがるとか、関係性を多く持とうとする、単細胞的かかわりに気分を良くしてしまう、そんな人の存在が「へつらう」

   ことを増長させてしまう。その人はそのことで「へつらう」ことの悪循環に陥り、「へつらう」ことでしか人間関係を保て

   なくなってしまう。

    特に教育の場における先生と生徒の関係における人間関係では、その後の成長に大きく影響を与えるのがこのかかわりで

   はないだろうか。生徒が低年齢であればあるほど、その影響は大きいと考えられる。それ故に先生はごますり生徒を優遇す

   るのではなく。平等にかかわることが最も大切となるのではないだろうか。

    相変わらず学校における先生の不祥事は後を絶たない。教育は対人援助の中でも人となりがとても優先される職場ではな

   いだろうか。人となりを磨くためにも「へつらう」のではなく、言語、態度をできる限り近づけることを大切にして教育と

   いうものに取り組んでもらいたいものである

    「へつらう」のではなく、信頼という二文字を得るために何をどのようにすればいいのかを、伝えてほしいものである。