蒸し風呂の 文月晦日 大隅や 足踏みあらし 大雨降らす
ひのひら ろくべえ
「いびつ」な台風が、足踏みして大雨を降らす、そのような過去に経験のない気象現象
地球はどうなったのだろうと、首をかしげる。
「いびつ」と言えば日本のスポーツ界、今度は日本ボクシング連盟の問題告発、どの組織も
共通しているのは、独裁者の存在と、依怙贔屓権力者の存在であろう。大学の理事長という絶対
的な存在の権力、権限の存在、ボクシング界の絶対的な存在の会長と存在、レスリング部を持つ
大学の学長、などスポーツ界に蔓延る旧態依然の思想、民主主義の基本である全体融和などどこ
吹く風、時代的に見るとどの団体も「いびつ」に見えるのは何故なんだろう。
今総裁選の話題で持ちきりのあの政党も、依怙贔屓の、政治を行う者がその権力を使い、
逆らうものは、出世をできなくする方法で、権力を誇示してる、その姿とボクシング連盟の会長
が逆らうものをボクシング界から干すという発想は同じではないだろうか。
つまり、組織の運営を独裁的に実行する手法は、スポーツ界も政治界も同じではないだろうか
この独裁手法が、国民に支持され始めれば、戦前に逆戻りとなりかねない、そんな空気が川底を
流れている。その川の音が聞こえてくる。恐ろしいことではないだろうか。権力者のいうことは
いつも正しく、正論を述べるものは排除される構造が見え隠れする。民主主義とは。できる限り
の多数の意見を集約し、発展をしようとする方向なのだが、そのことを極める前に、独裁という
方向が、あたかも理想形のように語られる風潮に危機意識を持たざる負えない。
対人援助の場でも援助者の一人一人の判断よりも、権力者の判断が優先されてケア方針が決ま
る、そんなことが良くある。つまり権力者に責任を委ねる傾向にある、日本の文化そのものの問
題なのかもしれない。独裁者を良しとする風潮を創り出すのかもしれない。
いずれにしても、時代的に「いびつ」な、状況を国民は許してならないのではないだろうか?
反対意見や、反対側の組織など、懐大きく、深く受け入れるような個人であったり組織でなけれ
ば国際的に発展はしないのではないだろうか。そのことは日本自体が発展しない、21世紀を過ご
すことにもなりかねないのであろう。
独裁ではなく、日本独自の民主主義を日本人の手で極め、国際的に戦争体験を持つ国の復活と
てして、見せたいものである。そうなるためには国民一人一人の厳しい目、厳しい判断、という
ものが大切なのではないだろうか。
ひのひら ろくべえ
「いびつ」な台風が、足踏みして大雨を降らす、そのような過去に経験のない気象現象
地球はどうなったのだろうと、首をかしげる。
「いびつ」と言えば日本のスポーツ界、今度は日本ボクシング連盟の問題告発、どの組織も
共通しているのは、独裁者の存在と、依怙贔屓権力者の存在であろう。大学の理事長という絶対
的な存在の権力、権限の存在、ボクシング界の絶対的な存在の会長と存在、レスリング部を持つ
大学の学長、などスポーツ界に蔓延る旧態依然の思想、民主主義の基本である全体融和などどこ
吹く風、時代的に見るとどの団体も「いびつ」に見えるのは何故なんだろう。
今総裁選の話題で持ちきりのあの政党も、依怙贔屓の、政治を行う者がその権力を使い、
逆らうものは、出世をできなくする方法で、権力を誇示してる、その姿とボクシング連盟の会長
が逆らうものをボクシング界から干すという発想は同じではないだろうか。
つまり、組織の運営を独裁的に実行する手法は、スポーツ界も政治界も同じではないだろうか
この独裁手法が、国民に支持され始めれば、戦前に逆戻りとなりかねない、そんな空気が川底を
流れている。その川の音が聞こえてくる。恐ろしいことではないだろうか。権力者のいうことは
いつも正しく、正論を述べるものは排除される構造が見え隠れする。民主主義とは。できる限り
の多数の意見を集約し、発展をしようとする方向なのだが、そのことを極める前に、独裁という
方向が、あたかも理想形のように語られる風潮に危機意識を持たざる負えない。
対人援助の場でも援助者の一人一人の判断よりも、権力者の判断が優先されてケア方針が決ま
る、そんなことが良くある。つまり権力者に責任を委ねる傾向にある、日本の文化そのものの問
題なのかもしれない。独裁者を良しとする風潮を創り出すのかもしれない。
いずれにしても、時代的に「いびつ」な、状況を国民は許してならないのではないだろうか?
反対意見や、反対側の組織など、懐大きく、深く受け入れるような個人であったり組織でなけれ
ば国際的に発展はしないのではないだろうか。そのことは日本自体が発展しない、21世紀を過ご
すことにもなりかねないのであろう。
独裁ではなく、日本独自の民主主義を日本人の手で極め、国際的に戦争体験を持つ国の復活と
てして、見せたいものである。そうなるためには国民一人一人の厳しい目、厳しい判断、という
ものが大切なのではないだろうか。