朝雨や 涼しさ連れて 通り過ぎ 息つく暑さ 葉月の晦日
ひのひら ろくべえ
今日は朝から通り雨、しばらく晴れて、狐の嫁入り、曇り、晴れ間と不安定な天候の一日となっている。
不安定と言えば、体操界も不安定ではないだろうか。
暴力指導、パワハラ指導、謝ったり、言いわけしたり、なんだか猫の目騒動である。どうしてスポーツ
という世界でこのようになってしまうのであろうか。そこには目に見えない力関係だけで、一部の協会幹
部が権力を持つ、そこに金銭が集まると言った、構図が働いているのではないだろうか。
つまり、権力集中することができる、縦社会というものを容認している、補助金を出す方の国の問題も
あるのかもしれない。オリンピックというスポーツの祭典を前に、揺らぐスポーツ界、そのスポーツ界を
監督、指導する、文科省スポーツ省の役割は大きのではないだろうか。
日本の予算は、100兆円を超えると報道で言っていた、その中にこのような補助金も含まれているのであ
る。国民の税金で強化されている選手を私物化してしまう、幹部が協会という団体の実権を持ち、自分の思
うように操作する。そんな行為が繰り返される。正々堂々というスポーツの理念は全くの嘘という事になって
しまう。
暴力を用いないと指導ができないという未熟な指導者を、協会という組織が認めること次第、選手時代の成績
主義の表れではないだろうか。人間性、指導能力、論理性、などを中心としたコーチ人選ができない人が、幹部
をしている。このことが大きな問題ではないだろうか。
コーチや、監督、などの指導者は、技術だけではなく、人間という大きな器をもって行う必要があるのだが、
どのような組織においても日本では、外見の学歴や、他者の噂や、事なかれ主義の人を選ぶ傾向にないだろうか
如何に情熱や熱心さが故に、体制批判や、物申す人を、排除という、権力の乱用によって事なかれ主義を勧めよ
うとする。日本本来の根底に流れるし思想が、スポーツ界から、マグマのように噴き出してきたということでは
ないだろうか。この問題はいずれ、製造業やサービス業といった組織にも波及するのではないだろうか。
又波及すべきと考える。日本が21世紀に真の先進国となるために、、国民ファーストの国となるために、今こ
そ、根底から民主主義というものを、国民の力で勝ち取る時なのかもしれない。明治の改革以来続いてきた、日
本人の根底に流れている思想を、変化させる時期なのかもしれない。縦社会ではなく、横のつながりたてのつな
がりを重要とした、組織、社会を構築し、世界に誇る国創りが必要なのではないだろうか。
表面的な能力主義ではなく、経営者も労働者も、政治家も民衆もその内なる価値観を変化させたいものである。
ひのひら ろくべえ
今日は朝から通り雨、しばらく晴れて、狐の嫁入り、曇り、晴れ間と不安定な天候の一日となっている。
不安定と言えば、体操界も不安定ではないだろうか。
暴力指導、パワハラ指導、謝ったり、言いわけしたり、なんだか猫の目騒動である。どうしてスポーツ
という世界でこのようになってしまうのであろうか。そこには目に見えない力関係だけで、一部の協会幹
部が権力を持つ、そこに金銭が集まると言った、構図が働いているのではないだろうか。
つまり、権力集中することができる、縦社会というものを容認している、補助金を出す方の国の問題も
あるのかもしれない。オリンピックというスポーツの祭典を前に、揺らぐスポーツ界、そのスポーツ界を
監督、指導する、文科省スポーツ省の役割は大きのではないだろうか。
日本の予算は、100兆円を超えると報道で言っていた、その中にこのような補助金も含まれているのであ
る。国民の税金で強化されている選手を私物化してしまう、幹部が協会という団体の実権を持ち、自分の思
うように操作する。そんな行為が繰り返される。正々堂々というスポーツの理念は全くの嘘という事になって
しまう。
暴力を用いないと指導ができないという未熟な指導者を、協会という組織が認めること次第、選手時代の成績
主義の表れではないだろうか。人間性、指導能力、論理性、などを中心としたコーチ人選ができない人が、幹部
をしている。このことが大きな問題ではないだろうか。
コーチや、監督、などの指導者は、技術だけではなく、人間という大きな器をもって行う必要があるのだが、
どのような組織においても日本では、外見の学歴や、他者の噂や、事なかれ主義の人を選ぶ傾向にないだろうか
如何に情熱や熱心さが故に、体制批判や、物申す人を、排除という、権力の乱用によって事なかれ主義を勧めよ
うとする。日本本来の根底に流れるし思想が、スポーツ界から、マグマのように噴き出してきたということでは
ないだろうか。この問題はいずれ、製造業やサービス業といった組織にも波及するのではないだろうか。
又波及すべきと考える。日本が21世紀に真の先進国となるために、、国民ファーストの国となるために、今こ
そ、根底から民主主義というものを、国民の力で勝ち取る時なのかもしれない。明治の改革以来続いてきた、日
本人の根底に流れている思想を、変化させる時期なのかもしれない。縦社会ではなく、横のつながりたてのつな
がりを重要とした、組織、社会を構築し、世界に誇る国創りが必要なのではないだろうか。
表面的な能力主義ではなく、経営者も労働者も、政治家も民衆もその内なる価値観を変化させたいものである。